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その猫の秘密  作者: onyx
3/22

その再会は、偶然かそれとも・・・

2030年 横須賀市営墓地


 初夏の陽気が漂う中、花と手桶を持って敷地内を歩く。思わず通り過ぎてしまい、幾分か引き返して目的地である家墓の前まで来た。


(……早いな、もう10年か)


 あれから10年が経った。あの事件による犠牲者と重軽傷者は、数えるのも嫌になるぐらいの数字を数えた。俺は紆余曲折を経て川崎の叔父夫婦に預けられ、1年ほどをそこで過ごした後に帰郷。今は父親と2人で暮らしている。

 

 先祖や祖父母、あの事件で死んだ母と兄の居る墓に水をかけて花を供え、線香に火を灯して手を合わせる。

 正直このぐらいの年になってしまうと、既に悲しみも何も風化し、そこにある現実を受け入れるしかない事を悟るだけだった。記憶も薄れ始め、幼くして死んだ兄の顔も今では写真を見ないと思い出せない。母の顔だけは、まだ何とか思い出す事が出来た。


「じゃ、また来るよ」


 そう言い残し、墓地を後にして帰路へ着く。駐車場に停めた原付バイクに跨り、自宅方面に向けて走り出した。視界の中を通り過ぎていく街並みは、嘗てこの当たりが殆ど更地になった事など、遠い昔の出来事であると言わんばかりの発展ぶりだった。復興事業が進む裏で、昔の街並みは見る陰もなく消失していた。


 自宅は、あの事件で区画整理された中に建てられた、ちょっと新しめの平屋だ。同じような家が数軒立ち並んでおり、まるで昔の集合住宅のような感じになっている。


「よっと……」


 玄関先に原付を停車させて降りた。このまま家に入る気が起きず、近くのスーパーへ買い物がてら散歩でもと思い、ゆっくりと足を進めた。


 普段は通らないような道を選んで歩く。周りから人の気配が消えた瞬間、ふと何かに見られているのを感じた。周囲を見渡すと、視線の主が視界の隅に映り込んだ。


「………猫?」


 電柱の陰から、一匹の黒猫がこちらをじーっと見ていた。視線が重なり合ったまま1分ほどの時間が過ぎる。ゆっくり近付いていくが、猫は視線を合わせたままそこを動かない。目の前でしゃがみ込んでみても、猫は動かなかった。手を差し出すと、匂いをかいだ後にゴロゴロを喉を鳴らして膝に頭を押し付けて来る。


「どうした、悪いけど餌はないぞ」


 猫がニャーと返事をした。頭や背中を撫でてその毛並みを味わう。陽の光りで艶やかな黒が美しい。見た事はない筈だが、何故か俺はその猫を知っているような気がしてしょうがなかった。お腹を撫でたその時、指先に妙な感触を覚える。


「……これは」


 傷跡だ。よく触ると、背中や前後の足、頭にもそれを感じる。10年前に起きたあの夜の記憶が鮮明に蘇った。母と兄を失い、灰燼と化した町の中で子猫を拾ったあの夜だ。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 淡い光りが灯る応急処置所の中、人間の手当てが行われている横で、小さい命を繋ぎとめる手術も進んでいた。


「君の猫かい?」


 ボロボロの子猫を治療する獣医が、マスク越しのくぐもった声でぶっきらぼうにそう訊いて来た。どうにも接し難いものを感じつつ、その質問に対して首を横に振ると、傷口の縫合をしながら渋い表情を更に渋くさせて話し始めた。


「そうか。じゃあ遠慮なく言ってしまうが、この子は助からない可能性が高い。それに、この治療の御代も然る後に払って貰う。誰か大人の連絡先を言えるか?」


 父が靴に突っ込んだ紙を取り出して渡した。その電話番号を控えて紙を返される。お金も渡してしまおうとしたが、それは拒否された。表情と声色は、これまでになく柔らかい。


「それは受け取れないね。おじさんもそこまで悪党じゃないよ」


 近寄りがたい雰囲気の獣医に気持ちを許したのは、その瞬間だった。全てが終わるまでを見届け、麻酔で眠る子猫の隣で自分も眠りこけた。


 治療費が後日請求されたのは父親から聞いた。そこそこの額で目が点になったらしい。子猫が無事に意識を取り戻した事も父親を介して聞いている。しかし、その猫と会う事はなかった。目を放した隙にゲージから逃げ出し、復興も何も始まっていない瓦礫の街に姿を消したのである。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 記憶にある限り、子猫が怪我をしていた場所を指先で探った。殆どが一致している。どうやら間違いないようだ。


「……お前なのか?」


 また、ニャーと鳴いた。証明出来る物はその傷跡だけだったが、嬉しさが込み上げて思わず抱きしめる。日なたのいい匂いがした。フカフカの毛並みとゴロゴロ鳴るのがとても心地いい。


「ウチに来いよ。贅沢はさせてやれないし、お前の方が先にあの世へいっちゃうかもしれないけど、それまで一緒に居てくれないか」


 今度は返事が無かった。代わりに、視線を合わせながら目を細める。それを承諾として受け取り、猫を抱いたまま足を進めた。


「野良でよく10年も生きてたなお前」


 父親には後で話すとしよう。新しい家族が増える生活を思うと、楽しみで仕方なかった。


「そうだ、名前決めないと」


 猫を見る。これといって普通の黒猫だ。よく居る野良猫と違って目ヤニもないし、尻尾も極端に短いなんて事もなく、健康状態は良さそうだ。


「色は黒いけどわき腹は縞模様があるな……ん~」


 何も思い浮かばない。自分のボキャブラリーの無さを悔やんだ。だが、シンプルに勝るものはないと考え、その名前を口にする。


「安直だけど……クロでいいか、なぁクロ」


「ニャ~」


 頭を撫でながら家路を急いだ。買い物は後にして、まずコイツの居場所を作ってやろうと思った。物置の段ボールを引っ張り出して丁度いい大きさにでも整えてみよう。


 街は復興を終え、昔以上の発展を見せている。あの事件の傷跡は全てが上書きされていた。そして今日、10年目の慰霊祭が行われている。そんな事があったのを、被害に遭いながらもこの地に住み続けている人達ですら、記憶から次第に風化させていった。


 だが、忘れてはいけない。あの時、市街地に上陸して自衛隊と米軍に倒された巨大生物は、手負いだったからこそ倒せた事。そいつを海の方へ押し戻そうと奮闘した結果、反撃で深手を負って蹲り、散り際の一矢を報いて闇夜に紛れ人知れずその姿を消した、もう1つの存在が居た事も。



 そして、脅威が再び迫りつつある事は、まだ誰も知らなかった。

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