#8 好きの基準
女の子と一緒に帰るということの重大さを知っている人間はどれほどいるだろうか。
たぶんチャラチャラしたモテ男にはわからないだろう。女子とともに歩を合わせ、ひとつの話題で声を重ねる。ふつうの会話とは更に違う。二人っきりで、同じ方向を見て、同じ風の匂いを感じて――それがやがて恋になる。
俺には幼馴染の女友達がいるけれど、それ以外と一緒に帰った経験はない。つまり、まさに今、俺は人生初のロマンスあふれる女の子との帰宅を経験するのである。
そうなっていたはずなのに。
まさかはじめての経験を嫌いなやつで味わうとは……!
「おまたせ、瀬奈ちゃん」
「おう……」
コイツ、にこにこ笑いやがって……。この笑顔と同じくらい軽いノリで俺の青春を潰したんだろうな。重罪を犯した自覚もないまま、一生気づかないで笑ってるんだ。
コイツのせいで……。コイツのせいでェ……!
「どうしたの? 変な顔」
「うっせぇ! もとからこんな顔だっての」
「その顔になったのはつい最近でしょ。あ、性別はずっと女の子だと思うけど」
「最後が余計だ!」
くっそぉ……。
結局こうやってイジられるままこの時間は終わっていくんだ……。
香音がどうにかするって言ってたくせに、それが発動される雰囲気もないし。こんな空気に夕日は似合わないって。
瀬奈が見上げた空はまだ眩しかった。夕焼けを感じさせつつ、夜は見えない。これからさらにロマンチックな空になると思うとやっぱり似合わない空だ。
「……きれいだよね。瀬奈ちゃんと見てるからかな」
「はい!? あ、空の話ね……。別に、いつ見てもきれいだと思うけど……」
「でも、例えば自分の好きな人と一緒に見る景色ってすごくきれいに見えるじゃん?」
「好きなやつなんていたことないからわかんねーよ……」
だって誰も男として見てくれないし。特にここ最近。
さっさとモテ期が来てくれればこんな体にならずに済んだのに。自業自得だけどさ。
「へー。瀬奈ちゃん、好きな人いないんだ」
「なに笑ってんだ。青春したいこっちにとっては死活問題だっての」
「青春、したいんだ? じゃあ今からしてみる?」
「ふぇ……」
それはどういう意味だ。
今からしてみるって――。は?
もしやコイツ、またイジってきてるな?
こっちが恋愛初心者だってわかった瞬間に調子乗りやがって……!
「お〜い! 瀬奈ちゃ〜ん、衣織ちゃ〜ん!」
一瞬の間の後、軽快な声が響く。
その正体は瀬奈が待ち望んでいた助け舟の香音だった。
「おっほー! お熱いねお二人ー!」
「なんで籠原さんがここにいるの……! 約束と違うでしょ!」
「にゃはは。瀬奈ちゃんが一緒に帰るとは言ったけど、そこにウチがいないなんて言ってないもん」
瀬奈は一瞬だけ安堵を感じたが、この二人が対面するとなぜか火花が散る。直接イジられるのも調子が狂うが、近いところでバチバチやられるのも居心地が悪い。
どちらにせよさっさと帰りたい……。
「ね、瀬奈ちゃんだって人数多いほうが楽しくていいでしょ?」
「瀬奈ちゃん! 二人っきりのほうが、その、いろいろ都合がいいっていうか……。そっちのほうがよくない……?」
俺に話を振るなぁッ!
これだとどっちの味方をするのか選ばないといけないじゃないか!
もちろん自分は衣織のことが嫌いだけれど、香音だってずる賢いから下手に同意したくないし……。そもそも嫌いな相手だとしても傷つける行為はしたくないし……。ここは……。
はぐらかすか――!
「ええっと……。人数が多いとか少ないは置いといて、なんか二人、仲悪くない……? どうあれ、俺は平和でいてほしいかな」
「別に、ウチは衣織ちゃんのこと嫌いじゃないけどね。衣織ちゃんが勝手にウチを敵対視してるってゆーか」
「違うの! それは、なんか私の邪魔ばっかしてくるなって感じて……。わかった、認める。正直、あんたなんて嫌い」
「邪魔って? 香音、衣織になんかしたのか?」
瀬奈の質問にさっきまで余裕綽々だった香音が言いよどむ。衣織もなんだか落ち着かない様子で、瀬奈自身もまずい発言をしたような意識に駆られた。
地雷発言――。そう、きっと二人の間には壮絶な関係があったに違いない。言うのもタブーになるような過去が。それを今、俺がほじくり返してしまったんだ。これはまずい……。
「もしかして二人、複雑な事情があったり……?」
「複雑ってより言いにくいだけかな。ウチは別にべらべら暴露しちゃっていいんだけど」
「それ! それが邪魔なんだって! 今日の体育だって、私のこと意識して瀬奈ちゃん取ったでしょ!」
「だってウチ、こういう色恋沙汰を近くで見るとゾクゾクしちゃって――」
「だぁぁああ! 瀬奈ちゃん、何も聞いてないよね!?」
衣織がタックルで興奮気味に語る香音を吹き飛ばした。
その絵面もハンパないが、バッチリ聞かれたくないらしい部分は聞こえていた。
はっきり、色恋沙汰と――。
「衣織、もしかして……」
「あぁぁぁぁ――! この、バカ籠原! あんたなんてバカゴハラよ、バカゴハラ!」
「にゃは、つい出ちゃって。でも早く言っちゃったほうがスッキリするって〜」
なるほど、二人の関係はなんとなく見えてきた。
仲良しというわけでもないが、いい感じに仲が悪くて良さそうだ。喧嘩するほど仲がいいを表しているかのような、そんな関係。
だから重たい空気は払拭された気がする。でも――。
気まずくないかッ!?
だってこの流れ、衣織が俺のことを好きってことじゃ……。さすがに香音も交えて、しかも真剣バスケ勝負までやって大規模なドッキリでしたなんてことはないだろう。
でも、まさかあの衣織が――。
「あの、衣織、はっきり聞いておきたいんだけど――」
「だ、だからぁ……。瀬奈ちゃん見た時から、その、一目惚れしたっていうか……」
神よ! こんな近くに青春があったのにごめんなさい!
まさか衣織が、俺のことを誰よりも男として見てくれていたなんて!
そしてごめん、衣織よ! 俺が変な気を起こしたせいで、君が好きだった男は女に……。
「私、そんなに男らしい男の子ってタイプじゃなくてさ。でも瀬奈ちゃんは女の子らしいし、実際女の子になっちゃったし。ひと目見たときからかわいかったのに、さらにかわいくなっちゃって。もうかわいさが天元突破しすぎて私の中では処理しきれなくなりそうな――」
「ちょっとストップ! お、俺の話してる?」
「うん。瀬奈ちゃんのこと言ってるけど……?」
「かわいいって?」
「かわいい」
なんだか嫌な予感がする。
もしかしてコイツ、俺のことを好きでも男としては――。
「お、俺のこと、なんだと思ってる?」
「最高にかわいい女の子」
「俺、かっこよくない?」
「かわいい」
なるほどなるほど。
男っぽい男は苦手だから女らしいのがタイプなのか。
それで、俺が選ばれたと……。女の子扱いは変わらないと。一生女の子扱いしたいと。
「そんなのお断りじゃあ――!」
ロマンチックな空の下、瀬奈は青春を自分から夜に投げた。