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ロストガールと魔女  作者: ヌププ
第五章 『小学校の七不思議』 斎藤風樹
30/40

29 首の長い女 踊り場の大鏡

 

 人ではない。人ではないけど、人のように見える。

 血に濡れたワンピースも、太くて長い手足も、頭が天井に擦れそうなほど高い身長もまだ人間の範疇だった。


 だけど首が長かった。


 異様に長い首と、大きく見開かれた目が、それを人ならざる怪であると告げていた。黒い唇の口が頬まで裂けて、白い歯が、赤黒い咥内から湧き出る舌が、まるで生きている蛇のように見えた。


「赤ちゃんが一番見るのはお母さんの首なんです。だから首が大切なんです。だから首ぃが長いんです。お母さんも長いんです。そぅよ。気持ち悪いことに長いんですぅ」


 そんな声が周囲を飛び回る小蝿の羽音のように耳に纏わりつく。首の長い女が、少しずつこっちに迫ってくる。


「あなたに意味が分かりますか? 多くの母親は不幸者でしょぅ。これからの人生が吸い取られていく。寄生虫に。それは大きく、太く、いずれ害をなします。早めに駆除するべきだった。早めにくじょすぅるべきだった」


「あ、ああ」


 それと目があった。ついに死ぬんだと直感した。いつも味わっているものよりも躍動感のある、今にも飛びかかってきそうな死の恐怖が、張り裂けそうなほど溢れ出てくる。

 私の人生、何もない。無意味だった。

 それで私がいかに無意味な人生を送ろうとも、あの子が幸せでいられるのなら、それでいいやって思えるような、そんな幸せが欲しい。


 来世では善くなれますように。



「逃げるよ!!」


 陽毬が絹を引き裂くように叫ぶ。手が握りしめられ、信じられないほどの力で引っ張られる。それでも陽毬の体の震えと、精一杯の勇気が伝わってきて、あたしの足は動き出した。

 二人で走った。行き先は開かない出口じゃなくて階段。上へ、上へと2段飛ばしで駆け上る。段差が小さいから2段飛ばしが楽だった。




 二階を飛ばし、三階へ続く踊り場で止まった。ぜえぜえと肩で息をして、陽毬が下を覗き込む。


「来てないみたい」

 その報を聞いて安心する、そんな自分が嫌になる。あれだけ死ぬ死ぬ考えておきながら。ああ死にたい。

「あれ何。きいてない」

「あまり見た目で判断したくはないけど、暗いところで出会ったらなんか、怖いよぉ」

 陽毬は手すりに手をかけたまま床に崩れ込む。ハイヒールで階段を駆け上るのはつらそうだ。


 ふと、この踊り場に大きな鏡があることに気がついた。鏡は正面を向くあたしと、後ろを向く陽毬を映している。


 ……違う。あたしは頭から血を流して、手足は折れ、骨が飛び出している。顔色は最悪で、死人のように、足元があやふやになっていた。

 これは、あの子だ。落ちてきた彼女だ。彼女が、あの時の虚な瞳であたしを見ている。あたしの体を蟻が這う。


 ああ、やっぱりあれはあたしの未来の姿だったんだ。あたしは飛び降りて死んだんだ。あははは、なんて無様な死に方。馬鹿みたい。死ぬときは首締めだって、ロープも用意していたのに。


 あたしの隣に、フクロウと髑髏を合わせたような顔の死神が立つ。隣だけじゃない。たくさん、沢山の死神が、あたしを囲んでいる。あたしを見ている。鏡の中のあたしで死神逆ハーが形成される。太古の昔に存在したというオタサーならぬしにサーの姫になる。あはははははっ。

 死にたい。


 蟻が集る蟻が集る蟻が集る蟻が集る蟻が集る蟻集る蟻が集る蟻が集る蟻が集る蟻が集る蟻が集る蟻蟻が蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻蟻




 死にたくない



 中等部の頃、大きくCHOPINと書かれた黄色い楽譜を胸に抱えて、あなたがたくさんの人に囲まれながら歩いていた時。それを美術室前の廊下の窓から見つけた時。その時に、あなたとあたしの関係は終わったものだと思った。

