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ロストガールと魔女  作者: ヌププ
第三章 『星に護られた女』 池田鴨丸
17/40

16 シーシャ・ミスト

 

 暖かいお湯が全身を包む。シーシャの香りが脳を乱す。

 湯気と口から吐き出す煙でお風呂は真っ白に染まる。

「お風呂で吸うとね、血流が良くなって新陳代謝が上がるから体が善く浄化されるの。これはナチュラルな魔力成分が入っているから体に優しいのよ」

 よくあるスピリチュアルサークルの営業みたいなセリフを黒野が耳元で口ずさむ。けどそれを突っ込む気はしなかった。

 湯船に張られたお湯の上に浮かぶ薔薇の花がゆらゆらと揺れる。もう現実か幻覚かもわからない。黒野の体温と水温が混ざって、自己と外界の境界線が曖昧になる。


「爪、荒れちゃってるわね。伸ばしっぱなしだし、ささくれ立ってる」

 俺は自分の爪を見る。そういえば最近切ってない。一部の爪は割れてヒビが入っていた。

「お肌も。今は魔力が自然に体を巡っているからまだマシだけど、若いうちからちゃんとスキンケアしておかないと全盛期を過ぎたら酷くなるからね」

 黒野が頬を撫でる。俺はエドワードのように頭を手に押し付けた。

「保湿とか全くしてないでしょ。ちゃんと栄養取ってる?」

「……いいよ。気にしてないし」

「気にしなきゃダメだから。女の子なんだから」


 肌と肌が触れ合う。白い世界に、色とりどりの薔薇の花が乱れ咲く。花が生きてるみたいに呼吸する。それに合わせて俺も吸っては吐くを繰り返す。

 電子タバコとはまた違う感覚。透き通る腕に根を張って、新しい若葉が芽吹く。自分自身が生まれ変わる感覚。


「そういえばブラもしてなかったわね。ちゃんと自分に合ったものを付けないと、おっきくならないよ」

「ならなくていい」

「だめよ、自暴自棄になっちゃ。私がそばにいるから」

 裸だとおっぱいの感覚をどうしても意識する。綺麗な曲線を描く確かな質量。骨格ウェーブで太もも太い。二の腕細い。おっきな二重の出目。かわいい四角鼻。顔ちっちゃい。ニキビひとつない白くて綺麗な肌。毛のない長い指。ハイポニキウムが綺麗。

 いつもなら嫌悪感を抱くその容姿も、今なら好きになれる。


 黒野と俺が混ざり合って、新しい肉体が生まれる。色が揺らいで空間に溶け込む。価値観の定規のメモリが溶ける。全てが曖昧で、優しくて、純粋な喜びだけが価値を持つ。

 全てを抜け出した自分自身の存在証明が波のように揺らいで果たされる。ゆらゆら、ゆらゆらと。

 それは綺麗だった。



「ちゃんと生理きてる?」


 冷や水を浴びせられたみたいに心が冷めた。全てのメモリは正しく並び、揺らいだ世界が元に戻る。曖昧だった境界線が無理やり俺と黒野の間に引かれる。

 体を離す。荒い息を繰り返す。熱った顔の黒野がぱちくり俺を見ている。

 お湯を掻き分けて湯船から抜け出す。一刻も早く抜け出したくて焦っていたら、滑って転んで頭を打った。




「ごめんなさい。あなたの世界に踏み込みすぎちゃった」

 バスローブに包まれて、頭を治癒術式で癒される。ぼんやりとする思考で黒野を見つめる。

「それとも、のぼせちゃったの? 言ってくれなきゃわかんないよ」

 綺麗な顔が歪む。俺が困らせている。分かり合えない感覚が二人を分かつ。


 学園都市は女と男の比率が大体同じぐらいだった昔と比べて、外見至上主義が拡大している。容姿が全てを決定する。

 昔と比べて社会は進化してるはずなのにブスに人権は与えられない。いじめを受けていても「でも不快な顔をしているブスにも問題はあるよ」で片付けられる。

 メイクもファッションも整形も豊乳も興味ない。でもありのままで生きていくことはできない。ここはそういう街だからハズレは間違い探しの間違いになる。


 そもそも女という生き物のルッキズムの強さはなんなのだ。美しくなければ女ではないのか。美しさを求めなければ女ではないのか。

 でも俺は反ルッキズムじゃない。あれは美人が唱えるから意味があるのであって、ブスが唱える反ルッキズムに意味はない。

 男はいいな。強さが基準になるから。知らんけど。俺は男に生まれるべきだったのかもしれない。男になって自分勝手に生きることが許されたい。だからこの街の男には生まれたくない。

 男が魔力を持てる世界があったら、そっちに生まれ直したい。死にたい。でも死ぬのが怖い。

 ああ、死ねないまま生きてる。



 頭痛がだいぶ治ってきたから起き上がる。

「どこにいくの?」

「トイレ」

「私も一緒に行く」

 黒野がバスローブの裾を掴む。その仕草も可愛らしくて吐き気がする。このイライラはなんなのだ。

「しるかよっ」

 振り払って二、三歩進むけど、そもそも俺は黒野の家のトイレの場所を知らない。

「こっち」

 黒野がついてこいとジェスチャーする。大人で、優しくて、好きになる。好意と羞恥を噛み締めて、黙って後ろについていく。視線は黒野の足首に注がれる。


「え?」

 前を歩いていた黒野が曲がり角で立ち止まり素っ頓狂な声を出す。なんだと思って脇から前を覗いてみると、廊下の途中に妙な物体が浮かんでいた。

 黒くて、自転していて、現実味がない。ガスの塊のようであり黒く染まった魔力の熾のようでもある。

「なにこれ」

 立ち止まった二人の足元を颯爽とエドワードが抜けて前に出る。

 本当に一瞬だった。黒野がエドワードを止めようと前に出て、少し触れてしまったのだろう。髪の毛が歪んで解けて吸い込まれる。そのまま掻き消えそうになって、俺は慌てて手を伸ばした。

