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Confesess-7 7

第七章


その朝、七時ちょっとすぎ、【交通事故の神様】と呼ばれる港クロス整形外科第一主任でである湯浅は、自宅で新聞を読みながら、くつろいでいた。

出勤は十時だが、早起きが日課であった。六時には起床をし、ルームランナーで軽いジョギング、半からはラジオを聞きながら一緒に体操をするという健康管理である。

子供は大学生になる女の子が一人いるが、海外留学中で妻とは二人暮らしであった。

「野党から激しい辞職要求、不信任案提出もか、岡川先生、本当に大変だなあ」

湯浅は記事に目を通しながら思わず、つぶやいていた。

岡川大臣との政治パーティーに顔を出したことがあったからだ。彼の地元、埼玉の人間であるし、政治志向の強い同僚の医師に、強く誘われたのが理由であった。パーティでは、岡川大臣が得意顔で将来の日本像について語っていたのが印象に残っていた。

その新聞の購読中、電話の音が鳴り響いた。こんな早朝にかかってくる相手は! 湯浅は思わずハッとし、台所で食事の用意をしていた妻も同様に複雑な顔になった。


「事故というのは、いつも、突然なんだ」

病院に到着すると、手術着に着替えながら湯浅はつぶやいていた。実は彼には、もう一人息子がおり、二十年前、五才のときに自動車事故でこの世を去っていたのだ。

目の前で息子が生と死の境をさまよっていても、当時、駆け出しの研修医ではあった彼には、どうしようもなかった。命を引き取るとき湯浅は思っていた。

〈ごめん、ごめんな、父さんに、まだ技術がなかったばかりに直せなかった。これから、父さんは、がんばるからな。見ていてくれよ〉

と決意すると、人一倍、医術の勉強や特訓をし、今のオペさばきを得たのである。

 その結果、交通事故の治癒率は八十%を超えるようになり、病院内の地位も給与も大幅にあがり、彼の下につく研修医も十人をゆうに超えていた。

 いつしか、人は湯浅のことを【交通事故の神様】と呼ぶようになっていたのである。

その湯浅の着替中、助手の一人が声をかけてきた。

「主任、今日のクランケですが、どうも、家族はいないみたいですね。容体も、話から見ると、助かるかどうかわからない状況ですが」

「それが、どうしたのかな。まさか君は!」

湯浅は助手をにらみつけた。彼は医者としての、使命感、倫理観が強いのだ。

医者だけには限らず、実際のところ、出世や名声を得るにつれ、最初に奉職したときの志を忘れる人間は多い。だが湯浅は、亡くなった息子の写真に毎日、語りかけているせいか初心を忘れることはなかった。今朝もその写真に、あいさつをして出勤をしていた。

