横須賀市巨大生物災害レポート2
続きだ。ここでは、横須賀が主戦場になる手前までを纏めていく。主に政府や諸外国、自衛隊や米軍の動向がメインで、実際にどんな被害があったかを纏めるのはまだ先になるだろう。
前述の「小笠原諸島沖対巨大生物海戦」のニュースで地球の裏側までもがザワつく中、国土が太平洋に面する国々(中国・ロシアは静観、東南アジア各国は諦め状態)は青ざめていた。あんな物が上陸すれば、どんな被害が及ぶかは予想出来ない。下手をすれば、文字通りに自国が滅ばされる恐れもあった。
緊急に開催された安保理(アメリカが焚き付けた説)が行われるも、何一つ纏まる事はなかった(当時問題になっていた中露国境紛争の激化が要因とも)とニューヨークタイムズやデイリー・メール、ロシアトゥデイでは報じられている。日本でもNHKだけに留まらず、民放各社はこぞってメインの題材として取り上げ、時にふざけつつ、時に真剣な風潮の番組(youtubeにまだ動画が残っている)を作って世間の不安を煽った。
そんな中、日本政府は誰に促される(少なくとも国内世論の影響はあった)でもなく、静かに覚悟を固めていた。もしあれのどちから1体でもが本土に上陸した場合を想定し、その被害を最小に抑えるため、沿岸部の住民を内陸部もしくは日本海側へ疎開させる計画が立ち上がり、当時の国会で「国家存亡危機対処特別措置法」として時限立法を作成。衆参両院ともに反対票0と言う異例の結果に公布はトントン拍子に進み、かつてないスピードで法案制定まで漕ぎ付けた。
当時の合衆国大統領ことアーウェン=ストーナーはこの法案制定を全面的に支持し、最短で日本に送り届けられる戦力と武器弾薬の移送を全軍に下命。東日本大震災にて実施されたトモダチ作戦を凌ぐスピードで兵站は整った。
米軍の動員兵力について詳細は開示されていないが、B-1爆撃機(パフォーマンスの可能性)が三沢基地に飛来した他、B-52(実質的な戦力は恐らくこっち)も横田基地への着陸が確認されている。また三沢の第35戦闘航空団から1個飛行隊も横田へ進出しており、ミリタリー系の掲示板では詳細不明ながらもこれは第13戦闘飛行隊であるらしいとの書き込みが見られた。
第7艦隊の空母「ロナルド・レーガン」は佐世保で補給を受けた後、2隻のミサイル巡洋艦を引き連れたまま日本海側へ展開。どうやらこれは中国大陸へ向けて牽制を意味する動きらしかった。
自艦の搭載する航空兵力では歯が立たない事を思い知った以上、この戦力は悪戯に損失する訳にいかない。ならば矢面は強力な爆撃機や地上攻撃のベテラン達に任せ、きな臭い大陸への牽制こそ最大の任務であるとの結論に達したようである。最も、空母の動向に関するこれは全て想像でしかない。前述したように、本当は空母を喪う事を恐れての行動である可能性も未だ捨て切れなかった。
米軍が少なからず、この状況を楽しむと言ったら語弊があるかも知れないが、未知の脅威と言う人類共通の明確な敵が現実に出現(この1年ほど前、日本で有名な某怪獣映画がリメイクされて世界中が熱狂したのも要因か?)した事でその士気は鰻上りとなった。
CNNでは「あんなに気前よく戦力を抽出して、もし我が国に出現した場合はどうするのか」と辛口のコメントが目立った。The CWでも「確かに出現地点が日本に近い事は認める。だがそれだけで日本が主戦場になると決め付けるのは性急すぎるのではないか」と、政府の決断を疑問視する声も挙がっている。
アーウェン大統領はこの派兵についてパフォーマンスを含んだ演説は控えたものの、報道官は感極まったのか「未知なる人類共通の敵を打ち倒し、昨日までの日々を取り戻す意義ある戦いに望む兵士諸君へ最大限の声援を」などと、まるで大戦中の独裁者染みたコメント(これ自体がアメリカ政府の計算である可能性も考えられる)を公共の電波に乗せて捲くし立てた。お陰で派兵の決まった部隊はお祭り騒ぎになり、基地を挙げての盛大な出発式まで執り行なわれたと言う情報も見られる。
