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ロストガールと魔女  作者: ヌププ
第五章 『小学校の七不思議』 斎藤風樹
36/40

35 信じる力

 

「えいやああああああぁぁ!!!」


 陽毬が気合を叫び、ハサミを前にかざして人形の手がある部分に直進する。

 跳ねるように飛び出した陽毬の体は、しかし上から落ちて来たドローイングの腕に絡め取られて、宙に投げ出された。

 ハイヒールが宙を舞い、スカートが蝶の羽のように美しくはためく。

 陽毬の体は空中で再びキャッチされて、ボールを手慰みに弄ぶように何度も投げられる。

 ようやく投げることをやめた腕が持ち上げた陽毬の体は、力を失ってだらりと五体が投げ出されていた。



「……陽毬?」


 口から泡が溢れて、もはや指に引っかかっていただけのハサミが死体のように床に落ちた。



「……あ、ああ」


 陽毬はこの世で最も尊い存在なのに。唯一価値のある存在なのに。陽毬は、生きなきゃいけないのに。あたしは、死ななきゃいけないのに。なんで、こんなにも……怖い……


 価値のある存在を守るために命を賭けたのであれば、それは意味と誇りのある人だった。価値ある人の幸せを願った人も、きっと同様に価値があるのかもしれない。

 そんな存在になれたらどんなに良かったか。少なくとも、価値あるものを守れずに無様を晒してなお息をしているこの体たらくにはならなかった。


 死にたい。


 みんな気づいていないのか。どうせ命に価値なんかないってことに。赤ちゃんも老人も魔導士も魔導士以外も天然もホムンクルスも男だって、全ての命は平等だ。平等に無意味だ。全部死が台無しにする。死神があたしを見る。蟻が砂糖に集るように。

 ああ、死にたくない。どうでもいい。命が惜しい。快を求め不快を排すのは本能であれば、それを求めた先に何があるというの。

 何もない。行き着く先には何もない。ただ死ぬのみ。集合的無意識で、みんなそれがわかっているから、目を背けている。わかっているはずだ。誤魔化しながら生きても無意味だ。わかっているのに。

 考えないようにしている。今のあたしたちと同じ。ここがどこなのか、七不思議とはなんなのか、タクトと首長さんはどんな関係なのか、あの子達はどうなってしまったのか、……あたしたちは死んでしまうのか。

 目を背けて、与えられた人形を探すと言うタスクだけを見ている。しょせん人間はそんなもので、でも……


 死にたいだなんて言わないで……陽毬──



「らーいおっんさんっ かっもしっかさんっ きゃーべっつさんっ にんじんさんっ しっまうっまさんっ ぱいなっぽーさんっ」



 フロイト先生だって本能的な死の欲動(タナトス)とそれに抗う生の欲動(リビドー)の存在を認めている。人は死に向かって進んでいる。当然の人間原理で、それが産まれた時から当たり前だったはずだ。はずなのに。

 違う。違う。違う。違う! もっと昔は生きることが当たり前だったはずだ。だって人は産まれたのだから。生に向かってベクトルは進んでいた。途中で人理式に何かが混ざったんだ。何か、おぞましい、この世の理を書き換えてしまうものが──



 小さな手に顎を掴まれて上に持ち上げられる。プラチナブロンドの髪の幼い少女の、血と肉と希望と狂気を詰め込んだような瞳と目があった。

「惜しいにゃぁ。1000年前に産まれていれば、今頃ちょうどいい感じになっただろうに」


 この子は誰だ。あの子だ。中庭の……


「りゃるかのらいおんさんアップリケ! 謎解きやってくれたんだ! えへへー面白かった? ……それともズルしちゃったにゃ?」

「え」

 少女はあたしの胸を指す。そこには花柄のアップリケが一枚。


 思い返すのは、初等部の記憶。

 あたしの絵を熱心に見つめる女の子。あの子の胸元にもお花のアップリケがあった。確か昔は仲が良かったっけ。名前は……

「これ、ふーちゃんの絵?」

 彼女が指を指す。古いあだ名。その名前であたしを呼んでいた人は、もういないと思っていた。ずっと覚えていてくれたんだ。誰も見なかったあたしのことを。

「すごい。陽毬この絵大好き」

 目を輝かせながらそう呟く彼女は、綺麗だった。


 ひーちゃん……


 自分に価値がないと認めたくないから、自分以外にも価値がないと考えた。自分を見るのが怖かったから、とっぴな理屈に理想を求めた。自己嫌悪と自己肯定感の暴落を何度も繰り返して、その度に自分から目を背けた。大衆に迎合することをよしとせず、されども遺志を貫く気概もなく、周りと自分を比較して悔しさと恥ずかしさを感じつつも自分の感情を認めずにただ死にたいとだけ呟いた。