 そしたら俺の手も渦を巻いて吸い込まれる。全てが歪んでいく。タバコを吸っている時みたいに。でも幻覚じゃない。怖い。

 助けて。




 俺は廊下に倒れていた。隣には黒野も倒れている。気を失っているようだ。

 あの黒い渦はなんだったんだろう。触れている間に一体なにが起こったんだ。


「あれは真理への扉だよ。世界の滅亡の前兆さ」

 どこかから先輩の声がする。周囲を見渡しても姿は見えない。

「ここだよ。ここ」

 首を傾けて天井を見上げると、そこに先輩の顔があった。相変わらず厚化粧をバッチリ決めている。でもいつもみたいに怒った顔じゃない。どこか柔和な笑みを浮かべて俺を優しく見守っている。

「先輩、なんで天井に?」

「どこだっていいじゃないか。俺は自由だもの」

 先輩の顔が天井から剥がれてゆっくりと俺の目の前に降りてくる。


「さあ、行こうか」

「はい」

 俺は無意識に先輩の手を取っていた。手なんてないはずなのに、いつのまにかそこにあった。

 廊下が広がったり狭まったり息をしている。ドアを開けると巨大な吹き抜けが姿を表した。あと一歩踏み出せば落ちてしまいそうだ。

「大丈夫、恐れずに一歩を踏み出してみて」

 先輩の声に従って勇気を持って踏み出すと、確かな地面がそこにある。

「ほら、落ちなかった。全部幻覚だったんだよ」

「先輩今日は優しいですね」

「いつもは鴨丸が自分を責めていたから、そうなっただけで俺本来は優しいんだよ」

「また調子乗って」

 俺は笑った。心が軽い。弾むようにステップが踏める。

 無限に広がるドアを潜って、無限に続く階段を上がって、どこまでも走っていく。そこに自分自身はなくて、どこにでも俺はいた。


 いつのまにか広い野原に出ていた。綺麗なシーシャが並んでいて、もくもくと味のする煙を出している。シーシャ・ミストに包まれる。暗い夜の、月が明るい世界。草原の上には人間大の芋虫、フリルドレスを着たかわいいうさぎ、眼鏡をかけた人狼、薔薇が咲いた生肉たちが寝転がったり煙を吸ったりしてリラックスしている。

 月が綺麗な空を本たちが翼を羽ばたかせて横断している。香織が知らない人たちと一緒に笑っている。昔のクラスメイト、図書委員会の同期、先輩、館長、先生、知らない人。黒野が知らない人を処刑している。よく見ればそれは俺の母親だった。

 草が息をして、空が息をして、俺が息をする。家の中なのに月が見える。月が冷たく微笑んでいる。

 誰かが物陰から俺を見ている。


「どうしてお前が幸せになれないのか話そうか?」

 暗闇から先輩が現れる。いつもと変わらない姿で俺に話しかける。さっきまで俺の手を引いていた先輩は消えてしまった。

「お前、ランドセルの色、黒だっただろ? おしゃれ好きのクラスメイトに私は嫌いって言っただろ? そもそも家を出たくせに俺って一人称治さなかっただろ? そういうことだよ」

 先輩が一歩近づく。俺は一歩後ずさる。


「お前は病気だよ。辛いなら治せばいいのに、治そうとせず、まともに生きようともしない。世の中には辛い思いをしている人がいっぱいいるのに、お前ときたら。環境でも、支援でも、ましてや他の誰のせいでもない。お前が辛いのは周りに合わせようとしないお前自身の問題だろ?」

 飛んで逃げようとしたけど、草が足にまとわりついて動かせない。誰かに助けを求めようとしたけど、声が出せない。


「自分自身から逃げてんじゃない。環境を変えようと働きかけるでもなく、新しい環境に行こうとするでもなく、自分磨きをするでもなく、堕落と怠惰に甘えて自分自身を甘やかし、他人に寄生して、なけなしの自尊心をいい子いい子するために不平不満を吐き出すばかり」

 地面に頭をついてうずくまる。耳を押さえても先輩の言葉は貫通して脳に直接響く。土の上に涙が落ちる。


「お前が苦しんでいるのは全部お前の努力不足じゃないか? 困難に立ち向かい打ち勝とうとする向上心のなさと甘やかされて虫歯になった精神性の脆弱さが全ての原因じゃないのか?

 だからお前は女になれない。お前(おれ)が不幸なのは、全部お前(おれ)自身のせいだ」


「そんなことないよ。生きているだけ大したものなんだよ。だって、俺は鴨丸が大好きだから」

 誰かに抱きしめられる。優しく、ゴツゴツしていて、背が低い。

「誰?」

 そんなことを口に出したけど、彼が誰かなんてもうなんとなくわかっていた。

「俺は鴨丸。君のお父さんだよ」

 ドキンと、心臓が跳ね上がる。


続く?

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