32 図書室
知らない光を受けて瞼を開いた。上から陽毬があたしの顔を覗き込む。
「気がついた? ……よかった」
彼女の体温の近さと頭の後ろの感覚から、自分は今陽毬に膝枕されているのだと理解できた。恐れ多さと心地よさがせめぎ合い、理性が体を引っ張り上げた。
「もっと寝てたほうがいいんじゃない?」
「陽毬はこれ以上あたしを誘うべきじゃない」
「えー!? なんで?」
「なんでも!」
火照った顔がバレないように部屋を見渡す。ここは図書室のようでたくさんの本棚が目に入った。あたしは広い図書室の一角にあるカラフルな円形ベンチソファーと大きなぬいぐるみが置かれた空間で寝かされていたようだ。ブラウジングスペースと言うやつだ。ここの周囲には新聞や雑誌、DVDや特集の本などが飾られている。そして何より、この図書室は電気がついていた。
「……なんでっ、いや、あのあとどうなったの」
「首長さんが助けてくれたんだよ」
「くびながさん?」
「首が長いから首長さん」
陽毬が指をさした場所は図書室の奥、電気がついていても薄暗い場所だった。そこに影に紛れるようにして、あの首の長い女が立っていた。
「ひっ」
掠れるような悲鳴が溢れる。
「怖がらないであげて。悪い人じゃないから」
陽毬はそう言っておいでおいでと女を招く。女はそれが通じたのかヒールを鳴らしてトコトコと近寄り、同じベンチソファーの少し離れた場所に座った。
明かりの下だから暗くてよくわからなかった部分もはっきりと見える。怖がらないでと言われても、顔から今にも飛び出そうな大きな眼球に頬まで裂けた口から血のような赤くて長い舌。手入れのされていない重い黒髪にガサガサの肌。血に見えるほど赤いワンピースにどう見ても長さのおかしい首。東南アジアにいたという首長族もあそこまで長くなかったと思う。
ともなく一目見ただけで思わず恐怖を抱いてしまうような、そんなビジュアルなのだ。外見で人を判断しちゃダメだの域を超えている。陽毬に抱きついてブンブンと頭を横に振る。
白目の面積が広い大きな目がギロリとあたしを睨む。確かに、悪意は感じられない。でも怖いものは怖い。
ダリの異形とかアルチンボルドの野菜人間とかは好きだけど、本物の奇形の人の写真は怖さといたたまれなさで直視できないのだ。SNSの奇形界隈とかじゃない本物。今も怖い、こうはなりたくない、死んだほうがいいんじゃないって。心のどこかで叫んでいる。死にたい。
「でも、首長さんも生きてるんだよ」
「生きてたら尚更こわい!」
あっ、と思った時には遅かった。
「かわいい坊や。お母さんを泣かさないで。私はあなたを産んだ覚えはありません。どうか許して。ああ怖い、怖い、あの日の恐怖は覚えてます。忘れることもできません」
耳に直接まとわりつくような声はよくわからない言葉を残し、首の長い女の人は図書室の隅の方に行ってしまった。
「……ここまで、首長さんがふーちゃんを運んでくれたの。首長さんがテケテケを倒して、陽毬とふーちゃんを助けてくれた」
だからあたしに何しろって言うの。怖いって感情は本物なのに……、また失敗した。死んで償え。お前が死ね。死ねばいいのに。……辛い。
陽毬の話を整理するとこうだった。
妖怪テケテケはテケテケと笑いながら陽毬に手を伸ばすが、その手は首の長い女によって掴まれた。陽毬を守ってくれたのだ。
テケテケと飛び跳ねながら女から目を離さないテケテケと、その場から一切動かずに首を動かして目をずっと追っていた首の長い女。両者はしばらく睨み合っていたが、最終的にはテケテケが突然発狂して苦しみ出し、人形の足を落として逃げていった。
そして首の長い女はあたしをお姫様抱っこでこの図書室へと運んでくれたのだという。
「これがテケテケの落とした足だよ」
陽毬はポケットから布人形の足を取り出して胴体と引っ付ける。しかし足は引っ付かずにひらひらと落ちた。
「縫わなきゃダメかな。一度タクトちゃんのところに戻ろうか」
「……嫌だなぁ」
