Confesess-7 13
第十三章
しばらくは何も起きなかったが、ある日、大きな事の動きが、
「なんだよ、一体、どういうことなのだよ!」
競羅は、その日の朝、突然の成り行きに思わず声が出るほど驚いていた。朝といっても起床が遅く、午前九時を回っていたが、そのとき見たニュースで衆議院の解散が、今から一週間もたたないうちに決まりそうになっていたからだ。
早速、彼女は数弥に連絡を取ろうとしたが、その通話は珍しくつながらなかった。突然の情報に新聞社のなかも大騒ぎなのであろう。
競羅は、次に御雪に連絡を取ることにした。こちらの方は、すぐにつながった。
「競羅さんですね」
御雪の声がした。
「ああ、こっちだよ。何かとんでもないことになったね」
「もしかして、解散のことでしょうか」
「そうだよ。任期満了まで、あと一ヶ月以上はあるはずだろ」
「さようでございますが、あくまで任期満了ですので。もともと、衆議院というものは、首相の決断で、いつでも解散できるようになっております」
「それぐらいは知ってるよ。でも、満期まで待てなかったのかい」
「わたくしは政治のことは、あまり、詳しく御座いませんので、ですが、テレビによりますと、与党側の奇襲ということですね。五日後の六日に解散をいたしまして、告示は十三日、選挙は二十五日の日曜の予定です」
「選挙期間は三週間ないのかよ」
「さようで御座います。投票日は解散日から十九日目ですね」
「しかし、早いね。そんなことができるのかい。いや、できるからこうなったのだけど」
「告示日から選挙当日までは、公職選挙法で十二日間と決まっておりますが、今回は、告示期間が一週間という短い間ですから、かような日数になったのです」
「えっ、告示期間は変えれるのかよ」
「さようで御座います。最高は二十八日、最低はゼロですか。ですが、現実的では御座いません。今回のように、一週間というところが許容ぎりぎりかと存じます」
「そういうことか。それより、今回のことだけど、なぜ奇襲ということになるのだい。どうせ、選挙が近いのだから、お互いに候補者はそろっているだろ」
「さようで御座いますね。普通では奇襲すらなりませんよね。ですが、今回、有力野党にとりましてはマイナスになるのです」
「野党って、国民生活党か」
「さようで御座います。今、テレビで放送をしておりましたが、この間、お話にでました白取総裁が、二十二日から一週間の間、外遊にお出かけになられるようなのです」
「外遊っていうと海外視察か」
「さようで御座いますね。ジャマイカ、キューバへということですが」
「そんなの中止にすればいいだろ」
「わたくしもさように思われますが、どうも、話を聞いていますと無理なようですね。何でも高度な政治的判断とか。ですから、与党側が決断をしたということですね」
「なるほど、わかったよ。確かに、党の看板が選挙日直前にいなくなるということは、不利なことになるからね。選挙中に外遊なんて無責任、だと言って攻撃もできるし」
「さようで御座います。野党側といたしましては、いくら有利と申しましても、追い込み時期に、三日もいらっしゃらないのですから、少々困った状態になりますね」
「まあ、相手側もやるものだね。もっとも世の中の戦いって、大抵そんなものだけど」
「さようで御座いますね。解散の権利は与党側に御座いますので。かようなお話より大切な報告が御座います。前回、依頼された用件ですが調査を終了いたしました」
御雪は選挙の話を終わらせると、そう言ってきた。
「では、学校の背後のことで、何かわかったのかい!」
競羅は期待を込めたような口調で聞いたが、御雪は、
「じつは、そちらではなく、下上警視正のことです。下上様の経歴ですが」
「そうだ。それも頼んでいたね、それで、その結果はでたのかい」
「さようで御座います。関係書類の照会という行為だけですから」
「それで、いくら、払えばいいのだい?」
競羅の言葉に御雪は金額を言った。
「けっこう取るのだね」
「警察官の照会は、幾分、手間がかかりますので、関係機関のガードも固いことですし。わたくし、少々法律に触れる方法で手に入れました」
