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ロストガールと魔女  作者: ヌププ
第五章 『小学校の七不思議』 斎藤風樹
37/40

36 水の戯れ

 

 図工室にて人形の足を回収したあたしたちは、次の七不思議『ひとりでに鳴るピアノ』に狙いを定めて音楽室へと向かっていた。叩きつけるような雨の音をBGMに、暗い廊下を陽毬と手をつないで進む。

 こんなふうに当たり前に陽毬と手を繋ぐ日が来るとは思っていなかった。かわいい体温にドキドキする。


 これで回収できた人形の部位は3つ。トイレの花子さんから胴体、テケテケから右足、図工室の絵画から右手を集め終わった。人形の部位は全部で6つだからちょうど半分回収できたわけだ。残りのうち一つの不思議『踊り場の大鏡』にはすでに遭遇しているけど人形は回収できていない。しかしあの男のいる保健室になるべく近づきたくないあたしのために回収は後回しにされていた。


 あの時の恐怖を思い出し憂鬱になっていると、陽毬の手にぎゅっと力が加わる。

「どうしたの?」

「ふーちゃん、なんか雨の音が小さくなってない?」

 耳をすませてみれば確かに、窓から見える雨筋は激しく降り注いでいるにもかかわらず、聞こえる雨音は和らいでいる。音楽室に近づくほどこの現象は顕著になっていった。そして雨にとって変わるように、ピアノの音が聴こえて来る。


「……ショパンの『ワルツ第12番』。よくショパンワルツの入門として練習されるんだけど、なんか陽毬この曲聴くといつも悲しい気持ちになるんだよね」


 聞いたことのない曲だ。ショパンのワルツは子犬のワルツしか知らない。あたしの知らないことを知っている陽毬に少し嫉妬する。けれど前みたいに死にたいとは思わなかった。


 音楽室の手前までたどり着く。その頃には雨の音は消え失せ、軽快なピアノの音が軽やかに奏でられていた。

 あたしは陽毬と目くばせしてドアを開けることなく壁に背を預ける。確かこの七不思議は『最後まで音楽を聴くこと』が人形回収の条件だったはずだ。

 演奏が終わり、ピアノの音は静寂にかき消される。


「入ってみよう」

「うん」


 音楽室の扉は抵抗することなく開いた。音楽室には誰もおらず、雨の降っていない窓は開け放たれて、風になびくカーテンと月の光が差し込んでいる。月光は重厚なグランドピアノの黒を撫で付け、屋根と蓋は上げられて弦と鍵盤が露出している。


 あたしたちは二人で人形の部位を探してみるも、見つけることができなかった。

「どうしようふーちゃん。一度外に出てみる?」

「そうしようか」

 再びひとりでに演奏してくれることを望んでドアに手をかけるも、扉は接着剤で塗り固められたかのようにビクともしなくなっていた。

「陽毬。ドア開かない……」

「ほんと?」

 陽毬も取っ手と窓の縁に手をかけて力をかけるも、ドアは揺れ動く気配すらなかった。

 教室を見渡すも、ピアノは沈黙するだけで音は出ない。


「弾いてみろってことなのかな」

 陽毬は椅子に腰掛けるとピアノに向かい鍵盤を軽く撫でる。いくつかの孤立した音が悲しげに響いた。


「ふーちゃん何かリクエストある?」

 そう言われても咄嗟には思いつかない。

「じゃあ陽毬の一番好きなの」

「一番好きなのかー」

 陽毬は手慰みに片手で簡単なメロディを弾いていたが、すぐに「よし」と意気込んでピアノに向き直った。


「ショパンの英雄ポロネーズとかスメタナのモルダウとかドビュッシーの月の光とか、クラシックで好きな曲はたくさんあるけど、一番はこれなんじゃないかな〜って曲があるの。めちゃめちゃ綺麗で素敵で、きっとふーちゃんも気に入ってくれると思うから。ラヴェルで『水の戯れ』」



 陽毬の指が流れるように揺れ動き、光をくすぐるような音が奏でられる。水の粒が空に弾け、波となって線を引く。虹色の粒が重なり合い白へと近づくグラデーションを描く。ホログラムやラメの媚びるような輝きではない、自然であるがままの煌めき。色彩光線主義の点描画のように鮮やかで、繊細な透明水彩のように透き通るイメージが空間ごとあたしを飲み込み、身体は水と光に包まれる。


 そうか、水なんだ。あたしは水だから音がこんなにも響くんだ。肉も骨も、生も死も、あはは、人間なんて水の塊なのに、苦しんだり喜んだり不思議だ。


 悪戯好きの妖精が人も悪魔も揺らぐ世界に招き込む。水の上の空気は波によって歪む。揺らいだ空気は風となって波も揺らぐ。

 全ての揺らぎは美しく組み合わさり、位相を超えて干渉し、その複雑な揺らぎは美しき水の旋律、もしくは自由な不協和音となって波動を示す。その不可逆的で無作為な揺らぎはやがて規則的で幾何学的な物質となる。万物は最も安定した状態で流転する。今なら万物の根源(アルケー)は水と答えたタレスを疑うことなく支持できる。



