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茫々

作者: 藤城一

 ちょうど高く造られた石垣を曲がると、木で出来た小さな民家が立ち並んでいた。石垣も家屋も苔とツタに覆われていて、先ほどから立っている一本道には、一面、膝ほどまで丈のある草どもがところ狭しと生えていて、ときどき吹き抜ける風に揺れてざわめいていた。

 すぐ足元に落ちている、ぼろぼろになった立ち入り禁止の立て札に気付くと、やはりここは変わってしまったんだなあ、と青年は思った。

 青年はこの村の出身だった。この小さな村で生まれ、この小さな村で育ち、勉強し、そのできの素晴らしさにまわりの評価と勧めで都会の大きな学校へと進学した。都会からかけ離れた故郷を思い、ああ、詩人はこんなときに詩を書くのだろうな、と共感しながら、別段上手くもない詩を手紙に書いて友人に送ったりしたのだが、しばらくすると都会での暮らしにもなれ、おいおいと学業も忙しくなり、やりとりの回数は減っていくばかりになって、結局返事は来なくなってしまった。

 学校を卒業し、青年は大きな研究所の研究員になった頃だった、南の方で疫病が蔓延し、死人が出ているという噂を耳にしたのは。村も同じ方角にあるので、心配になった青年は、就職先が決まったことと同時に、流行り病があるらしいですね、気をつけてください、と付け足して手紙を送った。返事はいくら待っても返ってこなかった。それから二、三通同じようなのを送ったのだが、同じように返ってこなかった。

とうとう我慢しきれなくなり、村に帰郷しようとしたが、ときすでに遅く、政府の令で交通機関が全て閉鎖されていた。届けと願った手紙も、配達不可と印されて手元に戻った。

しかたなく青年は連絡を諦めた。が、その代わりに、疫病の病原体を研究し始めた。もともと成績優秀で期待されていた彼は、他に何を考えることなく研究に没頭し、ついに抗体を作ることに成功した。それは危険地域に散布され、しばらくすると様子見ということで、彼には特別に村へ入る許可が下りた。

 誰一人も生き残りにはいないようだった。発生から数年経っているのだから、これが自然なのだろう。生まれ育った村はその隅に閑静にたたずんでいた。

 結局、両親や友、村人の行方はわからずじまいだった。避難しただろう思われた場所にも捜索を頼んだが、誰一人として名前は挙がらなかった。どうしてこう不孝者なんだろうか。あれだけ励ましてもらえた人たちに、何にもできなかった自分がどうしても許せなくなって、青年は拳を握りしめた。

 行く手を阻んでいる背の高い草をかき分けて進むと、よく遊んでいた学校の校庭に出た。手はいつのまにか草の葉で切ったようで、表も裏も切り傷だらけで、汗に染みてじんと痛みを感じられた。校庭も道と同じように、茫々と草が生えている。ツタの絡みついた鉄棒を指でそっとなぞると、鉄のサビが付いた。ずっと雨ざらしになっていた為、見た目もぼろぼろになっていた。青年は運動が大の苦手で、いつも馬鹿にされているばかりだった。そんな彼が一番初めに出来るようになったのが逆上がりだった。どうしても足が上がらずに、先生に押してもらってイメージを掴み、それから何度も何度も誰にも見つからないように隠れて練習して、やっと出来るようになったと思ったら、その頃には友達はムササビだのコウモリだのと上級の技を出来るようになっていて、青年だけ鉄棒を使う日はいつも端で逆上がりだけをしていた。

 見る影もないサッカーゴールを通り越し、学校の裏の、かつて使っていた抜け道に入った。かつてよじ登っていたネットは脚が折れて倒れていて、またいで行くと、すぐそこに小さな川がある。用水路のようなもので、そこにはまだ水が、かつてよりも随分推量が減っているが、流れていた。そこに渡すように通っている細い鉄管を使って、かつては二、三歩飛んで行ったところを、ただ助走を軽く付けて飛んだ。この道は、近道というよりも、冒険するような、遊びの感覚で通っていた道だから、早く帰れるわけでもなく、何故にこの道を通っていたのか、以前あった心持ちはなかった。

 我が家は木造の平屋で、他の民家同様、庭には雑草がのびのびと生えていた。玄関は、どうやら敷居が錆びて腐敗している様で、強引に開ける他ないに加え、動くたびに不穏な音をたてるし、手掛けはぼろぼろで掴みにくい。やっと中に入れると思うと、そこいら中ほこりまみれで、カビや苔が生していた。身体は湿気を感じ取って、鼻はカビとほこりの臭いを感じ取った。

 靴を脱がずにそのまま上がった。毎日光るほどに磨かれていた、暗くじめじめとした廊下を歩いていき、全部の部屋を見回った。居間も、便所も、台所も、仏間も、寝室も、離も、全ての部屋を見回ったが、誰一人の気配もない。誰かが住んでいる感じがしないのだ。

ただ、たしかに荒れていたのだけれど、どこか青年の記憶に合致するところがあり、見つけるたびに彼は視線をそらした。

 そしてたどり着いたのは、自分の部屋だった。実は、先ほどから幾度も部屋の前を往来し、入るのをためらった。向かいの窓から陽の光が差していて、どうして生えたのか、ツタが部屋の扉を守るように覆っていて、その中には、過去の記憶が詰まっているような、とにもかくにも入りたくはなかったのだった。それでも、だからこそ、なお青年は使命を感じ、錆びた取っ手に手を掛けた。存外、ツタは簡単にはがれ、扉を開けさせた。

 部屋は、どの部屋よりも綺麗だった。都会へ出る前、一応身辺整理はしたが、その時よりも、一目でわかるほどに綺麗になっていた。積んでいた本や雑誌はきちっと本棚に戻されているし、片付けが面倒でまとめて箱に入れて隅に置いてあった小物はいたるところに綺麗に配置されている。

 ああそうか。だから入りたくなかったんだ。わかっていた、綺麗になっていることぐらい。この部屋だけ、違う空間にいるような気がすることも。

 カビ臭い本棚から一冊、雑誌を手にとった。昔愛読していた音楽関係の雑誌だった。あの頃は音楽家になりたいと思っていたし、自分には出来ると思っていた。夢見ていた。

 ここだけは手が付いていないようで、種類も本の背もばらついて並んでいた。いくつか同じような文庫本よりも一回り大きな本を取り出し、左から順に背の高さを合わせていった。

 村の入り口まで来て、振り返ってみると、その風景は来た時とどこか違う気がした。

 落ちている立ち入り禁止の看板を見つめ、立て直すことにした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 乾いた風を感じました。短編なのは勿体ない。
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