「それはまあ、今日びは個人情報がうるさいし。上級公務員となると、それこそ、大切な情報が向こう側のスパイに知られたら大変だからね。わかった、今から行くよ」
「今からですか」
「ああ、こういうことは早い方がいいからね。できたら、一時間以内には行くからね」
「承知いたしました。待っております」
約四十分後、競羅は御雪の事務所を訪ねていた。いつものように、受付の魯君にあいさつをすると、そのまま所長室に入った。
所長室には御雪がにこやかな顔をして待っていた。その横には、したり顔の絵里が、
「何だよ。絵里もいるのかよ」
競羅が声を上げると、御雪は次の反応を、
「いけませんか。わたくしの大切な助手ですが」
「けどね、いつもは、こういう重要な用件のときは、はずしてもらっているだろ」
「むろん、重要さは、じゅうじゅう承知しております。ですが、競羅さんとのお電話が終わりましたあと、絵里さんが、とても興味深い情報を持ってきたのです」
「興味がある情報って、今回の事件についてか」
「さようで御座います。まずは、絵里さんのお話をお聞き願います。それでは、川南幹事。競羅さんに、先ほどの出来事について、お話をしてもらえますね」
御雪はそう言い、絵里は口を開いた。
「以前、事故にあったガキが、変な女たちに見張られていることがあっただろう」
「絵里さん。何度も申し上げます通り、不穏当のお言葉、やめてもらえませんか。彼女は現在、病院で苦しんでいらっしゃられるのですよ」
御雪がたしなめた。
「わかった言い直すよ。可哀想に事故で入院しちゃった女の子がいたのだけど、その子って複数の女性に見張られていたよな。そのうちの一人の女性を見つけたんよ」
「おい、本当かよ!」
競羅は思わず声を上げた。
「そう、ついさっきよ。千駄ヶ谷で、そのうちの一人を偶然に見つけたから、そのあとをつけると、妙ちくりんな建物に入っていったんよ」
「その建物って、どこだよ?」
「だから、千駄ヶ谷の通り沿いの建物。ちょうど携帯で、その女が入っていくところを写真に撮ったから、すぐに帰って所長に見せたら、姉貴にも見せるように言われて」
「そうかい。では、見せてくれるのだね」
「当然よ。その写真というのは、これだぜ」
絵里はそう言うと、携帯端末を取り出して、その画面を競羅に見せた。そこには、一人の女性が、奇妙な形の建物に入っていくところであった。
「造りは変わっているけど、上に十字架があるところから見ても、これは教会だね」
「さようで御座います。第二信徒東京本部ですね」
「その名前は、聞いたことがあるね。妙な噂がある新興宗教だろ」
「さようで御座います。キリスト教関係の新興宗教です。さて、絵里さん」
御雪は絵里の方を向くと言葉を続けた。
「当初のお約束通り、あなたは、ここで退室をしていただきたいのですが」
「わかってるよ。そういうことだったから、でも、臨時ボーナスも間違いないよな」
「さようで御座いますね。当然、お約束ですから守ります」
「では、そういうことで、役に立ったみたいだから、よかったよ。じゃあな」
絵里は満足げな顔をして所長室から出て行った。そして、御雪が口を開いた。
「結局のところ、宗教団体が事件の裏にいまして、彼女たちは会員だったのですね」
「ああ、どうやら、奴ら第二信徒は、信者を代わる代わる使って、あの子を見張っていたみたいだね。こうなってくると、事件を起こした幼女の母親だって、この教会と関係がある可能性が高いね。そのあたりのことを調べてもらえるかい」
「承知いたしました。前にも申し上げました通り、わたくし、天美ちゃんを、あのような目にあわせた人たちは、絶対に許せませんから、無償でやらせていただきます」
「そういう言葉が出るなんて、本当に頼もしいね」
「ですが、下上警視正の調査の方は・・」
その御雪の言葉をさえぎり、競羅は言った。
「わかっているよ。それぐらいは、そのため、お金を持って、ここに来たのだからね」
「さようで御座いますね。こちらが、今回の調査結果です」
御雪はそう言うと、カバンからA4サイズの茶封筒を取り出して競羅に渡した。
競羅は、早速、封筒を開けると、その中の書類を読み始めた。
「いかがでしょうか、競羅さん。御親類の方の経歴をご覧になられるお気持ちは?」
御雪はそう声をかけ、競羅は何とも言えない顔をして言った。