 最後の煌めきが終わり、陽毬はピアノから手を離す。あたしは自然と、手のひらが痛くなるほど拍手を繰り返していた。

 ピアノの音をここまで心地よく聴けたのは久しぶりだった。聞き入っている間はそのことにすら気が付かなかった。


「えへへー、気に入った? いっぱい練習したんだよ」

 陽毬は顔をせきらめて恥ずかしがるようにはにかんだ。そんな彼女の頭にポテっと何かが落ちてくる。彼女がそれを拾うと、自信満々に見せつけてきた。

「たぶんお人形の左手!」

 胸から込み上げる感情に耐えきれなくなったあたしは椅子に座ったままの陽毬に抱きつく。

「ふーちゃん?」

「陽毬ぃ、綺麗だったよ。あたし聴き入っちゃった」

「えへへ、ふーちゃんに褒められた♪」

 陽毬はあたしをぎゅっと抱きしめ返す。静かな音楽室には僅かに残った煌めきが流れる。


「陽毬ね、ふーちゃんに伝えたいことがあるの」

 温もりの隙間から、陽毬の少し緊張した声が聞こえた。口調の僅かな違和感から思わず心が身構える。

「……なに」

「陽毬ね、子供産みたいんだ」

「……子供?」

「ホムンクルスじゃない。男性区から精子をもらって、子宮で胚と胎盤を作って出産するの」


 ……最初は、あたしの思っていた陽毬のイメージと違いすぎて、彼女が何を言っているのか理解できなかった。だって陽毬はかわいくて、元気いっぱいで、子供っぽいけど大人びていて、あたしとは違う世界を見つめる天才で、……あたしのそばにいてくれた。


 彼女は体を離すと真剣な面持ちであたしに向かい合った。

「なにか言いたいことはある?」

「……言いたいことってッ! 危険すぎるよ! 昔ならともかく、現代で……、死ぬほど痛いって聞くよ! お腹を裂くことになったり、病気を誘発したりするって!」


 妊娠して出産するなんて、狂気の沙汰だ。昔の人はそれしか頭数を増やす方法がなかったからしていたけど、科学の発達した現代でやることじゃない。そんなの好き好んでやるのは多分ナチュライみたいなスピリチュアル被れとか男性区に入り浸る頭のおかしいビッチとか埃の被った価値観の前時代的な連中ぐらいだ。生理だって、手術して止める人も少なくないのに。


「それでも生みたいの。自分のお腹から、自分の子供を」

 陽毬はまっすぐあたしを見つめる。ヘリオライトのような瞳にもう劣等感は抱かない。だってあたしは陽毬が大好きなんだって気づいてしまったから。


 ……でも

 あたしと離れないで。もうあなたの暖かさがないと生きていけないんだ。

 そんなこと、言ってしまったら──


「最悪死ぬよ!」

「わかってる!」

「なんでそんなに意地を張るの!」

「張ってないっ!」

「……き、汚い顔になるかもしれないんだよ。奇形とか、障害者になるかも。か、考え……」


 こうじゃない。私の言いたいことはこんなことじゃなくて。そしてたぶん陽毬の言いたいことも。

 信じて、今まであたしが見てきた陽毬を、あたし自身を。今この場での最適解を。


「それでも産みたいの?」

「うん」


 産みたいだけならあたしなんかに言わずに産めばよかったんだ。陽毬は何を求めている。……縁を切ろうとしている? もしそうだったら死んで……


 違う。陽毬はあたしの言葉を待っているんだ。ずっと。死にたいで誤魔化すな。


「……わからない」

「うん」

「わからないけど」

「……ふーちゃん」

「あたしは稼ぎもないし未来もわからないけど、卑屈だし根暗だけど、絶対に幸せにするからッ」

「……」

「だから何処の馬の骨ともわからん相手の遺伝子じゃなくて──」


 死ぬほど恥ずかしい。燃えて灰になりそうなほど体が熱い。陽毬の目が見れない。それでも最後まで伝えたい。


「──陽毬のことが大好きですッ! だからあたしと子供を作って、あたしと結婚してくださいッ!!」




「……待ってた」


 弾かれるように顔を上げると、涙をたたえ煌めきを増した瞳と目があった。

 陽毬の腕が再びあたしを抱きしめる。力強く、二度と離れないように。


「陽毬もふーちゃんのこと大大大好きだからっ!」


 あたしも陽毬も泣いていた。泣きながら抱き合って笑っていた。二人の体温と笑い声が共鳴して、水の波が光を帯びて美しく揺らぐ。


 陽毬と一緒ならどこまでも行けそうな気がした。


続く?

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