Confesess-7 11
第十一章
一時間後、合流した競羅、御雪の二人がスクールに到着すると、その門前で、これまた二人の人物が口論らしきものをしていた。
一人は警備服の外国人風体の人物で、もう一人は、薄茶のトレンチコートを着た女性か、
「どうやら、先客様がいらしたようです」
その御雪の声に競羅は、
「ああ、そうだね、誰かいるね、女か」
「さようで御座います。おそらく、何か問い合わせにいらしたのですが、お相手はご覧のように外国人のお方、どうも、お互いにお言葉が通じないようですね」
「ああ、そうだね、あの警備員、どうみても黒人さんだからね。もう一人は、おや!」
競羅はそう声を上げ、その反応に御雪は、
「競羅さん、いかがいたしましたか」
「ちょいとした知り合いだよ。しかし、ここで会うとは、まさしく腐れ縁だね!」
「さようで御座いますか。どちら様でしょうか」
「今、紹介をしてやるよ」
競羅はそう言うと、女性の方に近づき後ろから声をかけた。
「横渡さんか、また会ったね」
声をかけられた横渡は、一瞬、驚きの表情をしたが、すぐに、にらんだ態度で返事を、
「貴様か」
「病院にいないと思ったら、ここにいたのかよ」
「それが、どうした? 捜査中だ」
「捜査って、ここをかい?」
「そうだ。主任から探るように言われた」
横渡の言葉を聞きながら競羅は思っていた。
〈確か、義姉さん、参考にとどめる、とか言っていたからね。だから、可能性の一つとして、あたっておこうと思ったわけか。だけど、肝心な殺人のことまでは知らされてなかったから、このような短絡的な行動になってしまった。これは、ちょいとまずいね〉
そう思った競羅は横渡に向かって言った。
「けどね、あんた一人では何もできないよ」
「余計なお世話だ!」
「お世話はいいけど、探りだけで、おふだを持っていないのだろ」
「そうだが」
「だったら、中には入れてもらえないね。残念だけどね。それにね、この、がたいだと、さすがのあんたでも、のすのは無理だね」
「競羅さん、かような場所では、さようなお言葉は・・」
御雪がたまらず声を上げた。競羅は、その御雪に近づくと耳元でささやいた。
「心配ないよ。相手は怒っていないからね。それに、こっちだって、それぐらいはわかっているよ。だから、まともな単語は使わなかっただろ」
「さようで御座いますが」
「だろう、つまらない、突っ込みはやめてくれよ」
競羅はそう返事をすると、次に横渡に向かって言った、
「さあ、どうする? このまま、しっぽを巻いて引き下がる気かい」
「それは、まかりならん!」
「大きな声だね。では助太刀が欲しいかい」
「そんなものはいらん!」
「そうかい、では、高見の見物としゃれこもうかね。言っておくけど、ヘマをしたら、これで、すべておじゃんだよ。となると、結果的には日月さんの信頼を失うことになるよ」
「それは、その・・」
横渡の言葉が詰まった。信頼を失うと聞いて心配になってきたからだ。そして、競羅は、
「だろう、片意地を張るのはやめた方がいいよ、今から、こっちのやることを。よーく見ておきな、こういうときはね!」
と言うと、競羅は黒人の警備員に近づき、
「へえろー まーい ふれんど」
声をかけた。警備員も、先ほどから競羅の発言に耳を傾けていたが、肝心なところは、すべて聞きなれないセリフである。彼女が敵か味方か判別がついていなかった。その結果、
「HELLO」
女だと思って油断をしていたのか愛想笑いをしてきたのだ。彼女は財布を取り出すと、中から一万円札を二枚抜き出した。そして、正面の扉を指さすと片言英語で言った。
「あい いん でぃす ドア」
警備員は目を丸くしていたが、お金の魅力につられたのか、思わず、
「OH YES」
という返事を、競羅はにっこりすると一万円札を追加した。そして。
「ぷりーず ろっく おふ」
警備員はニヤリと笑うと三枚の一万円札を受け取った。そのあと、
「OK ウエイト」