アメリカが一種の陽気な雰囲気に包まれる中、統幕はこの事態に対して一切の希望的観測を捨てていた。もし仮に国土の何割かが更地になったとしても、人的損失を最大限に抑える作戦(これは国会図書館のホームページでPDFの閲覧が可能)の立案が進められていく。
詳細な動きまでは省くが、まず太平洋側の領海全域において監視態勢の強化が始まった。これには海自と空自の航空機が大々的に投入され、海保も沿海域の監視を担当。警察消防、行政もヘリを飛ばして沿岸部の巡回を実施し、巨大生物の早期発見に備えている。
続いて陸上自衛隊第7師団の3個戦車連隊から、東北・東部方面隊に対して部隊の派遣が決定。道央自動車道は昼夜を問わず、90式戦車を載せたトレーラーが長い長い車列を作った。これらは主に青森県や宮城、福島の沿岸に展開。機動運用部隊として、無数の砲口を太平洋側へ睨ませた。
これと打って変わって、岩手県では沿岸部での水際防衛を早々に諦め、内陸部に配置した長距離火力の集中投射戦法を展開。地対艦ミサイルとMLRSを県内に分散配置し、青森・宮城の一部もその射程に納めた火力ラインが構築された。
茨城・千葉・東京・神奈川を結ぶ線は第1師団と富士教導団、米軍派遣部隊が担当。同時に、房総半島の全住民を関東内陸部へ一時的に強制疎開(かなりの混乱があった模様)させた。これは統幕が「もし本土上陸となった場合、太平洋側に突き出たこの部分は最も上陸の可能性が高い」と算出した結果だった。世界情勢に合わせて変革を行って来た自衛隊ではあるが、そもそもが本土防衛を念頭に置かれた陸自にとって、何所を護って何所を捨てるかを判断するのに左程の時間は掛からなかったようだ。
政府はこれに伴い首都機能の一部移転を打ち出し、まず皇族の京都御所避難を実施。続いて各省庁の機能及び人員の約3分の1を埼玉県庁へ移設させた。その理由として、一部移転先は2つとする方針があり、その内の1つは都外である事が条件に組み込まれていたためだった。
万一に沿岸部もしくは東京が壊滅した場合を想定し、その後の行政組織を維持させ続けるにはある程度内陸部が望ましく、また最悪の場合は暫定的に首都として機能する事も考えられていたらしい。これによってミニ永田町とでも言うべき官庁街が出来上がり、この年の埼玉県内経済はそこそこの数値を記録したと県の予算委員会で発表されている。
着々と最悪の事態を想定し、官民共同で動き始めた日本ではあったが、意外にも限界は早く訪れた。
まず房総半島全域の住民を強制疎開させた事で、住居の確保や様々な調整作業に追われた千葉県と疎開先の行政がオーバーワークに陥り、過労死する者が出始める。
房総半島に居を構えていた各種観光に携わる経営者や従業員たちはこの状況に心を痛め、これ以上の迷惑は掛けられないと自主的に帰宅を開始。既に監視装置や地上レーダーの設置を始めていた陸自部隊の静止を振り切り、疎開から僅か一週間で営業再開になるという珍事が発生した。行政が間に入って説得するも聞き入れられず、最終的には避難用の車両を警察が貸し出し、何かあれば迅速に避難するという形で一応の決着が着いた。
政府は「指示通りに疎開を行えば売り上げや維持費等については全額を補償する」と呼び掛けを行うが、「疎開先の十分な受け入れ態勢が整わない内は迷惑を掛けるだけだ」と観光業界が一体になって県へ上申。国に対して訴訟を起こすか否かまでに事態は進展し、巨大生物の出現に備える所ではない状況へと転がり出すのだった。
また首都圏の地方出身者は疎開先として実家を選ぶ事も多いが、そこが地元と言う人間の多くは政府による疎開先の指示を待つしかなく、東京や神奈川の住民は動くに動けない不安な日々を過ごすハメになった。特に矢面へ立つ自衛隊員や警察官、海上保安官たちは家族だけでもどうにかして避難させられないかと苦悩し、後ろ髪を引かれる思いで監視を続けていたと聴く。