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その猫の秘密  作者: onyx
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猫がいる生活

 クロが家に来て、既に一週間が経過していた。クロの寝床は、段ボール箱を丁度いいサイズに切り出して、底にタオルを敷いた自作の物だ。餌を入れる容器は何年も使っていない皿を物置から引っ張り出し、水も同じような食器に入れてある。


 父親も新しい家族を喜んで受け入れ、2人と1匹の新しい生活が始まった。前は家に帰っても誰も居なかったが、今は玄関を開ければクロが部屋から顔を出して出迎えてくれる。トコトコ歩いて来て、鳴きながら甘えるのがとても嬉しいひと時だった。


 そして、今日も俺はそれを期待しつつ、玄関の鍵を開けた。


「ただいま」


「ニャ~」


 居間からクロがやって来た。しゃがんで目線を合わせながらクロの顔を両手で包み、その柔らかい感触を楽しむ。ゴロゴロと鳴る喉の振動が一気に高まった。


「着替えて来るからちょっと待ってな」


 靴を脱いで足早に部屋へ入った。制服に毛が付くと、それを取り除くのは一苦労なのだ。まず部屋着に着替え、餌と水を補充し、夕飯の準備をしてから遊ぼうと思う。トイレの処理も忘れてはいけない。


「クロー、おいで」


 必要な事を全部終わらせ、居間で胡坐をかいた上にクロが乗っかる。心地いい重さと暖かさを感じながら、その存在を確かめるように腕の中へゆっくり抱きしめた。日向臭い香りが鼻孔を満たし、心に落ち着きを与えてくれる。


「今日はずっと日向ぼっこしてたのか?」


「ニャー」


 何て言っているかは分からない。どうせ、こっちの言葉も理解なんて出来ていないだろう。それに構わず色々と語り掛け、気が済んだ所で遊び道具を取り出した。


「ほーらクロ、運動の時間だぞ」


 小型のマイクロファイバー製ほこり取りに、スウェットから抜け出た腰紐を結び付けただけの、手製のオモチャだ。それを目の前に放るだけで、クロは姿勢を低くしながら動きを観察し始める。


「よっと」


 オモチャを勢いよく跳ね上げた。その動きにクロは機敏に反応し、捕まえようとして飛び掛かる。動きを小刻みに変化させると、クロはバタバタと動き回って面白い格好を見せてくれた。時にはバク宙のようにアクロバティックな動きもやり始める。


 30分ばかりの時間が流れ、息が上がって来た俺はテーブルに腰掛けた。クロは足に纏わりついて、もっとやれとせがんで来る。


「ニャー」


「待ってくれ、疲れた」


 腕も痛くなっていた。こっちの体力が先に尽きるとは情けないが、ホンのちょっと前まで野良猫だった存在が相手なだけあって、バイタリティには差があるのだろう。せがまれても直ぐには動けなかった。


「あー、腕痛ぇ」


 すると、こっちの状態を察したのか、せがむのを止めた。テーブルに上がると、そのまま膝の上までやって来て寝転ぶ。


「疲れたなら撫でろってか? はいはい」


 グタ~ッとなっているクロの体を撫で回す。喉の振動が指先や太ももから伝わって来て、次第に眠気を誘い始めた。


「……ちょっと寝るか」


「ニャ~」


 そのままクロを抱き抱え、自室へと向かった。ベッドに横になると、クロは脇の下で丸くなって寝息をたて始めた。暖かくて心地いい振動によって、自分も眠りへと誘われていく。


 10年の歳月が流れた事で、兄弟というものの感覚を失っていた俺は、クロの事を失った兄のような、自分の半身のような存在として認識していた。それぐらい、クロと過ごす濃密な時間は、瞬く間に過ぎ去っていった。


 そんな日々が続く中、俺はクロをボストンバッグに押し込んで、動物病院を訪れていた。健康診断と感染症ワクチンの予防接種のためだ。待合室で待っていると、天井のモニターからニュースキャスターの声が聞こえて来る。10年前の事件に関するニュースは、今でも日に何度かは必ず流れていた。


『それではここで、10年前に神奈川県横須賀市を襲った巨大生物災害関連のニュースをお伝えします。政府は今年で発足10年を迎える、対巨大生物有事に対処するため自衛隊内に編成された特殊任務部隊、特別機動戦闘団の規模縮小を決定しました。この部隊は、日本全国に緊急展開可能な状態が常に維持され続けており、出現の兆候を掴む事が難しい巨大生物に対して可能な限り迅速に対処する事が骨子とされていましたが、本年を持ってその規模を縮小。段階を踏んで解体されるとの旨が竜沢総理より発表されました。官邸からの映像になります』


 映像が切り替わり、いつもニュースに流れる総理官邸の中が映し出された。報道陣に囲まれる竜沢総理が喋り始める。


『長年に渡り、我が国が直面した巨大生物による災害、及びその被害を未然に阻止するべく、24時間の任に就いている特別機動戦闘団の隊員諸君に当たりましては、どのような言葉を尽くしても感謝仕切れません。しかしこの10年間、自衛隊のみならず関係各省庁や警察、海上保安庁、在日米軍などによる密接な協力体制によって、巨大生物出現の兆候や早期発見に努めてまいりましたが、残念ながらその兆候はおろか、存在も未だ感知する事が出来ていません。ここに至りまして内閣は、巨大生物再出現の可能性を完全にゼロとまでは言いませんが、これまでよりは脅威度の低いものとして取り扱う事を決定致しました。これに伴いまして同部隊も段階的に規模を縮小、最終的には解体への道を歩み始めるでしょう』


