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ロストガールと魔女  作者: ヌププ
第五章 『小学校の七不思議』 斎藤風樹
29/40

28 暖かい日の思い出

 

 陽毬に手を引かれて、建物の内部に侵入する。靴は陽毬が土足のまま進むから、あたしも土足のままだ。


 建物は古臭く、廊下は暗い。だけど至る所から差し込む陽光は内部を幻想的に照らす。開かれた窓から入り込む穏やかな風は自然の空気を漂わせ、埃と土の匂いが混ざって独特な世界を形成する。


 床にテープで矢印が貼ってあり右側通行を促している。廊下の幅は狭く天井も低い。階段は妙に段差が小さくて上りづらそうだ。そんな通路を、輪郭が淡い光に縁取られ、光の鱗粉が尾を引くように残る妖精のような子供たちが走り回る。まるで小人の世界に迷い込んでしまったかのような自分だ。

 こんなところにいると、勝手に拒絶されている気になって吐き気がする。あたしの知らないところで勝手に盛り上がって、勝手に喜んで、楽しそうで、いいね。

 でもそれ全部無価値なんだよ。


 死にたい。死にたくない。死ね。


 子供たちにはあたしたちのことは見えていないのか、特に此方を見てきたりはしない。しかしあたしたちのいる場所は自然に避けて通る。そっと頭を触ってみても反応しない。陽毬は何度かコミュニケーションを取ろうとしたが、全て無駄に終わっていた。


「さっきの子が特別だったのかも。探そう」

「ちょっと待って! まだ待って! あともぅ、すこしなのよー!」


 陽毬が少々強引に働きかける。魔導学園の教室のような部屋に入ると、子供の体を掴んで動かしてみたり、ノートに何かを書いてみたり、部屋の前方にホワイトボードの代わりといった感じで設置されていた巨大な黒板に落書きしてみたり、子供の顔に落書きしてみたり。

 しかしどれも結果は芳しくないようだ。彼ら彼女らはまるで陽毬の齎した結果がないものであるかのように振る舞う。

 陽毬が頑張っている間、あたしもあたしなりにやってみようとしたけど、こんなことよりもやるべきことがあるんじゃないかと言う心の叫びが体を鈍らせる。

 それはまるで、コンクールまで一週間を切ったのにまだ真っ白なキャンパスが目の前にあるような、その現実に気付いてしまった時のような焦り、焦燥、不安、死にたい。

 あの少女は今も生きているだろうか。もう死んでしまったりしていないだろうか。あたしのせいで。別に、死に意味はないけど。……べつに彼女の命に、価値があるわけでも。

 ああ死ね。死にたい。


 ここにいるといろんな音が聞こえる。教室内で追いかけっこをする子供の声、遠くから聞こえる笑い声、部屋の時計はお昼を指し、どこからともなく流れてくるピアノの音が、何故か無性にイライラする。


 あ、陽毬の出番があと数分で始まるんだ。

「陽毬! 時間!」

「わぁ! ほんとだ。……どうしよう」

「どうしようって、このばか」

 馬鹿はあたしだ。こんな状況で、陽毬に叫んだからってどうなると言うのだ。無能、能無し、体たらく。死んでしまえお前なんか。死ね。死ね。死ね。

 ……あたしのせいだ。陽毬が遅刻したのは、あたしの。


 教室の後ろに並べられている汚い習字。綺麗事が書かれた短冊。意味のわからない標語。カラフルなフェルト。知らない光景なのに、胃がムカムカする。

 まだご飯を食べている子供。一人で本を読んでいる子、喧嘩している子、勉強している子、絵を描いている子。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。こんなことを思うあたしが死ね。


 キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴る。外に出ていた子供たちが一斉に戻り出し、机が運ばれ箒や雑巾を持った子供たちが教室や廊下を掃除し出す。この子たちは学生だと思っていたけど、なんで掃除なんかしているんだ。埃が舞い上がり、思わず裾で鼻と口を押さえる。

「あー! こいつまた絵〜描いてるー!」「やめてよ」「見せろよー!」「やめてっ!」

 絵を描いていた子が、大柄の男の子にノートを引っ張られている。


 死ね。


 と思った時には、すでにあたしの足は大柄の男の子を蹴り飛ばしていた。

 柔らかい脂肪の下に潜む骨の感覚と、おおよそ20〜30キロの肉の塊がぶつかった感覚が足に残って痺れる。それでも男の子は、想像以上に簡単に蹴り飛ばされた。


「あっ」

「ふーちゃん!?」


 あたしのまぬけな声がこぼれる。陽毬が叫ぶ。

 やってしまった。ついに手を出してーー犯罪者ーー

 こんなあたし、死ねばいいのに。


 ああ、ああ、子供たちが、全員が、あたしをみている。



 陽毬と再び話すようになるまで、あたしはいつも一人だった。ずっと一人で、一人が好きで、陰鬱で冷たく不毛な、黒歴史の塊だった。

 いつからか魔法が嫌いになって。魔力という得体の知れない気持ち悪いものが体の中にあることが許せなくて。ある日、固有術式を暴走させちゃってからは授業に行かずに美術室に登校するようになった。みんなあたしから離れていった。みんながあたしを変なものを見る目で見た。まるで教室に迷い込んだ大きな虫を見るような目で。

