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Confesess-7 17

第十七章


天美は警察病院に移っていた。事件から五十日近くはたち、身体の状態も快方に向かっていた。それでも、ひびが入った骨は完治していないので、身体に負担がかかる激しい運動等は、まだ行うことができなかった。

警察病院の病室はというと、意外にも外に面していた。囚人とかは逃げ出すことができないように壁の中に隔離をするが、警察官の家族用の病室は、そのような心配はないので、一般と同じように開放的になっているのだ。

その日は満月で、病室内を月の光が煌々と照らしていた。

その月の光の中、彼女は夢にうなされていた。夢の内容は前に入院したときのことだが、

 入院といっても病院ではなく、医療設備が少ないコテージで養生しただけである。

 前にベッドに伏せたのは、ある犯罪結社と対峙したときであった。ケシ畑に誘い込まれたあげく、その毒にあおられ、全身が一時麻痺状況になったのだ。

 そのとき、激痛と悪夢、幻覚に悩まされたが、リハビリによって回復ができた。

今でも彼女は、そのことを思い出すと身震いがする。それほどの出来事であったのだ。

「そうだったんだ。まさかと思ったけど、やはり、アトゥラスタはこの国に来ている、わったし襲った女の子は、アトゥラスタの秘薬の一つを使われたんだ」

 彼女は夢から覚めると、冷や汗をかいた状態でそう声を上げた。

〖アトゥラスタ〗この結社もまた、天美がセラスタ時代、対峙をした相手である。 国際的な暗殺団で、アメリカ大陸における、政府系要人の不慮の死のほとんどに、このアトゥラスタが関係していると言われていた。

 その成立は古く、古代エチオピア、ラスタ地方で発生した文明が、インド洋を経由して南米大陸に渡り、一文化を創り上げたときが起源であった。このアトゥラスタが、アメリカ大陸で本格的に活動をし始めたのは、十八世紀の中ごろ、インドから連れてこられた奴隷と、アフリカから連れてこられた奴隷が、ジャマイカ経由で融合したときである。

 目的は、あくまでも暗殺のみ。政治、経済には、一切、興味がないので表には出てこないが、天美には大きな因縁があった。ノチェスホェリアに滅ぼされた隠れ日本人村で、仲の良かった幼なじみ、海川我助が、この、アトゥラスタの一員となってしまったからだ。

そのため、彼女は、この結社の動向が気になるのである。

「やはり、今回のやり口、考えれば考えるほど、アトゥラスタの臭いする!」

アトゥラスタの手口は暗殺を第三者を通じて仕掛けることが多かった。

 結社用語で暗殺をフス、依頼料をビジェー、契約をリート、依頼人をクラメン、暗殺対象をオブメンと呼び、そして、その中に入る第三者をエクスメンと呼んでいた。

エクスメンはクスリによって、マインドコントレールをされてオブメンを仕留めるのだ。

 エクスメンになりうる人物は、主にオブメンを激しく恨んでいるときの場合が多いが、結社として面白みがあるフスは、オブメンのそばに、いつも付き添っている側近や家族、特にその子供を使うことだ。

今回、天美にとって身近な存在ではなかったが、子供を使ってきたのである。

 天美はつぶやいていた。

「これから、小さい子でも気つけないと、なんか、セラスタにいたときと、同じ状況になっちゃった。あと、アトゥラスタは、既存の施設に潜り込むっていう手段よくとるよね。特に宗教施設が多いかな」

その言葉通り、結社は進出のときには、第三者の設立した施設を使うことが多かった。あらためてアジトを作る必要はないし、潜り込みもしやすいからだ。

アトゥラスタのエージェント、仮称Xは日本に進出すると、すぐ、第二信徒に目をつけた。そこは、結社にとって非常に都合がいい施設だったからだ。

 第一の理由は新興宗教の法人、すべてはそうではないが、お金の力で動く世界である。

Xはある程度の金を使い、教団内での影響力を高めていった。その甲斐があって、わずか三ヶ月ぐらいしか経たないのに、末端信者の人事権を握る立場になったのであった。

次にXは学校に目をつけた。それが、今回天美が通うことになったフォリジン・レジゼンス・サポートスクールだ。

 Xはスクールの内情に調べているうちに、天美の存在に気がついた。

そのことを本部に報告すると、やはりというか、すぐさま、田野田天美ことコァンフェセス抹殺指令が下った。だが下ったといっても、いにしえからの結社の規律で、クラメンがいないとオブメンには手を出せないのだ。