と言って、ポケットから鍵束を取り出し、ドアに向かい解錠を始めたのである。
正面ドアが開いた。開いたとともに、競羅は背後から警備員を羽交い締めにした。
ふいをつかれ、警備員は、とっさに反撃ができなかった。普通の男性なら、競羅の絞め技で意識を落とすのだが、相手は野獣のような体格の男性、激しい抵抗が続いた。
地力は相手の方が圧倒的に上だ。持つのは、あと十秒ぐらいか。
「御雪、何とかならないのかい。何か用意をしてきたものがあるのだろ」
「承知いたしました」
御雪は返事をすると、バッグから、まず催眠スプレーを取り出した。そして、それを、すぐさま、警備員の顔に吹き付けた。まともに吸い込み警備員は意識を失った。
御雪と競羅は警備員を中に引きずり込むとドアを閉めた。そのあと御雪は、再びバッグに手を入れ、ロープを取り出すと警備員をしばった。
一連の様子を横渡は見ていた。そして、顔をしかめて声を出した。
「おい、これは犯罪ではないのか!」
「ああ、犯罪だよ。けどね、この方法を取らずに、そのまま女三人で中に入り込んでいたら、最悪、どのような状況になっていたかわかるかい」
競羅の言葉に横渡は腕を組んだ。頭の中で考え始めたのだ。やがて、結論がでたのか、うなずくような態度をした。
「あくまで最悪の推理だけどね。こいつの態度から見て、あながち間違ってはいないと思ってるよ。探索中、大勢の仲間をつれてこられたら、かなり、まずい状況になるだろ」
競羅はそう横渡に答えると、次に御雪に向かって言った。
「しかし、あんたの方も、こういうときは本当に頼りになるね」
「ですが、わたくしも、いきなりの競羅さんの行動には、びっくりいたしました」
「とっさに考えた作戦だからね。けどね、本当にこれ以上のやり方では、中に入ることはできなかったと思うよ。さっきの状況では、どう考えても、こいつを説得することは無理だったし、ましてや、腕ずくでカギを取り上げることなんてね! まあ、あきらめるつもりなら、余計なお世話だったかもしれないけど、次にここに来たときは、入れるという保証はないからね。あんたの行動で、向こうは警察に目をつけられたということが、わかってしまったのだよ。それ相当の根回しをしてくるかもしれないからね」
競羅に言われ、横渡は再びうなずいた。確かに、この方法しかないと納得をしたのだ。
「何にしても、入ってしまったのだから、次の行動をしないと、まずは、こいつだけど、ロープだけでは心配だね。それなりの力の持ち主のようだから」
「承知した」
横渡はそう言うと、手錠を取り出して警備員の手にかけた。そのあと、ハンカチで、口にさるぐつわをかませたのである。
「これで、ひとまず安心かな。さて中に入るよ」
競羅はそう言い、三人は探索するため奥に進むことにした。そして、横渡が声を上げた。
「少し暗いな」
「奥に入ったからね。けどね、電気をつけてはいけないよ。閉鎖中の建物で電気がついていたら、それこそ通報されるかもしれないからね」
と競羅は応答した。そのあと、御雪に向かって言った。
「こういうとき、何かないかい?」
「一応、用意はして御座いますが」
御雪は答えると、小さいペンライトを取り出した。そのあと、点灯させて言った。
「このライトは、光力も強いですが、何より一点方式です。かような場所まで入られたら、間違いなく光は外に届くことはないでしょう」
「わかってるよ。泥棒がよく使うようなものだろ、七つ道具の一つというか。まあ、あんたは探偵だから、当然のように必要だけど。それより、自己紹介をさせるのを忘れていたよ。二人とも今までの会話で、どういう職業ということまではわかっただろ」
「さようで御座いますね。警察のお方だったのですね」
「ああ、少年課の刑事だよ。それに、道場の副将をしているよ」
「道場って、競羅さんのご実家のことですよね」
「そうだよ、姉さんの一番弟子だよ。しゃべり方はコママみたいだけどね」
「磨子様、祈羅様ですね」