 馬鹿みたい。陽毬はずっとああだったのに、みんなの光の中にいたのに。この心を嫉妬というしょうもない言葉で表されることが嫌だった。

 でも陽毬は、変わらずあたしと接してくれて。いつもあたしは勝手に喜んで勝手に悲しんでいるのに、あなたは変わらず笑顔でいてくれて。



「すーっ、はーっ、ふーっ、はーっ」


 体が震えてバカみたいな呼吸の仕方になる。死にたいと願っているのに、死に瀕すると必死に生きようとする。なんて浅ましいエゴだ。惨めな自己愛だ。

 こんな私でも、陽毬は赦してくれるのか。情けないこの胸の裡を曝け出しても、受け入れてくれるのか。

 ああ、あたしを見ないで。でもあたしを助けて。助ける価値も意味もないこのあたしを、苦しみから救って。

 死にたくない。陽毬──


「ふーちゃん。怖いよね。辛いよね。苦しいよね。

 ……大丈夫。陽毬を信じて」

「うん」


 考えるよりも先に言葉が漏れた。暖かい、陽毬の熱がすぐ近くにある。あなたの熱に、あなたの音に、あなたの魂に、全てを委ねたい。

 お願い、あなたを信じさせて。だって、誰かを、何かを盲目的に価値あるものと信じていないと、生きていけないのが人間でしょ。



 いつまでそうしていただろう。いつまでもこうしていたかった。だけど陽毬が離れて、暖かな時間も終わる。体温の暖かさじゃない、魂の温もりだった。鏡も元通りそのままの世界を映している。なぜか鏡の真ん中に蜘蛛の巣のようなヒビが入っていた。


「行こう。陽毬たちは進まないと」


 陽毬はなんでそんなに強くあれるの。怖いと思わないの。それはきっと陽毬が、あたしとは違う特別な、価値のある人だから。



 三階に進む。そっちから少し光が漏れていたからだ。ある程度歩くと、保健室というプレートが掲げられた部屋にたどり着くことができた。廊下には保健だよりという新聞のようなものや健康ポスターなどが提示されている。

 何より目を引くのは、保健室から溢れる電灯の灯りだ。最初の教室以外で初めて灯りが付いている。


「私たちの他にも人がいるのかなっ!」

「罠……かも」

「でも、……じゃあ陽毬が先に入るよ!」


 陽毬が扉をガラッと開けて、中を覗き込む。照明の灯るその部屋は白を基調とした事務所のようで、ただ電子式じゃない大きな体重計や身長計が置かれ、高い棚には薬品類が、ソファーに座っていても手の届く低い棚にはマンガが並べられている。シャワールームの扉の奥にカーテンで仕切られたベッドが鎮座している。たぶん奥側にもう一台あるだろうベッドはカーテンで完全に隠されていた。


「誰もいない……」

「ううん。誰かいるよ。生きてる音がする」


 くぐもった雨の音しか聞こえない凡俗な耳のあたしを連れて、絶対音感を持つ陽毬はぐんぐん進む。そして最後のベッドのカーテンを勢いよく開けると、ベッドの上の布団の盛り上がりが目に入った。盛り上がりは頭まで布団を被った子供のようで、ガタガタと震えている。


「大丈夫、お姉ちゃんたちは敵じゃないよ。だからお顔を見せて」

 陽毬が優しく語りかけると、盛り上がりは少し崩れて、小さな子供が恐る恐る顔を出した。

 その真っ青な顔の子供はジロジロとあたしたち二人を見て危険はないと判断したのか、おもむろに布団から出る。判断が難しいけど、たぶん男の子だ。


「わたくしが大和やまと陽毬ひまりで、こっちのお姉ちゃんが斎藤さいとう風樹ふうじゅ。陽毬お姉ちゃんと風樹お姉ちゃんだよ。あなたのお名前は?」

「……タクト。秋家あきや卓人たくと


 彼はそう名乗った。


続く?

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