一方、手術においての患者の死は、自分の築き上げた名誉の衰退を意味する。つまり、名誉を失いたくあまり、真摯になって手術をする、というジレンマにもおちいっていた。

 湯浅ににらみつけられた助手の方は、緊張したような顔をして弁解を始めた。

「いや、そんなことはないです。手術に同意サインをした少年課の女性の刑事が、そのように言っていたことを伝えただけで、他意はありません」

「それならいいが、決して楽をすることは考えるなよ。では行くぞ」

湯浅はそう言うとオペ室に入っていった。

オペ室では、いつものように麻酔処置を施された患者が眠っていた。

〈さてさて、どうなのだろう? ひどい、状態でなければよいが〉

 湯浅は手術シートをめくった。そして、横たわっている天美を見つめると、

「ほおー、思ったより、きれいな状態だ。うまく、トラックから逃げたのだな。しかし、骨折がひどい、やはり、ダメかも知れないな。しかし、やれることはやってみないと」

助手たちに答えながら、天美の身体をあちこち見回していたが、

「おや、こ、これは、まさか!」

、あることに気がついた。その天美の身体にある複数のものを見つめながら、

〈それに、この無駄のない鍛えた筋肉、きっと、受身も完璧だったのだろう。これは、もしかしたら、いけるかもしれない!〉

と思った。思わぬ感触を得た湯浅はオペの成功に手応えを感じた。そして、約四時間後、彼は、またしても大きな名誉を得た、という充実感であふれていたのである。


さて次は、患者の身内に対しての術後報告だ。本来は助手に任せてもいいのだが、湯浅本人がその任に立っていた。何かそのような心境になっていたからか。

彼は控室の前に来ると、浅い深呼吸をして、そのドアを開けた。

部屋の中には四人がいた。頭を抱え込んで座っている青年と三人の人物だ。中でも、背が高い女性の眼光は鋭く、射貫くように入室をしてきた湯浅を見つめていた。

〈きっと、あの怖そうな人が少年課の刑事だろうな。やはり、刑事さんたちの相手は苦手だよ。ここに、来なければよかったかな〉

湯浅は心の中で苦笑した。それでも、来てしまったからには応対しなければならない。

彼は、三人、特に刑事らしく見えた競羅を意識して声を出した。

「手術は成功です。何とか一命をとりとめました!」

複数の安堵の息が、その場からもれた。この瞬間は医師冥利としてつきるというか。

そのあと、湯浅は落ち着いた声で尋ねた。

「あなたがたは警察の方々ですね」

「いや、こっちは・・」

競羅は思わず反論をしようとしたが、十条警部はその言葉をさえぎった。そして言った。

「そうです。本庁一課の十条です。こちらは少年課の下上警部と、もう一名」

十条警部の対応に競羅は不満を持ったが、ここは、おとなしく我慢を、

「それで、ご家族の方は、やはり、いらっしゃらないのですか」

「患者は、この先のマンションで一人暮らしをしていました。身内はまだ外国です」

警部の言葉に湯浅は目をしばたいたが、すぐに口を開いた。

「外国? そうでしたか。そう言う事情でしたら、ある意味、合点がいきました」

「合点と申しますと何でしょうかな?」

「実は患者のお身体のことですが、二度ほど銃で撃たれたあとがあったのです」

「二度の銃創ですか!」

十条警部は思わず驚いた目になった。

「はい、一つは右の肩口ですが、もう一つは、何と心臓のすぐ上でした。傷口の方は両方とも完治をしておりますが、プロが見れば一目でわかりますので」

「そんなことが、あったのかよ!」

思わず競羅は声を上げた。

「あと、細かい刺傷もいくつか。これも、すぐにはわかりませんが、あきらかに多いですね。実際のところ、担ぎ込まれたときですか、状況から見て、ダメだとは思っていたのですが驚きました! おそらく、外国暮らしですか、きっと祖国で、幾度もあった過酷な経験が今回の危機をも乗り越えたのでしょう」

「あんたの腕もよかったのだろ。交通事故の神様、と呼ばれているのだってね」

「たまたまです。患者の生きることへの気力が勝ったのです」

「謙遜をするねえ。さすがというか。とにかく、まずは礼を言うよ。ありがとう。あんたがいなかったら、あの子は絶対に助からなかったよ」

「それで、天美ちゃんは、このあと、どうなるのです?」

日月警部が心配そうな顔をして尋ねた。

「今、術後の集中治療室に運んだところです。状況が回復しましたら、一般病室の方に移ってもらいます。患者には、色々と聞きたいことがあると思いますが、そのときまで、我慢をしていただくと助かるのですが」

