3 ねるちゃを探しに
転移した先はビルの屋上だった。空調設備や貯水槽の周辺にはフェンスがあったけど、そこ以外はフェンスがないため見晴らしもよく、下から聞こえる騒音もどこか別の世界のことに感じられる。吹き付ける風が強くて堪らず髪を抑えた。
「夜明先生がお姉さまのお母さまって、本当ですか!?」
風の音を透き通るりんの声が聞こえた。
「ああ、産みの親ではないが、ね。不束ながら親をやらせてもらっているよ」
つばの広いとんがり帽子に黒いマントを纏い、多種多様な装身具を身につけ、1mほどの杖を手に持った夜明は絵本からそのまま抜け出してきたような、古典的な魔女を踏襲した姿をしている。
かくいう私たちも似たような格好である。違いは私たちの杖は30センチほどの短いものであることと、なんだか全体的にフリル多めで可愛らしいことか。これは彼女が「魔女の服装は古くから特徴が決まっているのさ」という己の信念に基づいて懐古趣味で魔導具をデザインする影響だ。
風に靡くラッフルを見ると頼りなく思えるけど、銃弾ぐらいなら弾いてくれるしアクセサリー型の魔導具だって毒ガスや急激な環境の変化から装着者を守ってくれるから、これは立派な戦闘服なのだ。夜明が空いている時間にちょくちょくと作るハンドメイドなので一式仕立てるのに一年とちょっとかかる。
魔導具の発動の仕方には単発式と継続式の大きく二種類がある。単発式は発動するごとに魔力を流して励起させるタイプのもので、継続式は魔力を流し続けることで励起状態を経常的に保ち発動し続けることができるタイプのものだ。この装備は後者である。常に魔力を送らなければならない関係上どうしても燃費が悪くなるのが継続式なのだが、夜明の作るものは燃費効率が良く一週間着続けても体に悪影響はないと断言していた。
話を戻すとりんが夜明に頭を下げていた。
「すみません! 私、お姉さまのお母さまに向かって失礼を」
「君が失礼だったことなんてないさ。自分と友達を守りたかっただけなのだろう。真っ当な感性だよ」
私の頭にふっと湧いた「りんと私は友達なのか」という問題は置いておく。頭を上げたりんの目は不安そうに私を見ていたので私も見つめ返した。
「仲がいいのはいいことだね」
夜明の言葉で私たちはお互いに目を逸らした。
夜明が懐から直径2、3センチほどの多面体をいくつか取り出して手のひらに並べる。術式が発動するとそれは小型のドローンとなって何度か夜明の周辺を飛び回り、四方八方へ散っていった。
「それは何?」
「試作品の探索機だよ。まだAIに不安があるけど、人や術式があれば教えてくれるはずだよ」
夜明は魔導具製作が得意だ。よく手慰みに魔術式を作成して変な魔導具を作る。その腕前は魔導具製作の依頼が届くほど。本人は「その道を専攻にしている人には敵わない」とこぼしていたが、私には十分才能があるように思える。
「ビルを探索し終えるまでしばらくかかるだろう。その前にりん君に聞きたいことがある」
「私ですか? はい、なんでもお聞きくださいお母さま!」
「うん。で、君は何故メルルをお姉さまを呼んでいるのだい? 見たところメルルよりも年上のようだが」
それは私も気になっていた。この餅伽りんという女はなぜ私をお姉さまと呼び慕ってくるのか。昔は私たちの関係はもっと剣呑だったというか、もっと恨まれていたと思うのだけど。
「それはお姉さまが世界の誰よりも自由で在らせられるからです」
答えになっていないが。
「よくわからないが、メルルは勘違いされやすい子だ。君みたいな仲良くしてくれる子がいて私は嬉しいよ」
夜明はりんの頭を撫でる。
「まあ、お母さまったら」
「お母さま呼びも照れるなぁ。メルルはそう呼んでくれないから」
彼女らは私を置いて勝手に会話を進める。
「うるさいよそこの女ども。敵地でお喋りするな」
お茶を濁した。
