Confesess-7 1
バブー(ブクログ)で Confesessとして6話まで投稿しました。
七話からは、こちらで投稿させてもらう予定です。
主人公、田野田天美については、まず、パブーで確認してください。
プロローグ
真知新聞本社前の喫茶店、スクープで二人の人物が話し合っていた。
「総選挙まで、ついに三ヶ月を切ったね」
髪の長い目の鋭い女性の言葉に、記者帽に銀縁眼鏡をかけた男性が次のセリフを、
「ええ、そうすね。八十七日後に任期満了になりますから」
女性は朱雀競羅、男性は野々中数弥、この場所で話し合う常連客たちだ。
「しかし、今回は与党、かなり、まずい状況だね」
「仕方ないんじゃないすか、身から出たさびすよ」
「本当に参ったね。二人の現役大臣が三か月をおかずに、失脚をするなんて」
「ええ、両名とも殺人容疑す。特に後者の事件は、ひどい内容でしたからねえ。そのことで、もう国民は怒り心頭すよ。あのときは改造内閣でまぬがれましたけど、今回の選挙で間違いなく政権交代になるでしょう」
「けどね、参議院は、まだ与党の自由共和党が過半数をしめているのだろ」
「確かにそうすけど、ほんの数名うわまっているだけすよ。野党に転落したら、寝返りをしそうな人たちも、かなりいるみたいすね、表だっては名前は出ていませんが、すでに、国民生活党に接触している議員の情報は上がっています」
「王野さんも頭が痛い状況だろうね、国民生活党か」
競羅の言う王野というのは、王野竜英首相のことだ。
「ええ、半年前すか、元与党の幹事長だった白取氏が、王野総理と袂を別れ、離党後に当時の野党をまとめて創設した政党す。現在、衆議院で二百二十名ぐらいすか」
「そんなこと誰でも知っているよ。今、説明すべきことでもないだろ」
「そうなんすけど、つい、言葉に出てしまって」
数弥は頭をかいていた。
「何はともあれ、選挙になったら票を伸ばすだろうね」
「ええ、三百人は確実に超えると予想されています。だから、政権交代なんすよ」
「しかしまあ、なぜ、この時期に総選挙なのだよ」
「時期も何も任期満了すから」
「もっと、早く解散をすればよかったのに」
「いや、与党が絶頂期のときに解散の予定はあったんすよ。それが、あの邦和の事件で、政審会長が失脚をしてしまってできなくなってしまったんすよ」
「ああ、そうだったね」
「ええ、そこで、白取氏が政治改革をしなくてはならないと言って離党したんす」
「ああ、やはり、ことの始まりは、あの子の来日からだったね」
競羅は、しみじみとした口調で答えていた。
第一章
その日も、競羅に、あの子と呼ばれていた田野田天美はスクールバックを肩にかけ、新宿区大久保、職安通りから、一筋中に入ったところに建っている建物の前に立っていた。
そこは、彼女が通っている学校で、学校といっても、正式な教育機関ではなくNPO法人が経営するセンタースクール扱いの専門学校なのだが、
名称は、フォリジン・レジゼンス・サポートスクール、在日外国人への補助教育をするところだ。歴史、経済、政治学、法律、一般社会という分野に分かれ、生徒たちは、それぞれの講師方に従って授業を受けていた。このセンタースクールで、授業を受ける資格があるのは在日(特別永住者証明書)の持ち主だけである。
彼女も、南米の一国、セラスタ生まれの日系人で、身長百五十九センチ、体重四十四キロ。ショートでウルフカットの黒髪。正式名は、アマミ・ボネッカ・カスタノーダである。
さて、なぜ彼女が、この学校に通っているのかというには、むろん理由があった。
ことは一週間前、天美が小料理屋で下上朋昌警視正と会ったことから始まる。
実は、お互いに気がつかないながらも、天美と警察官僚である下上警視正は、実の叔父、姪の関係であった。天美の実母、朱雀(旧姓下上)愛美が警視正の姉であったからだ。