あの男の子。なんか胡散臭いし、怪しいし、不気味だし、子供だけど男だし。「女は男と結ばれる運命がある」なんて男性区通いの妄言みたいなことを信じる気はないけど、万が一、男と女が結ばれてしまったら。間違いがあったら。陽毬が母性本能なるものを目覚めさせてしまったら。
あたしは死んでしまう。
そこまでタクトへの嫌悪感を募らせていると、背後から陽毬が抱きついてきた。
「陽毬?」
「大丈夫だよ。陽毬はどこにも行かないから」
「……」
陽毬の体温が背中越しに伝わる。本と陽毬の匂いが混ざる。自分の器の小ささに泣けてくる。死にたい。
「ごめんね陽毬。ありがとう」
陽毬の髪を撫で指に絡ませながらそう言うと、意を決して首の長い女……首長さんに近づいた。
「陽毬とあたしを助けてくれて、ありがとうございました」
頭を下げてお礼を言う。首長さんは何も言わずに、ただ黙ってあたしを見つめていた。
「改めて、本当にありがとうございました!」
陽毬が隣に立って頭を下げる。いい子だ。
首の長い女から離れ図書室を見渡す。もしかしたらここにこの異常な建物のヒントが掴めるかもしれない。調べられる場所はブラウジングスペースの雑誌架や新聞架、本棚、カウンター、司書室だろうか。
近くにあった新聞を取って読んでみる。日付は2023年の12月24日、だいたい100年前のものだ。魔導革命が起きてからそう経っていない頃か。
『魔導の本場パリに正体不明の黒い渦! テロか悪戯か 教皇庁は悪魔の出現とも』
『度重なる不祥事に政府への不信感。学園都市計画における不透明なお金の流れ』
『日本魔導協会はCIM(国際魔導総会:Conférence internationale des mages)からの脱退を表明 我が代表堂々退場す』
と、時代を感じさせる見出しがたくさんある。わざと古い新聞を置いているのでなければ、あたしと陽毬は過去の世界にいると解釈できる。陽毬も新聞を読み、少しだけ険しい表情を作る。
意味わかんない。意味なんかないのかもしれない。
新聞を置いて本棚を探る。七不思議やタイムスリップに関する本はあったが子供向けで、手がかりにはなりそうもない。その中で一冊だけ気になる背表紙の本があった。
『妖精の国』
はるか昔から魔法と妖精は繋がっていた。女の子なら誰でも魔力を持っている。それは女の子に妖精が宿るから。大人になると魔力がなくなるのは、妖精が抜け出しちゃうから。妖精は気に入った人を妖精の国に連れて行く。妖精の国は素敵な場所で──
「妖精さん?」
陽毬が上から本を覗き込む。陽毬の影で文字が読めなくなる。
「ん、なんでもない」
これは特に関係ないな。あたしは本を閉じてカウンターへ向かった。
カウンターの上は煩雑としており、少し整理するとノートPCが発掘された。立ち上げてみるもネットには繋がっていない。貸出表や生徒名簿が並ぶ中、一つだけデスクトップ中央に置かれたメモが目立つ。開いてみると誤字脱字の多い文章が現れた。
『だrwかがこれをみていりことを信じてksきのこします。2123年の5月、私は友達と一緒にこの不思議な小学校に迷い込み縺励真sった。私は魔導学園中等部2年の吉久舞です。私は怪物に追いかけられ、この図書室人下戸夢魔者隱ー縺九>繧だいぶ人形も集ま理ました。でも友達がいなくなっちゃった。次は図工室に行きます。後もう少し。蟶ー繧翫◆縺
こわい
たすけて
蜉ゥ縺代※』
「これは……」
あたしたちよりも先にここにタイムスリップしてきた子がいるということか。だとすれば、その子は今どこにいったの。
「助けなきゃ」
画面を見た陽毬がそう呟く。
「でも罠かも」
「どっちにしろ人形を集めるために図工室には行かないと」
「……うん」
あたしたちはタクトを信じるしかない。どれだけ疑わしく思っていても。
カウンターには他にも校内地図が置いてあった。これで残りの不思議の居場所、図工室、音楽室、体育館に迷わず行くことができる。
あたしたちは最後に残った司書室のドアに手をかけた。
続く?