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ロストガールと魔女  作者: ヌププ
第五章 『小学校の七不思議』 斎藤風樹
39/40

38 世界は水でできている

 

 屋上に出る扉に鍵はかかっていなかった。いつのまにか雨は止んでいたようで傘をさす必要はなかったが、屋上は所々水溜りができて非常に滑りやすくなっていた。来た時と同じような陽光が降り注ぎ、周囲はキラキラと輝いている。しかし屋上から見渡せる景色は歪み、深い霧に覆われていた。


「こっち! こっちだよ!」

 水溜りの真ん中を突っ切ってタクトは走る。あたしは後に続こうとした陽毬を軽く止めて、なるべく靴が濡れないように回り道をした。


「はやくはやく!」

「ちょっと! タクトくん危ないよ!?」

 タクトは恐ろしいことに柵を乗り越えて、わずかに出張った部分に立っていた。あと数センチ前に出れば落ちてしまう。


「あんた死ぬよ!」

「大丈夫だよ! それにここからじゃないと七つ目は見えないんだ! お姉ちゃんたちも早くおいでよ! 出口が見えるよ!」

 タクトは手すりに掴まって腕一本で体を支えながら下を覗き込み、高揚した口調で手招きする。あたしが陽毬に目くばせすると、陽毬は静かに頭を振った。


「やめようか。いくらなんでも怪しすぎるから」

 陽毬の少し冷酷な口調に焦りながらも言葉を返す。

「あたしも陽毬と同じ。あいつのことは信じられない」


「どうしたのお姉ちゃんたち?」

 タクトは柵越しにあたしたちを睥睨する。

「危なっかしくて怖いからあんたこそ早く戻りなよ」

「なんで? 帰りたいんでしょ? 二人で一緒に。元の世界へ。なら早くきて! はやく、はや……ああ゛ッ!!」


 突然タクトが叫び声をあげる。少し遅れてあたしたちが振り向くと、首長さんが音もたてずにひっそりと立っていた。


 首長さんはあたしたちの間を通り、タクトへ向かってまっすぐ一歩を踏み込む。水溜りに波紋が広がり、空気がざわめく。

「こっちに来るな! 何なんだよお前っ! 俺の世界から出てけッ!!」

「人形です。子供は人形を求めている。どれだけ手酷く扱っても、ボロボロになってもいい人形。自分の都合の良い欲望をぶつけられる人形。母型人形。なんて、なんて、ひどぅい話だと思いませんか」

 あの耳に粘りつくような声が響く。


「ひっ」

 タクトは彼女に怯み、大きく一歩後ずさる。

 あっ、と思い走り始めた時には、すでに足を踏み外してその体を空中に投げ出していた。

 タクトの体がゆっくりと沈んでいく。投げ出された人形が宙を舞い、伸ばされた手が空を切った。



 あたしが柵に到着すると同時に、ドンッ、と重いものが硬い地面に落ちた音がした。思わず柵を乗り越えかけたあたしの体を陽毬が掴む。

「ふーちゃん!! ……ッ……、……陽毬をひとりにしないで」

「……ごめん」

 あたしは柵から手を離し、陽毬に抱きついた。陽毬の温もりが、心臓の鼓動が、数倍愛おしく感じる。胸から延髄、そして目の奥へと込み上げようとする熱を必死に堰き止める。今日だけで涙を出しすぎて死にそう。


「……あたしっ、死んで欲しかったわけじゃ……っ!」

「うん、大丈夫。陽毬はわかってるから。ふーちゃんは何も悪くないよ」

 あたしは陽毬の腕の中で、怖い夢を見て大人にあやされる幼児のように必死に自分を落ち着かせた。



 あたしが落ち着いた頃を見計らって、首長さんは2本の傘をあたしたちへ差し出した。あたしが持ってたけど、いつのまにか落としちゃった傘だ。

「わざわざ届けに来てくれたの? ありがとうくーちゃん!」

 陽毬が満面の笑みで傘を受け取る。


「……ひ、まり」

 首長さんが耳に纏わりつかない普通の声で陽毬を指して名前を呼ぶ。

「陽毬だよ!」

「……ふーちゃん」

 今度はあたしを指してくる。あたしをその名前で呼んでいいのはひまりだけだと言いたい。

「うん! この子はふーちゃん!」

 全力の陽毬の肯定に口をつぐむ。すると首長さんは次は自分を指さした。

「…………くーちゃん」

「そうだよ。あなたはくーちゃん!」


 陽毬の言葉を受けて、首長さんは硬直する。しかし数秒後、正中性に沿って頭からデコルテまでに裂け目が入り、皮膚が布のように歪んだ。


「ひっ」

 あたしは陽毬の裾を両手で掴み、陽毬はあっけに取られて口をぽかんと開けたままそれを見ていた。


 首長さんの裂け目から暖かい光が溢れ、中から陽光に輪郭を縁取られた初等部ほどの子供が顔を出す。彼女は重力を感じさせない動きで首長さんから完全に飛び出ると、屋上にゆっくりと着地した。