Xは、そのスクールのオーナーをクラメンにするために説得をし始めた。と同時進行に、第二信徒の末端信者を、来るべきフスのために天美の監視役として使った。

 また、Xに結社のドンから新たな天美抹殺用ネーム、デネブが与えられた。

 デネブ。キグナス白鳥座の一等星、もともと星のネームは、天美が滅ぼしたノチェスホェリアの幹部たちがつけていたものである。

 その流れをくんでなのか、結社アトュラスタのドンは、天美と対峙するエージェントに対しては【星を継ぐ者】として星座の一等星名をネームして与えた。

今回は、クラメンの予定者が白取という人物のため、白とりという共通点で、白鳥座を象徴するデネブになったのであった。

そして、ついに説得が実ったのか、オーナーの白取はクラメンになることを承知して、ウォルを通してリートが行われたのである。

一旦、リートが決まると、その行動は早かった。決行日前日にエクスメンとなる対象を教会に呼びつけて、秘薬を使って天美抹殺の術をほどこした。

 エクスメン、さとみに術を施したのは、結社のエージェント、ベガであった。彼女は白鳥座の隣りの星座、こと座の一等星ベガからネームを取っていた。

今回こそ、フスは確実かと思ったが、またも失敗した。思わぬ人物、事故の神様のメス裁きにより天美は命を取り留めたのだ。

 そして、天美のつぶやき感想も続いた。

「宗教施設といったら、こないだまで入院してた病院、あそこもキリスト教が経営してるとこだったよね。まさかと思うけど」

実は天美のまさかは当たっていた。エージェントベガは港クロスにも手を回していた。友好団体からの派遣として入り込み、天美の息の根を留める機会を狙っていた。

 白取からの再リートがあり次第、フスが実行される手はずであった。目をつけた一人の看護師に秘薬を使って、天美を窒息死させるばかりの状況であったのだ。

 入院して数週間は、天美は瀕死の状態、もし実際にフスが実行されていたら、赤子の手をひねるようなものであったであろう。

だが、オーナーの白取総裁は大事になるのを恐れて、再リートをこばんだのだ。結局、クラメンを見つけることはできず、ベガはあきらめるしかなかった。

これには、大きな理由があった。結社アトゥラスタの源流は、先ほどの説明通り、古代エチオピア文明の時代だ。その時代から殺しの仕事を請け負っていたが、長い歴史の間には結社にとって不都合なことが、いくつかできてきた。

 そのため、西暦1200年頃に、いにしえの規約というのが定められたのであった。

 その一つに、フスの決行をしたものの命を取り留めたオブメンに対しては、フスの続行を一旦は中止し、あらためて、クラメンに依頼を確認することである。(当然、その規約を破ってフスを行ったものがいたら、それなりの処罰が待っている)

 だが、このような状況は、別に今回が初めてではなかった。セラスタでも、天美を仕留めきれなかった理由は、おもにそれであった。この、いにしえからの規律がエージェントたちの足かせになり、はからずも彼女の命を救っていたのだ。

何度、天美を仕留める機会を逃しても、結社の規律は変わらなかった。『今度こそ確実なクラメンを探してコァンフェセスにフスを!』というのを掛け合い言葉にして、その機会を待つしかなかった。そうこうしているうちに、彼女は日本に行ってしまったのだが、

