3 父親
私の読書好きは、今世に入ってからだ。部屋の中で毎日暇そうにしている私を見かねてアンさんが持ってきてくれたのが始まりだ。それまで自分の状況が分かっていなかった私は、異世界に生まれたことも本で知った。今では硬めのミステリーや純文学もスラスラ読める。たまにネット小説をかじるくらいだった前世とはえらい違いだ。
本を読むと、自分の中に新しい世界が広がるように感じる。表現や世界観、文体が私の中に入ってくる。
作者によって整えられた言葉はまるで宝石箱みたいで、それを食べている感覚。しばらく自分の思考や気分まで本の文体に引っ張られたりする。気に入った設定や展開は自分の妄想に取り込まれる。毎日家で過ごす私にとって、妄想は大きな娯楽の一つだ。転生者である私にとって、あと数年もすればそれは現実になる。龍が拾ってくれるパターンも、隣国の王子と結婚するパターンも、凄腕の騎士に守られるパターンも準備は万端。冒険者にだってなれる気がする。現実なんて軽々飛び越えて、何時間でも脳内で生活できる。
なんでこんなことを考えているかというと、今まさに妄想したい時だからである。絶賛ドナドナ中。朝食だけでは終わらなかった父親との対戦は、延長戦にもつれ込んだ。フィールドは父親の執務室。多分。今、
両選手が試合会場に入ろうとしています。。意外と広い自宅に驚きながらも、とりあえず父親について行く。アンさん曰く嬉しい知らせらしいし。帰りたい半分自宅探検楽しいがもう半分である。
「………」
「………」
「………」
「………」
やっぱり部屋から出なければよかった。テーブルを挟んだソファに向かい合って座って2分、延長戦もやっぱり無音のまま進行するみたい。さっきから父親の人指し指がテーブルの端をなぞる往復運動を繰り返している。時々止まって、その場で円を描いたりしている。指の先が私の方を向くたび胃がきゅうっと締まって私の背すじがどんどん丸くなる。散々私の心を痛めつけた後、やっと父親が口を開いた。
「お前には来週から学園に通ってもらう」
えっ無理。まだ社交界デビューもしてないし、日中よく寝るし、そもそも同年代の知り合いいないし。礼儀作法はなんとなくだし。てっきり婚約者関連の何かかと思ってたら予想外の方向に驚く。ていうかもう入学の時期過ぎてますよね?5月だし。10歳から学園と本で読んではいたけれど、まさか1ヶ月遅れで通う話が出るとは思ってもいなかった。学園って行った方がいいのかな?行かなくても私を溺愛してくれる誰かは向こうから来てくれると思う。転成者だし。正直言って、今のだらだらした生活が快適すぎて学園に行く気が起きないのです。学校の怖さは前世で十分味わった。多分学校が無ければ私はもっと人生をエンジョイできたはず。行って座って帰ってくるだけで半日が終わるだなんて、時間泥棒も裸足で逃げ出す。さっさと断ろうとしたその時、考えを読んだかのように父親が言った。
「これはお前の婚約者からの要求でね、第3王子の命令とあらば逆らえん。不安があるが寮に入って8年間頑張ってきてもらおう。向こうにはお前の兄達がいる。詳しい事は現地で聞くといい」
「え?わたしの婚約者って第3王子だったんですか⁉︎」
現地がどうとかより真っ先に気になったのはそこである。私に婚約者がいる事は知っていたけれど、顔も名前も知らなかった。
「なんで覚えていないんだ⁉︎お前は5歳と7歳の時に第3王子お誕生日会に出席しただろう⁉︎」
テーブルをドンと叩いた後、顔に両手を当てて叫ぶ金髪。言われてみれば行った気がしないでもない。
「毎月のお手紙はどうした⁉︎届いているのだろう⁉︎
なかなか返事をくれないとこの間会った時言っていたが、呼んでいるのだろう⁉︎いるんだよな⁉︎」
あー。あれか。月一で来るあれか。私は手書きの文字が嫌いだ。手書きでも印刷っぽい字ならいいけれど、10歳の字を読みたいとは思わないのだ。
「殿下は12歳だクリスティナ‼︎」
なんでこの人はこんなに叫ぶのだろう。数字を少し間違えただけでこれなのにこの国の宰相というのだから部下達の苦労が偲ばれる。
「どこで育て方を間違えたんだ…」
頭を抱える金髪。私は好きではない人間が急に叫んだり落ち込んだりするのを見てご機嫌である。なんだか知らんがざまあみろ。
「とにかく‼︎学園には殿下もいらっしゃるから2人でよく話しておきなさい。っていうか手紙の返事は時々あるらしいがどうやって書いてたんだ…?」
返事とやらは全然知らないけどアンさんがどうにかしたんじゃないですか?って意味を込めて首を傾げてみる。
「………。もういい。この婚約を破談にするような真似だけはしてくれるな。今日のうちに荷物をまとめて、明日出発しなさい。足りないものがあったら後から送らせる。学園での面倒はオスカーとダニエルが見てくれるだろう」
誰だ?まあ誰でもいいや。早速自室に戻るとしましょう。今の快適ライフを奪われてなるものですか。本当に乙女ゲー的もしくは悪役令嬢的に必要ならどれだけごねた所で無理やり連れて行かれるに決まっている。私は王都で引きこもりライフ満喫という新機軸を攻めたいのだ。
ずでっと音を立てて私は頭から地面に激突した。右足を今の40cmほど前方に下ろしたところ、重心の移動に失敗したのだ。原因は裾を踏んづけた事だと思われる。単に転んだともいう。考え事をしながら歩いたりするとこうなる。
「ふっふっふっ……。ふふっ」
ついに転んで頭がおかしくなったと思うだろうか。違う。逆に今までの私の頭がおかしかったのだ。ここまでずっとこの世界が悪役令嬢系異世界であることを確信しながら大事なテンプレを一つ忘れていた。
そう、勉強がヌルゲーになるあの現象である。たとえ恋愛にかまけていたとしても、テストだけは常に一桁。それが正しい異世界ものだと私の偏見は叫んでいる。勉強ができる学校なんてちやほやされる場でしかない。おまけに私の前世の記憶は高校生で止まっている。ブランクは最小限だ。
未だうつ伏せでありながら気分は最高。少しでも気を緩めたらきっと私は歌い出す。右足が熱くなってズキズキしている事なんて気にならない。立てないのは痛いからではない、立たなくても幸せだからだ。
「うっふふふっふふっふふふっふふっあーひゃっひゃっひゃっひゃっひーひーはふっはふっはふっはーひゃっひゃっひゃっひゃっあひゃー!はー!ふふふふふふふーひゃー!」
待ってろ学校!ついでに魔法チートもどっかでやりたい!無理かな⁉︎多分できる!だって異世界だもの!
「ふひゃー!」
迷走中です。
この後何をするのか、いつ終わるのか作者にも分かりません。