19 桜花との出逢い
気がつくと、ボクは座席に座って眠っていた。隣には手を繋いだままの鏑木がいる。
「……え? 鏑木さん。今、何を」
そこまで口に出して自分の声に違和感を感じる。まるで声変わりする前のような、0.数オクターブほど僅かに高い声。
悍ましい予感が脳裏を横切る。バッと塞がれていない方の手を胸にやると、不自然なほど自然な膨らみと柔らかさが布越しに手の中に張り付いた。
まさか……
恐る恐る股をズボンの上から触れると、あるべき器官がなくなっていた。代わりに下腹部に異様な圧迫感。ちんこを体内に埋め込まれたような違和感。残っているのはおそらく穴と臓器と喪失感。
「それが竜崎さまの新しい体です。どうぞよしなに」
隣から鏑木がすまし顔で話しかけてきた。どういう神経してんだこいつ。
「ふざけんなよ。ふざけんなよお前」
取り繕うことも忘れて鏑木を睨むが、彼女はどこ吹く風でこちらを逆に見つめ返す。その顔は人の性別を勝手に変えたにしてはあまりにも、普通すぎた。まるで間違えた文字を消しゴムで消すみたいに、目の前に置かれたコーヒーを一口飲むみたいに、当たり前に他人を性転換させたのだ。何でもないことのように。
どんな魔法を使われたのかわからなかった。どんな術式を組めば手を握るだけで性別を変えることができるんだ。それどころか体も微妙に縮んでいる気がする。
お師匠さまと同じかそれ以上の魔導士、もしくは魔女かもしれない。ボクが勝てる相手ではないとわかってしまった。それでも怒らずにはいられない。
「竜崎さまはこれから学園都市で生活するにあたり、元々は男であったことを隠していただきます」
鏑木の冷たい瞳が俺を見下ろす。
「なんでだよ」
「例外は混乱を招きます。竜崎さまの身柄を安全に保護する為に、仕方のないことです」
「それでも、もっと他にやり方があるだろっ」
「では女装でもして過ごすおつもりですか?」
蛇のような瞳孔がボクを睨む。そこに敵意は感じられず、まるで理解し難いものを見つめるように。
ヒュッと喉が鳴った。
「有り得ません。女性だけのスペースに……それにいつかはバレます。学園都市に男が侵入したとあっては、魔導学園ひいては魔導協会の看板に傷がつく。付け加えると、あなたは間違いがあったときに責任が取れるのですか?」
「それは……、でも、だったら先に説明なりしておくなり。第一何でテストも受けてないのに合格なんだよ」
「我々はすでに竜崎さまをテストしておりました。その結果合格でしたので他の受験生に先んじて合格とさせていただきました」
「で、でも」
「ではお帰りになられますか?」
「ッ!!」
ボクの言葉は鏑木の冷酷な言葉に遮られる。
そんなの、ずるい。師匠の家を飛び出して、タクトに信じて送り出されておいて、今更そんなことできるわけないだろ。
ボクの顔を確信した鏑木は満足げに
「では改めて、竜崎茜様、これからよろしくお願いいたします」
と微笑んだのだった。
「ああ! やっと人がいた!」
覇道桜花に出会ったのは、鏑木に見送られながらバスを降り巨大なターミナルの中を矢印に沿って歩いていた時だった。
声がした方に振り向くと、背が低くて色素の薄い長髪の可愛らしい女の子がボクに向かって走っていた。と思えば、急いで走っていたからか前のめりに転んでしまった。
「え? 大丈夫ですか!」
ボクは慌てて彼女の元に駆け寄る。
「大丈夫、大丈夫だよ!」
彼女はボクの手をとり、立ち上がって笑顔を向ける。しかし血は出ていないが、打ったところが痛むのだろう。しきりに膝に手をかざす。
「ここまで人がいなくて、バスも自動運転だったし、私心細くなっちゃって。そこにあなたがいたからはしゃいじゃって転んじゃった」
「すみません。ボク治癒術式が苦手で……」
「いーのいーの、気にしないで。ほんとに大丈夫だから。……でもちょっと、しばらく支えて貰ってていい?」
「もちろんです」
そう返すと、彼女はボクの腕を抱いて密着してきた。腕が温かな体温に包まれ、さらさらと流れる髪から漂う匂いが鼻を通って脳を刺すように惑わす。
「っ?!」
「あ、ごめんね。驚かせちゃった」
「……ううん。大丈夫、気にしないで」
彼女は上目遣いでボクを見上げる。その不安げな視線が庇護欲をそそり、ただの親切のはずなのに、なんだかいけないことをしているような気分になる。
初めて会った男に馴れ馴れし過ぎじゃない!??