下上警部は、そのあたりの空気を感じ取っていたのかまではわからないが、結果的には、天美を警察病院に転院させて、まずは、結社からの手から逃れさせたのである。


とそのときノックの音がした。それと同時に、

「こっちだけど、どうだい」

 声がした。朱雀競羅の声である。

「ざく姉なの、入っていいから」

 そして、競羅が見舞いの品物を持って入ってきた。

「思ったより回復が早いね。あと二ヶ月ぐらいで退院ができるのではないのかい」

「だといいけど」

「ああ、あんたも、こんな牢屋と似たような場所はごめんだろ」

「そんな、ひどい待遇でもないけど」

「何にしても、警察の施設ということは代わりがないよ。それより、少し顔色が悪いね。何かおかしなものを食べさせられたのかい」

「そんなわけないでしょ」

「そうかい、何にしても、しょせん病院食だからね。おや?」

 ここで、競羅は声を上げた。

「どうしたの?」

「ここに、かなりいいものがあるね。これは、マンゴーかい、おいしそうだね」

「あっ、それ、所長さんが持ってきたの」

「なんだ、御雪のかよ」

「それより、所長さん、来週から夜が忙しくなるみたいね」

天美のその答弁に競羅は次のように声を上げた。

「ああ、そろそろ、その時期か」

「ざく姉、知ってたの?」

「むろん、知っているよ。あれには、ここ最近、毎年手伝わされたからね」

「そうだったんだ」

「ああ、御雪の自宅がある場所は、世田谷でも一等地だからね。この時期になると犯罪が多くなるといって、地元の人たちが自警団みたいなものをつくって見回るのだよ」

 その見回りは一人では危険なのでペア以上ということになっていた。御雪は相棒に競羅を指定した。競羅も色々と理由があって、今までは断れないでいたのであった。

「今年は、いかなくてもいいの」

「ああ、そうだね。代わりに磨弓を推薦しておいたから」

「磨弓さんか。確かに、あの人なら頼りになるし大丈夫だよね」

 天美は答えながら笑みをもらした。磨弓という女性は、以前に競羅と横渡巡査長、二人の会話にも出てきた朱雀道場副長であるコママこと玄武磨子の娘の名前だ。かなりの武術の達人で、朱雀道場、青年部のナンバー1で団体戦の主将でもあった。

 そして、競羅は言葉を続けた。

「ああ、そういうことだよ。それより、もう、そんな話はどうでもいいだろ。こっちは、色々と話したいことがあるのだから」

「話したいって、やはり事件のこと」

「そうだよ、今、話すとしたら、それしかないだろ」

「まあ、そうだけど」

「おや、そんなに乗り気ではないみたいだね」

 競羅は天美の様子を見てそう言った。確かに、天美は事件のことを、あまり、話したくない様子であった。

その理由は、天美側とすれば競羅を危険に巻き込みたくないからである。現在、日本にで天美を狙っているアトュラスタは、まともではない結社。やはり、知らぬが仏、状態にしていた方が競羅にとっても安全だからだ。そして、天美は言った。

「そういうわけでないけど、やはりまだ、詳しいこと思い出せないの」

「確かに、まだ後遺症が残っているかもしれないからね。わかったよ、まだ本調子になってないことは、事件の話はまた今度ということでね。無理をしてはいけないよ」

 競羅はそう言い残して病院をあとにした。


 ここは、某国の某機関の資料室だ。資料室といっても書籍が図書館のように陳列されているわけでもなく、ただ、数台のコンピューターと棚があるだけである。

 棚には数万というマイクロフイルムが収納されており、厳重なパスワードによって、その内容が閲覧できるようになっていた。

 この資料室の中に二人の人物がいた。下上警視正と自称エミールと呼ばれる人物である。

下上警視正は某国に入り数々の情報をつかんでいた。

 学校の影のオーナーが白取ということは当然として、その白取が日本で行っている売国行為はすべて握っていた。また、アトゥラスタという結社が日本に潜入し、その手口はもとより、天美殺害を企てたことも、おおむね把握していた。