湯浅医師の言葉に、十条、下上日月両警部は顔を見合わせたが、すぐに日月警部が

「わかりました。指示に従います」

「それで、退院は、いつになるのだい?」

競羅が、また質問の中に入ってきた。

「なにぶん、大きな手術でしたので、骨折が完全に治るのには三ヶ月は見てもらった方がいいでしょう。回復次第では、もう少しは、早くなるかも知れませんが」

「うーん、三ヶ月かよ」

「はい、そうです。今のところは、それぐらいしか申し上げられません。では、私は次がありますので、ここで、失礼をさせてもらいたいのですが」

「そうだね。これだけのことをしてくれたんだ。あんたも、しっかり休まないといけないよね。これ以上は、うまく言えないけど、感謝は最高にしているよ」

競羅は心から礼を述べていた。その態度に湯浅はにっこりすると、

「刑事さんもいい人ですね。さすが少年課の方だ。患者のためを思って、そこまで言ってくださるとは、医者を続けていて本当によかったといいますか。では、これで」

とドアを開け、丁寧に頭を下げて出て行った。


 湯浅医師が立ち去ると、すぐに十条警部が口を開いた。

「さて、僕も戻らないと、仕事があるからね」

「そうだね、術後の専用治療室に運ばれたみたいだからね、親族でない限りは、しばらくの間は会えないよ。こっちも帰るしかないね」

と競羅が答えたとき、別の声が、

「た、助かったんですね!」

高藤青年の声である。彼の目からは、うっすらとした涙が出ていた。

「ああ、そうだよ。助かったよ」

「本当に、よかったああ!」

「ああ、あんたの願いが通じたのだよ」

「それで、僕はどうなりますか?」

「わからないね。そのあたりは専門の人に聞いてみないとね」

その言葉に呼応するように日月警部が声を出した。

「ご苦労様、あなたも、今日は帰っていいわよ!」

「本当ですか!」

「ええ、被害者も命を取り留めたようだし、あなたなりに、がんばったからね」

「ありがとう御座います。では、会社の方は?」

高藤はお礼を言いながらも不安顔になった。やはり、それが気がかりなのだ。

「もちろん、きちんと言っておくわ。お宅の運転手は法例速度を守っていたから、落ち度はないと。ただ、被害者が大怪我をしたので、引き留めておいただけとね」

「それで、納得をしてくれますか。損害を与えたのですよ」

「わかった、もし、高藤さんに不利なことをしたら、警察が黙ってないとも伝えておくわ」

「助かります」

「それでは、あと保険の手続きはお願いね。人身事故だから、そのあたりのことは、きっちりしておかないとね。免許証は四、五点ぐらいは引かれるけど、その辺は我慢をしてね。若いのだから、こんなことに負けずにがんばりなさいね」