彼女の両親の朱雀夫妻は、仕事でブラジルに住んでいた時、セラスタ政府に抵抗するゲリラが引き起こした事件の巻き添えをくらって、不慮の失踪をとげてしまった。
彼女は、日本で大きな刑事事件に巻き込まれ、この下上警視正と知り合ったのである。
その料亭で、食事をごちそうになりながら天美は、
「それで、刑事さん、わったしに、どういう話あるの?」
と尋ねていた。年上に敬語が使えないのと、助詞が言葉足らずなのは、やはり、完全に日本語をマスターしていないからである。
「話っていうのかな。君、学校っていうものに興味がない?」
「えっ、学校!」
警視正の言葉に天美は目を丸くした。まさかの言葉が返ってきたからだ。場の雰囲気から、また、能力を使うような面倒ごとを頼まれる感じがしていたからだ。
「あの、学校っていうと、勉強とかそういうことする?」
そのあと戸惑ったように答えた。
「そうだよ。勉強するところかな。その学校に通ってくれないかなと思って」
「なるほど、今度の刑事さん、捕まえたい悪い人たち、学校内にいるのね」
天美は知ったかのような顔をして答えた。内心ではやはりと思いながら、
「いや、今回は、まったく、事件にも仕事にも関係がないのだよ。まあ、端的に言うと、ただ勉強をしにいくだけかな」
「でも、どうして、わったしがそんなことを」
「そんなことって、変なことを言うね。学生は本来は勉強をしないといけない立場だろう」
「そうかもしれないけど」
「そうだろう。勉強って必要だよね。これから生きていくためにもね」
答える警視正の眼は笑っていた。
「それは、わかるけど、急にそんなこと言われても」
「なあに、手続きのことは心配ないよ。私たちの方で手配をするから」
「わったしたち!」
天美が疑問の声を上げた。その声に警視正は慌てたように、
「私たちって、私と家内のことだよ。実は今回のことは家内の要望なんだ」
「確か、刑事さんの奥さんって、近くのあの人でしょ!」
「そう、京港署の少年係長を拝命しているよ。その家内が、以前からうるさくてね、『あなたも、よく知っているでしょ。管内の天美っていう日系人の子、学校へ行っていないようだけど、いつまでも、このままにしていていいの。ほかっておくと、また妙な事件に巻き込まれるでしょ』とか、なんとか毎日、同じようなことを言ってきてね」
「それで、奥さんの言うこと素直に聞いて、わったし学校に入れるつもりなの!」
天美の口調が厳しくなった。少し呆れているというか、
「はっきり言うと、そういうことなのだけどね」
「それは、やっぱり」
天美は露骨にいやな顔をした。
「いやかい?」
「その通り、いや! ざく姉だって、所長さんだって、高校出てないでしょ」
天美はそう答えた。ざく姉というのは、最初に出てきた朱雀競羅、これまた叔母にあたる人物だ。下上警視正が母、愛美の弟なら、競羅は父、煬介の腹違いの妹である。
彼女が日本で生活するようになったとき、神の与えた偶然なのか、最初に知り合った人物が、いまだに叔母とは気がつかない、今、話に出てきた朱雀競羅なのであった。
また、所長というのは、同じく、ある事件で天美が知り合った探偵会社フェアリーサーチの探偵所長、外村御雪のことだ。彼女は天美の後見人を自認していた。
警視正は苦笑しながら言葉を続けた。
「そうだね、その通りだね。でも、彼女たちは高校には行ってないけど、専門学校はでているはずだよ。二人が知り合ったのは、その専門学校だと聞いているからね」
「知ってる、わったしも、ざく姉に説明してもらったし」
「となると、話は早いかな。君も専門学校ぐらいは行かないと」
「まあ、そうなんだけど」
天美は答えながら、言葉が濁った。
「面倒という気持ちもわかるけどね。私たち、つまり家内だけど、どうしても、君には学校に行ってもらいたいみたいなんだ。そのため、便宜をはかるって言っているし」
「そんなことを言われたって」
天美は戸惑っていた。そんな申し出を受けるいわれがないからだ。(実際のところは、お互いに知らないながらも、叔父、姪の関係なので、世話になってもよいのだが)