御雪の言葉に横渡は反応した。
「ほお、探偵、あるじたちをご存じか」
「ご存じも何も、祈羅様は、わたくしが敬愛しております一人です」
御雪は本心かどうか、そう答えた。その答えに満足をしたのか横渡の顔がほころんだ。
その様子を見ながら競羅は言った。
「確かに、性格が悪いどおし、気が合うみたいだね。この間、引き合わせたら、あーだこーだと、四、五時間もよくわからない無駄話をしていたしね」
「競羅さん、性格が悪いとは侵害です。ましてや、祈羅様まで!」
御雪が気色ばみ、
「貴様、師匠のことを性格が悪いだと」
横渡も目をつり上げた。競羅は慌てたように弁解を、
「ただ、言葉の勢いだよ。どうも、言い過ぎたみたいだね。それより、探索を続けないとね。突き当たりが見えるね、となると横にあるのが、あの子の言っていた部屋かな」
「何か、かすかではあるが臭いがするな」
「臭いって何だい?」
横渡のつぶやきに競羅が反応した。彼女にはかぎ取れなかったのだ。逆にいうと横渡は、犬並みというか、それだけ鼻がきくのである。そして、その横渡の言葉は続いた。
「洗剤のたぐいだ。何か生臭いものを消したような感じだな。考えられるのは血か」
「そうかもしれないね。そのことで思い当たることがあるのだよ。今も言ったように、すぐ横の教室のことだけど、そこに、入ってみないかい」
競羅の言葉に、横渡は最初は怪訝そうな顔をしていたが、すぐに、
「了解した」
と返事をし、三人は奥の入口から問題の教室に入った。
教室内は、外には接してないので、廊下以上に暗かった。そして、中は、全くといっていいほど、殺風景であった。普通、教室と言えば、黒板、教壇、生徒の机、椅子などがおいてあるものだが、何もなくガランとしていた。
「やはり、臭いのもとは、この部屋だな」
横渡が声を発した。
「ああ、ここで惨劇があったみたいだからね。その後始末をしたのだろ」
「惨劇ですか」
御雪が声を上げた。
「そうだよ。さっき、電話で説明したことが、この部屋で起きたのだよ。けどね、この様子じゃ、その証拠なんて見つからないだろうね」
「果たして、さようで御座いますか」
「果たして、って、あんた、何か見つかるのかよ」
「では、確かめてみましょうか」
「確かめるって、あんた?」
競羅は思わず声を上げたが、御雪はすました顔で、
「さような道具も持ち合わせておりますので、今から、実証してみましょう」
と言うと、バッグから二本の粉の入ったアンプル瓶のようなものと、水が入ったペットボトルを取り出した。それを見て横渡の目が光った。
そして、競羅、横渡が見ているなか御雪は作業を始めた。ゴム手袋を装着すると、二つのアンプル瓶の中の粉を、そのペットボトルの中に入れた。そのあと、ペットボトルのふたを閉めて、何回も上下に振った。二つの粉は水に溶けてまざった。
液が混ざると、御雪はバッグから中身がからの霧吹きを取り出した。そして、慎重に混ぜた液体を、その霧吹きに注いだ。注ぎ終わると微笑みながら言った。
「さあ完成です。準備ができました」
「完成って何がだよ?」
競羅の言葉をよそに、御雪は次の行動をし始めた。まずは、その霧吹きを床じゅうに吹きかけたのである。すぐにその反応はあらわれ。床のところどころが青白く光り始めたのだ。ふき取れなかったのであろうか、青い光は大きく飛び散っていた。
そして、横渡が口を開いた。
「ルミノール反応だな」
「さようで御座います。大きく反応をいたしましたね」
「これは何だよ!」
競羅も驚いたように声を上げた。
「ですから、ルミノール反応です。床に血痕が存在したことが証明されたのです」
「つまり、この青いのは血の跡ということか」
「さようで御座います。まさしく惨劇ですね」
「ああ、光が派手に飛び散ってるからね。でもなぜ、こんなことが起きたのだい?」
「さようの説明の前に、まずは警察に報告をいたしませんと」
「警察かよ」
「さようで御座います。おいやですか」
