#22 ロールプレイなら怖くない
口。
それは人間にもある、動物が有する器官。
呼吸や飲食をする場所として生命維持に欠かせない重要な器官だ。
人はなぜかその器官に発声する機能をつけて言葉を出すようになったわけだけれど、もちろん口はひとつだけであり、発声と飲食を同時にすることは不可能である。
つまり、だ。
まぁ人にはいろいろ知られたくないことがあって――俺にだって隠したい秘密は何個もある。
そしてそれらを墓場まで封じる最大の一手は、口を食べ物で塞ぐことだった。
枕草子にもそう書いてあったし。
そう、つまりここで「いただきます」からの「今は口がいっぱいで話せません」のコンボをすれば、とりあえず修羅場にはならないんだろうなぁと。
俺はそうやってこの状況を甘く見ていた。
甘い恋とかなんとか言うけど、現実は甘くなかった。
テーブルに用意されるは、ハンバーグとかパスタとかいろいろで、そういえば自分は注文する間を与えてくれなかったなと今更ながらに気づいた。
え、いや、おかしいでしょ。
3人で来てるのになんですか。
君たち、自分らだけお腹いっぱいになろうとしてる?
俺は水で飢えをしのげってか――と、普通ならば不満だらけの謎空間だけれど。
もったいぶる必要もないし、ここでその真実を白状しようと思う。
かといって、打ち明けるのは恥ずかしいが。
あれだよ、あーんだよ。
よくある、ベタなやつ。
ああ、そういう点では現実も甘いのかもしれない。
ただそれが一対一なら確実に甘かっただろうが、現実はなんと一対二。
そしてその正体は凄まじい奪い合いだった。
「はい、あーん。あーん……ちょっ、食べてよせーちゃん」
「ふふん。瀬奈ちゃんは私のものよ。はい、あーん」
「いいもん、食べないなら強引にねじ込むから」
ねじ込むな。
とも言うことさえできない。
口を塞ぐことが秘密を隠す最大の手だと思っていたが、どうやら今は悪く働いてしまっているようだ。
いや、もう……。
ようだ、とか冷静っぽく言ってるけど、実際は結構ヤバい。
ペースがギャグ漫画だよ。
ラーメンどんぶりが横に20杯くらい積み重なってそうなペースだよ。
そんなわけで、このままでは窒息死しかねない。
片手で左右一人ずつを止め、ストップの意を伝えることにした。
そのうちに飲み込んで、水を一口。
ふぅ、飲んだら落ち着いたぞ。
でも、またさっきのペースが復活したら大変だ。
こういう時、なんて言えばいいかな。
あーんの後だからおいしいよ、とか。
二人に取りあいをされている中だから、気持ちは嬉しいけどちょっと待ってほしいな、とか。
おいおい、俺は逃げないぜ、とか。
どんな言葉が二人には響くだろうと考えて。
一番言いたいことは、やはりこれだった。
「殺す気か!」
ふざけんなよマジ。
肉の塊と麺で窒息死したら末代までの恥だわ。
つーか味わかんねぇよ!
違うもんいっぺんに入れてくるな。
そして左右から交互に来るから食いづらいんじゃ!
右見て左見てまた右見て左って――横断歩道でもせんわ!
一生分の首振りをさせる気か!
俺は壊れた扇風機か!
「あ、気と機で脚韻踏んでる」
「おいおい、説教タイムは君たちのことを逃さないぜ」
「せーちゃん今日も元気、言葉選びも本領発揮」
「なんだ。ラップバトルしようってか? あまり俺を舐めないほうがいい」
「YOYO! hey! チェケラ!」
「まったくもって何も言えていない!?」
そういうイメージあるけどさ。
YOとかチェケラ言ってそうだけどさ。
多分それを多用してれば成立するっていうのは違うと思うよ。
「チェケラはDJじゃなかったっけ」
「俺は詳しく知らないんだけど……」
「せーちゃん。あーん」
「待て。今こっちの説教をキャンセルしようとしたな」
ラッパーだDJだって話題をすり替えるな。
「えー。じゃあどうしろって言うのさ。こっちはせーちゃんの好物餌付け対決に必死なのに」
「え、俺、餌付けされてたの?」
「どっちの方がおいしかったか、瀬奈ちゃんには最後にジャッジしてもらうから」
「同じレストランのメニューなんだからどっちも同じクオリティの味なのでは……」
せめて手料理対決とかにするべきだろ。
いや、別にそれが食べたいわけでもないんだけどさ。
ただ、そんな繊細な舌をしてるわけでもないから、優劣がつけられない。
そこが困る。
「そういうわけで瀬奈ちゃん。食べて」
「それ必要か? 俺が自分の手で食べてもメニューが変わるわけでもあるまいし」
「あーん限定ルールなんだよね」
「赤ん坊か俺は……」
どうしてもと言うのなら、あーんスタイルもいいけどさ。
どうせ女の体だし、ただ女の子たちがイチャコラしている百合現場がここには広がっているだけのこと。
だから、自分の感じる異性の時の恥――すなわち、実は胸の内に秘めているちょっとした照れは、今は気にする必要はない。
だって同性だから。
見られても、別に普通の絆ある行動ってだけだから。
まぁ、俺が知らない人からの視線を気にする義理もないんだし、それよりも二人がやりたいことをやらせてあげたほうが機嫌はよさそうだし?