「ああ、ほとんど海外とか言っていたからね。その結果がこれか」
「さようで御座いますね。さすがに、ものすごい経歴です。わたくしも感服いたしました」
「しかし、いきなり最初から長ったらしいカタカナかよ」
「競羅さん、オックスフォード大学を御存知ではないのですか」
「そんなの知るかよ。それよりも、そこの大学院を出ているのだね」
「さようで御座います。修士課程までは卒業されておられます。博士課程の一年目に、日本で国家公務員試験を受験されておりますが」
「ああ、きっと、その年にあの事件があったのだろうね」
競羅はしんみりとした口調になった。
「事件と申しますと、お兄様夫婦が亡くなられたという話ですか」
「ああ、失踪扱いになって、いまだに、死体は見つかっていないけどね。南米の犯罪者は、そういうことには抜かりはないから、残念だけどね」
「さようで御座いますね。いたましいことです」
「何にしても、その年に警察に入ったのだろ。あくまで、聞いた話だけど、親に無理やり、試験を受けろと言われたようだしね」
「さようで御座いますか。今は警察にはなくてはならないお方ですね」
「何を持ち上げているのだよ。さて、そのあとはと、おっ」
競羅は思わず声を上げた。そして、言葉を続けた。
「そのまま、外国勤務か、うわー、また、長ったらしいカタカナ文字だよ」
「スコットランドヤード、ロンドン警視庁のことで御座います」
「素直に向こうの警視庁と書けよ。かっこうなんてつけずに」
「先様の事情ですから、さようなことより、お話を続けませんと」
「ああ、そうだね。そこで、三年間の研修の後、そのまま、大使館職員か」
「さようで御座います。日本大使館に三等書記官として二年間ですか」
「その後、イスラエルに一年半出向となっているね」
「さようで御座います。ですが、イスラエル大使館ではなさそうですね」
「ああ、大使館勤務だったら、英国と同じように表記するはずだからね。となると警察か」
「おそらく、さようかと存じますが」
御雪も気になるのか眉をひそめていた。
「その後、日本に戻っているね。警視となって役職は麻布署の副署長か」
「さようで御座いますね。二年で、また海外に赴任されております」
「ワシントンで大使館の二等書記官という身分で、二年間のFBI研修か。英国の次は米国、またまた、ご苦労なことだね」
「さようで御座います。順調にご出世なさっておられます」
「何か飛ばされているばかりな感じがするけどね。そのあと、おっ、ここで署長か」
「さようで御座います。帰国後、東京空港署の署長を一年間なさっておられますね」
「署長って、そんなところを、たった一年かよ」
「出世の儀式的なものでは御座いませんか。その後、フランスにICPO本部の教導として呼ばれております」
「今度は教える側か、それも本家本元の」
「さようで御座いますね。こちらの方も二年間ですか。そのあと、再び帰国いたしまして、現在の地位につかれていらっしゃいますね」
「そうなると、日月さんとは、いつ知り合ったのかな?」
「おそらく、麻布著時代かと」
「そうだね。正明君が、今、八才だから、そのころか」
「さようで御座いますね」
「しかしまあ、助かったよ。これで、義兄さんに踏み込んだ話ができるからね」
「よろしかったですね。では、お勘定の方はよろしくお願いします」
「ああ、確かこれだけだったよね。ちょいと高いと思うけど」
競羅はそう言って調査費用を渡し、領収書をもらうと御雪の事務所をあとにした。
〈今日は、さすがに、忙しい、忙しいだけでは逃がさないからね〉
そのあと、競羅は決心したかのようにつぶやくと、携帯を取り出した。
通話の相手は下上警視正である。その警視正は出るなり言った。
「また君か。わかっていると思うが、本当に忙しくてね」
「けどね、何度も言うけど、例の学校のがさ入れ以来、一度も話しあっていないだろ」
「だから、そんな時間がなくてね」
「それもわかっているよ。学校からの押収書類の解析だろ。あれだって、もとはといえば、こっちの機転で手に入れることができたのだろ」
「そうだな。君の住居不法進入と暴行いや強盗未遂のおかげかな」
警視正は皮肉っぽく答えた。見逃してやったから、これ以上、追求をするなという、脅かしでもある。だが、競羅は食い下がった。