「そういうわけではないけどね、もともと勝手に入り込んだから、こうなったのだろ」
「さようなことは、なんとでも申し開きができます。緊急避難等、色々と御座いますが」
「そうだけどね。やはり」
「ですが、わたくしが報告をなさらなくても、あの横渡とおっしゃる警察のお方が」
御雪は答えながら横渡を見つめた。彼女は、まさに今、携帯を取り出し、通話をしようとしているところであった。競羅はその横渡に近づくと言った。
「あんた、今から、日月さんに報告をしようとしているのだろ」
「当然のことだろう」
「そうかい、でも日月さんでは、うまく対処ができないと思うよ。こういうことは、まずは、担当者に報告しないとね」
「はあっ、担当者?」
「そうだよ。まずは所轄ではないのかい、それとも本庁か、殺人事件だからね」
「そう言われたらそうだが」
「それにね、そもそもあんた、今回の日月さんからの命令、おかしいと思わなかったのかい。あんたも日月さんも所属をしているのは少年課。でもここは、少年課の管轄ではないのだよ。いくら学校といってもね。本当に妙だと思わなかったのかい」
競羅の言葉に横渡は戸惑い始めた。彼女も、命令ながらも、少しは不思議に思っていたのだ。手応えを感じた競羅は追い打ちをかけるように言った。
「つまり、日月さんの背後には誰かがいるということなのだよ」
「誰かというのは誰だ?」
「旦那だよ。下上警視正」
「ま、まさか、さようなことがあるわけないだろう」
「さあ、それはどうかな。あんた、下上警視正の役職について知っているのかい」
「むろん、知っておる。国際刑事課長だ」
「何をする仕事かまではどうかな?」
「外国人が起こした犯罪を取り締まるのが仕事だ」
横渡の言葉を競羅は、やはり、その程度かなと思いながら言葉をつづけた。
「でも、それくらいなら、所轄で取り締まることができるだろ」
「だから、国際的な問題で、所轄が動きにくいところを取り締まるのが仕事なのだ」
「国際的問題か、たとえば、どういうところかな?」
「外国人専門のところか」
「そうかい、それで今、こっちがいる建物はどういうところかな?」
「それは、その外国人専門の・・」
横渡の言葉が詰まった。その様子を見ながら競羅は言った。
「ようやく、あんたにも担当がわかったようだね。それで今から、その義兄さんに通報をしなければならないけど、当然あんたの職分だよね」
「当方がか」
「ああ、そうだよ。刑事なのだからね」
「いやいや、それはさすがに」
横渡は顔をしかめて断った。
「何だよ、恥ずかしいのかい?」
「さようなわけではないが」
横渡の顔色は、ほんの少し赤くなっていた。その顔色を見ながら競羅は、
「仕方がないね。最初はこっちがかけるけど、あとは、あんたが報告をするのだよ」
そう言うと、競羅は自分の携帯を取り出すと、通話ボタンを押した。
二、三度の呼び出し音のあと相手とつながった。
「競羅君か」
「そうだよ、ちょいと厄介なことになってね」
「また、何か妙なことが起きたのか?」
「それについては、日月さんの名代から話してもらうよ。今、変わるからね」
「おい、家内の名代とはどういう意味だ! それに厄介ごととは!」
警視正の声を無視したかのように、
「さあ、あとは頼むよ」
横渡に声をかけると、受話器を彼女に渡した。突然、電話を受けた横渡は、
「当方は、巡査長を拝命・・」
と応対をしたが、その態度は恐縮したようにガチガチになっていた。そのあと、彼女の顔が 赤くなったり青くなったりするのを見つめていると、御雪が、
「競羅さんも、結構、愉快なことをなされますね」
声をかけてきた。彼女もその様子が楽しそうなのか目を細めていた。
通話が終わると、 競羅はイタズラっぽい顔をして横渡に尋ねた。
「どうだったのだい?」
「どうもこうもない、冷や汗ものだった」
「おや、そうだったかい。それで肝心なことは伝えただろうね」
「当たり前だ! すぐに行くと言っていた」