「この周辺に人や励起状態の魔術式はなかった。それじゃあ上から一階ずつ、なにか痕跡が残ってないか探そうか」
その言葉を合図に私たちは調査を開始する。魔導的な探索は夜明に任せているので、私とりんはもっぱら肉眼とひらめきを使うことになる。
改めて目標を整理すると、やるべきは『魔女ねるちゃ行方不明事件を解決する』ためにねるちゃが最後にいたと思われるビルで『彼女の痕跡を探す』こと。彼女がなぜこのビルにいたのか。なぜ位置情報の反応がなくなったのか。なぜ私を呼び出したのか。
何か手がかりがあればいいけど。
ビルの中は伽藍と空洞が広がっていて、敷き詰められたタイルカーペットの上に時々くたびれた延長コードがアスファルトを破る雑草のように伸びている。今は使われていないと言う話だったけど、元々はどんな人たちがここを使っていたのだろう。臭いのしないトイレに入り蛇口を捻っても水は出ない。水道が止められているのか。屋上にあった受水槽は空だな。
「こういう人気のない建物って、お化けでも出てきそうで怖いですね」
「そう? 私は秘密を覗いてるみたいでわくわくするけど」
「さすがお姉さまです。人とは物事の感じ方が違う」
りんは本当に怖がっているようで私のそばにぴったりくっついている。いつもは何を考えているのか分からないりんだけど、怯える彼女の表情は純粋に可愛いと思えた。
トイレから出ると廊下の端に、階段へ続く扉に入る誰かの後ろ姿が見えた。長い髪の人間だから夜明ではない。
「今の誰だろ」
「ひぃ何かいたんですかすみません私まだそのレベルに達していないので」
「幽霊とかじゃないよ多分」
私は杖を構えていつでも魔法を撃てる態勢になる。りんも私のやりたいことをなんとなく察して杖を構えた。私たちの持つ杖も夜明によるもので、よく使われる数十の術式が搭載されていて使い勝手がいい。当然単発式である。
熱源感知術式、反応なし。聴覚拡張術式、何も聞こえない。
本当に見間違いだった? それとも、姿を見せて食らいつくのを待っているのか。陽動か。
視覚拡張術式で後ろを見ても気になるものはない。
「そこの人! いるなら返事をして!」
呼びかけても応えはない。
「5秒以内に返事がなければ撃つからね」
5、4、3、2、、、
射撃術式が私の魔力に反応して励起し、揺らぎの領域を増幅させる。揺らぎは純粋なエネルギーに変換されて杖から一直線に放たれた。
空気中に残留する魔力の熾を手で払い、穴の空いた壁紙を見つめる。私は撃ち抜いた場所へ歩みを進めた。
階段のある空間には誰もいなかった。ただし死体の代わりに時計回りに渦巻く地球儀サイズのブラックホールのようなものが宙に浮いていた。なにこれ。
「お姉さま、なんですか、これは」
「なんだろうね、触らない方がよさそうだけど」
エネルギー弾は階段と廊下を遮る壁を貫通して直線上にあった階段の手すりを歪ませたところで止まっていた。弾の通り道とブラックホールは重なっているので、私が『何か』を撃った結果これが発生したのかもしれない。
「とりあえず夜明に報告しよう。私が見た人っぽい後ろ姿も含めて」
「その必要はないよ」
「夜明っ」
呼びに行こうとしたらいつの間にか本人がそこに立っていた。射撃術式の反応を感じてきてくれたのだ。
「ほら、手を出して」
言われるが儘に夜明に向かって腕を突き出し。
「お姉さまっ! それに触らないでください!!」
「え?」
不可思議なことを言うりんを胡乱げに見つめながら突き出した指先が何かに触れたのと、りんの手が私のマントを掴んだのは同じタイミングだった。視界が、全ての感覚が、歪む。励起状態の術式が強制的に基底状態に戻され、私は全ての護りを失った。
「メルル! 何があったの? ……メルル?」
少し遅れて、射撃術式の発動を感知した夜明がやってくる。しかし僅かな魔力の織が残るばかりで、メルルの姿もりんの姿もそこにはなかった。
続く?