「本当に以前とは、態度がまったく違うね。まあそれだけ、秘密にしなければならないことが出てきたのだとは思うけどね。それで、どうしても会えないのかい」
「残念ながらね」
「わかったよ、そういうことなら、こっちから押しかけていくしかないね」
「押しかけるって?」
「むろん、警察庁だよ。当然、要件を聞かれると思うけど、そこで、会いたい理由を受付で話せばいいのだからね、たとえば、ある少女を、あの怪しげな学校に潜入させたから、その少女は命を狙われることになったとか」
「ま、待ってくれ!」
警視正は慌てたように声を出した。やはり、ばれたらまずいのだ。
「だから、会ってくれないからだよ。こっちも、約束を反故にされて、かなり、不満がたまっているからね。早く会わないと、本当に受付ですべてをばらしてしまうよ」
「そんなことが公安にもれたら、大きな横やりが入ってしまう」
「だろうね。でも、こっちはそれぐらい腹が立っているのだからね」
「困ったなあ。明日からは、もっと、大変なのに」
警視正は弱気の言葉を上げ、それに、反応した競羅。
「選挙のことかい」
「違うよ。もうこの際、言っておくかな。乗り込んでこられたら面倒だからね。絶対に内緒だけど、君だから言うのだよ。実は、明日から検察との共同捜査になってね」
「検察って、地検の特捜部かい」
「その通り、向こうも解析の専門家をそろえているからな。その力を借りることにね」
「そうなると、本当に仕事から目が離せなくなるね」
「そうだ。わかってくれたかな」
「でも、今なら会えるだろ。ちょうど、あと一時間で昼休みだし、昼ご飯はまだだろ」
「まさか、君は!」
警視正は動揺した声を上げた。その反応に競羅は、
「そうだよ、しばらく話せなかったから、今日は最初から行く気だったよ。職場がいやなら、近くの食堂でどうだい。できれば個室のあるところだけど」
競羅の強引な言葉に警視正は少し考えていたが、やがて結論が出たのか。
「わかった。虎ノ門近くの食堂を予約しておく。ただし、一時間もないつもりでな」
といい、アポイントは取れたのである。
約束の十二時、彼女は虎ノ門駅近くの食事処、神取、に入った。ランチ時間で混み合っていたが場所は小部屋を確保してあった。それだけ、警視正のなじみの店なのか。
おしぼりをもらい、注文を終えたあと、競羅は話を切り出した。
「しかしまあ、衆議院の解散が決まったから大変だね」
「任期満了だと思っていたから、関係当局はてんてこまいだ」
「だろうね。急に決まったのだからね。それも、なんだか、野党の白なんとかいう名前の党首が、選挙日に外遊に出かけている、という理由みたいだね」
競羅は何気なく世間話をするような感じであったが、警視正の方は、
「君の用事は、そんなことではないだろう。関係ない話だと思うが」
冷たい口調で切り返してきた。忙しいのに呼び出されて、そう反応したのか、
「確かに今は選挙のことなんて関係ないね。ようやく、ボネッカのことで、こうやって、話し合うことができたのだからね。それで、何かわかったことがあるのかい?」
「その、わかったこと、というのは何かな?」
「学校のことだよ。背後について判明していると思うけどね。資料もあるのだしね」
「結局、聞きたいことはそういうことか」
警視正はにらみつけてきた。その眼光に競羅は思っていた。
〈やはり、今の段階では、とても、まともに聞き出せそうにないね。けどね、こっちだって何か手がかりを得ないと、ここに来た意味がないからね。持ち札は豊富だから、ここは慌てず、じっくりと聞き出していくことにするかと〉
そして、まずは、怒ったような声で言った。
「そうなのだけどね。でも、そんな態度できたら、話し合う意味なんてないだろ!」
「だから何度も、話すことは何もない、と言ったはずなのに、君が脅迫みたいなことをして呼び出すから、わざわざ出てきたんだ」
「そうかい。では、学校以外の話ならいいのだね」
「それはそうだが、今回のことに関係ない話をしている時間はないよ」
「わかっているよ。ボネッカの事故のことだよ」
「その話は家内の領分だ」
「ああ、そうだね。日月さんの担当だよ」
「それなら、私から話すこともないよな」