 ひと操作を終わり、くつろいでいる警視正に向かってエミールが声をかけてきた。

「ムッシュ下上、今日でお別れですね」

「そうです。だいぶ、情報が集まりました。感謝をします」

「よかったですね。帰ったら娘さんに、パパは大きな仕事をしたよ、と胸を張れますね。もっとも、ここでの仕事や内容の事は、めったな場所では公言ができませんが」

「では、そろそろ、最後の仕上げとするか、結社の方も把握した以上に、日本にエージェントを送り込んでいる可能性もあるからね。一つ、中米の要注意人物を見てみるかな」

とつぶやきながら、コンピューター画面をのぞき込んでいた。

 そして、気になったことが出てきたのか、警視正はエミールに声をかけた。

「エミール君。エルドール・カーネスと言えば確か、セントロの狂鬼と呼ばれて、メキシコ、いや中米の麻薬組織も手を焼いている男だったかな」

「そうです。超一級麻薬テロリストです」

「何と驚くことに、日本に入国した形跡があり、とここに表示されているのだけど」

「そうなんですか。ちょっと見せて下さい」

 エミールはそう言うと、下上警視正と操作を代わり、キーボードをカタカタいわせていた。そして、突然声を上げた。

「おやおや、これは!」

「どうしたのですか?」

「ここに、ハーメール・イネランとありますね。こいつも、日本にいるみたいですよ。同じく入国の形跡があり、という場所に要注意マークがついてますから」

「イネランと言えば、イスラム大王党の頭目か。そいつも日本にだって!」

「そうです。そういうことになってます。出国をしていませんから、まだ日本にいますね」

「本当かよ。それは」

 警視正は声を出しながら思っていた。

〈アトゥラスタだけではなく、超一級テロリスト二人が入国していたとは! 公安いや、うちの上のものは、これらの情報を得ていたのか? もしかして、まったく、つかんでいなかったのか? これはやはり、情報を確実に集められる機関を創らないと、わが国は危ないな。そのためには、課長ではなく、もっと上の立場にならないと〉

 そして、警視正はエミールに向かって声をかけた。

「それで、二人はどこにいるのです?」

「都内の中心部のようです。そこからあとは手がかりが途絶えています」

「地下に潜ったのかな」

「残念ながら」

 エミールは気の毒そうな顔をして答えた。

「参ったな、それで、こいつら、二人は組むということはあるのですか」

「変なことを聞きますね、この二人が一緒になるなんて」

「でも、そういう可能性だって考えないと。物事は最悪なことを想定しないといけないから。どうなんです? この二人が組むということはありえるのですか」

 エミールは少し考え込んでいたが、やがて、次のようなセリフを、

「ないとは、決して言えないでしょう。両名とも秩序の破壊という信条を持っていますから。ただイネランの方は絶対的世界観にアラーが含まれていますので、そこのところが最終的に決裂すると思います」

「なるほど、それでカーネスの方は?」

「彼は無神論者といいますか。この世の神という存在を完全に否定していますから。イネランという狂信者とは相容れない存在でもあるのです」

「つまり、二人が出会ったら、いずれ衝突をするということかな。待てよ」

 ここで、警視正はとても重要なことを思い出した。それは天美の証言だ。もとはといえば、この証言の出来事が始まりで、今回の事件が起きたのだ。

 意を決した警視正は、自分の頭に浮かんだ想像をエミールに相談した。

 話を聞いていたエミール、しばらく思考をしていたが、やがて、真顔で次の言葉を、

「ムッシュ下上、その、あなたの潜り込ませた協力者は、信用がおける人物なのですか?」

「むろんだ、だから、アトゥラスタという結社に殺されかけたんだ!」

「アンチアトゥラスタのことに狙われたとなると、これはもう当たりですよ!」

 エミールは答えながら興奮をしだした。そして、そのまま、

「ムッシュ下上、これは凄いことですよ。早速、上に報告をさせていただきます。まだ、枝の方は彼らがこの世の中からいなくなったことを知らないようですから。いやあ、あなたの情報、本当にありがたいです。ここに来てもらって、よかったです。ですが」

 エミールは白い歯を出していたが、すぐに、真剣な目になった、そして、

「この情報、わたしは、今すぐに報告をしなければなりません。電話という手段は使えませんので、直接報告をしに行くことになるでしょう。となりますと、この部屋は! あなたもご存じの通り、この部屋は、必ず二人以上で入室することになっています。もし一人になりますとセキュリティ上・・」

 そのエミールの、残りの言葉を知っていたかのように警視正は、

「わかっています。一人になると防犯装置がうごくのでしたね。私も、最後の確認に、この部屋に入っただけですから、用事も終わりました。一緒に出ましょう」

「助かります。近いうちに、是非、また訪問をしてください。では、これで」

 極秘資料室から出ると、エミールは満面の笑みを浮かべて立ち去っていった。警視正も、

「いよいよ帰国だ。これだけ、ことがあると、娘の誕生日が終わったら忙しくなるな」

と、自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。


 そして、二日後、東京、稲城市の一軒家、その家の中で、

「今日は萌の誕生日、朋昌君も参加できるということだし、本当に楽しみだ」

一人の男性が浮き浮き気分でつぶやいていた。男性は中本晋吾、六十六才、髪が半分しらみがかった男性だ。 とある会社の役員であったが、今は退職して悠々自適の生活である。