 警部は励ますように言い、高藤は深くお辞儀をして去っていった。

 青年がいなくなると、競羅が声をかけた。

「あんたも、いいところ、あるね」

「どう、おねーさんを見直したでしょう。それより二人きりになったね。ちょうどいい機会から、お話をしない、色々とあるでしょ」

「えっ、話をかよ。こっちは話す気分ではないことぐらい、わかっているだろ」

「それでも、きちんと、聞くところは聞かないとね。もうすぐお昼だから、食事がてらに、どうかと思ってるのだけど」

警部は壁に掛かっている時計を見つめながら言った。

「そう言えば、確かに昼だね」

「そういうことで、ここの食堂で食事をしながらとか」

「ここって、病院の?」

「三階に確か食堂があるのよね。院内の施設だから、競羅ちゃんのお口にはあわないかもしれないけど」

「そうかよ。食事といっても事情聴取が目的なのだろ」

「そうよー。でも食事代は経費では落とさないわ。と言っても心配しないで、競羅ちゃんの分は、おねーさんが出してあげるわ」

「それは、遠慮しておくよ。おごってもらうのだって性に合わないね」

「そういう、すねたことは言わない。おねーさんは悲しいわ。こんなこと言われるなんて!」

「もう、わかったよ。従うことにするよ。本当にあんたは変わらないね」

 結局、競羅はそう答えるしかなかった。

「では、決まりね。今から三階の食堂に行くわよ」


 港クロスの食堂は、都心の大病院だけあって、ちょっとしたものであった。

収容スペースは二百人ぐらいか、スーパー内にあるレストランのような感じである。

やはり、昼時だけあって、七割ぐらいの席は見舞客たちで埋まっていた。

「思ったより、騒がしい場所だね」

競羅が思わずそう声をあげた。

「お昼時だから、お見舞いの人たちも、くつろいでいるのでしょう。それに、騒がしい方がかえっていいわ。おねーさんたちの雑談だって聞こえなくなるから」

「それもそうだね。それに、ここは券売機方式か」

「そうみたいね。初めてだから、何にしていいかわからないけど、ここはAランチかな」

「そうだね。一番、真っ先にあるし、考えるのが面倒だから、それでいいよ」

競羅がそう答え、日月警部は機械にお札を入れて、二人分のAランチ券を購入した。

そのあと、二人は空いている席に座った。席に座ると競羅が口を開いた。

「それで、こっちに聞きたいことは何だい? まあ、おおよその見当はつくけどね」

 セルフで持って来た、お冷やを口に含みながら、

「ふーん、どういう見当かな?」

「ボネッカが、こんな目にあったことに、何か心当たりがないか、ということだろ」

「ピンポーン、大正解。実際のところ、どうなの? なーんか知っているでしょー」

警部が微笑みながら、じっと見つめてきた。かんぐっている様子である。

「そうだね、思いつくことなら、ないこともないかな」

「何かな、おねーさんには言えないことかな?」

「それを答える前に、ちょいと、こっちも言いたいことがあるのだけどね」

「言いたい事って、なーに?」

「だから、ある意味、今回の主役となった、あの子、いやボネッカのことだよ。日月さん、あんた、前からボネッカに目を付けているようだね」

「そう見える?」

「ああ、見えるよ。学校に行かせようとか、かなり、干渉をしていたみたいだね」

「だって、それがお仕事でしょ。少年課の」

「しかしね。高校に行ってない子は、ごまんといるよ」

「うふふ、あなたも、そうだったし」

 日月警部は答えながら笑っていた。

「だろ。だから、今更、あの子、いやボネッカに干渉する必要なんてないだろ」

「それは、ダーメ」

「なぜ、ダメなんだよ」

「今回の事件が物語っているじゃない。だいたい前だって、所用で、おねーさんのいなかったときに拉致事件があったみたいね」

「それは、そうだけどね」

「だから、そういう危険な目にあいそうな少女を、ほかっておくわけにはいかないでしょ」

「あれは、あんたの部下が、だらしなかっただけだろ」

競羅の反撃に、警部は少し考え込むような顔をしていたが、すぐに、

「確かに、佑藤、後の二人が非力だったことは認めるわ」

と答えた。そのあと次の言葉を、

「でも、もともと、そういう要因があったからこそ、事件そのものが起きたのよね。向こうに住んでいたとき、二度ほど銃に撃たれた、というあともあったようだし」

「確かにそうだけどね、だからと言って、学校に行かせるのは別問題だろ。今回だってね、あんたが、あの学校に行かせたから・・」

 ここで、競羅は言葉を止めた。少し、まずいと思ったからだ。しかし、今の話題では、そんなに心配することではなかった。

「何と言われましても、フラフラとしている子供を、学校に行くように指導をすることは少年課の仕事だと思っているわ!」

警部は胸を張って答えた。その態度に、競羅は大きな不満があったが、

「わかったよ。確かに、それが、ある意味正しいからね」

 と今は折れるしかなかった。自分の方も、色々と聞きたいことがあったからだ。


「それより、肝心な話をしないと、今朝の事故についてだけど、日月さんはどう思う?」

「どうって、たとえば、どんな事?」

「まずは、さっきの運転手だよ」

「心証では、間違いなく本当のことを証言していると思うわ。あのとき、おねーさんは注意深く聞いていたけど、最初聞いたときの証言と、まったく、食い違っているところはなかったし。競羅ちゃんこそ、どう思ったの?」

「一見、素直で素朴という感じだったね。事故を起こした罪悪感で震えていたしね」

「でしょう、そんな感じね」

「けどね、それだって、すべて演技だということも考えられるよ。警官の前で、今更、言うことではないけど、疑ってかからないとね」

その競羅の言葉に、日月警部は真剣な目つきになった。そして言った。

「確かにそうね。第一印象だけで人を見ると、やけどをすることになるから。でも大丈夫、きちんと確認を取っているわ。高藤さんは間違いなく陽明電気の運転手よ」

「会社自体はどうなのだい?」

「そこまでは、まだ調べてないけど、一応、会社四季報にはのっていたわ」

「のっているからといって、まともな会社とは限らないけどね」

「それは、そうなのだけど、もしかしたら、競羅ちゃんは、トラックの会社そのものを疑っているのね」

「ああ、ボネッカかを抹殺する計画を立てたとき、ああいう素朴な感じの従業員を使えば、深く追求とかされないと思ってね」

「計画ねー。だけど、そうなると、疑うべきところは別にあるでしょ」

「ひょっとして、女の子の方かい?」

「ピンポーン。どちらかというと、おねーさんはそちらの方を疑っているわ」

「確か、ボネッカを車道に突き飛ばした女の子って四才だってね」

「さすが、情報が早いわね」

「ああ、さっき、十条さんから聞いたからね。まったく、奇妙な事件だよ。そんな年の女の子が通りすがりの殺人を起こすとはね。そのときの記憶もないらしいね」

「ええ、肝心な本人は、まったく、そのときの事を覚えてないのよね。何度、聞いても、きょとんとした顔をしているだけで。みんなは目の前で人がはねられるという、衝撃的な瞬間を見てしまったから、ショックで記憶がとんでしまったのだろうと言っているけど」