あっ、今ボクは女だから普通なのか。
女の子同士ってこんなに密着するものなの!!??
でもボクのせいで転んだようなものだし……
頭の中で思考の洪水が起きているボクを置き去りにして彼女は歩きながら話しかけてくる。
「私、覇道桜花って言います」
「ボクは茜や……、茜。竜崎茜」
思わず茜屋龍之介と言いそうになったところを慌てて方向転換する。ボクの体は今は女の子だけど、名前で不審がられたら危ないからね。
「覇道さんは……」
「桜花」
「え」
「覇道って苗字好きじゃないの。可愛くないし男みたいで気持ち悪いでしょ? だから私のことは桜花って呼んで。私も茜って呼ぶから」
男っぽくて気持ち悪いという言葉にちくりと胸が痛む。
「じゃあ桜花さんは」
「よ び す て」
「……桜花はどこからきたの?」
ボクの質問に桜花は僅かに身じろぎする。
「んー、西の方。西の魔導士桜花さんって結構ニュースになったりしたと思ってたけど、私のこと知らないかな?」
「ごめん。世情に疎くて」
僅かに桜花の腕を絡める力が強まる。
「えぇ? 知らないんだ〜。魔導士なのに? へー、茜はどんだけ田舎からきたんだよ」
「ボクは、たぶん桜花もまだ魔導士じゃないよ。魔導士って魔導学園に入学してから認められるから」
「……へぇ、物知りなんですね」
「ううん、ボク、ずっとお師匠さまと一緒だったから。そういうことだけは知ってるんだ」
「お師匠さま?」
「すごい魔導士で、今は学園都市を離れて隠居しているんだって」
「そんな人いるんだぁ」
僅かに声が冷たくなった気がして、慌てて取り繕った。
「うん。でもお師匠様はすごいけど、ボクは全然なんだ。全盛期だって来るの遅かったし」
そういえばこの体の魔力回路はどうなっているんだろう。元の体と同じなのだろうか。
「あー、でも大丈夫だよ。だってこれから行く場所は魔法の学校なんだもん。すぐに上手くなるって」
「うん、ありがとう」
桜花と話しているうちに、いつのまにか目的地に着いたようだ。開かれた大きな扉を潜り、豪華絢爛という言葉の似合うホールに足を踏み入れた。ホールにはいくつも扉があったが、ボクたちが入ってきた扉以外は閉め切られていた。
中には沢山の人が集まっていた。全員10歳〜13歳の子供で、おそらく僕たち以外の受験生なのだろう。みんな真剣な面持ちで静かに佇んでいるが、ところどころから会話の声が聞こえる。
う、一人だけ15でしかも男であるボクの異物感がすごい。今は男じゃないし、見た目も成長が早いと思われるだけで問題はないと思うけれど
「すごい……、こんなにたくさん」
「私たちが最後なのかな。後から人が来る様子もないし」
桜花の言葉がまるで合図になったかのように背後の扉が音を立てて閉まった。ホール中の視線が僕たちのあたりに集中する。思わず心臓がキュッとなったが、視線の束はすぐに解けて霧散した。
こんなに多くの人を見るのも初めてだったから、男のまま来ていたらきっとジロジロ見られただろうし、視線に耐えられなかったかも。鏑木の言い分の正当性が証明されて思えて心が辛くなる。
「すごいなぁ。桜花さん以外に有名な子がちらほらいる日本中の若い才能が集まってる」
桜花が人混みに向けて指を刺す。
「ほら、あのメガネかけてる子とか利藤ラズちゃんじゃない? あっ、あそこのちっちゃいちんちくりんは炉裡光瑞ちゃん!? あっちのボブの子は愛洲千憧子ちゃんかな?」
「有名な子たち?」
「超有名! でも茜にはわかんないか」
「……ごめんね」
「仕方ないよ。田舎にいたんだから」
桜花はぎゅっとボクの腕に寄り添っていたが、知っている人を見つけたのか突然ボクを引っ張りその人の元へと向かっていった。
向かった先には二つ結びをおさげにした女の子が一人で本を読みながら佇んでいた。
「あれ?! 百華ー!」
「ッ!? 桜花……、なんでここに」
「百華も来てたの?! なんだ言ってよー!! 一人で心細かったじゃん!!」
桜花は俺の腕に引っ付いたまま話を進めるので、百華と言われた子のクールな目線がボクに注がれて居た堪れなくなる。
桜花が彼女の視線に気づいたのかボクを紹介してきた。
「この子は茜ちゃんだって。で、こっちは私の親友の百瀬百華っ!」
「竜崎茜です。よろしくお願いします」
「……ども」
百華は物静かな性格のようだ。しかしその視線は冷えたナイフのように鋭くボクに突き刺さる。見られているだけで冷や汗が流れるような、油断したら刺されるような、不思議な緊張感があった。
