第百一話 川蝉での相談
十時頃、俺達は客間で緑茶を啜り、他愛のない話をしながら、野分さんと堤ちゃんの準備が終わるのを待っていた。
「彩芽、大丈夫?」
千姫が、先ほどのことを思い出し、心配そうに聞く。だが、当の彩芽はゆったりとした様子で緑茶を啜っていた。
「大丈夫よ、さっきは少し辛かったけど、もうすっきりさっぱりよ」
湯呑を置いて彩芽の言葉に、千姫は安心したようにほっと胸を撫で下ろした。
「あれは、何?」
ほっとした千姫は、野分さんが見ていただけで彩芽が冷や汗をかいたことに疑問を抱き、俺に質問をしてきた。そして俺は、少し考えた後に言った。
「多分だが、あれは魔眼の類いではないな」
「そうなの?私、あの目で見られている時、赤力みたいなものを感じたんだけど……」
「あぁ、確かに、微量の赤力は感じた。意識を集中させてる時にたまに起きる無自覚症状みたいなもんだ。魔眼ならもっと分かりやすいぐらいに赤力が溢れ出るはずだ。まぁ、もしかしたらこちらがそう考えるように仕組んだのかも知れないが……」
「いえ、おじいちゃんは魔眼を持っていませんよ。あれは魔眼や赤力術式の域にまで達しているほどの洞察力です」
俺達が考察をしていると、後ろの襖が開き、白ブラウスの上に薄茶のカーディガンを着、子供らしいタータンチェックのプリーツスカートを履いた、堤ちゃんが現れた。
「やぁ堤ちゃん。準備は終わったのかい?」
俺がそう話しかけると、堤ちゃんはくるりと一回転をし、姿を見せながら「はい、準備終わりました」と言った。
「すみませんでした椎名さん、おじいちゃんがご迷惑を」
堤ちゃんが深く頭を下げながら言うと、彩芽は両手を振って言葉を返した。
「ううん、良いのよ。堤ちゃんのことを心配しての行動だろうからね。信用も得られたし。……まぁ、私の心がとか言ってたのが気になるけど」
彩芽がポリポリと頬を掻きながら言っていると、堤ちゃんの後ろから野分さんが現れた。
「待たせてしまってすまないね」
野分さんがそう言って一礼をし、彩芽の疑問に答えた。
「私は集中して人を視ることで、些細の動きなどから言葉の真偽や、性格を理解しているに過ぎない。だから安心してくれ、別に心を覗いたとかそういうものではない」
野分さんがそう言うと、彩芽や「そうなんですね」と言って安心していた。誰しも、安易に心の内側を見られたくはないだろう。そう言うものを簡単に覗けてしまう魔眼も存在しているが……そう俺が思考している間に、野分さんは湯飲みの片付けを終わらせていた。
「それでは行きましょうか」
俺はそう言い、川蝉の本部に向け、乗合馬車などを利用し、三十分ほど時間を掛けて辿り着いた。案内役の俺は先頭に立ち、受付の方に話しかけ、タイミングよく執務室にいると分かった為、全員で向かった。執務室の扉をノックすると、「どうぞ」と声が聞こえ、俺はみんなにアイコンタクトを取った後に、「失礼します」と言いながら、ゆっくりと扉を開けた。その扉の先には、数枚のを見ながら思考している織曖さんの姿があった。
「やぁ、随分早く、それに大人数での到着だね。昨日は放課後に来ると言っていたが……」
織曖さんは書類から目線を外し、俺達のことを確認すると、持っていた書類を置き、椅子にしっかりと座りなして聞く姿勢をとった。俺は突然の来訪を、謝罪を込めた会釈一つで済ませ、話し始めることにした。
「はい、予定より早く事が進みましたので。少し時間がかかるかもしれませんが、織曖さん、今時間はありますか?」
「えぇ、最低でも後一時間は特にないわね」
俺の質問に、織曖さんは返答をし、俺に続きを促した。
「昨日、こちらの野分邦彦が依頼した事を、俺達が解決してしまったのでその話と、これからの対処について話し合いたいと思っています」
俺がそう話すと、織曖さんは俺から目線をずらして野分さんを、そして彩芽と千姫の間に息を潜めていた堤ちゃんの方を見て納得した表情をした。
