18 ドキドキの朝と性転換
蒸し暑い。
目を覚ましてまず体を起こした。途端に冷たい空気が背中を撫でる。汗が冷えて落ちる。手が湿っぽいシーツを撫で、そして新たな熱源に触れた。
彼女の小柄な体躯に長い髪が貼り付く。背中の艶やかな肌色がカーテンを閉めたぼんやりとした朝の部屋に色濃く映えた。微かな呼吸音が透き通って聞こえる。
…………?、??。……なんで?
その横顔は既知のものだ。昨日初めて会った人で、おそらくパーソナルスペースという概念を知らないかわいい女の子。その子がなぜか、一糸纏わない生まれたままの姿でボクのベッドに寝ている。
そこでようやく、昨日部屋に押しかけられて一緒に寝たことを思い出す。
「ん、うんん」
彼女は寝苦しそうに寝返り仰向けになる。膨らみかけの乳房が滑らかな曲線を描き存在を主張する。シミひとつない肌の彼女が寝入る姿はまるで美術の絵画を見ているようで不思議と目を奪われた。
……って、見入ってる場合じゃない!!
ボクはベッドから飛び降りて反対側の壁に張り付く。その衝撃で彼女も目を覚ましたようだ。見を起こしてキョロキョロとあたりを見渡し、ボクを見つけると軽やかな笑顔で笑いかけてきた。
「おはよう茜……」
「服を着てッ!! まずっ!」
ボクは両手で目を隠しながらそう叫ぶ。
「え〜、いーじゃん。女の子同士なんだし」
「え? ……どっ、同士でもだよ!」
心の引っ掛かりを無視してボクは懸命に訴えた。
彼女は渋々と布団から脱ぎ散らかした衣服を発掘し身に纏いだす。布擦れの音が気になりすぎて手が震える。
「茜はその変に潔癖なところ直した方がいいよ?」
「潔癖とかそう言うのじゃなくて、さ。その、倫理的に」
「意味わかんない。……はい、服を着たよ」
その言葉に安心して目を開けると、視界に肌色が飛び込んできた。立つとわかる小さな身長に色素の薄い髪に理路整然とした理性を感じさせる真っ直ぐな瞳。軽く染まった柔らかそうなほっぺとかわいい唇。下半身だけスウェットを履くことで上半身の曲線がより強調されて、肌は病的なまでに白く仄暗い部屋に輝き、彼女の年にしては成長している膨らみを辿った先の頂点にある果実に目を奪われ……
「着てないじゃんッ!!!?」
「全部着たとは言ってないし、第一その反応なんなの? 桜花さんの裸はそんなに見たくないの?」
「見たくて堪らなくなるから隠してって言ってんの!!」
「うへぇっ? ……へぇ〜! 見たいんだ? 見たいんだ?」
「もうやめてよ! ほんとっ、うら若き乙女がそう簡単に肌を見せるものじゃないよ!」
ボクがそう言うと彼女、覇道桜花はボク越しに壁に手をつく。僕の方が身長が高いので頭の横に手をつけるために体が密着する。ボクの心臓の音がうるさいぐらい掻き鳴らされる。たぶん桜花にもバレている。
「なななななっ」
「……誰でもいいわけじゃないよ? 茜だから。こんな姿見せられるの」
桜花が上目遣いでボクを見上げる。めっちゃ柔らかい。接触面が熱い。なんか脳を狂わせる匂いがする。さっきからボクの手が煩悩に負けて桜花に触ろうとしているのを必死に押さえつける。
「ねえ、茜……」
「なななななななっ」
「茜もさ。キョーミあるんでしょ?」
「なななななななななっっっ」
バレた? バレてない? 二つの矛盾する結論がボクの頭に偏在する。
「ほら、茜」
ボクの手首を桜花に握られ、無理矢理引っ張られる。そんなに強い力じゃないのに、腕は抗い切れなくて引き寄せられる。
あ、あともう少し。
ピンポーン
と、呼び鈴が鳴らされる。その音で正気を取り戻したボクは桜花の方を掴みベッドまで押し進めそのまま倒すと妙に熱っぽい目になっている桜花を無視して玄関のドアを開けた。
ドアから顔を覗かせたのは桜花と同じ昨日会ったばかりの百瀬百華という女の子だ。いつも全てを見通すような冷めた目をしているが、今はどこか眠そうだった。
「桜花いる?」
「中に……」
「入るよ」
百華はボクを押しのけると我が物顔でズンズン部屋奥へ入る。今はその背中が頼もしく見えた。百華は慣れた手つきで桜花を抱え上げる。
