#10 親しき仲にもイジりあり
イヤホンをスマホに挿したら、もう心配はない。スピーカーにしてしまったらなんだか照れくさい部分があるが、イヤホンはそれの全てをカバーしてくれる。最強のグッズ。人類の叡智の結晶。
瀬奈はイヤホンを両耳に装着し、ある画面をタップしてからベッドの上に倒れ込んだ。
コール音が何回かループしてから、やがてその音が止まる。そして交代するかのように声が届く。
「やっほー。どうしたの?」
「突然ごめんな。翠に相談したいことがあって――」
男女の間で幼馴染という関係が成立するのはアニメやドラマの中の虚構ではない。ベタな恋こそないものの、幼稚園から小学校、中学校とずっと一緒だった。
残念ながら高校は俺よりももっと偏差値の高い学校へ行ってしまったから別だ。けれど、今もこうして突然電話するくらいの仲ではある。
もしこれが翠以外の女性だったら電話をかける勇気なんてない。変な緊張をせず、唯一近い距離感で話せる異性。それこそが幼馴染。
「俺さぁ、告白されたんだよね」
「せーちゃんが!? あのせーちゃんが!?」
「そんなに驚くかよ……。それで――」
「待って、わかったから当てるね。男子に告られたってオチでしょ」
「違うわッ!」
瀬奈のことをイジる人は今や衣織をはじめ、香音他クラスの女性と男性諸君もいる。そんな瀬奈のイジられ人生の中で、幼馴染である翠からは一番長くイジられていると言えるだろう。
名前から女の子扱いなんてものはそれまでなかったが、高校を入学してすぐにその話をすると翠も便乗しはじめた。もはや芸人のテンプレネタみたいに振ってくる。
しかし、幼馴染というのはここからが違う。いつもやられっぱなしの瀬奈だが、翠相手にならば気兼ねなくカウンターを出せるからだ。
「お前、つい昨日まで俺に女ができたとかなんとか言って狼狽してたくせに……」
「いや違うって! あては、てっきり危ない女の人に捕まったのかと心配しただけなの!」
瀬奈が女体化をした日の夜のことだ。
この体になって生活スタイルも変わるだろうということで、姉以外にも誰か頼れる人にこの事件を打ち明けておこうと考えた時。一番頼れるのは翠しかいないと思い、女体化をしたというメッセージと証拠の写真を送信した。そしたら返ってきたメッセージは「新手の詐欺ですか?」「うちのせーちゃんを騙さないでください!」というものだったなんて話。
「結局電話してようやく落ち着いたよな」
「だってせーちゃんが悪い女に拘束されて、スマホ奪われて、それであれを送信したのかと……」
「いやいや、それでも新手の詐欺ってなんだよ」
「医療費とか言って大量のお金を要求されるのかと……」
「高校生に頼んでもウン万円が限度だろ。そんなセコい詐欺ないって」
しかしながらよく考えてみれば信じられない話ではある。例えば突然翠から「男になった」なんてメッセージが来ても信じられないだろうし、イケメンの写真が来たら彼氏でもできたのかと驚くだろう。一概にあっちを責めることはできないかもしれない。
瀬奈が内心、このイジりはこちらにも非があるとして封印することを決定した瞬間――。翠はまだ反論を諦めていなかった。
「せーちゃん、弱いからさ。武の心得がある女の人とかにすぐ負けそうで――」
「おい、この話はもう終わりだ。カウンターのカウンターなんてずるいぞ」
「そんなことしなくてもハニートラップとかでホイホイスマホ渡しそうじゃない? 幼馴染は心配だよ、ホントに」
「いらん心配、ありがとうございますぅ……!」
「手出しされても優しいから反撃できそうにないし。せーちゃんのせは聖人のせだもんね」
「あ、あざっす……。いきなり褒めてきたな……。照れるんだが……」
「あぁー! 褒められるのにも弱いじゃん! 弱点多すぎるよこのチョロイン!」
「誰がチョロインじゃコラァ――!」
黙って聞いてりゃコイツっ! 自らの傷をえぐってでも俺にダメージを与えるなんて!
こうなったらカウンターのカウンターのカウンターを――ってなればもうこの話は無限ループだ。実際、やろうと思えば翠と無限に話せる気がする。
だが時間は有限。電話をかけたからには話すべき本題があって、それを話さねばどうにもならない。
「……本題、いいか?」
「ごめんごめん。告られたって話だよね、女の子に」
「そうなんだよ。だけど――」
「いいじゃん。付き合っちゃえば」
「待て待て! 話を聞け!」
今日の翠はよく喋るな……。別によく喋るのはいつもと変わらないが、なんだろうか。落ち着きがないというべきか。
「俺はその人をそんなに好きじゃないんだって。俺のこと、男として見てねーし」
「本気で女の子って勘違いしてたの?」
「そうじゃないけど……。中間みたいな? 付き合ってデートでもしてみろ、絶対女装させられる……」
衣織が心の底から女性しか愛せないのか、それとも男の好みとして中性的なのが好きなのかははっきりしていない。ただ、どちらにせよ瀬奈の理想とする青春とは違ったものなのだ。
「しかもなんか恋愛バトルみたいになってさぁ。俺を惚れさせる戦いみたいなのが勝手に始まって――」
「複数人に狙われてるの!? あっちゃー」
「本当に『あっちゃー』だよ。俺どうすりゃいいのかな……」
「うーん……。まずさ、せーちゃんは好きな人いないの? 狙われてる中で誰が好みとか」
「いやぁ……。誰かが一番いいってのはあんまりわかんないな……」
こちらは恋愛初心者。誰がかわいいとか誰が好みとか、正直よくわからない世界で生きてしまった。キザなセリフになるが、ぶっちゃけ言っちゃうと全員かわいいと思う。その答えは現実だと許されないが。
「じゃあみんなフっちゃう? これが一番公平かもしれないけど」
「それも……なんかかわいそう」
「せーちゃんさぁ……。恋を長引かせるのは優しさじゃないよ? 最初からないと思ったらさっさとフったほうがいいって」
「うがぁぁぁぁあ! でも、俺の勇気がッ! そんなん言うの無理だってば!」
こちらは恋愛初心者。適切な言葉も知らず、YESの返事もNOの返事もやり方がわからない。そもそも何を基準にYESとかNOって決めるんだ? どれくらい様子を見てから決めるのが一般的なんだ? 好きってなんだ……?
「幼馴染がどうにかしてあげよっか?」
「どうにかって、どうするんだ……?」
声しか聞こえない電話からでは、翠の顔は見えない。横になった瀬奈が見るのは自分の部屋の天井だけだった。それでもどうしてか、翠のニヤリと笑う顔が見える。
「明日、学校何時に終わるかだけ教えてよ。それでどうにかしてあげるから」