「確かに昨日、うちに子供捜索の依頼を野分さんがしたているね。成る程、アイツが捜索をするなら先に誠へ連絡を取ってくれと言われてな。念の為捜索班は出したが、お前にも連絡を入れるつもりだったのよ」
俺は、織曖さんにアイツと呼ばれた人物にがすぐに思い当たり苦笑いをしたが、彩芽達は思い当たらないようで首を傾げて、俺の顔を見た。
「アイツって言うのは川蝉のメンバーだよ。彩芽は現場にいただろう?俺と話していたやつだよ」
俺がそう言うと、彩芽は思い当たったようで「あぁ、あの媚び諂っていた人か」と言った。彩芽はその後にすぐにハッとしたような顔をして口を噤んだが、事実その通りなのだ。その男、バイロンとこ重倉雄二は実力はあるものの自身より上の人をよいしょする癖があるらしく、飄々とした態度と相まって煙たがる人は少なくない。但し部下への信頼は厚いらしいが……。
「まぁアイツは自分の言葉飄々さを理解していっているからね、少しなんか言った所で気にしないだろうさ。口こそ飄々としているが、根は良い奴だからね」
織曖さんはそう言った後、卓上ベルを二回鳴らして、人を呼んだ。ささやかにしか音を発しなかったが、人はすぐに現れた。
「失礼します、どのようなご用ですか……って誠先輩どうしたんです?」
扉を開けて入ってきた明るい少女は猫宮 小雛言う川蝉のメンバーである。
「雛か。今日はちょっと川蝉の依頼に関して用事があってな」
「そうなんだ、あれ?今誠先輩依頼の受注はなかった……ですよね?」
「あぁ受注はしていないよ。少し、事件に首を突っ込んだら川蝉に依頼を出していたみたいでな」
「なるほど〜、それで今いるんですね。あ、そうだ誠先輩。余裕がある時で良いんですけど……」
「゛んっ゛んん。小雛」
俺達が話し込んでいると、織曖さんが咳払いをし、雛の事を呼ぶ。すると雛は驚いた様に体をビクつかせた後、こちらに近づいて「今度時間がある時、付き合ってください」と小声で言って、織曖さんの元へ向かった。そして雛が織曖さんから言伝を聞いていると、彩芽が少し苦い顔をしてこちらを見ていた。
「どうした?」
俺が聞くと彩芽は「ううん、気にしないで」と言った後に「彼女は?」と質問をしてきた。
「彼女は俺が川蝉に入った少し後に入って来た俺の後輩だよ」
俺の返答に、彩芽は「そう」と一言だけ返した。心なしか、苦い顔ではなく、少しムッとしている様な気がした。
「失礼しました」
雛がそう言って退室すると、織曖さんはこちらを見た。
「取り敢えず依頼は完了と言う事で、捜索隊は撤退させました。今回は依頼としてではなく依頼を達成した為、後払いの依頼完了費は必要ありません。それでこれからについてですが、誠から細かい内容を聞いた後、話し合いたいのですが少しお待ちいただいてもよろしいですか?」
織曖さんの言葉に、野分さんと堤ちゃんは了承し、織曖さんの案内で執務室の横にある客室に移った。そして少しして戻ってきた織曖さんは、もう一度卓上ベルを一回鳴らした。するとすぐに書記担当のメンバーが現れ、織曖さんの側に立ち、書く準備を整えた。
「話してくれ」
俺はその一言を聞いた後、事細かくこれまでの事を話した。数分後全てを話し終わった俺は、織曖さんの思考が終わるのを待った。
「よし、野分さん達の反応にもよるが、こちらで護衛をしよう。少し前から、魔眼所有者の誘拐は少なからずあったからな。被害をこれ以上増やしたくない。一度襲われたのなら、もう一度襲われる可能性は低いが、魔眼が魔眼だ。あれは万華鏡の魔眼だろう?あの魔眼は、美術品としての価値ももちろん、武器としての利用価値も高い」
「そうなのですか?」
俺は万華鏡の魔眼に対して詳しくなかった為織曖さんに質問すると、織曖さんは真っ直ぐこちらを見ていった。
「万華鏡の魔眼は高い殺傷性を持った武器だ。存在を確認されている個数も片手で数えられる程だから知らなくても無理はないが、過去、この魔眼を巡って多くの人、魔眼を奪おうとした魔眼強奪者が殺された」
「魔眼強奪者達はどのように殺されたのですか?」