いや、なに。
食べ物をちらつかされ、それを待つように口を開け、食べ物を押し込まれ、一生懸命噛んでいる姿をじぃっと見られるだけのことさ。
自分よ、きっと「受けの姿勢」が恥ずかしいんだろ?
大丈夫大丈夫。
両端にいるのは召使いだと思いなさい。
えーっと、どちら様でしたっけ。
あぁ、クリスティーナとセバスチャンですわね。
久しぶりの食事スタイルでいきますわ。
これなら受け身というより、私が二人をこき使ってる図になるから恥ずかしくありませんわ。
さぁ、食べさせなさいな。
「はい、瀬奈ちゃん。あーん」
「んぁ」
「はい、そのままそのまま」
えーっと、誰だっけお前。
あれ、どっちをどんな設定にしたんだっけ?
クリスだったような、なんとかチャンだったような。
えっと……。
あぁ、一人はクリスチャンだった気がする。
じゃあ衣織をクリスチャンとする。
早くしなさいクリスチャン。
私のお口にそのブツをおブチ込みなさい。
顔だけ見つめて何もせずに腹が膨れると思ってるんかですわ。
「くく……」
ん?
なんだ今の押し殺すような笑い声。
クリスチャン、あなた笑いましたか?
――って、口開いてるから言えないんですけどね。
いや、笑ってる。
こいつ、明らかに口角が上がってますわ。
なんで笑ってやがるですわ。
使いの者として笑顔を忘れないことはいいことですわ。
私のお食事もその笑顔の華やかに共鳴しているように感じますの。
まさか、それとも、貴様……。
いやいや、そんなことありませんわよね?
私を見て笑っているなどと、召使いごときがそんなことをするなんてありませんわよね。
「ふふ……。ははは、口ちっちゃ」
「思いっきりバカにされてましたわ!」
なんだお前!
お嬢様舐めんじゃねぇでございますわ!
てめぇ、ふざけてると絞殺しますわでございますわよ!
そんなに処刑されたいのかしらですわでございますざます!
「ましたわ……?」
「あっ、いや、なんでもない……。とにかく、食わせるならさっさとしろよ、クリスチャン」
「私、無宗教だけど」
「あっ、セバスチャンだったか」
「えっ」
あら。
セバスティーナだったかしら。
どうもカタカナはいけ好かねぇざます。
「食べさせるならさっさと詰める。放置はなしだ、いいな?」
「オッケーオッケー。あーん」
おお、素直になりましたわ!
挽肉の塊うめぇですわ!
やっべー、もぐもぐ止まりませんわ……。
「ふっ、ふふ……」
ん?
おい、セバスティアーノ。
おめぇ、また笑ってんだろ。
声漏れてるし、口の形ぐっちゃぐちゃだぞ。
への字にしてみろよ。
W以上にぐにゃぐにゃになってんぞ。
うぐっ。
しかし飲み込まないと喋れませんわ。
しばし待てですのよ。
……………………。
……………。
……。
なかなかもぐもぐが終わりませんわ……。
……。
……。
……………………………………。
………………。
……。
「やっと終わった……。おい、あなた、何がおかしくて?」
「だって、瀬奈ちゃん、すっごい必死にもぐもぐ……ぶはっ!」
「思い出し笑いしてんじゃねぇ! どこもおかしくないだろ!」
「ごめんねー、もっとお肉小さく切って食べまちょうねー」
てめぇをぶつ切りにしてやりますわ!
くそっ。
食べるの遅くて悪かったな。
なんか飲み込む力弱いんだよ。
女体化してから特に。
「かわいいから、そんなに落ち込まなくていいよ」
「誰のせいだろうな!」
「ステーキ肉とかもっと食べられないんじゃない? そっちにしておけばよかったかな」
「必死に咀嚼する姿を見たいなんて、とんでもなくレベルの高いフェチだ……」
もぐもぐフェチ。
なんか、それをじっくり見るために食べさせられてると思うと気持ち悪いな。
というか、あれ?
そういえば、これ全部を俺が食べるのか?
「まさか。食べ切れるの?」
「いや、無理」
「でしょ。だから半分くらいは私たちがもらうってば。半分ならカロリー気にせず食べれるし」
日頃からそんなもの気にしてるんですか。
女性って大変なんだな。
セバスティアヌスは――もう衣織でいいか。
衣織はそんなことを言いながらも肉食を楽しんでいるようだった。
おいしそうに食べるなぁ。
あれ?
なんだ、なんか引っかかる。
おいしそうに食べるなぁ――これはいいじゃん。
え、本当にいいのか?
別に、まずそうに食べろってわけじゃないけれど。
でもなんだか気になるところがあるような……。
あっ。
フォーク。
ま、まぁ、主人の使った高貴な食器で食べたいと思うのは、召使いなら当然の気持ちかもしれませんわ……。
つーかそもそも気にしてなさそうだし、黙っておきますわよ……。
私たちは同性、気にすることは何もありませんわ……。
気にすんな、俺。