 幼馴染だった陽毬とよく関わるようになったのは、初等部の終わりごろ。美術室の前に展示されていた私の絵を、陽毬が気に入ったのがきっかけだった。その絵は当時のあたしの心象をそのまま表したような、毒黒く、グロテスクで、客観的にいえば気味の悪いもので、もちろんあたしからしたら大切な子供なんだけど、それを褒め称える陽毬を奇妙に思ったものだった。

 陽毬はあたしの絵を好きだと言ってくれた。当時はその時感じた気持ちが喜びなのだと気づくまでに時間がかかった。あの日もたしか、お日様がぽかぽかだった。



 陽は雲に遮られ、ボウボウと雨が降り始める。

 一気に世界は暗くなり、教室の無機質な照明が存在感を増す。

 子供たちの陽光のヴェールは剥がれ落ち、ただ血の通わない、子供のような大きさの何かが、純粋で悪意のこもった瞳をあたしに向ける。

 目が、あたしを見る。あたしを見る。あたしを見る。あたしを見る。


 死んでしまう。死んでしまう。死んでしまう。死んでしまう。


 ……あははははっ! やっぱり人間じゃないんじゃん。あいつらは人間じゃない、なんの価値もない肉の塊でしかなかったんだ。本当の人間は、もっと、もっと価値のある。価値があるはずなんだ。そう、陽毬みたいな……




 すぱーーんっ!!!


 と、気持ちいい音が耳と頭に直接響く。クラクラしながら視界を上げたら、涙目の陽毬と目があった。


「ふーちゃん!! 二度とおかしくならないでっ! 陽毬を不安にさせないでよぉ!」


 どこから持ってきたのか、大きなハリセンを右手で持ったまま陽毬はあたしに抱きついて泣いた。ああ、陽毬を泣かせるなんて。最低。またおかしくなってたのか。コンサータちゃんと飲まなきゃ。あはははは死んでしまえ。


「泣かないで陽毬」

「うぐっ……ずず」

「鼻を袖でかまないで!」

 ポケットからテッシュを取り出して陽毬に渡す。


 いつのまにか子供たちはいなくなり、外は夜のように暗く、ドバドバと篠突く雨が降っている。ザアザアじゃなくてドバドバだぞ。

 暗闇の世界で、この教室の照明だけが心許なく灯っていた。廊下も薄暗く、さっきまで光に溢れていたとは思えないほど恐ろしい。


「陽毬、どうしよう」

「ずっ……行こう。探さなきゃいけないものが沢山あるから」


 泣き止んだ陽毬は赤くなった目元を擦ると、あたしの手を取って歩き出す。


 ああ、大好きだ。

 そう思った。



「くるっと回って光屋ポン助!」

 陽毬が両手首を揃えて回すと、光を放つ球体が手の中に生まれる。彼女の得意な発光と浮遊の応用術式だ。呪文に意味はない。

 球体はいくつか生み出されると、ふわふわと空中に浮かんで廊下を照らす。さすがに昼間のようにとはいかないけど、懐中電灯代わりには十分な光量がもたらされる。

 あたしと同じタイミングで卒業したからもう魔導士じゃないのに、僅かな魔力でこのレベルの術式を励起できるなんて、やっぱり陽毬はすごい。ちなみにあたしは魔法を使えない。魔力の有無に関係なく、全く勉強してなくて全く術式を覚えていないから。死にたい。


 陽毬はあたしにひっつき、腕を組む。腕の先で、お互いの手の指が混じり合った。彼女の指はすこし、震えている。ぎゅっと握りしめた。


こんなもの(ハリセン)どこにあったの」

 あたしは預かっていたハリセンを返す。

「陽毬ちゃん七つ道具だよ! なんか教室で拾ったのね」

 そう言って陽毬は片方の手でハリセンをブンブンと振り回す。かわいい。


 光球が窓の外を照らす。ガラスに当たる雨粒と、僅かに雨の軌道が見えた。窓は全て閉め切られ、鍵は空間に固定されているかのように動かない。それは建物の中に入ってきた入り口も同じだった。ガラスの扉は厳重に閉め切られ、その先にある通路が少しだけ見えている。


「椅子で割れないかな」

「傘も2人分あるし、試してみる価値はありますぜぇ旦那っ」

 一度教室前の廊下に戻る。


「あれ? あれ人かな」

 そこで陽毬がそんなことを言い出した。暗い、暗い廊下の先、光球の光が届かない闇との境界線のあたりに、ちょうど人らしきものが立っている。


 それはゆっくりと、あたしたちに向かって歩き出した。ヒールのコツコツという足音が、くぐもった雨音と混ざって廊下に響く。


「……なんか、なんだろう」

「……うん」

 嫌な予感が、ジリジリと胸を焦がす。周波数の合っていないラジオの雑音と、ツーっという高音にも似た音が脳で混ざって、背筋に冷や汗が流れる。


 コツコツとだんだん光に照らされて姿を表した彼女は、人の形をしているけど、とても人とは思えなかった。


続く?

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