一方、警視正は、その困惑している天美の態度をじっと見つめていたが、
「頼むよ。家内としては、どうしても、その仕事をやり残したくないのだよ」
「えっ、どういうこと?」
天美は、その言葉に反応した。
「実は、家内だけど、一ヶ月後の次の移動で本庁に完全復帰をする予定なんだ」
「完全というと」
「言葉通り、完全転属ということかな。本庁少年課の少年育成担当係の主任として」
「つまり、あの近くの警察署からいなくなるのね」
天美は答えながら歯を出していた。後、佑藤という二人の警官が、やたらと世話をやいてくるのは、後ろ盾である下上警部の存在が大きいということを知っているからだ。
「おや、嬉しそうだね。それで、その本部専任の理由だけど、どうやら、前任の係長のやり残した仕事を、ただ一つを残して終わった、ということでね」
「ふーん、そうなんだ」
「おや、その、ただ一つを聞きたくないのかな」
警視正は水を向けたような顔をして言った。
「別に、どうせ、大したことじゃないのでしょ」
「なんか、つれないね。こういう言い方をすると、聞きたがると思ったのだが」
「どうして? わったしに関係ない話だし」
「ははは、関係ないか」
警視正は思わず失笑をした。
「何か変なこと言った」
「いやいや、一番、関係があることだったのだよ。その仕事というのは、実は君のことだったのさ。君の親御さんを見つけて、きちんと学校に通学させることが、前任係長の意思だったみたいでね。その係長さんというのは君もよく知っていた人だよ」
「わったしの知っている人?」
「そうだよ。名前は忘れちゃったけど、君の前で殺された女性警官だよ。彼女は、家内の同期でね、だから、その意志を継いで、わざわざ京港署に赴任をしてきたのさ」
「確かにそんなことが・・」
ここで、急に天美の顔が暗くなった。自分のせいで命を落とした、少年係の主任、藤原警部補のことを思い出したからだ。そして、警視正は言った。
「彼女のことを思い出したみたいだね」
「一応、一晩、泊めてもらった恩あったし」
「では、だいたい、事情はわかったね。そういうことで、家内は亡くなられた彼女の残された意思を継がないといけないのだよ。その残された最後の仕事が、君の親御さんを探して、学校に行かせることだったのだけど」
「でも、わったしセラスタ人で、親御さんいないこと、わかったでしょ」
「そうだけどね。学校へ行かせる、っていうこと自体が意思だろ。実はね、その亡くなられた女性の警察官のことだけど、亡くなられる前日に家内にメールを送っていたんだ」
「それって、もしかして?」
「今、思った通りだよ。家内に言わせたらピンポーンかな。君のことを送っていたのさ。『家出少女を見つけて、その保護者捜しに、今、奮闘中』というような内容のね。だから、家内は君のことを気にかけていたというわけだね」
警視正の言葉に天美は無言になった。その様子を見つめながら、警視正は次の言葉を、
「そういうあれこれがあって、家内にとっては、君の面倒を見ることも意思の一つになったんだ。でも、移勤ということになってしまってね。困ってる状況なんだ」
「困るって、ただ、移ればいいだけでしょ」
「それが、家内も義理堅くてね。同期の意思をどうしても達成したいという気持ちで一杯なんだ。君はよく知らないと思うけど、この世界、同期の絆って、とても深いんだ」
「たとえば、よく来る、あの二人組みたいに」
天美は皮肉っぽい口調で尋ねた。二人の女性警官には、一物、持っているからである。
「そうだよ、家内の部下だったかな。あの二人はいい例だね。確か翔子ちゃんと恭子ちゃんだったかな。あ、思い出した、亡くなられた警察官の名前は珪子さんだった。よく珪ちゃん、珪ちゃんと言っていたからね。まあ、そういうことで、家内と珪子さんの結びつきは深かったのだよ」
「でも、だからといって・・」