「二人とも仲良くしてねっ」
と桜花が言ったところで照明が暗くなり、ホールの一辺にふくよかな女の人の顔が大きく映し出される。
『外部受験生のみなさん、本日はお集まりいただきありがとうございます。わたくしは魔導学園理事長の安居院貴子と申します』
いきなり映し出された映像にホールがざわつく。
「本物の安居院さまだ〜」「これ中継?」「なんか写真よりも太って……」「ばかっ! そういうの絶対聞こえてるやつだよ」「え? やべっ」「絶対合格絶対合格絶対合格……」
「デスゲームの主催者みたいな登場の仕方〜」
「……失礼だよ」
率直な感想を漏らした桜花に百華が突っ込む。
そこから理事長は30分ほど話を続けたが割愛する。特に大事なことを抜き出すと『学園都市に入れば総合選抜に受かろうと落ちようと一生出られない』『学園都市には学園都市の法がある』『落ちても来年があるので魔導の探求に努めてほしい』だろうか。聞いていたことと大体同じなので、今更驚いたりはしない。
『受験票に割り振られた番号に従い会場に入室してまずは筆記試験を受けてください。今日の試験は全てその会場で執り行われます。それでは、みなさまのこれまで育まれてきた実力を十分に発揮されることをお祈りしております』
ホールにあったいくつかの扉が一斉に開く。受験生の子達は自分の持っている受験票を確かめてそれぞれの会場に移動している。
「も〜話長すぎ。あっ桜花さんは104番会場だ。みんなは?」
「102番」
「ボクは108番会場っぽい」
「みんな違うのかー」
ボクは招待状に同封されていた受験票を見て答えたが、ボクが行うここでの解答に意味はないことは鏑木から聞いている。
「それじゃあみんな頑張ってね!」
桜花の声で僕たちは別れる。会場に入って自分の番号の席に座り、周囲を見てみると誰もが真剣な面持ちで開始を待っていた。
インチキをしている気になって心が痛む。周囲の席の子が真面目であればあるほど一人だけ異物なことがつらい。せめて解答用紙には真摯に向き合うと真面目にテストを受けた。
テストは思ったよりも簡単だった。魔導の知識と国語の問題や一般的な計算問題。歴史に理科に政経と出題範囲は一般的な中学受験と同じだと思う。たまに解答に悩む問題や全くわからない問題もあったが、全体的に自信を持って終了の合図を聞けた。
その後、魔力測定や簡単な実技、個室による面接を得て会場を出る。面接官がボクを見て「話は伺っております。合格ですね」と言ってきた場面を何度も思い返していたら桜花と合流できた。
「どうだった?! 桜花さんは余裕だったよ」
「多分いけてる」
「みんな合格だといいな!」
とうまい具合に話を合わせていると再び理事長の顔が出てきて受験生を労り、ターミナルから通路で繋がっているホテルへと案内される。結果が出るまで受験生はホテル生活となるのだ。合格発表の後、合格者の大半は寮に入るらしい。不合格者はどうなるんだろう。
ホテルのレストランで豪勢な食事を取り、明日は三人で学園都市を観光してみることを約束して別れる。
ボクに割り当てられた部屋はとても広く、大きな窓から学園都市が一望できた。
靴を脱いでベッドに寝転がり天井を仰ぐ。見知らぬ天井、タクトの家でも感じたこの滲み出るような感情はなんだろう。ついにここまできたぞという達成感、なんだろうか。
「ボクが魔導士……魔導士に……。本当の自分を偽って……」
「すごいきれー!」
飛び起きると、いつのまにか入ってきた桜花が身を乗り出して窓の外を覗いていた。
「桜花!? なんで……自分の部屋はッ!」
桜花はドッキリが成功したようなしたり顔でボクを見る。
「荷物置いてすぐこっち来ちゃった」
「オートロックって説明されたような」
「桜花さんレベルになると魔導対策のない鍵はしてないも同然なのだよ」
そしてベッドに駆け寄るとボクの上に思いっきりジャンプしてきた。ボクは自由な彼女に観念し、そしてそのまま桜花とボクの部屋で一夜を過ごしたんだ。
一緒にお風呂に入ろうとする桜花を跳ね除けてシャワーを浴びるのは大変だった。お陰で自分自身の新たな体に戸惑う暇もなかった。
「茜、準備できた?」
桜花の声で回想を中止する。理知的で、だけど自由奔放な瞳がボクを写している。
「大丈夫。じゃあ行こうか」
ボクは部屋を出て桜花と百華についていく。今日は夢にまで見た学園都市を見て回るんだ。
続く?