「それならいいよ、さて、あとは警察が来るまで、どうすればいいかだけど」
「現場は、これ以上、触れないのがよろしいかと存じます」
御雪が声を上げた。
「それはそうだけどね、その間、手持ちぶたさというか。やはりここは、後は任せて立ち去るのというのは・・」
「それはまかり成らん!」
声を出したのは横渡であった。横渡はなおも言葉を続けた。
「このような状況になったからには、そなたには説明する義務がある。もし、立ち去るとなれば、当方はそなたを確保しなければならなくなる」
「ほお、そんなことができるのかい」
「できなくても、努力はしなければならない。それに今は逃げれたとしても、間違いなく、仲間がそなたに事情を聞きに来るだろう」
「だそうだよ。どうする御雪?」
立場がまずくなった競羅は御雪に意見を求めた。
「わたくしも、横渡さんと同意見です。かようなことになりました限り、きちんと説明をされるのが重要かと存じます」
「しかし、その間が退屈な時間だけどね」
「でしたら、先ほどの説明をいたしましょう。競羅さん、声を上げておりましたから」
「声って?」
「ルミノール反応のときです。競羅さん、かなり驚かれていましたね」
「あああれか、急に光ったから、びっくりしただけだよ。そんな説明はもういいよ」
「さようで御座いますか、ですが、一応は説明をさせていただきます。今回、わたくしが用いましたルミノール液は、血液の痕跡を明らかにするものです」
「見ればわかるよ。でも、あの子の話から、だいぶ時間が経っているけどね」
「血液は凝固率、粘液性が非常に高いものですから、何もなさなければ、まずは完全に払しょくはされません。現場の保存具合にもよりますが、過去には一千年以上前のものでも検出されたことが御座いました」
「驚いたね。そんなものなのかよ。けどね、今回はふき取られていたのだろ」
「さような理由は、肉眼から識別できなくなったからで、成分は残っているからです」
「成分とは何だよ?」
「どうやら、競羅さんも興味が出てきたようですね。では、詳しい説明に入らせていただきます。血液の中にはヘモグロビンという物質が御座います。ヘモグロビンというのは赤血球の中に含まれている成分で、酸素と鉄分が融合・・」
「やっぱり、やめやめ! 小難しい話や、長ったらしいカタカナ言葉が出てきたし」
競羅が止めに入った。だが、今回は御雪は引き下がらなかった。
「さようで御座いますか。では競羅さん、血液はなぜ赤いのか、さような理由がわかりますか。そちらの刑事さんがお答えしてもかまいませんが」
御雪は質問をしたが競羅は答えられなかった。横渡も同様である。そして競羅は、
「血が赤いのにも説明がいるのかよ」
「さようで御座います。タコやイカ、エビなどの青い生物も多数存在いたしますし」
「確かに、そう言われるとそうだね、今まで、考えてもみなかったけど」
「実は赤は酸素と鉄分が融合した酸化鉄の色なのです。ルミノール液は、さようなヘモグロビンの中の酸化鉄、ヘムという物質に反応をしたのです」
「なるほど、そうだったのか。だから血は鉄っぽい臭いがするのか」
声を出したのは横渡だ。巡査長は感心して話を聞いていた。そのあと、彼女は質問を、
「でも、見えなくなっても反応が出るのは、なぜだ?」
「ですから、今、説明をしたヘムです。今回はアルカリ液でふきとられたようですね」
「アルカリ液?」
「一般では、石けん、洗剤のことです。ヘムは酸化物ですので、アルカリ剤で中和されたあとは分解されます。そして、さような時点で肉眼では見えなくなります。ですが、鉄分は残っているのです。さようなものにルミノール液は反応をしたのです」
「それって変だろ、鉄って銀色か黒いものだろ」
競羅が口をはさんできた。
「さようで御座いますね。もともと鉄というものは、色、形が御座いません。身近な例を申し上げますと、運動後の鉄分補給という言葉をご存じでしょうか」