その天美の言葉をさえぎるように警視正は言葉を続けた。
「同期というのはね。それだけ、私たちの世界では特別なんだ。だから、特例として本庁と所轄の二つの仕事を掛け持つことを許してもらったんだ。まあ、身内をほめるわけではないけど、そういう特例を認めてまで、本庁に復帰してもらいたかったのだろうね。でもね、これからは、そうはいかなくなってね。新たに発足するプロジェクトのリーダーとして、本庁専属になってもらわないと、ということが決まったみたいで」
「新たなプロジェクト?」
思わず天美は反応した。
「そこまでは知らないよ。まあ、少年課のことだから、青少年に対する、新しい何かが発足するのじゃないかな。彼らへの行動監視は、これまでより、厳しくなることは間違いないな。それにね、たとえ知っていても教えるわけにはいかないよ。機密事項だからな。だいたい、今回の家内の移動のことだって、ある意味、まだ関係者だけしか知らないことだよ。もらしたことがばれたら、さすがに懲戒ものかな、それを話したということは、私たちの気持ちはわかってもらえたかな」
「気持ち、うーん」
「とにかくね。さすがに、今回の辞令を拒否したら家内の立場もまずくなるよ。今までは同期のためと温かい目で見ていた上層部だって、『やっぱり女はダメだなあ。いつまでもノスタルジーにひたって、結局、重要な仕事は女には任せられないな』という態度になるからね。そういうことで、九割は移勤を決心したみたいだけど、やはりまだ、悩んでいるみたいでね。君が学校に行ってくれさえすれば解決をするんだよ」
「でも、急に学校にと言われたって・・」
「だから、この際、専門学校でもということで話をつけているんだ。当然、家内としては、きちんとした全日制の学校を望んでいるようだけど、それなりの手続きに時間がかかるからね。それに、専門学校なら、さっきも話に出たように、競羅君たちも通学していたことがあるから、君だって異論はないだろう」
「確かに、そうかもしれないけど」
と天美は答えてしまった。色々と聞かされているうちに面倒になってきたからだ。
「よし、それなら、決まりということでいいね。では、入校の手続きは私の方でしておくから、しっかりと勉強をしてくれよ。それと競羅君には内緒だよ」
「えっ、ざく姉にも」
「そう、彼女、ああ見えても、気に入った人物にはかなりのお節介焼きだから、色々とまずいことになるかもしれないからね。それも約束をしてね」
その結果、このように通学することになったのである。
学校の前には一人の青年が立っていた。赤いシャツを着た三十半ばぐらいの、
天美は、その青年に向かって声をかけた。
「パク先生、こんにちは。今日も、よろしくお願いします」
と笑顔で。だが、そのパク先生は顔をしかめながら、
「アニョ、アニョ、間違っているよ。前も教えたよね。あいさつは、こんにちはでなく、アンニョンハシムニカだと、きちんと聞いていないとダメだよ」
という返事をしたのだ。
「そうだったかな」
天美の戸惑っている態度をよそに、パク先生は、
「クレヨ(そうだよ)、忘れてはいけないよ。先生にあいさつをするときは、アンニョンハシムニカ、これ、当たり前のことだからね。では、もう一度、お願い」
「さっき、したのに」
「だから、さっきのは、ここでの、あいさつじゃないの。きちんと、あいさつをできない子なら、この学校には入れないよ」
「それは困るのだけど」
「では、正式なあいさつをしようね」
結局、天美は心の中では何か変と思いながらも、
「アンニョンハシムニカ、パク先生」
と返事をしたのである。パク先生は、にっこりすると、
「アンニョンハセヨ。田野田さん」
と笑って答え天美は学校に入った。
次は授業である。今日の授業は一般社会であった。社会学の講師は、姚白純という名の三十代前半の女性が担当していた。
日本語が堪能らしく、授業は日本語が主である。だが、その授業内容は!
