#14 判決、早いうちに
恋は盲目なんて言葉があるが、なるほど、それはどうやら今らしい。
デートが不安すぎて授業がなにもわからんかった――!
こんな気持ちで日々を過ごしているのかと思うと、恋する乙女へ尊敬の念すら浮かんでくる――って誰が乙女じゃ!
いや、こんなくだらない一人芝居をしている場合じゃない。俺は衣織にテートの日を日曜日にしてくれと伝えねばならない。さすがに気持ちの整理がつかないまま、早速明日デートですなんてなったら死んでしまう。
なにせ初デート……。デート前には24時間の瞑想が必要だ。
衣織は放課後になればなにかひとイジりでもしてやろうと話しかけてくるはず。
帰り支度がもたもたしているふりをすれば、自然と衣織は近づいて来るだろう。
ゆっく〜りと持ち帰る必要もないのに教材をカバンに入れ、何度も確認しているのに忘れ物がないかと机を覗くふりをして……。
そうして数分が過ぎていった。
……来ない。
いくら待っても衣織が来ない。教室をよくよく見てみたら、そこに衣織の姿はなかった。てっきり別の用事か何かがあるのだろうと思っていたが、まさかもう帰ってしまったなんてことはないだろうな。
ふと横を見ると、理英が今まさに教室を出ようと目の前を通過した。
「なぁ、理英」
反射的に声をかける。
急いでいたのか、理英は体が少し前のめりのまま止まった。
「はへ? 瀬奈さんから話しかけるって、なんかレアっすね」
「お、おう……。考えてみりゃそうだな」
「それで、ご用件は? これから部活あるんで急ぎたいんすけど。なる早でおねします」
「あ、そうなのか。すまん、呼び止めちゃって」
「いえいえ。別に部の決まりじゃないんで。ここの化学部、チョー緩いっすよ」
理英は化学部に所属しているらしい。もちろん読みはカガクだが、理英はバケガク派のようだ。
本人の中では読みに対するこだわりがあるようだが、正直細かいことはよくわからない。
「んで、なんすか?」
「あぁ。衣織、見てないかなって」
「見てませんね。つーか、瀬奈さんのほうがめっちゃ仲いいんじゃないすかね。衣織ちゃんとは」
「そっか……。悪い。変な意味じゃないんだけど、理英って誰と仲がいいんだ?」
「ちょっと、陰キャなのはお互い様っすよ。ま、瀬奈さんは陰キャのくせに女子力パワーでモテモテでしたね」
女子じゃないが。
しかし、瀬奈が知りたいことの答えはそうじゃない。瀬奈の記憶の中で理英が誰かととても親しげにしている様子を思い出せないのだ。
かといって一人ぼっちの姿も見た記憶もない。
いつもどこで何をしているのか興味があった。
「理英って、ほら……いつも誰かといるところを見てないからさ。だからって人間性もそんな荒れてる気がしないし。ごめん、超失礼だったな……」
「うん、超失礼。でもあながち間違ってないっすね。私の友達は化学なので」
「化学が友達……?」
「――そっす。じゃあダチ待たせてるので失礼しますね。衣織ちゃんなら靴見るのが一番早いと思いますよ。変態っぽいっすけど」
「薄笑いで言うな。……ありがとな」
確かに靴があるかどうかを見れば、まだ帰っていないかどうかがわかる。
変態っぽいというのは――わざわざ他人の下駄箱を開けるのだから当然の見え方だ。小学校の時は下駄箱にロッカーの扉みたいなものがついていないタイプだったのに、なぜか成長するとロッカー型下駄箱に慣れていた。今日だけはロッカー反対派になってしまいそうだ。
瀬奈はしぶしぶ孤独に下駄箱へ向かった。
どうせならギャル子にも話を聞いておけばよかったと少し後悔を抱えつつ――でも名前わかんないしなぁ。
「お……」
下駄箱に行って正解だったとすぐに確信する。しかも運が良かった。変態的行為をやらなくて済んだのだ。
下駄箱の先の玄関、そしてその少し外に衣織の姿がある。学校の敷地以上、校門未満のところだ。
早速上履きから靴に履き替えて、衣織とデートの打ち合わせをしようと日差しの下に出る。
「あ、瀬奈ちゃん!」
衣織がその気配に気づき、瀬奈は驚愕の光景を見た。
衣織はわかる。衣織はわかるのだが――。
「せーちゃん、お疲れ様」
なぜ翠までここに――!?
来るなんて連絡はなかった。しかもこの様子だと、さっきまで二人っきりで話していたことになるんじゃないか。
「翠、どうしてここに……?」
「なぁに。いちゃ悪い?」
「そんなことはない……けど」
「けど? 衣織さんと二人っきりがよかった?」
なんだか翠は衣織のことを極端に敵視している気がする。もしかしてこの二人、喧嘩でもしていたのだろうか。それでも、さすがに翠が殴り込みのためにここに来たとは思えない。
となると……。
「八木原さんは私が呼んだの。実ははじめて会った時、連絡先とか交換しててね」
「な、なんで……」
「一緒にお話したかったから。できれば二人っきりで。だからごめんね、瀬奈ちゃん」
衣織は慈しむような表情で右手を瀬奈の頭に乗せてきた。右、左と小さく手が揺さぶられ、髪がその動きに合わせて揺れる。
「今日はこれで我慢してね」
「ちょっ、やめろ! そ、そういうこといきなりするのは違うだろ! なんか、もっと、あの……ずるいじゃん!」
「せーちゃん……衣織さんに撫でられて嬉しい?」
「翠、違うって! コイツが勝手にやってるだけで――その笑顔怖いからやめろ!」
効果音をつけるなら「ゴゴゴゴ」が似合うと思う。翠はそんな笑顔を浮かべていた。
この空間はダメだ。とてつもなく居心地が悪い。
衣織の王子様行為も地獄だし、それに嫉妬してる翠がいるのもまた地獄。さっさと要件を済ませてこの場から逃げよう。
「衣織、デートの日だけどさ――」
「あー、それね。明日にしようってさっき八木原さんと話しちゃって。空いてる?」
「に、日曜はダメですか……?」
「八木原さんは土曜日がいいって――」
「うん! せーちゃんはどうせいつでも暇なんだから、早いうちに行ってケリをつける! それで文句ないよね! ね!?」
「ちょっと怒ってる……? なんかゴメン」
「その気持ちがあるなら、明日でいいよね。 ね!」
瀬奈にはもう反対する意思さえ許されなかった。
24時間の瞑想が絶対に間に合うはずもなく、心の準備なんてものを置き去りにデート当日は顔を出す。
ある意味、ダブルデート。人生初のデートにしては、なかなか特殊すぎる気がした。