「でも、あんたは、そう思っていないのだよね」

「正直言ってそうね。記憶が無くなってしまったことは仕方がないとは思えるけど、目撃者の人たちの証言からすると、かなり、おかしい状況なのよね」

「おかしいって、どういうことだよ?」

「いずれ、マスコミが嗅ぎつけてくるから話すけど、その女の子、仮にS美ちゃんと呼ぶけど、S美ちゃんは、トラックが横を通りすぎていこうとしたときに、あきらかに両手を突き出して、天美ちゃんを歩道に思いっきり押し出したのよ」

「そ、そんな状態だったのかよ!」

競羅は思わず声をあげた。

「間違いないわ。通勤時間だったので、大勢の目撃者がいたから。彼らはみんな、興奮した口調で同じ事を言っているの」

「どういうことを言っているのだい?」

「驚かないで聞いてね。証言によると、S実ちゃんと天美ちゃんの二人は公園前の歩道できょろきょろしていたの。端から見ると、どうも、姉妹が一緒になって、お母さんを探していたような感じだったみたいね。通勤中の人たちは、少しは邪魔になったと思うのだけど、ニコニコした顔で見ていたようだわ。ところが突然」

「そこで、事件が起きたのか!」

「そう。すぐ横を大型トラックが通り過ぎていこうとしたとき、S実ちゃんは、両方の手を前にあげて、天美ちゃんの背中を思いっきり、ドンと。あまりにもの出来事に、目撃者の人たちは、まだ夢を見ているような気分だったと言っていたわ。すぐに、人とトラックがぶつかる音がして、天美ちゃんは再び歩道に跳ね飛ばされた。みんな、真っ青な顔をして、携帯で警察や119番をしたという顛末だったみたいね」

「確かに驚くべき事だよ。トラックが横を通る、まさに、その瞬間に突き飛ばすとは」

競羅は答えながら顔をしかめていた。

「だから、おかしな事件というのか、普通、殺意がないと、そんな行動はしないよね」

「ああ、殺意がないとね。わざわざ、大型トラックが走って来るのを見て、車道に突き飛ばすとはイタズラにしては度が過ぎるよ」

「イタズラでそんなことをされたら、たまったものじゃないでしょ」

「ああ、そうだね。それで、捜査はどうなっているのだよ?」

「だから、S美ちゃんに状況を聞いてみたのだけど、さっきも話した通り、きょとんとした顔をしているだけなの。本当に自分が何をしたか、わかっていないようね」

「確かにそういう状況では、トラック会社より、うんと怪しいね。それで、そのS美ちゃんというのは、今どうしているのだい? 家族とも話しただろ」

「家族って言っても、お母さんしかいないわ。シングルマザーということで、S美ちゃんは今、母親の許可をもらって、警察病院で診断を受けてるわ。天美ちゃんの方も容体がよくなったら、そちらの方に移ってもらったらどうかしら」

「警察病院かよ。あまり、居心地のよさそうな場所じゃなさそうだね」

「だいたい、病院自体が居心地のいい場所では困るでしょ」

「ははは、それもそうだね」

競羅はそう笑っていたが、すぐに、真剣な顔に戻ると言葉を続けた。

「そういうことなら、まだ現段階では、事件の手がかりを得ていないということだね」

「だから、おねーさんとしては、今は、競羅ちゃんに聞くしかないの。どんな、些細なことでもいいから教えてくれないかしら」

警部は再び、競羅に同じ質問をしてきた。その態度に競羅は思っていた。ある程度のことは何か話さないと、この場は解放されないだろうなと、そして、確認するように言った。

「今、些細と言ったけど、どんなことでもいいのだね」

「むろんよ。事件に関係があるかもしれないのだから」

「別に隠すことでもないから言うよ。あの子、つい、また口に出てしまったよ、ボネッカだったね。そのボネッカに最近、ちょいとした環境の変化があったことだよ」

「どういう変化なの!」

「だから、さっき、思わず口に出しただろ。学校のことについて」

「学校?」

警部は首をかしげた。

「まだ、わからないのかい。あんたが、学校に通わせろと、とギャーギャーわめいたので、義兄さんが、ボネッカに通わせたという妙な外国人相手の学校だよ」

「えっ!」

警部は思わずそう声をあげると、宙をにらんだ。そして、そのあと切り返してきた。

「では、あなたは、ダーリンが手配をした学校が、事件に関係をしていると言うのね」

「そうだよ。とはいっても、ここは、一概には決めつけられないけどね、その可能性はあるということだよ。だいたい、あの拉致事件以来、ボネッカの身に妙な事は一度も起きていなかったからね。今回の事件は、その学校にかよい始めてから起きたのだよ。それに、あの学校、突然、閉鎖もしたしね」