「さて、今日は、運転免許証について説明をしましょうね。自国の免許を取得している人たちも、日本で運転をするには独自に免許がいります。国際運転免許証というのも存在するのですが、色々と規制がありまして、補助的なものとして考えてください」
最初は普通の前置きであったが、雲行きがあやしくなってきた。
「大きな理由は、交通ルールの認識違いです。国際的には、歩道がない道路は歩行者は左側を、車は右側通行だということは皆様はよくご存知ですね」
〈えっ!〉
天美は内心驚いていた。一方、姚先生は普通の態度で言葉を、
「当たり前ですよね。対面通行が国際的ルールなのですから」
〈確かにそうなのだけど、何か今回の授業も変〉
だが、他の生徒たちは変だとは思ってないようである。総勢、十四人いたが、そのうち十人ぐらいは、にんまりした勝ち誇った笑みを浮かべながら授業を聞いていた。
姚先生の授業は続いた。
「左側通行の国は、時がたつにつれ減ってきています、今では五十カ国ぐらいですか。アジアは三分の一以下、アフリカも四分の一以下です。ヨーロッパにいたりましては、なんと三カ国しかありません。南北アメリカ大陸も右側通行です」
「先生!」
思わず天美は、我慢をできず手を上げてしまった。急に姚先生は厳しい顔になると、
「田野田さん、何度も言いましたでしょう。女性には先生と言ってはいけないと」
「でも、ここは日本だし」
「今は私の授業中なのです。他の皆さんは、私をどのように呼ぶのかわかっていますよね」
「ラオシー」
生徒たちが一斉に発した。
「そうです。正解です。田野田さんわかりましたね。これから、それでお願いします。さて、それよりも、田野田さん、私に尋ねる事とは何でしょうか?」
「あっ、そのこと、わったしも南米出身なんだけど、車って左側走ってたような」
「あなたのお国って、どこでしたっけ?」
「セラスタだけど」
「そうでした。南米にはセラスタもありましたね。あの国も確か、インド、オセアニアや中米の島々同様に、一昔前に大英帝国の植民地でしたか」
姚先生はそう答えた。だが、その表情はこわばっているようである。
「そうなのだけど」
「そうですね。うっかりしていました。実は、今少し言葉に出ましたけど、もともと、車文化というのは大英帝国が発祥なのです。皆さん、産業革命というのを知っていますか」
一人の生徒が挙手をした。そして、その生徒に続き五人ぐらいの生徒が同様に挙手を、
「六人ですか。まだまだですね。産業革命というのは、一七世紀ごろ、イギリスで始まったもので、当時は・・・・・・・・・」
そのあとも、姚先生の話は長々と続いた。もともと、姚先生は歴史の方が得意科目なので、こういうことには妥協をしないのだ。
「その一つが辻馬車です。辻馬車が制定される前も馬車というのはありました。荷台を馬にひかせていれば、形の上では馬車ということになりますから。富豪の人たちは、適当な場所を見つけて馬を走らせていました。ところが、それでは統制がとれません。
そこで、一六二五年、辻馬車という制度が始まったのです。辻馬車というのは、今のタクシー、いやバスなどのもと、となるものです。お客というものを設定し、彼らから運賃をいただき、目的地まで運んでいくという制度です。長い歴史がありましたが、今までは、そのようなことは行われなかったのですね」
姚先生はボードを使いながら丁寧に授業を進め、生徒たちもノートに、授業の内容について記入をしていた。姚先生の説明も続いた。
「さて、辻馬車制度を導入するとなりますと、出発地、目的地などの停留所等を含め、きちんとした道路の設備が必要となります。馬車の数が増えますと、歩行者との接触、交差点での衝突事件も、今まで以上に発生しますので、その対策も必要となります。その際、道路の整備とともに、車は左側通行をしなければならないと決められたのです。