現在は、年老いた母、なえとの二人暮らし、とは言っても母の方は、家から、少し離れた場所に建っている大きな老人施設に入院中の状態である。

 子供は嫁いでいった警察官の娘が一人、妻は七年前に病気で先立たれていた。だが、決して寂しくはなかった、娘夫婦の仕事上、孫の面倒をときおり頼みにくるのだ。

 先祖から引き継いだ土地がある程度あり、生活には困っていなかった。むしろ、その土地を税制上、畑として維持していくためには会社に行く余裕はなかったぐらいだ。

 妻の死、そして五年前、畑の作業中に脳卒中で倒れた父の看病を理由にして、六十一才で会社を退職したのであった。

 父は会社の退職後すぐにこの世を去ったが、偶然というか、その四十九日の日に二人目の孫が生まれた。当時は母も元気で、仕事上、産休が取りづらい娘の代わりになって、新たに生まれた孫、萌の面倒を見ていた。娘も、「おばあちゃん、おばあちゃん、お願い!」と手を合わせて頼ってくるので、ほぼ毎日のように萌を預かっていた。

 萌も、母なえに「なえばあちゃん」と言ってなついていた。母は、なえと言う名前の通り近くの農家の娘であった。

 だが、普通の農家ではなかった。豪農とも言える一族か、眷属には近くに、歯医者、内科を開業したのもおり、母が入院している老人施設の経営者も実家がらみだ。

その一族は、保育園も経営していた。娘夫婦も仕事上、なかなか手が離せないということで、話し合いの結果、萌は稲城に預け、そこの保育園に入園することになったのである。

だが、母のなえも高齢、つい最近、大きく体調を崩してしまった。施設に入り、萌の面倒も見ることができなくなってしまった。

かといって、娘の住まいは世田谷の住宅地、簡単に次の保育園は見つからなかった。

 萌としても、四年間通った園を去るのは抵抗があり、話し合った結果、小学校に上がるまでは今の保育園に通い、その面倒を晋吾が見ることになったのである。

晋吾としても、これからは時間を自分のためだけに使うわけにはいかなかった。母の看病は一族のものが見てくれるが、萌を娘が保育園に送り届けることができない日には、彼が代わりに世田谷の家までいかなくてはならなくなったからだ。

 迎えも同様だ。ほとんどの場合、それは晋吾の仕事であった。保育園に迎えに行き、しばらく家で預かり、親の在宅を確認すると世田谷に送り届けるのであった。

 晋吾は運転好きの性格であったので、その間のドライブは苦にもならなかった。かえって、孫の喜ぶ顔を見ることができるので楽しんでいたぐらいである。

 また、両親とも仕事上、面倒を見ることが難しいときは、萌を、この稲城の家に泊めていた。現在、まさに、その状況である。

〈何か朋昌君、より重要な場所に配置されるみたいだなあ。まあ、わしらには関係ないことだが、孫と一緒におれるということは悪い話ではないな。おっと、もう三時か、今日は七時前にパーティということだから、いつもより早く迎えに行かないとな〉

そう思った晋吾はカギをかけて車庫に向かった。

車庫には車が三台収納されていた。農業用の白い軽トラック、一千万近くの国産ビークル、そして、もう一台はドイツ製のコンパクトカーであった。

晋吾は、そのドイツ車に乗って保育園に向かった。

 距離にして五キロぐらいか、ほどなくして車は親戚の経営する保育園に到着した。

 次の行動は、いつも同じである。園の中に直接に入っていく母親がほとんどであったが、晋吾はその行動を横目に見ながら門に設置されているホーンを押した。迎えに来たことを告げるためだ。ほどなくして、萌が保母さんに連れられて歩いてきた。

