攻撃準備
神奈川県横須賀市
朝になり、まだクロが帰っていない事に違和感を覚えた。餌は減っていないから戻って来てない事が窺える。トイレにも排泄の痕跡はない。
試しに家の外を一周するもやはり見つからない。その辺で寝転んでいるかとも思ったが、空振りに終わった。
「何所に行ったんだ……」
平屋の並んでいる敷地を出て、もう少し探す範囲を広げようとした矢先、近くに立っている防災無線から聞き慣れない音楽と言葉が流れ始めた。
『巨大生物出現情報、巨大生物出現情報。千葉県、房総半島に、巨大生物が出現しました。自治体、警察、消防の指示に従い、避難準備を始めて下さい。巨大生物出現情報、巨大生物出現情報。千葉県、房総半島に、巨大生物が出現しました。自治体、警察、消防の指示に従い、避難準備を始めて下さい』
咄嗟に体が動いた。家の中まで戻り、携帯を直ぐに着信の分かる場所へ置く。続いて押し入れの非常持ち出し袋を取り出し、中に予め忍ばせてある現金の封筒を開けた。中には万札で5万、千円札で5万の計10万が入っている。それの確認が済んだ所で、机の引き出しに入れてあった印鑑と通帳のセットを非常持ち出し袋の中に放り込んだ。
携帯のヴァイブレーションが着信を告げる。液晶には父親の名前が表示されていた。画面をスライドさせて通話モードに切り替える。
「もしもし」
『ああ。そっちにも防災無線が流れてると思うが、取りあえず町内会の避難誘導が始まるまでは家に居ろ。まだ避難準備のレベルだから時間はある筈だ。こっちは状況が落ち着くまでもう動けないから、何かあれば裏の木村さんを頼れ。いいな』
「家の権利書とかはどうすんの」
『んなモンはどうとでもなる。まずは生き延びる事だ。一応だが可能な限りは連絡が着くようにしておく。軽挙妄動するんじゃないぞ』
「了解。無事を祈ります」
通話を終わらせた。木村さんは親父と同じ業務隊の所属で、真裏の家に住んでいる4人家族である。この時間帯なら子供2人と奥さんはまだ家に居るだろう。何かしらお声が掛かるか、自分だけではどうにも出来なくなった時までは無暗に頼らない方がいい。
家を飛び出す用意が一応整った事で、手持ち無沙汰になってしまった。海外のように略奪が横行する酷い状況にはそうならないと思うが、まず戸締りをする。そして冷蔵庫を物色して生鮮食品の数を確認。もし家を出る時はこれ等を冷凍庫に収めないと酷い事になる。まぁ、家が消し飛べば何も意味は無いが、これは余裕があればやっておきたい。
続いて風呂釜に水を溜め始める。バケツや空のペットボトルにも水を汲んでおいた。自分だけなら3~4日はどうにかなると思う。
「テレビでも点けるか」
何か続報があればと考え、テレビを点けた。キー局はどれもこれも同じような放送を繰り返している。
『続いて先ほど発令されました巨大生物出現情報に関する続報です。巨大生物の出現した千葉県房総半島全域が、巨大生物出現事態基本法に基づく警戒区域の指定を受けました。当該地域では自衛隊が巨大生物の撃退行動を行うため、火器を使用する事となります。屋内退避は認められません。自治体、消防、警察の指示に従って、指定の集合場所へ移動し、直ちに警戒区域より遠ざかって下さい。また、この避難誘導は可能な限り迅速に行われますが、万一の場合は生命の安全を保障する事が出来ません。落ち着いて迅速に行動して下さい』
最後のは随分な物言いに聞こえるが、あの夜、頭上を巨大生物の吐く光線と砲爆撃が飛び交う中、避難誘導も継続されていた。だが炎の中で立ち往生したり、倒壊するビルの下敷きになったりで、多くの警察官や消防吏員が命を落としていた。
取り残された人たちは当然だが、助けに行く側も次々に死んでいき、結果として誰も望まなかった犠牲者が増えていったのだ。自衛隊の撃退行動も住民の避難が済んだ状態を想定していたため、このどうしようもない事態から思い切った攻勢に出れなかった背景がある。当時の内閣はこの件を重く受け止め、助ける側も助からない事が予想される場合は、現場指揮官の判断で行動を制限するように通達していた。