また、そうなりますと、色々と物資も足りなくなります。道路を整備するためのモルタル、今まではレンガなど建物建築だけに用いたのですが、地べたにまで使うのですから大量の砂利がいります。金具も安全性を高めるために、より材質のいい鉄鉱石が求められます。蒸気機関車というのも発明され、線路が引かれるようになってからは、ますます、その需要は高まります。さて、大英帝国は、そのために何をしたのでしょう」
「ラオシー」
生徒の一人が手を上げた。姚先生はにっこりすると、
「チャン君、では、お答えできますか?」
「他国侵略」
と中国語で答えた。彼もこわばった顔で、
「そうです。前回も、その前の授業でもお話しましたように、悪名高き大英帝国は、文明を発展させるために他国を侵略して大きくなっていたのです。わが国も同じように日清戦争後に侵略されました。そのせいで、香港は、いまだに左側通行となっています。このように、大英帝国に侵略された国々は悪しき風習をひきずっています。インドやオセアニア、中南米の島々は、現代でもその悪しき呪縛から解けていませんし」
姚先生は悪という言葉を何度も用いた。それだけ、イギリスを嫌っているのであろう。
「結局、私たち普通の国の人たちは、戦後、国際的ルールに従って、右側通行を選択しました。それが国際的ルールと、まだわかっていない気の毒な国は、そのまま左側通行を続けているみたいですね。さて、ここで問題です。右と左、二つの通行方法の、全世界における道路の距離は、どれくらい違うか皆さんわかりますか」
「二倍」
「三倍」
「いや、五倍ぐらいはあるのじゃないかな」
生徒たちから口々の声が上がった。姚先生は、その答えを聞きながら苦笑をすると、
「いいえ、実は何と九倍なのです。右側通行九十%、左側通行十%ですか」
生徒たちから、ため息がもれた。みんな、まさかと思っていたようである。
「しかし、本当に迷惑な話ですよね。それだけのために、わざわざ右ハンドルの車を作らないといけませんし、国境を越えたら、車の運転意識を逆に変えないといけないのです。そうなりますと大きな混乱を招きますし、まるで、事故を誘発してくださいと言っているようなものです。はっきり言って、そのことをわかっているのに変えないということは、国際的に協調性がない、ということを世間に公表しているようなものです。アフリカの諸国が、次々と是正していくのは当然だと思います」
「ラオシー」
別の生徒が手を上げた。
「パオさんですか。何か意見がありますか」
「わたしも思う。この国、国際的協調性足りない」
パオと呼ばれた女性は答えた。他の生徒たちも、その意見にうなずいているようである。
「ヤー」
また、別の生徒が挙手をした。
「マートュヨさん。何ですか?」
「私たち、インドネシア人はどうすればいい」
マートュヨと呼ばれた女の子は不安顔をして尋ねた。
「それは、難しい問題ですね。今までのことを変えるというのは難しいですから。ですが、粘り強い信念を持つことです。国際的協調性を持つためには、やはり、すべてを国際的ルールに変えていかないといけないということです。本当に難しいことですけど、いずれは、やりとげないといけないことでしょう」
「わかりました。がんばります」
二人の生徒たちが私語をしていた。タイとマレーシアの生徒である。彼女たちも姚先生の言葉に共感したのか、お互いに決意をひめたような顔をしていた。
一方、天美の方は、
〈やっぱりおかしい、この授業〉
と思っていた。その顔が目に入ったのか、姚先生は話をふってきた。
「田野田さんは、どう思いますか? 自分の国についてですけど」
「わったしのいた国怖いとこだから、そんな運動なんかしたら、ひどい目にあうだけだし」
天美はそう答えた。
「そうですか。世界には、そのように自分の意見が言えない国があります。その点、私たちの祖国は、そのようなことは決してありません。自由に何でも言うことができます」
