#11 あ〜ん狂は常識人
「瀬奈ちゃん、私がお弁当を食べさせてあげるわ」
「衣織ちゃんなんかよりカノンがやるから! カノン、瀬奈ちゃんのことなんでもお世話しちゃうよ!」
「私ならバカゴハラなんかより愛情のあるあ~んをしてあげられる。だからほら、口を開けて」
「カノンと瀬奈ちゃんは未来の夫婦なんだから。今のうちに共同作業して絆深めておかないとね〜」
「二人ともさ、気に入られたいならとりあえずこの腕を自由にしてくれよ……」
昼休みはお弁当タイム。瀬奈はそんな一日に三回しかない貴重な時間を満足に貪れずにいた。なぜなら後ろ手に拘束されているから。椅子の背もたれを囲うかたちで両手をテープでぐるぐる巻きにされている。おかげで自力では弁当を食べることができない。
なぜこうなったのかって? もちろんこの二人のせいである。もはやはじまりはどちらか忘れてしまった。今日の朝から片方が何か言えばもう片方が返し、挑発と余裕の見せ合いで火花を散らし、そしてそれが恋の対決だとクラスの全員が理解している。それを理解させるには十分すぎるほど二人の行動が大胆だったからだ。
俺はそんな二人に、たまにドキリと、たまにキュンとして、あとはだいたい鬱陶しいと感じていた。今とか今日イチ鬱陶しい。飯くらい落ち着いて食わせろ。
「なかなか食べてくれないわね」
「ね。これじゃあ勝負以前の問題になっちゃうよー」
「俺はエサやり体験にいる動物か! なかなか食べないどころかこの状況じゃどうやっても食べねーよ」
食事をするなら自分の手で、箸を持ってやりたい。今この瞬間、一番弁当をウマく食える方法はそれなのだ。あ~んは嬉しくなくもないが、恥じらいのほうが大きくなってしまう。
「ふっふっふー。ダメっすね、お二人とも」
その声は誰であろう、丸眼鏡であった。
丸眼鏡の他には『あ~ん狂』とか読んだりしているが、瀬奈に正確な名前はわからない。そういえば金髪ギャル子の名前も聞きそびれていた。
この丸眼鏡、あるいはあ~ん狂だが、その名の通り丸眼鏡をつけた女の子で、狂おしいほどあ~んが好きなのである。
「あなたは……葉加瀬さん!」
「おー、理英ちゃん! 座って座って〜」
「おい、俺の席をなんだと思ってるんだ」
しかし名前はおさえたぞ、葉加瀬 理英!
コイツ、俺のことを女の子扱いするい頻度はそこまでないものの、あ~んが心底好きらしい。なんど食わされたことか……。
「そういえば理英ちゃん、瀬奈ちゃんによくあ~んしてたよね」
「してましたね。まぁ、今となってはまったく興味ないですけど」
「興味ない……? え、もうあ~んしないってこと?」
「そっすね。言い方悪いけど、もう瀬奈さん用済みっていうか――」
香音と理英が話しているうちに衣織がこちらに身を寄せてきた。手を椅子に固定されているせいで身を仰け反ることもできないのだが、衣織はただ小声で聞きたいことがあるだけだった。
「葉加瀬さん、何か変じゃない?」
「変って、どこが……?」
「だって急に冷めたような言い草してるのよ? 最近、瀬奈ちゃんから見て葉加瀬さんの変わった部分ってない?」
「そんなこと言われても……。最近はあまり話すことすらなかったから――」
「前まではあったの?」
「あった。というか、これまでした会話は全部食事中にだ。アイツはマジで『あ~ん狂』だからな」
「なるほど」と衣織が考え込む。
確かに、衣織や香音とは違うタイプだとは思った。女体化前より行動が活発になった彼女たちと違って、理英はその逆。きっと心中を察してくれて、遠慮しているのだろう。
ようやく常識人を見た気がする。二人にも見習ってほしい。
「――わかったわ。葉加瀬さんは瀬奈ちゃんのことが好きだったのよ」
「衣織は恋愛脳だな……。そんなんじゃ、全員俺のことを好きになってるぞ」
「だって、女の子になった瞬間に興味が失せたのよ? これは瀬奈ちゃんのことを男性として見ていたに違いないわ……」
「好きって公言した人が俺のことを男性として見てくれないことに頭を抱えてるよ、今……」
しかし、以前はやるだけあ~んしておいて今となっては興味がないというのも少しむっとする。さすがにこんな都合よく自分を好きな人がホイホイ現れるなんてことはないはず。やはりこちらの顔色をうかがっているのか。
一応、この体になったのは未知の大病だとかなんだとかあやふやな説明を表向きにしている。裏にある本当の理由は因果応報だけど……。とにかく、そんな不幸そうなエピソードを表向きにしているから、一定数は本気で心配している人もいるだろう。葉加瀬 理英はそのうちの一人のはずだ。
「瀬奈さん、体調どうっすか」
ほらきた! 純粋に自分を心配してくれる常識人の存在に感動している――!
「瀬奈ちゃん、やっぱり葉加瀬さんは不安で仕方ないのよ。好きな人の体だから納得納得」
ならばお前も心配してくれ。
そういう形でチヤホヤしてくれても結果オーライだったのに。
「理英は俺のことを純粋に心配してくれてるだけだもんな。本当にありがとう」
「別に礼なんていいっすよ。こっちも好きで質問してるんだから」
「ほら、やっぱり好きなのよ! 恋敵……なんでこんなに多いわけ……!」
うるさいな、衣織ィ!
「好きで質問してる」ってあなたのことが好きだから質問してますなんて意味じゃないだろ!
「――つか、早くメシ食べさせてくれよ! もう生き殺しの状態で何分経過してると思ってんだ!」
「ふふ、元気そうっすね。瀬奈さん、体調悪かったら言ってください。力になりますよ」
「瀬奈ちゃん、私だって看病できるからね! そんなぽっと出の女に騙されないで――!」
「お、これそういう流れ? じゃあウチも瀬奈ちゃんになにかあったら駆けつけまーす!」
絶対違う……。理英は絶対に心配してるだけなのに……。
やはりこの二人の恋愛バトルはいろんなひとを巻き込む危険がある。その巻き込みは俺の青春どころか、平穏な日常さえ破壊するだろう。
ここは放課後、翠に全てを任せるしかない。どうするのかは聞いてないけど、とにかく頼むぞ翠――!