俺が続きを聞くと、織曖さんは右手を手刀のようにし、自身の胴体を斜めになぞった。
「斬られた、切断された、と言うよりは体がズレた、空間ごと横に移動した、と言った方が正しいような跡だったわ。最初はピアノ線や空間切断系の赤力術式を疑ったんだけど、魔眼固有の濃縮された赤力が検知されてね。だけどそれが分かった時には、魔眼を奪おうとした者十九人が死傷、通行人三人が重症、万華鏡の魔眼保有者も魔眼を抜き取られ、死亡した後だったわ……」
解決したとは言えない、なんとも後味の悪い結果に終わったことを、織曖さんは悔しそうにしながら言った。
「状況証拠から見ても、万華鏡の魔眼保有者がやったとこに間違いはないはずだ。だけど当の本人は死んでいるし、目撃者もいない。万華鏡の魔眼でどうやってズラしたのかが分からないんだ」
その場に残った赤力は、赤力術式と同じで通常の赤力粒子に戻っていてどんな赤力術式が発動したか分からない。それに、魔眼は他の赤力術式に無い特殊な能力がある為、特定できないでいる。
「だから、彼女に少し話を聞きたんだよ」
「分かりました。二人を交えて話し合いをした後、堤ちゃんを連れてきます」
そう言って、俺は隣の部屋の扉をノックした。
「はい」
数秒もせずに扉が開き、彩芽が顔を見せた。
「堤ちゃんと野分さんと話がしたいんだが、今大丈夫か?」
俺がそう聞くと、彩芽は頷いて堤ちゃんと野分さんを連れてきた。俺は彩芽に「ありがとう」と言った後、二人と織曖さんのいる場所に行き、手前のソファに座った所で、話し合いが始まった。
「では、護衛を了承する、と言うことでよろしいですか?」
織曖さんが聞くと、野分さんはしっかりと頷いた。
「えぇ、川蝉に直々《じきじき》護衛いただけるなら願ってもないことです」
「実際には少し遠くから監視する形になりますので、実生活に影響はないと思います」
その言葉を聞いて、野分さんはより一層頷き「ありがたいです」と言った。
「では、そう言う事で。……それともう一つ、この件とはあまり関係がないのですが、聞きたいことがあるのです。よろしいでしょうか?」
織曖さんが聞くと、野分さんは少し首を傾げながら頷いた。だが織曖さんの視線は、野分さんではなく、堤ちゃんの方に向いていた。
「私……ですか?」
堤ちゃんは少し心配そうに俺と野分さんに視線を向けつつ、織曖さんに返答した。
「ごめんね、何をするか言ってないから心配だよね。大丈夫、君の魔眼について、少し聞くだけだから」
堤ちゃんはその言葉にほっと息を吐いて、頷いた。
「協力ありがとう。では、君の魔眼は、何か日常で不便なことはあるかい?」
堤ちゃんはその質問に少し悩みながらも返答した。
「特には……あっ、まぶしかった時に目を手でおおったんですけど、その時、すぐ前に目のあった人が、少し目が見えなくなってしまったみたいで……。最初は関係ないと思ったんですけど、試してみたらまばたきをしないで人と目を合わせて、私の目を手で隠すと、少しの時間その人の視界がさえぎられるってわかりました」
「ふむ……その能力は資料にあったような……」
織曖さんはそう言って、机に置いてあったファイリングされた資料を捲る。
「あった、『歪眼景色』。視界不良や視界の歪曲化か。なるほど、目を合わせてから、目を手で覆うと発動ね。書記、記録したかい?」
「はい」
「では、堤さん。他に君の魔眼はどうな能力があるか、知っているかい?」
「えっと、後は……すみません、よくわかりません」
堤ちゃんがそう謝りながら頭を下げると、織曖さんは笑顔で首を振った。
「いいや、このことだけでも五~六年ぶりの進歩だ。それに堤ちゃんはまだ若い。魔眼の能力について分かってくるのは、もう少し後になってからだろう。数年経てば、体の一部として自由に使えるようになるさ」
「は、はい。ありがとうございます」
織曖さんと堤ちゃんはここで話を終え、俺達は織曖さんに一礼し、川蝉の本部から出た。