「おじいちゃん!」

 いつも通り萌の明るい声がした。晋吾にとって至福の時間だ。

 あとは、家に帰るだけだが、今日は違っていた。萌の誕生日なのだ。帰りにおもちゃを買う約束をしていた。

車は街中に向かって走り大きなショッピングセンターに着いた。スーパーはむろんのこと、大型電気店、スポーツ店、レストランが連立する郊外にありがちなモール地帯だ。

 駐車スペースは千台は超えていた。晋吾はできるだけ歩かなくてもいいように、店内入り口の近くに車を止めることにした。

 平日なので、それほど満車ではなく、駐車スペースは簡単に見つかった。

 外に出て、彼は思わず声を上げた。

「ひさしぶりにきたが、本当に大きな店だ」

むろん、最初から、この場所には、こんなに大きなショッピングセンターはなかった。確か、何かの大きな工場でだったはずである。

とにもかくにも、晋吾は孫を手に取り、ショッピングセンターの中に入った。エスカレーターで三階に登ると、おもちゃ売り場に到着した。

 こういう場所にありがちの、ちょっとした大きさのおもちゃ売り場だ。

晋吾は再び目を丸くした。ある程度は想像をしていたが、規模はその上をいっていた。

「まるで、おとぎの国だな」

 彼は思わず感嘆の声を上げた。そして、孫に手を取られ売り場の中に入っていた。

 中も彼にとっては迷路のようなものであった。それだけ商品が多いのだ。子供たちには当たり前だが、彼にとっては聞き慣れない電子音が、いろいろな場所から発されていた。

〈いやはや、大変なところだ〉

 晋吾が店内を孫に手を引っ張られて歩いていると、幾人かの人にすれ違った。時間にしてほとんどが主婦か、そしてまた商品カゴを持った女性とすれ違った。

相手の持っていた商品カゴが、右手の甲に触れた。そのとき、かつんという感覚とともに、少し物が当たったという痛みが、ほんの一瞬のことだが、

〈やれやれ、当たってしまったか、気をつけないと〉

 晋吾はそう思いながら歩いていた。それから、一分ぐらいたったときであろうか、突然、めまいがしてきたのだ。頭はクラクラし、電子音がガンガンしてきた。気分も悪くなり、これ以上は立ってはおれない状況である。

「こりゃいかん」

 彼はそう声を出し、すぐに、売場から少し入った場所に、小さい子供用のブロック遊びスペースと、その保護者用の休憩ソファがあったことを思い出した。

 そして、萌に向かって言った。

「おじいちゃん、気分が悪くなってしまった。少し休むけどいいかい」

「いいよ。やっぱり、お年だね」

 萌は笑いながら返事をした。

「あとは、店の人にたのんでおくからね」

 晋吾は答えるやいなや、入口に向かった。そして。レジにいた女の店員に状況を告げると、駆け込むようにソファに向かい腰を下ろした。と同時に急激な眠気が襲ってきた。彼は、そのままソファで眠ってしまった。


 それから、数十分ぐらいは過ぎたであろうか、

「おじいちゃん、おじいちゃん」

小さい女の子の声がし、彼は薄目を開けた。すると、目の前には萌が、

「ようやく起きた。さっきから、ずっと起こしていたのに」

萌の顔は笑っていたが、少しは不満そうである。そして、その萌の手には、ブリスターパックに入ったおもちゃが、

「そ、それは?」

「これが、買ってもらいたいものよ」

 と萌が上機嫌で見せたのは、ピンクと黄色のツートンカラーで、タマゴに羽が生えたような形の電子機器だ。おしゃれな数個のカラーボタン、ハート型の液晶画面が大きく目をひく、いかにも子供が好きそうな筐体であった。

「なるほどこれか、きれいなものだな」

 晋吾は声を出しながら、ブリスターパックを見つめた。パック自体も厚紙に女の子キャラが印刷された、しゃれたものである。

「でも本当によかった、これが売っていて」

萌は満足そうな声を上げ、それに、反応した晋吾、

「どういう意味かな?」

「だって、人気がありすぎて、どこでも売り切れって聞いてたから」

「ほお、そうなのかい」

「萌、手に入ってラッキーだと思っているの」

「そんなに、すごいものなのかい」

 晋吾は思わずそう尋ねた。その質問を待っていたかのように萌は、

「そう、×××の変身アイテム、それも主人公の○○○の・・」

 萌の言っている意味は、晋吾にはまったく通じなかった。ただ、主人公の変身用道具が見つかったというぐらいのことしか。

「でも、よく見つけることができたね」

「萌じゃなくて、親切な店員さんが奥から持ってきたの。何を買おうか悩んで、うろうろとしていたら声をかけてくれて」

「ほお、そんなことがあったのかい」

「だって、おじいちゃんが頼んだのでしょ。あとの面倒を頼むって」

「そ、そうだったかな」

「それに店員さん、すごく親切にしてくれたよ、今日が誕生日だって言ったら、おいしいジュースも飲ませてもらったし。面白いお話もいっぱいしてくれたし」

「それは、よかったな」

晋吾は目を細めて答えた。

「とにかく、これ、すごく、気に入っているから、早く買ってね」

彼はそのまま目の前のレジに商品を持って行き、会計をすませた。

「四千七百三十円か。まあ、こんなようなものだな」

 そして、そうつぶやくと、孫を手に取り店をあとにした。その後ろ姿を微笑みながら見つめている人物がいた。萌の相手をした女店員であった。



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