 そんなあたしを、陽毬はずっと見ていてくれた。あたしはずっと自分のことしか考えていなかったのに。この世界に生きてる人間は自分しかいないとでも思っていたのかあたしは。


 そうか、信じるって、ただ待つだけじゃない。だってあたしたちは友達なんだ。きっと陽毬は生きて、私に助けを求めている。


「陽毬を……返せ……ッ!!!」



 あたしは陽毬を吊り下げる腕に手を伸ばし、思いっきり引っ張った。しかし腕はしなやかに曲がっているにもかかわらず鉄のように硬く、びくともしない。腕というより硬い触手。推定50キロの肉の塊をお手玉のように投げて遊ぶことができるほどのパワーだ。生身の人間じゃどうすることもできないか。

 上に意識を向けていたために足が別の腕に引っかかり、あたしは転んだ。さっきまであたしがいた場所をドローイングの触手が掴み空を切る。転ばなければ捕まっていた。

 そして今のあたしは運がいいらしい。目の前に陽毬が落としたハサミが転がっていた。


 ハサミを掴み、上から押さえつけようとしていた触手に当てる。ガキッと硬いもの同士がぶつかる音がして、触手は手のひらサイズの塊に切断された。

 ドローイングが大きく身じろぐ。いくつかの目が痛みに耐えるかのように狭まれる。それ以外の目が全て私を見つめた。怒っているのか、楽しんでいるのかもわからない冷たい瞳に体が震えるが、陽毬を信じて、そしてちゃんと自分自身の心を信じてなけなしの勇気を振り絞り、ハサミを構えた。


 あたしは陽毬を捕まえている触手を斬る。触手は大きく揺れ動き刃を避けようとするが、すぐに天井や壁に当たって動きづらそうだった。あたしを捕らえようとする触手もハサミに当てるだけでバラバラになり、体が削られるごとにドローイングの動きも緩慢になっていった。それでも捕まって振り回されてしまえば命の危険すらある。慎重に動きを読みつつ、陽毬を助けるためにハサミを振り続けた。


 ハサミは無茶なものを斬り続けたからか刃はボロボロに欠けて、最後の方は触手をただ軽く斬りつけるだけになった。それでもようやく陽毬を捕まえている触手を切り落とすことに成功する。

 落ちた陽毬を抱き抱える。柔らかくて暖かくていい匂いのするあたしの大好きな陽毬。床に下ろして胸に耳を当てる。とくんとくんと、かわいい心臓が動いている。肺が呼吸を繰り返している。


「生きてた。生きてた……っ! 陽毬、お願い目を覚まして!」

「ん、……ふーちゃん? あれ、陽毬気絶してた!?」

「陽毬っ!!」


 じわじわと目が奥から涙を吸い上げる。陽毬の口の泡を拭って、ハサミで彼女を傷つけないように気をつけながらあたしは彼女を再び抱きしめた。


 陽毬は目を丸くしていたが、やがて腕をあたしの背に回して抱きしめ返してくれた。

「ふーちゃん。陽毬はここにいるよう」

「陽毬ぃ〜!」



 あたしたちがお互いを抱きしめあっているうちに、大部分の体を切り落とされたドローイングはゆらゆら揺らぎながら残った体を黒板に戻していた。

 そして数分もしないうちに図工室は本来の静寂を取り戻す。騒ぐ声も支持体から抜け出す絵もない。ただ人のいた部分が切り抜かれた自画像がいくつかと、最初に比べて小さくなった黒板のドローイング、そして黒板の近くに落ちていた人形の手が先ほどまでの喧騒を物語っていた。



 ……さっきの女の子は、あたしが見た幻覚だったのか。あたしは静かに目を瞑り、陽毬の存在を確かめるように抱きしめる力を強めた。



 ◆◆◆



 司書室にて、照明の光を受けてキラキラと輝く髪の少女がPCの前に座っていた。

「謎は解かれる以前に発見された形跡がない…にゃー。この金庫は卒業生が使える魔法で開けられる鍵じゃないんだけど。……あの子の魔法か。やっぱりD-448の安定化は不完全、なのかにゃぁ」

 少女が一人、狂気的な瞳を画面に映しながら独り言をこぼしていた。


続く?

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