『こちらは横須賀市です。住民の皆さんにお伝えします。横須賀市全域に、警戒レベル3が発令されました。繰り返しお伝えします。横須賀市全域に、警戒レベル3が発令されました。該当される方は、直ちに避難を開始して下さい』
防災無線から新しい放送が流れる。高齢、障害者、乳幼児等に対する実質的な避難指示が出た。もし仮に巨大生物が光線を吐くような場合、その射程距離によってはすぐに警戒レベル4か、それをすっ飛ばして警戒区域の指定を受ける可能性もある。
『新しい続報です。たった今、千葉県いすみ市に出現した巨大生物に対し、海上自衛隊の哨戒機がミサイル攻撃を実施した模様です』
ニュースキャスターの手元へ新しい原稿が飛び込む。さっきのは口頭でだけの情報らしい。
ディレクターか誰かは知らないが、インカムを着けた人が映り込んで、キャスターに指先で何か指示しているのが見える。
『えー、繰り返しお伝えします。千葉県いすみ市に出現した巨大生物に対し、海上自衛隊のP-1哨戒機がミサイル攻撃を行いました。続いて航空自衛隊のF-2戦闘機が航空爆撃を実施。現状、巨大生物の進行方向及び速度に、変化は見られないとの事です』
その程度で倒せるなら、あの夜の被害はもう少し小さかった筈だ。1万人は無理でも数百人規模では、死者の数が少なくなっていたかも知れない。もしかしたら、母親と兄も助かっていただろうか。それとも、運悪く3人諸共に下敷きだっただろうか。考えても答えの出る事ではない。
『いすみ市には現在、陸海空自衛隊と在日米軍が集結中です。また巨大生物による有事へ対処するため組織された特別機動戦闘団が前面に布陣。各種の長距離火砲が投射された後、特別機動戦闘団による攻撃が行われるとの通達がありました』
ついにあの部隊へも出番が回って来た。この10年を備え続けた実力は何所までのものだろうか。
北海道の矢臼別演習場で行われている演習風景の動画には、装甲車が牽引する巨大生物を模した大きなバルーンを尋常ではない速度で包囲し、バトラーで頭部や指先を狙う正確無比な多重的行進間射撃の様子が記録されていた。
富士FTCには、戦国時代の走り櫓に似た全長の高い乗り物を作り、その最長部に特大のバトラーを設置した訓練機材がある。これで口から光線を吐きつつ動き回る巨大生物を想定し、バトラーのレーザーを掻い潜って設定されているHPをとにかく削り続けると言う訓練があるそうだ。
噂だが、そのバトラーのレーザーは射程数百メートル且つ数十メートルの範囲に及ぶらしく、しかもレーザーが通った場所は地形が変化する設定のため、そこを部隊が通る事は出来なくなる制約もあるらしい。
理不尽な存在に対処するために理不尽な訓練をして来たその実力。見届けられるだろうか。
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木更津駐屯地 特別機動戦闘団本部
悪夢としか言いようがない光景を見せ付けられた。動かなくなった巨大生物は姿形を変え、再び目の前に現れたのだ。この10年に渡って練り上げて来た様々なシミュレーションでも、こんな事は予想していない。
「……あんなのに我々の常識が通用するんでしょうか」
「地球上の生物なんかじゃない。違う世界から来た存在としか思えん」
「どうします。まだ誘導弾は半分も撃っていません。東京湾側の艦艇と合わせれば、相当数を撃ち込む事も可能ですが」
「3SQ及び厚木P-1部隊も補給を完了して再度集結中です。しかし、あんな事をされては撃つだけ無駄になってしまう可能性も」
幕僚陣も流石に動揺を隠せていない。だが十川はこの期に及んでも尚、冷静さを維持していた。
「……もしあの粒子化による変化を阻害出来た場合、中途半端な形で実体化する可能性は考えられないか」
十川の発言で幹部たちは脳をフル回転させて討論を始めた。あの体を形作っている物質を100%同じ質量で再形成させないとした場合、何が予想されるのか。想像でしかないが、今はこれに賭ける方法しか思い付かなかった。
「体の一部が欠損して再形成される可能性は高いと思う。腕の1本でも少なければ有難いが」