 首長さんの体が光の粒になって瞬くように消える。陽光は水溜りに反射して首長さんから出てきた彼女を輝かせる。髪にお日様の香りを漂わせ、白いワンピースのふわふわスカートをはためかせて、少女は陽毬と目を合わせた。


「くーちゃん、ひまり、すき!」


 少女は太陽のような笑みを浮かべて陽毬に抱きつく。

「わわっ?! くーちゃん!??」

「くーちゃん!」

 少女は陽毬に頬ずりし髪を交わらせる。彼女はご主人様に甘える犬のように散々擦り付けたあと、陽毬の裾を掴んだまま呆然としているあたしに向けて、勝ち誇ったような上目遣いを向けた。


「……ッ、ちょっとあんた!」

 あたしはくーちゃんを名乗る少女の肩を掴もうとする。しかし伸ばした腕は逆に掴まれて、少女と陽毬の間へと引き込まれた。

「すーちゃんもっ!」

 柔らかくて暖かい体温と、赤ちゃんとお日様が混ざったような匂いに包まれる。頭の中はパニックだけど、それでもいいやって思えるぐらいの誘惑と安楽がそこにはあった。


「だいすき」

 光が波になって見え方が揺らぐ。床に大きな波紋が広がって、硬いものも柔らかいものも全てが水にもどっていく。

 陽光が反射して煌めき、少女が黒い渦に歪んでいった。



 がおー、とどこか抜けた吠え声が聞こえた。






 ドガン!!


 と強い衝撃に襲われた。痛いというよりも、暗くて狭い箱の中に落とされたような息苦しさに驚く。だけどその息苦しさも、次第に和らいでいった。

 暖かな日差しを乗せた風が髪を撫でて、気持ちのいい匂いが鼻腔をくすぐる。ゆっくりと瞼を開くと、そこは公園の四阿の中だった。

 あたしはベンチに座って眠っていたようだ。右側が暖かいと思ったら、陽毬があたしに寄りかかって眠っていた。

 そっと陽毬の髪を撫でると、彼女の眦が薄く開かれた。


「おはよう陽毬」

「……ふーちゃん、生きてる……よかったぁ……」


 陽毬はあたしの服を掴み、胸に頭を埋める。あたしはそんな彼女の背中に腕を回し、頭を撫でた。熱が、鼓動が、血の巡りが陽毬は生きていると伝えてくる。


 ……夢、だったのかな。でも、あたしと陽毬の胸にはあのお花のアップリケが張られていた。



 テテテン♪テテテン♫

 スマホの着信音が鳴り響く。陽毬と一緒に立ち上がって地面に落ちていたあたしのスマホを取ると、発信者は院の職員さんだった。


「もしも…」

『斎藤さんあなた陽毬ちゃんの居場所知らない!?』

 怒声にも似た職員さんの声がスピーカーから響く。画面に表示されている時刻を見ると、陽毬の出番の30分ほど前だった。

「い、今行きますっ!!」

『やっぱりあなたが関わっていたのね話は後でたっぷりと聞くわ、今は陽毬を早く連れてきなさい!!』

 プツッ──


 一方的に通話が切られる。あたしは陽毬と顔を合わせて笑い合った。

 今から魔法でメイク直ししてドレスも綺麗にしてもらって、ああまた怒られちゃう。結婚のこともどうやって伝えようか。でも職員さんとのこんなやり取りも久しぶりで、少し嬉しくなった。


 陽毬と手と手を繋いで雨上がりの公園に駆け出す。骨は肉に覆われて、その全ては水に溶けて、水に濡れた世界が陽光を浴びてキラキラと煌めいていた。




 ◆◆◆



「……行っちゃった」

 陽光を受けて煌めく髪の少女が、誰もいなくなった屋上に現れる。今の彼女は身の丈よりも大きな杖を抱えていた。


「自己を確立して自力でドールを抜け出すなんて、D-448の中の子は優秀だにゃ〜。それともあの二人に影響を受けた? ログを観るのが楽しみにゃーね♪」


 彼女はスキップをする様に屋上を走ると、軽やかに柵を乗り越えて飛び降りた。

 ふわりと地面に着地すると、近くには全身がひしゃげて夥しいほどの血を流すもかろうじて息のある男の子がいた。


「生きてるー?」

「……たす、……けて」

「えい!」


 少女は杖先で男の子の延髄を突き刺して破壊する。男の子の体は数度痙攣し、そして動かなくなった。少女は変わらぬ笑みを浮かべて杖を振り血を飛ばすと、近くに落ちていた布人形を手に取った。


「固定者のクローンをドールを使って術式に組み込んでも完全な安定化は無理っぽいにゃ。でも成果は出てるしもう少しこの方向で続けたい……悩ましい〜にゃぁぁぁ」


 少女を中心に地面に水面のような波紋が浮かび、全ての死体も、全ての校舎も、その中の七不思議も、陽光と少女以外の万象が水になって崩れていく。霧は一層深くなり、陽光が乱反射して少女は光と水に包まれる。


「……でも妹たちは使えないし、かんなも皐月も安居院も白椿も自分勝手。ならりゃるかが頑張らにゃいとっ!」


 瞳に希望と狂気を詰め込んで、少女は水の世界へ踏み出した。


続く?

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