「聞いたことがあるね、健康を保つには、そういうのが必要とか何とか」
「さようで御座います。人は鉄分補給が、常時、必要なのです。もし、鉄分が不足をしますと、めまい、貧血などの症状が起こります。さような鉄分は透明です」
「話はよくわかったけど。こっちが今言った、銀や黒の説明になっていないだろ」
「さようで御座いますね。競羅さんの頭の中に描いておられる鉄というのは、炭素鋼のことですね。わたくしたちの身近な鉄というのは炭素鋼ですから」
「たんそこう? それが正式名かよ」
「さようで御座います。炭素を注入して固形化させているのです。製鉄の基本技術ですね。先ほどの説明の補足となりますが、鉄というのは空気に触れますと、すぐに酸素と結びつき酸化鉄となります。炭素を注入することに、さようなことを防ぐのですが、経年により、炭素成分がなくなりますと、さびる、つまり酸化鉄に変質し崩れ落ちるのです」
「そうか、だから、古い鉄の階段は危険だということか」
「なるほど、だから、血はさびっぽい味がするのか」
競羅、横渡は、それぞれ、感心したような声を上げていた。
「さようで御座いますね。環境によりますけど百年が限界でしょう。風雨、特に潮風が強い場所は二十年ぐらいしか持ちません。ですから今は、コストはかかかりますが、クロムやニッケルを混ぜたステンレス製法が主流ですね」
「ステンレスって、また変な横文字かと思ったけど、そういうものだったのかよ」
「いかがですか、鉄というものにご理解ができましたか」
「わかったけど、ここで、理科の講義を受けるとは思わなかったよ」
競羅がそう答えたが、横渡は疑問を持った声で、
「まだ、引っかかることがあるな、となると、ルミノール液は汗や尿にも反応するのか」
「一度、酸化した金属だけしか、反応をいたしませんので、汗や尿は無関係となります」
「でも、鉄さびには反応をするのだね」
競羅が口を出した。
「さようなことになりますが、鉄さびは肉眼で判断ができますので問題はないでしょう」
「ああ、そうだね。でも話をつき詰めると、血以外にも反応をするということか」
「さようで御座いますね。ですが、動物の血など妙な細工をいたしてましても、必ずばれるでしょう。現在の科学捜査は、さようなことなど、すぐに見抜きますので」
「では、逆に言うと痕跡は完璧に消すことはできるのか?」
横渡が尋ねてきた。
「強酸性の洗剤やアルコール、揮発液など強い化学物質を、部屋のすみずみまで用いられれば可能ですが、今回の場合、わたくしたちの介入までは考えてはおられなかったのでしょう、他の学生たちに出来事を悟らなければよろしいのですから。むしろ逆に、強いアルコールや揮発臭がいたしましたら、何事かと怪しまれます」
「それもそうだな」
「どちらにいたしましても、ルミノール液は、血液の痕跡を明らかにするだけの役割です。それ以上のことは、専門家、つまり、警察の鑑識に・・」
と御雪が話しているとき、建物に何者かが入ってくるような音がした。
競羅は思わず緊張をしたが、御雪は慌てずに答えた。
「おそらく、警察の方たちですね」
「けどね、警察ならサイレンを鳴らしてくるだろ。それに、まだ、十分すら経ってないのだけど、警察庁からここまで、こんな時間ぐらいで来れるものなのかい」
「ま、まずは無理です!」
御雪は答えながら顔を青ざめた。
「だったら、まずい状況だろ。きっと、用心棒から定期連絡がないので、怪しんできたのだよ。だからさっき、とっとと現場から立ち去ればよかったのだよ」
「今更、さようなことを、おっしゃられましても遅いです」
「こうなったら、もう、やるしかないね!」
「そうだな、やるしかない、向こうは二人だ」
横渡が、ぽつりと声を出した。その言葉に反応をした競羅、
「えっ、なぜ、二人とわかるのだよ」
「足音からだ。だが、心してかからないと。それなりの男たちの感じがする」
競羅、横渡が息をひそめて見つめるなか、二人組の男性が部屋に入ってきた。