「いや、その質量で最適な形になるかも知れない。もう少し小さくなるんじゃないか?」
「待て。悪戯にあの体を作っている物質を分散させると、複数体が一気に実体化する可能性もあるぞ」
「そうなりゃ米軍を最大限アテにした戦法も取れる。裏で大陸と話しが付けば、日本海の空母をこっちに向ける事だって」
米軍。その言葉が十川の何か引っ掛かった。幕僚チームに各基地の状況を尋ねる。
「各米軍基地の動きはどうだ」
「三沢は沈黙を守っています。向こうはそもそもSEADが主任務ですから、こっちへ回すのは筋違いでしょう」
「岩国の艦載機部隊は全力で東進中。厚木と横田に分散して到着の予定です。海兵隊の方は守備を目的として待機の模様」
「嘉手納基地。第18航空団の1個飛行隊が続々と滑走路に集結中。対巨大生物有事を加味した安保条約に伴う行動のようです。第9航空団に対し、スクランブル等への協力を申し出ています。それと、これは某掲示板からの情報ですが、第82偵察隊の大気収集機が格納庫から出たとの書き込みがあるそうです。永田町の方には特にその旨が伝えられてないようですね」
「流石、抜け目ないな。落ち着いたら貨物機か何かを装ってどさくさ紛れに飛ぶつもりか。うちのオスプレイにも大気収集装置を積んである機体があるな」
表向きは全面協力を謳っていても、アメリカはアメリカで巨大生物の正体が気になるようだ。大陸の介入を阻止する戦力を整えた一方で、巨大生物の正体を探るための方法も何かしら用意していたらしい。
「燃料タンクの1部を改造して、こっそり収集装置に置き換えたのが4機あります。見た目は他の機体と変わりありません。対地支援用のロケット弾も装備していますから、攻撃時に混ざれば問題なく使用出来ます」
毒ガス等を吐き出す巨大生物を想定して技研と作り上げたものが、ここに来て役に立ちそうだった。しかしながら、再び実体化してしまった状態の空気中に、あの巨体を構成している物質がそれほど滞留しているとは思えない。
だが、全てを否定した行動はそれだけ可能性を潰す行為だ。やってみる価値はある。
「よし、大気収集機に関しては現地に裏取りを頼め。それと長距離支援を2波と3波に分ける。第2波着弾後、もしこれでもう1度粒子化する現象が起きた場合は、後方のHIMRSと第3波で同一地点を攻撃し再度の実体化阻害を試みる。同時に、大気収集装置を搭載したオスプレイを編隊に組み込んで、アパッチと共にロケット弾の掃射を実施。その際に空気中の成分も回収しよう。第2波で粒子化現象が見られない時は直ちに第3波を要請。目標を全力で叩く」
それなりに手段を用意してはいたが、ここに来て全てを引っくり返されてしまった。元々が得体の知れない敵と戦う事を目的とされた部隊である。これぐらいで参っていては務まらない。
「それと、仮にだ。第2波で完全に消え去ってしまった場合、厳戒態勢のまま同地点を固守する。各部隊も消失した地点を中心に広く展開。交替しつつ警戒を維持しながら様子を見る」
「見極めが難しそうですね。各種の支援をタイミングよく合わせないと、何もかもが頓挫してしまいます」
「備えすぎも良くない。ある程度は柔軟さが求められるさ」
幕僚チームも腹を括った。ここから先は一種、出たとこ勝負となる。十川自身、最後まで冷静に指揮を執り続けられるかは分からなかった。
無線機を掴み、攻撃発起位置で待機している部隊に作戦を説明する。
「主には説明した通りの動きになる。だが、場合によってはそれぞれの判断に任せる部分も出て来るだろう。一先ず、自分と仲間の生存を優先して頑張って貰いたい。以上だ」
「長距離支援の第2波を要請しました。第3波、待機中です」
「機動特科、HIMRS準備よし」
「航空部隊は稜線の影で待機。粒子化現象が起きた場合は第3波の着弾を待ってタイミングを見つつ前進」
お膳立ては整った。後は状況を見守るしかない。相手がどう出るか、その見極めも重要になって来るだろう。10年ぶりとなる巨大生物との戦いは、陸上戦力による直接的な攻撃が行われる段階を迎えようとしていた。




