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短編小説集

クルヌギアに捧ぐ

作者: 水無月 秋穂

青年の日々は、とても穏やかだ。

あたたかな朝食、快適な寝床、優しい青い空。


けれど時折、青年は夜半に身を震わせ寝台から起き上がっては、ぼんやりと月を見上げていた。




遠く、青い空はどこまでも続いているかのようで、夢を抱くことを止めることができない。


それは希望なのか、残酷なのか―――。


「マーシュ、隠れて!!」


背後から微かに聞こえた叫びと、小さな悲鳴と、その後の無音。


少年は振り返らずに、街に唯一残された広いビルへと駆け込んだ。


全身を汗が伝い、心臓は相変わらず早鐘を打つが、思考だけはクリアだ。

先の悲鳴は、幼なじみの少女のそれだと確信していた。

何故なら、武装勢力に包囲網で囲まれ孤立したここで、まだ生きている人間は、知る限りでは少女と少年二人だけだったから。


つまり、今は……


「…最後が、僕なのか」


ぽつりと吐き出すと、四方から騒がしく迫る靴音。

外からの爆撃で壁の一部が崩れた隙間に身を潜めていた少年は、敢えてそれらの靴音の前に―――自らを殺めるであろう兵士たちの前に、すっと立ち上がる。


「君で、終わりだな?」


早口で兵が尋ね、少年は無言で頷いた。

兵士たちは無表情で、瞳は陰り黒く、まるでどこも見ていないかのようだ。

こんな状況でそれをいびつに感じるのは、少年の危機感が麻痺しているからなのか、諦めからなのか…

少年は、にわかに微笑む。


銃口が複数向けられ、それぞれに目をそらさず見回した瞬間―――


「大丈夫か!? 伏せていなさい!」


響き渡ったのは、妙なアクセントの、故郷の言語の叫び。


少年は素早く伏せつつ鉛玉が無数に飛び交う音を聞く。

頭上で何が起きているのか、粗方は後に理解できた。


…少年を取り囲んでいた武装勢力の包囲網の外には、さらに包囲網があって。

乱立する小国の一部で起きた紛争を抑止すべく、遠い大地から派兵された大軍は、少年を日々追い回していた幾重もの勢力より、圧倒的に上回っていたのだ。






***


いつからか、すらすらと読めるようになった共通言語の新聞を眺めながら、故郷でよく飲んでいた香草仕立ての紅茶を口に含む。


鳴り止まない玄関のチャイムは、先ほどから無視していた。


「マーシュさん! いらっしゃいますね?」


「貢献者表彰おめでとうございます!」


「ご感想を一言!!」


「クルヌギア市街地の復興を異例の速度で完遂させた件ですが、今度あちらに行かれたら何をなさいます?」


「今後はこちらに戻られない、と仰っていましたが、マーシュさんを支援し続けた方々には何かメッセージを送られましたか?」


青年となったかつての少年…マーシュは、小さく肩を震わせ、手に持つ新聞の上に数滴の水滴を溢す。

玄関は、開けないままだ。


耳にキーンと響く声に眉根を寄せながら、ぼんやりと文字列を瞳に映していた。


「どうして…こうも、世界が違う? いや…違うな、おそらくは同じなんだろうさ。同じなのに…きっと、まだ、僕は…迷っている」


マーシュのいま過ごす世界…世間は、至って平和だ。


しかしマーシュは以前、突如平穏が崩れた街の中で、爆音から逃げ回っていた。

すんでのところで命拾いしたものの、マーシュ以外の同胞は生きてはおらず…


穏やかな時間の経過を体感しながら、できることといったら、同胞を弔うために故郷、クルヌギア市街地を整える作業くらいだった。


夢や希望と訊かれても、まだ遠く感じる。

紛争が始まる前にいつか見上げた優しい青い空は、どこに行ってしまったのだろうか。


「姿形が、言語が、思想が違うだけで互いの命をも奪い合うのなら、最初から混じって生きなければいいものを。わからないな…全くわからないよ。――だが、それでも…他者を求めてしまっている。愛したいとも…思ってしまう」


そっと新聞を畳むと、マーシュはゆっくりとドアノブに手をかけた。






「…あの時から、ずっと助けていただいた…恩を、感じていないのではありません。全力で支えて下さった支援者の方々、この国の方々に、心から感謝しています。しかし、僕の故郷はいまも…クルヌギア、ただひとつです。今後は移民や植樹で復興しつつあるクルヌギアに居を置きながら、皆様の日々の幸せを祈っております」


記者たちのフラッシュの眩しさに、マーシュは瞳を細めると、少しだけ口角を上げた。


(すまない…)


誰にともなく、詫びながら――




…FIN…


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