早くも、逃げの体制に入った警視正。そのガードの堅さを感じながら競羅は、
「確かにそうだけどね。そう言えば、この間、その日月さんの許可をもらったから、あの子の病院に見舞いに行ったのだけど」
「それで、何か聞けたのか?」
「おや、こっちには何も教えず、自分たちだけが聞く、そういう一方的な態度だけは、本当に警察官らしいね。残念ながら、事件のことについて、まだ何も話せる状態ではなかったよ。ああいう患者にありがちなのか、どうも、事故直前の記憶は飛んでいてね」
その答える競羅の口調は皮肉っぽかった。
「そうか」
「ああ、どうしても聞きたかったら、それこそ、日月さんに聞けばいいだろ。しかし、病院の方も、あれぐらいの警備で大丈夫なものかね」
「大丈夫ってどういうことかな?」
「警備状況だよ。向こうが機関銃などを持って乗り込んきたら、どうするかと思ってね」
「君は、突拍子のないことを言うなあ」
「さて、それはどうかな、そのことは、この間も話し合ったと思うけどね。確か、あの子の住んでいたマンションについてだけどね、向こうが、居場所を信じなかったからよかったものを、もし信じていたら、爆弾とかで破壊されていた可能性もあるってね」
「でも、さすがに病院でそこまではしないと思うが」
「そうかな、義兄さんだって、モサド(イスラエルの諜報機関)やFBIで研修をしていたからわかるだろ。秘密を守ろうとする海外の犯罪団体の怖さについてはね」
競羅はそう言い、その言葉に警視正は大きく反応した。
「おい、今、なんて言ったのかな? どうして、私がFBIはともかく、モ、モサドにまで在籍していたことまで知っているのだ!」
警視正の顔は気色ばっていた。大切な情報がもれたという感覚か。
一方、競羅の方は、これぐらいのアクションが起きるのは計算済みである。そのために、このカードを最初に切ったというのか。彼女は落ち着いた声で応対した。
「それはカンだよ。けどね、義兄さんがつれなくしたので、退屈しのぎに、海外時代の履歴について、ちょいと調べさせてもらったよ。だから、イスラエルに赴任していたこともわかっているのだよ。そのあと、FBIや国際警察本部に派遣されたこともね」
「そうか、そこまで調べていたか。まったく、君っていう人は、とんでもないな」
「それは、誉め言葉として受けとっておくよ。話を戻すけど、今回の相手は心してかかった方がいいよ。秘密を守るためには、それぐらいのことをやるかもしれないからね」
「しかし、まさか、あの男は、そこまではやらないだろう」
「えっ、あの男って!」
競羅の、その反応と言葉に警視正は思わず、しまったという顔をした。当然というか、彼女はその態度を見逃さなかった。
「今、義兄さん。とても、重要なことを口走ったね」
「重要とは何かな?」
「だから、あの男っていう言葉だよ。つまり、学校の背後には、あの男という存在があるということだね。その男って誰だよ? どうも、日本人ぽいけどね」
「それについては、絶対に答えられない!」
「答えられないって、それが、こっちとの約束だろ。わかったら教えるっていう!」
「それだけは絶対にね。今回、一番、隠さなければならない部分というか。もし君が、それ以上、追求をしようとすると、私はここで話をやめなくてはならなくなる」
「なるほど、その男の名は、どうしても話すことができない領域だね。もしかしたら、前々から、地検が追っていた男だったとか」
競羅はそう言ったが警視正は無言であった。
「わかったよ。それすらも言えないのだね。でも、これだけは答えてくれないとね、男というのは、やはり、学校から押収した資料から浮かび上がってきたのかい」
「それもそうだが、前々から疑惑があった人物だ」
「そうかい、つまり、こっちと話してたときから、その男のことは頭の片隅にあったのだね。だから、その話題から必死にそらそうとして職務の話をしだしたと」
「まさか、そんな、こそくなことはしないよ。本当に捜査権限がないんだ」
「でも、その男が学校の裏にいたことは、前の話し合いのときから知っていたのだろ」
「それもないよ。信じてもらえないかもしれないが、その男が、もしかしたら関係をしているかもしれないという一文が、学校の押収資料から出てきてびっくりしているんだ。ただ学校の方は、天美君にそれとなく探りに入れたつもりが、大当たりを取ったというか」