「い〜や〜だ〜! 桜花さんは茜ちゃんといちゃらぶ爛れた日常を過ごすのー!」
「もう。今日は3人で学園都市を散策するって約束じゃん」
「はっ! そうだった!」
桜花はするりと百華の腕を抜けると、上の服を雑に着て入り口に佇むボクの横を通る。その際にこそっと「また今度ねっ」と言われたような気がした。ボクは顔を赤らめながらも聞こえなかったふりをした。
誰に向けるでもない自己紹介をしよう。
ボクの名前は竜崎茜。15歳の女の子で、今年から学園都市に住み魔導学園で12歳ぐらいの子たちと机を並べることになるピッカピカの魔導士だ。正確にはまだ入学式を終えていない上に総合選抜の結果すら出ていないので魔導士を名乗るには気が早すぎるかもしれないが、ボクはとある事情により合格が決まっている。そう、裏口入学だ。
そして上記の半分は嘘である。
ボクの本当の名前は茜屋龍之介。男である。
環境が女性ばかりということは覚悟していた。歳下と同級生になることも承知の上だった。それでも、まさか名前と性別を偽って魔導学園に入学することになると考えていなかった。
ただし今のボクの体にちんこはついていない。母親の胎内に置いてきたとかそういう系ではなく、本当にボクは男だったのだ。未知の魔法によって女の子にさせられた。
昔の話から始めようか。
ボクが物心つく頃には、すでにボクはお師匠さまの手で育てられていた。本当の母親は知らない。お師匠さまはボク自身のことについて、『この世界で唯一魔法が使える男』であることしか教えてくれなかった。
お師匠さまはすごい魔女で、いろんな魔法をボクに教えてくれた。魔力の制御の仕方、術式構築のコツ、魔導理論、そしてそれ以外の勉強も。
お陰で学校に行く余裕はなかったけど、幼い頃に一緒に遊んでから関係が続いていた秋家タクトという親友がお師匠さまからは学べない世間の常識とか学校の様子とか話題のゲームとかいろいろなことを教えてくれた。
初めて魔法を見せたときに、
「男が魔法使えるってバレたらカイボーされんじゃね?」
って言ってボクを泣かせたことも今となってはいい思い出だ。
あれはタクトの高校受験が終わってしばらくしたことだった。まだ冬の寒さの残る三月、文房具を買うためにお師匠さまの家を出た俺の元に、空から封筒が落ちてきた。封筒には魔導協会の紋章と学園都市の校章がプリントされており、慌てて中を開けると招待状が入っていた。
ボクは不審に思う以上に、嬉しさを感じた。
学園都市、そして中にある魔導学園。魔法を使える女子しか入れないその領域から、男のボクが招待されたんだ。ボクの実力が認められた気がした。
タクトはその文面に怒りを感じたらしいけど、ボクが行きたいことを伝えると最終的にはボクの背中を押してくれた。親友のその気持ちで心が温まった。
問題はお師匠さまだった。
「学園都市に入って魔導学園を受験したい? だめだけど」
「なんでだよ!」
「危険だからよ。ただでさえ学園都市は世紀末、その上龍之介は男の子なのよ? 何をされるかわからないわ」
「ボクは行くよ。自分の力を確かめてみたい」
「ダメよ。私にはあなたを守る義務があるの。あなたの血をね」
「こんなところで死ぬまで生きるなんて嫌だ!」
「ちょっ! 龍之介!?」
ボクは部屋に閉じこもる。お師匠さまが呆れてお酒を飲み始めた頃を見計らって、リュックを持って窓から脱出する。気分は塔を抜け出すラプンチェル。張り巡らされた術式の罠を隠蔽魔法や透過魔法を駆使して対処する。敷地外へ出るだけで一時間もかかった。何度も頭の中で計画を立てて下見を繰り返してお酒を飲んでいる時を狙って、それでほんの十数メートル進むのに一時間。きっと今度から対策されて絶対に抜け出せないようになる。だけどボクは今にかける。行く先は決まっていた。タクトの家だ。
玄関前まで来て、突然体が固まった。
もしかしてボクは、タクトにすごい迷惑をかけようとしているんじゃないか。お師匠さまの家から抜けることだけを考えていたから、タクトのことまで及ばなかった。タクトに何も伝えずに自分で勝手に匿ってくれると行動して。もし拒絶されたら、そうでもなくてもタクトの家族が拒否したら。
