ごみぶくろ
じっと考えていたお父さんは、急に、あっといって急いでお母さんに聞いた。
「このまえのゴミはいつ出した」
お母さんの答えは木曜日だった。木曜日の夜、黒いビニールの袋に家中のゴミを全部入れて口を結び、寝る前に家の玄関の前に出して、次の朝、いつものゴミ置き場に持って行った。
「それだ。その袋の中にカニが入っていたんだ。そして家の外に出てから夜の内に袋を破って外に逃げた。おそらくどこかが破れていたはずなんだが気が付かなかったかな?」
「気が付かなかったわ。だけどあの袋の中にカニが入っていたなんて」
お母さんはそこで絶句し、ふらっと長椅子に倒れこんだ。お母さんは足が四本オーバーの生き物がとても嫌いなのだった。
このとき二匹は一体どこにいたのか。じつは大ナマズのお腹の中で溶けかけていました、というのはあまりにも可哀そう。そうではない。ここまで一度も名前が出なかった重要な主役がこれから登場する。
二匹の逃げ出した方法は、お父さんが推理したとおりだった。すべてはうまくいったのである。もちろん途中で何度かやめようかと思うほどの大変な苦痛と恐怖と緊張を強いられた。ガラスを持ち上げるときの大変な力わざ。それから蓋の上を歩いて水槽の反対側に行き、そこから蛍光灯の電線を伝わってそっと下におりるときのスリル。慎重かつ急がなければならなかった。タイミングが大事なのだ。ビニールの袋の口がまだあいてるときに入りこまなくてはならない。もちろんあとから切り裂いて入り込むこともできるのだが、そうするとその破れ目から中身がこぼれだす心配がある。もしこぼれたら、きれい好きなお母さんはすぐ袋を取り換えるか、あるいはもっと丈夫な袋に入れ直すおそれがあったからである。
なにしろお母さんは、そのときは台所で明日の食事の下ごしらえをしていた。もしも鋏や足をコードからすべらせて下の床に落ちたら、あの固い甲羅だからゴツンと音をたててすぐ発見され、そのあとお母さんのすごい悲鳴をきかされていただろう。コードは壁際の長イスのうしろをとおっていた。二匹はその長いすの上にそっと移ってそれから床のクッションめがけて飛び降りた。そこで初めてちらっと台の上の水槽を見上げた。ゲン爺は水の底までおりてきてゆっくりと両方のハサミを振っていた。カニンとカノンもハサミを上げて最後のお別れの挨拶をした。
それからカーテンの裾の下を進み、お母さんの足元にそっとしのびよってビニールの袋に無事に入り込むことに成功した。
カニはずいぶん器用なんだと感心される人もいるだろう。カニの関節は少しずつ向きが違っており、全体としては十分になめらかな運動ができるようになっているのである。