 特別機動戦闘団。あの事件の後、巨大生物と戦うために編成された特務部隊だ。その多くは実際に巨大生物と戦った部隊の生き残りや、当時その場に居た者が大多数を占めていた。父もその場に居た1人ではあったが、元々が後方支援部隊の所属でしかも家族を失った事からそちらに異動はせず、今は駐屯地の内勤として勤めている。当時小学生だった俺との時間を大切にするためでもあったのだろう。


「若生さーん、1番の診察室にどうぞー」


 呼ばれた。意識をテレビから戻して立ち上がり、バッグを抱えて診察室の引き戸を開ける。すると、見覚えのあるしかめっ面の男が椅子に座っていた。僅かな時間で記憶を掘り返すと、該当する顔が一つだけ浮かんだ。しかし、当たっているかは分からないので、取りあえず問い掛けてみる。


「…………あの、何所かでお会いしませんでしたか?」


「ん? ああ、あの時の坊主か。若生なんてこの辺じゃ珍しい苗字だからまさかと思っていたが、元気そうだな」


 予想が当たった。あの時、子猫だったクロの治療をしてくれた獣医だ。顔付きはあまり変わっていないが、相応に老け込んではいる。そして何よりも違うのは、当時は生え揃っていた頭髪がすっかり無くなっていた事だった。


「そんで、その大荷物は何が入ってるんだ。開けてみてくれ」


 バッグを診察台に置いて、ジッパーを開けると同時にクロが顔を出す。獣医は一発でそれが自分の治療した子猫だと見抜いた。


「何だ随分とデカくなりやがって。お前が勝手にゲージから逃げ出したお陰で治療費は全体の半分程度しか請求出来なかったんだぞ。まぁいい。これからウチに通ってたっぷり払って貰うからな」


 そうやってクロに説教を垂れつつ、問診と触診によって傷口の具合や体の異常を調べていく。特に縫合痕の診察は入念に行われた。毛を掻き分けながら、当時のカルテを横目に診察が続く。


「うん、あれだけの怪我でよくここまで回復したもんだ。幾つかは消えない傷になると思ったが、お前さんも傷の場所なんてよく覚えていたな。取りあえずコイツの尿と便を貰おうか」


「拾ったのは自分ですし、治療も目の前で見てましたからね。これ、尿と便です」


 専用のビニールケースに収められたそれを手渡す。そっちの検査が進む間に身体測定も終わり、ワクチン投与の準備が始まった。


「人間でもそうだが、ワクチンの投与は段階を踏んで行われる。今日から数えて3~4週間経ったらまた来なさい。その間、何か副作用みたいな行動が見られた場合は連絡してくれ」


「分かりました。因みに副作用ってどんな症状が出るんですか?」


「最も多いのは食欲不振、下痢、便秘だな。顔がむくんだりもする。稀にアナフィラキシーショックになって嘔吐や痙攣を起こす場合もあるが、どんな状況だろうとすぐに連絡しろ。てんかんとかを起こしている時もそうだが、人間がしてやられる事なんて実際は大してないんだ。動物の側が落ち着くまで触らん方がいい時もある」


 もう1人の医師がクロを保定し、後ろ足に小さな注射器が刺された。クロは一言も発する事はなく、1回目のワクチン投与はスムーズに終わった。今日はこれでお終いなので、待合室で会計が終わるのを待つ。その間、またテレビからあの災害に関するニュースが流れ始めた、


『政府は10年前に発生した横須賀市巨大生物災害における復興特別会計補正予算を、今年度で正式に打ち切る方針を決定しました。被害に遭った区画の整理事業が全て終了した事と、災害廃棄物処理計画の収束に伴い、神奈川県議会予算委員会において長年県の財政を圧迫していた復興予算の解消が決定の要因となった模様です』


 何となくだが、全てを過去の事にしようとする動きがあるのを感じた。確かに区画の整理は終了し、街並みは昔以上に発展している。だがそこにあるのは、災害の復興に託けて予算を貪り、無駄に豪華な公共施設を林立させ、まるで県庁舎に対抗するかのような風貌に建て替えられた市役所などだった。


「……誰のための復興なんだろうな」


 独り言を呟きながら、バッグの中に手を突っ込んでクロの頭を撫でる。口先にまで指を持っていくと、人差し指を甘噛みされた。こそばゆい感覚を味わいつつ、指をゆっくり引き抜いて顎の下を優しく摩ると、ゴロゴロの振動が伝わって来た。

ここまでの主な登場人物


若生わこう亮太 17歳 高校2年生 主人公

若生聡史 45歳 陸上自衛隊1等陸尉 所属:武山駐屯地業務隊

若生大樹 享年10歳 長男 亮太の兄

若生亜由美 享年33歳 母親


クロ 黒い成猫 推定10歳前後


亀田信行 65歳 動物病院 院長

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