10 歌
部屋の中に、ページをめくる音だけが響く。ここにはアンさんもいないので、邪魔する人は誰もいない。今何時頃だろう?王都の私の部屋とは違うけれど、この部屋にもだいぶ慣れてきた。20歳年上の辺境伯のあまあま告白ゼリフにきゅんとして、足をばたばたさせる。
ふんふーん、ふーん。
頭の中に流れ始めた前世の歌が、無意識に鼻歌になる。好きでなんども聞いていた、恋愛ドラマの主題歌だ。完全にリラックスしてる。気分が乗ってきたので、本を放り投げる。靴を脱いで、机の上に登って、気分は既にアイドル。壁に向かって指を突き出し、
「みーんなー?準備はいーいー?いっくよー!」
頭の中で、わー!って声が聞こえる。ライブなんて行ったことなかったけど、多分こんな感じ?
何度も聞いた人気曲。頭の中で流れる曲は、もう止まらない。心臓もリズムを刻んでる。私の喉から、歌声が溢れ出す。この瞬間が永遠に続いて欲しい。この部屋にいる全員がそう思っていた。
四曲目もサビに入って、息も弾んできた時。
バァン!と音を立てて部屋の扉が開いた。
「エクバート様、どうされましたか⁉︎」
部屋の時間が止まる。
架空の観客に向かって、上着も脱ぎ捨てて歌っていた私は、ドアの方を見ないようにして、ゆっくりと机から降りて、毛布を頭からかぶって枕に頭を押し付けた。
ふう。助かった。
「え?えっと……え?今、えっと……え?何?え?」
侵入者はだいぶ混乱しているようだ。おそらく私の姿が急に消えたことに驚いているのだろう。早く出て行けと思いながら、じっと息を潜める。
「え?今の何?誰?エクバート公爵令嬢?嘘?幻覚だよね?何なの?」
はっはっは。ざまあみろ。この程度で驚いているようでは私と会話することは許されない。出て行け出て行けと念じる。
「えっと、それで隠れたつもりなんですか?というかなにしてたんですか?」
侵入者の足音がこちらに迫り、誰かがベッドのそばに立った気配がした。大丈夫。まだ見つかってないはず。出てけー出てけー。
「……もう!とにかく出てきてください!」
布団を無理やり引っぺがされた。野蛮人め。睨みつけると、ドレスを着たピンク髪の女の子がいた。
「って、顔真っ赤……!あと涙目……!そこまでショックならどうして歌なんて歌ってたんですか……?そんなんで睨みつけても怖くありませんよ。えーと、初めまして、私は子爵令嬢のクララ・ワチエと言います。これからよろしくお願いします……って、泣くほど⁉︎泣くほどショックでしたかごめんなさい‼︎」
「うっ、うぐ、うえぇうぐっ、ぐす、うぐっ……うぐっうえぇぇん」
「うわ、ええっと、お、落ち着いてくださいっ。ね、歌歌うくらいみんなしますから、ね?本当に申し訳ありません、朝ご飯になかなか来ないものですから、部屋に様子を見に行ったら何かどたどたした物音と高い声が聞こえて、それで何かあったんじゃないかって思って」
「う、うぁぁぁああうえぇん、うぐっぐっうわぁぁん」
「あ、ああ……。ごめんなさい、ほんとにごめんなさい。そういえば人にあんまり慣れていらっしゃらないんでしたっけ……?うわー、第一印象終わったかも……。一旦、一旦落ち着いて下さい、私も忘れますから。ね?」
「ふぐっ、うえ、ぐすっ。う、うぁぇ……」
駄目だ。心が限界を超えた。なんなんだほんとにもう昨日から理不尽連続しすぎだよくそぅ。こんなことなら全力で駄々こねて家から出ないべきだった。自室から出ることすらしちゃいけなかったかもしれない。前世でもこの規模の辱めを受けたことはないぞ。涙が止まらない。山賊に捕まったこととか、テストで勉強チートが全然出来なかった事とか、そういう事が全部今になってまた襲ってきた。
「ふぐぅ、う、うえ、うえぇぇぇん、うわぁぁん、あぁぁぁん」
「ほ、本当にどうしよう……。あ、そうだ。エクバート様、今日の朝ご飯この部屋に持ってきましょうか?食堂はもう閉まっちゃいますから、ほら、朝から魚のフライが出たんですよーとっても美味しかったですよー。朝ご飯まだですよね?どうです?食べませんか?」
「うぐっぐぇっ……。食べる……」
駄目だ。この心を立て直すには胃袋が寂しい。昨日二食だったから、それが響いてるのかも。顔を洗って椅子の下に落ちてた本をしまう間に、メイドが朝ご飯を持ってきてくれた。席について食べ始める。五臓六腑に染み渡る美味しさ。
「泣き止んでくださって良かったです。どうですか?ご飯、美味しいですか?」
なぜか侵入者も向かい側に座ってきた。王子といいこやつといい、人に見られながらのご飯はちょっと食べづらいということが分からないのだろうか。
「私、アルバート王子に頼まれてエクバート様の学園生活の補佐をさせて頂くことになったんです。エクバート様は知り合いがあまりいなくて、学園とか初めてだと聞いたので……。よろしくお願いします!」
ほーう?つまりこの子は私の取り巻きか。多分そうだろ。学園生活の補佐とかいう表現はよく分からないけれど、簡単に言えば取り巻きであってると思う。
しかしあれだ、この子の名前が分からないけど、まあ取り巻きだから適当でどうにかなるでしょ。それにしてもピンク髪……ピンク髪……?ひょっとしてヒロインじゃないだろうな?王子に頼まれてってところもかなり怪しい。庶民だと思ってたら子爵令嬢だったけど、多分このくらい誤差。
どうでもいい取り巻きかどうでもよくないヒロインか、それによってだいぶ対応が変わってくるけど、それ以上に私としては話し相手が欲しかった。ありがたく友達させていただく。
食べ終えて一息ついていると、また扉が開いて今度は女の先生が入ってきた。昨日の魔力測定の時の先生だ。
「おはよございます、エクバートさん。魔力測定の結果が出たので、伝えに来ました」
うわー。真っ黒のやつでしょ?聞きたくないなー。