警視正の言葉を競羅は難しい顔をして聞いていた。目の前の人物が、本当のことを言っているかどうか。そして、結論がでたのか、ここで二枚目のカードを、
「確かに、それとなくかもしれないね。今度、新宿署に赴任するらしいから。手入れの下見としてがてら潜り込ませたのだろ」
「どうして、それを・・」
警視正は思わずそう声を出したが、すぐに、苦笑をしながら次の言葉を、
「ははは、それだって、よく考えたら、つかむことができるよな。君の人脈は広いから」
「ああ、この間、話してくれなかったことは残念だけど、実際、義兄さんだって立場があるからね。さすがに、確定もしていない、自分の出世話なんてできないしね」
「そのように言ってもらえると、ありがたいな」
「ああ、こっちも、隠し事をしたことは何度もあったからね。けどね、その男以外の話だけは、してもいいよね」
「もう、ほとんど話すことはないが」
「本当かい。まだ、あるだろ、学校の背後にいた団体だよ。そっちの方についてぐらいは、話せるのではないのかい」
だが、警視正は無言であった。その態度に、競羅は深いため息をついたが、
「それも話せないのかよ。けどね、そのことは、すでにつかんでいるのだよ」
と答えた。当然のように反応した警視正。
「どういうことだ?」
「だから、この間、話していただろ。あの子を、下手な尾行とかで見張っていたという、数人の女性について、そいつらの素性だよ」
「判明したのか!」
「また、そういう、自分の聞きたいことだけは聞くー」
「判明したのか、それとも、しなかったのか、どっちなのだ!」
「わかったよ、教えるよ。せっかく、出てきてもらったのだから、一つぐらいは手土産を渡さないとね、実は彼女たちは第二信徒の信者だよ」
競羅の言葉を聞き警視正の顔が再びこわばった。その様子に競羅は、
「やはり、そこも、押収した資料から浮かび上がっていたみたいだね」
「そんなことより、なぜ、そこの信者だとはっきりと言い切れるのかな?」
「その理由はね、ほんの、さっき知ったのだけどね」
競羅はそう言うと、先ほど絵里から聞いた話をし始めた。そして、警視正は、
「そういうことか、それでその写真は、後から私に提出してくれるのだろうね」
「ああ、御雪に頼んでおくよ。その代わり、もう少し知ったことを教えてもらわないとね」
競羅の言葉に警視正はしばらくの間、考え込んでいたが。やがて、その決心がついたのか、次のように答えたのである。
「本当に地検の手前、話したくはないが、こうなってくると、ある程度のことは答えないといけないだろうな。そこは君が言った通り、押収した資料から出てきた場所の一つだ。もっともっと、男につながる怪しい政治団体や会社があったから、そんなにも気にとめてはいなかったが、天美君の事件に関わってきたとなると、もう少し詳しく、調べないといけないな。そいつが関係をしているかもしれないからな」
「では義兄さんは、ボネッカの事故についても、あの男が裏にいた、と思うのだね」
「資料が少ないから立証できないが、そういうことだ。私の答えられるのはそこまでかな」
「それで充分だよ。けどね、日月さんの方はどうするのだよ?」
「家内か」
「そうだよ。こっちが思うには、幼女の母親だって、第二信徒と間違いなく、つながりがあるような感じがするのだけどね。もしかしたら、もう、そこまで供述を得ているかもしれないけど、得ていない可能性だってあるだろ」
「わかった。家内には、君の話から第二信徒を探れ、と言っておくよ」
「そうする方がいいと思うよ」
そのとき、従業員が二人分のランチを持ってきた。その様子を見ながら警視正は、
「さて、今日はここまでかな。食べたら、すぐに戻らないとね」
「ああ、そうだね、それで、次に連絡が取れそうなのは、いつになるのだい?」
「検察とは、選挙が終わるまでは付き合わないといけないから、そのあとかな」
「そんなに先かよ」
「どうしてもというなら、そういうことになるかな」
「わかったよ、そういう状況なら無理は頼めないからね」
競羅はそう言い、そのあと、食事を終えた二人は店を出た。