〈えええっ〉
姚先生の言葉を妙な気分で聞いていた。
〈確か先生の国だって、一党独裁で、自由に何でも言えないって聞いてるけど〉
と思いながら、だが、そんなことを反論しても仕方がないので、
「それより、どうして、あとからの国、右側通行にしたの? だって、アメリカって、もともと、イギリスの人たち移住した国だったのでしょ」
と質問した。理由も知らないのもそうだが、話の風向きを変えたかったからだ。
「いい質問ですね。それは、拳銃のホルスターの位置が関係しているといわれます」
「拳銃?」
「そうです。北アメリカ大陸は原住民の少ない広大な開発地でした。野性のどう猛な動物が多く、人々は自分の身を守るため拳銃を所持することになったのです。ここで、質問をしますけど、人というのは右利きの人が圧倒的に多いですよね」
「そ、そうだけど」
左利きの天美は戸惑いながら答えた。
「でしたら、話はわかりやすいと思います。右利きの人が拳銃を用いるとしましたら、ホルスターは、普通、腰のどちら側につけるでしょうか?」
「あっ」
生徒の一人が思わずそう声を上げた。姚先生の話の筋が読めてきたのだ。その生徒の反応に姚先生は、にっこりとすると、
「そうです。当然、右側ですよね。何かあったときに、銃を素早く抜かないといけませんので。となると最初、通行のルールがなかったとき、困ったことが起きたのです。狭い通路を通行中、お互いのホルスターがぶつかってケンカになったのです。血の気の多いガンマン同士ですから殺し合いに発展しました。その結果、暗黙の了解で、ガンマンたちは右側通行をするようになりました。よって車も同様に右側通行になったのです」
複数の生徒たちから、再び息がもれた。納得をしたからだ。
「でも、それだけではないと思います。何か、他にも欠陥があったのではないでしょうか」
「欠陥?」
姚先生の言葉に思わず天美は復唱した。
「右側通行はナポレオンが取り入れたと言われています。進撃中、左側では馬車の連帯がうまくいかなかったということで、征服した国は、すべて右側通行になりました」
「でも、それが欠陥とまで、言い切れないと思うけど」
天美は食い下がった。
「ですから、有事の戦術的には適さないような欠陥があったのです。大切なのは、普段の一般の生活よりも有事ですから」
姚先生の口調に熱が入ってきた。有事の方が生活より大切、これが、彼女の国の教育の根幹なのか、その姚の熱を帯びた言葉が続いた。
「有事はいつ起きるかわかりません。明日でも起きるかも知れません。私の国の話になりますと、いつ、隣国から攻められるかわからないのです」
「隣国って」
「ロシアもしくは日本です」
「日本が攻めてくるわけないでしょ」
「そうですか、ロシアはともかく、日本が世界から敵国と思われているのをご存じですか」
「敵国って!」
天美は思わず驚きの声を上げた。
「あなた、以前の授業の話、きちんと聞いていましたか。世界の正式機関である国際連合では、まだ、日本は敵国条項からはずされていないのですよ」
姚先生の言葉に他の生徒たちは、また、にんまりと笑っていた。
「そんなわけないでしょ」
「事実なのです。日本は世界から見たら敵国なのです。そういえば、あなた、確か前回も同じように、私の話に、このような態度を取ってきましたね。自分が、私の授業をきちんと聞いていなかったことを反省もせずに!」
姚先生の口調が激しくなった。
「そうだったかな」
天美は、心の中でしまったと思いながら、そう答えた。
「このままでは、あなたには単位をあげることはできません、今一度、世界情勢を理解していただくために、あなたには、明日、補習を受けてもらいます」
姚先生は、より厳しく言い放った。他の生徒たちは、ざまあみろ、という感じである。
こうして、その日の授業は終わったのだが、天美は姚の言いつけどおり、翌日、自分だけ補習を受けることになったのである。