玄関前に所在なく佇む。
「……くそ」
「リュウ? お前何してんだ?」
その時玄関が開いて、ラフな格好のタクトが家から出てくる。その時の家の中からこぼれた光とか、タクトの心配そうな顔とか、今の心境とか、色々なものが重なって。
「うぐっ、ぐす……」
ボクは泣き出してしまった。
タクトとタクトの家族はボクを暖かく迎え入れてくれた。ボクの卑屈な考え方では想像もつかないほど優しかった。足りないものを買ってくれて、本当に感謝しても仕切れない。お風呂の時間がバッティングするハプニングもあったけど、今思えば男同士なんだからもっと堂々としておくべきだった。
お師匠さまはあれ以来何の連絡もくれなかった。けどタクトのお母さんがお師匠さまに会って、ボクをよろしくって言っていたらしい。それを聞いて、無性にお師匠さまに会いたくなったけど我慢した。
総合選抜当日、タクトに見送られてバスのある場所まで来た。
「それじゃあ、行ってきます」
「ああ、頑張れよ」
前日に鏑木の家族からお祝いして貰った。その時に感謝は伝えた。だからお別れの言葉は簡素で、でもボクたちはいつでも繋がっていると確信していた。
バスに乗り込み、適当な座席に座る。乗客はボク一人しかいない。
リュックを体の前に抱え、窓の外を見る。視界の先にある巨大な壁、それは学園都市の内と外を隔てる境界線だ。あそこより内側上の領域。今日、ついにそこに足を踏み入れることができる。
「こんにちは」
「ふぇ? あっ、こんにちは」
いつのまにかバスの中にもう一人人間が現れていた。驚くことにクラシカルなメイド服を着た美しいメイドさんだ。メイドさんがボクの顔を覗き込んでいる。
「初めまして。魔導協会学生部の鏑木と申します。これから私が茜屋さまのサポートを担当させていただきます。以後よろしく」
何とこのメイドさんは魔導協会の人らしい。魔導協会は学園を運営している上の組織だ。どうやらボクはそこまで注目されているらしい。鼻が高くなった。
「そんなっ、こちらこそよろしくお願いします!」
差し伸べられた手を握り握手を返す。
「先に言っておきますけど総合選抜は合格です。魔導学園中等部へのご入学おめでとうございます」
「へ? ありがとうございます?」
握手した手から体に電撃が走る。脳から送られる電気信号が一旦全てストップして膝から崩れ落ちる。それでも手は繋がれたままで、ボクの体が鏑木の手に吊り下げられる。
頭の中が真っ白になる。視界が一瞬途切れて、またぼんやりと回復してくるとようやく、鏑木に何かをされたのだと思い至る。
「では、茜屋さまの体に少々細工をさせていただきます」
「あ……あいく?」
「はい。これから茜屋さまは竜崎茜という名前で、本物の女として入学していただきます」
硬く結ばれた手のひらから熱が全身に伝わる。認識している世界に陽炎が生まれる。目がチカチカする。喉が渇く。体が焼けるように熱い。キィキィと聞いたこともない音が聞こえる。
全身が痺れている。なのにどこまでも続く雲ひとつない草原を走っているような解放感に満ちている。高濃度の魔力を肌で感じて、陽炎として世界を揺らす。そこでボクは何にでもなれた。どこまでも限りなく自由だった。
やがて大気は収斂し、ボクを押し潰そうとする。魔力崩壊を起こし余計なものを飛ばしてゆらゆら揺れるドロドロの気体になったボクの体は型にはめられ、縮退圧で形が保持される。
時間は数えられなかった。1000年ほど眠っていたような気もするし、ほんの数秒だったような気もする。だけど感覚でわかった。自分がゆらゆらぶれていることに。
揺らぐ。自分自身が、ボクの性が揺らいでいる。
そして揺らぎは、時間を超越した永遠の後、もしくは数えることすらできない刹那の前に誰かによって定められた形へと収束する。存在が書き換えられ、ボクは新しいボクとして転生し、再び世界に産み落とされた。
続く?