第4話 彼女はずっと謎
目の前にはラベンダー畑が広がっている。目の前のラベンダー以外はぼやけていてよく視認できない。そんな不思議な感覚に陥っていた俺の目の前に《《彼女》》が現れる。
「ハルトくん。こっちこっち。」
俺を手招いているのは、色白でショートカットの女性。
俺の元カノの白河先輩だ。
「先輩!俺、ずっと会いたくて・・・。やっと会えた!」
「はは。こっちだよ。はやく!」
俺は先輩の元へと駆け寄ろうとする。その瞬間、左腕を何者かに強く掴まれる。
「いて!」
手を引いていたのは赤木リンだった。彼女を認識した瞬間に、ラベンダー畑は消え失せ、自分が今交差点にいることを思い出した。
「まだ赤信号です。最近は野良猫だって信号を守りますよ。」
「ごめん・・・。ぼーっとしてて・・・。」
彼女は笑顔を一切見せない真剣な眼差しで俺を見つめる。なんとなくばつが悪かった俺は彼女から目を逸らす。そんな俺たちを道行く通行人がちらりと見る。
「さぁ、青信号です。渡りましょう。」
彼女は何事もなかったかのように歩き出した。
大学に到着した俺はまっすぐ研究室に向かった。扉を開くと、俺の《《いつもの席》》に同級生の佐々木ユウキが座っていた。
「やぁ、蒼井くん。今日は二限ないのかい?」
「あぁ、無いよ。昨日の夜に回してたシミュレータの結果が見たくて早く来たんだ。」
「おおー。さすが、優等生くんは違うねぇ。」
佐々木君はクーラー直下の机に突っ伏しながら俺と会話をしている。客観的に見るとその姿は情けなく、こんな姿を赤木さんに見られたのかと思うと、死にたくなるほど恥ずかしい気持ちになった。
「佐々木君はなんでこんな時間に来ているの?講義は無いんでしょ?」
「今日の夕方の進捗会の準備をしなきゃいけないと思ってさ。早めに来たんだ。」
「そうなんだ。でも準備をしているようには見えないな。」
「あははは。そうそう。最初はやる気あったんだけどさ、使いたかったコンピュータが先に誰かに使われててさぁ。なんかやる気なくなっちゃった。」
その先客は俺だ。計算量が多いシミュレーションは平気で半日以上の処理時間がかかる。そのため夜に実行して次の日にその結果を見ているのだ。
佐々木君と雑談をしていると、誰かが研究室の扉をゆっくりと開いた。俺たちはそれが石川先生だと思い込んでいた。
「お邪魔しまーす。アオイ先輩いますかー?」
扉の目の前の席は、今佐々木君が座っているところである。俺が今いる席は扉を開くとちょうど死角になる位置にある。佐々木君は突然の訪問者に驚き目を見開いていた。
「え、えと、ど、どちらさまでしょうか?」
「一年の赤木リンです!アオイ先輩の彼女です〜。」
佐々木君は驚きのあまりヒェと声を出していた。俺は立ち上がり手に持っていたノートで赤木さんの頭をポンと叩く。
「こら。外堀から埋めようとするな。」
「あらら、バレちゃいましたか。この積極性に惹かれて、付き合う気になりました?」
今朝会った時とは全く違う様子で、彼女は明るく接してくる。
「あ、蒼井くん!女の子の友達なんていつ出来たんだ!」
佐々木君は狼狽えながら俺を指差し、そう言った。
「失礼なやつだな。俺にだって友達くらいいるさ。まぁ、この子はイレギュラーではあるが。」
「くそ・・・。勉強もできて、教授陣からの信頼も厚く将来有望なだけに止まらずに、かわいい友達までいるなんて・・・。この世界は不平等だ・・・。」
「あはは。可愛い友達ですって、先輩。かわいいんですって、私。」
赤木さんは勝ち誇ったような表情で俺を見つめる。たしかに彼女の容姿は優れている。誰がどう見ても美少女なのだ。この小生意気な性格を除けば完璧だ。
「失望したよ蒼井くん。僕はこんな気持ちで、今日の進捗会を向かえなければいけないのか・・・。」
「知らないよ。頑張ってよ。」
佐々木君は「ありえない」と叫びながら、この部屋を出て行った。彼のことも心配ではあるが、それよりも先日の彼女の発言のことが気になってしまい、俺は彼を追いはしなかった。
「赤木さん。」
「リンちゃんです。」
「リン・・・さん。」
「リンちゃんです。」
「・・・リン。」
「まぁ、良しとしましょう。」
俺はため息をつきながら、あの話を切り出す。
「どうして白河先輩のことを?」
「私はアオイ先輩のことなら何でも知ってますよ。」
「どうやって知ったんだ?誰にも言っていなかったつもりだったんだが。白河先輩も口は堅い人だと思うが。それに・・・」
「もう亡くなっているんですよね?」
彼女は俺にフラれたときと同じ表情をしていた。
「この大学の中庭で、何者かに左胸を刃物で刺されて殺されてしまったんですよね?」
「・・・君は、一体何者なんだ?」
俺は彼女に会うたびにこの問いを繰り返した。
そう聞くと彼女は決まってこう返した。
「私は赤木リン。アオイ先輩のことが好きな、ただの女の子です。」