その競羅の言葉に、日月警部は再び考え始めた。そして、結論が出たのか次の言葉を、

「競羅ちゃんの言い分は、よくわかったわ。一応、参考として心にとどめておくわ」

「参考かよ」

「結局、それしか、心当たりはないということね。しかし、本当に不思議な事件だわ」

「ああ、そうだよ。それで、あんたは、この先どうするつもりなのだい?」

「本当に、おねーさんって呼んでくれないのね」

警部はそう残念そうに答えると、言葉を続けた。

「あとしばらくは、この病院に残るわ。担当の医者から、もう少し、詳しい事情を聞きたいし。それが終わった後は、他の人に監視を頼むつもりね」

「他の人って、また、あいつらか」

 競羅は翔子、恭子の顔を思い浮かべながら言った。

「違うわ。もっと頼りがいのある部下よ。話を聞いたところ、競ちゃんあなたの・・」

日月警部が答えたとき、目の前の機械のランプが点滅し始めた。注文した料理ができたことを教えてくれる小型端末である。それを見た警部は、

「どうやら、料理ができたようだわ」

「では、こっちが取ってくるよ。おごってもらうだけでは悪いからね」

競羅はそう言って席を立った。結局、そこで話し合いは終わった。


下上警部の話を聞き終えた競羅は病院を出ると、約束通り数弥に電話をした。その数弥は、何かまだ、がちゃがちゃ言っていたが、競羅はそれを無視し、

「いいかい、こっちとしては、これで伝えるべきことは、すべて伝えたからね。あんたの方も、例の学校のことを、時間があったら、きちんと調べておくのだよ」

と一方的に言って通話を終えた。

 その数弥といつものやりとりが終わると、競羅は再び携帯の通話ボタンを押した。

 相手は私立探偵の御雪である。しばらくの通話音のあと応答の声がした。

「はい」

「あんたか、今朝、高校生ぐらいの女の子が、トラックにはねられたという話だけど」

「さようで御座いますね。かようなニュース、わたくしも目にいたしました。お子様同士のトラブルで、少女の一人が道路に押し出されたのでしたね」

「そうかよ。それで、そのニュースを聞いて、気になることはないのかい」

「現代の縮図と申しますか、大変、痛ましい事件です」

「そうかよ、確か現場は天神山公園から出たところだったね」

「さようで御座います」

「そこまで聞いて、頭に浮かばないとはね。あんたの親しい天神山の女の子をね」

「ま、まさかっ!」

相手の息を飲む声が聞こえた。その反応に競羅は言った。

「ああ、その、まさかだよ。あの子がトラックにはねられたのだよ」

「天美ちゃんが、また、どうして!」

「こっちが知りたいよ。おそらく、下手な尾行をしていたという、その元締めが動いたのだろうね。そいつの背後についてはわかったのかい?」

「さように、お話をたたみこられましても困ります。いま、わたくしは混乱を!」

御雪の言葉が乱れた。

「まあ、気持ちはわかるけどね。こっちも最初は、かなり驚いたのだしね。それで、あんたの方の調査は進んでいるのかい」

「現在、進行中です。さようなことより、天美ちゃんは状態はいかがなのですか!」

「死んでいたら、こんな話ではすまないよ。今、病院帰りだけど、さすが、運動神経のおかげというか骨折だけですんだよ。全治にはほど遠いけどね」

「よかったです」

「ああ、あんたも、気が向いたら港クロスに行くことだね。一応、伝えることは伝えたからね。それと念を押すけど、こうなったからには学校への調査の方しっかりと頼むよ」

御雪の通話を終えた競羅は、その電話を見つめながら思っていた。

〈これで、報告すべきところには報告したね。さてと、あと残ったのは、あそこか〉




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