アスカとドラゴン
ここはとある王国。
人が栄え、自然が栄える、世界でも数少ない豊かな国。
アスカはその国に住む、18才の少年であった。職業は、狩人。といっても、狩る獲物は、普通とは異なる。
それは「ドラゴン」と呼ばれるもの。
主に群れで森に住まい、静かに一生を終える。戦いを好まない性格ではあるが、人の姿を認めると、家族を守ろうと派手に暴れたりもする。
わざわざドラゴンの怒りを買う必要もないのだが、人間とて森なしでは生きていけない。木を伐採し、動物を狩り、山菜を採る。
その時、ボディーガードとして雇うのが、ドラゴン専門狩人なのであった。
アスカはその中でも、町と町を渡り仕事を探す、旅人ようなものだ。
気ままな一人旅。少なくとも周りは、そう思っていた。
※※※
「へいらっしゃい!」
オヤジの声が響く。ラーメン屋を思い出させる言葉だが、ここは宿屋である。
「っとお、姉ちゃん、ここに泊まるのか?」
「あ、はい」
姉ちゃんと呼ばれた客――アスカは、控えめに頷いた。
宿屋のオヤジはアスカの揺れる三つ編みを見つめ、整った顔を見つめ、鼻の下を伸ばす。
そしてアスカの訝しげな顔に気が付き、慌てて話を続けた。
「う、うちの宿泊費はこうなっとるが、いいかね?」
そこに書かれた料金は明らかに法外なもの。当然アスカもそれに気が付くが、この辺りには他に宿がなかった。いや、宿の跡しかなかった、という方が正しいか。
ともかく結果として、この宿を選ぶしかない状況なのだ。
「わ、分かりました」
アスカが金を渡すと、オヤジは軽く頭を下げて、アスカを部屋まで案内した。
※※※
「ふぅ……」
アスカはベッドに寝転がると、その固さに顔をしかめる。
そして三つ編みをほどくと、先ほどの弱々しい様子とは一変、悪魔のような顔になる。
「ったくよぉ。何が姉ちゃんってんだっ!!」
このボロい宿だ。声も筒抜けかもしれないことにアスカは気が付くと、音量を少し下げた。
「俺は男だ……っつーのは今更か。しかもあの変態オヤジ、ボりやがって」
吐けど吐けど文句が出てくる。ある程度気持ちが収まると、アスカは部屋の隅に放り出したリュックサックを開けた。
中は異世界にでも通じているのか。アスカは明らかにリュックサックよりデカい猟銃を中から取り出し、手入れを始めた。
アスカは手入れをしながら――次の獲物について考える。
――この町の森は西に一つ……だったか。ここは山菜が名物だしな、森に行くことも多いだろうが……そういう場合は大抵、専属の狩人がいるもんだ。俺の出る幕じゃないか。
そこまで考えたところで、部屋の外から腹を鳴らす匂いがやってきた。
――晩飯は期待できそうだな。ま、ドラゴンのことも、一応オヤジに聞いてみるか。
アスカは手際よく手入れを終え、猟銃を再びリュックサックにしまう。
そして髪を軽くまとめ、食事に胸躍らせながら、部屋を出ていった。
※※※
「あらアスカさん。ちょうど呼びにいこうと思ってたのよ」
アスカに笑いかけるのは、小太りのおばさん。普通に考えるなら、あのオヤジの奥さんである。
「あらま、可愛いわねぇ。うちの人が何かしなかったい?」
「い、いえ、何も……えーっと、失礼ですが、その」
「あっはっは!!こりゃすまないねぇ。あたしの名前だね」
豪快に笑う人である。この人の尻に敷かれるオヤジの姿は、容易に想像できた。
「あたしはシィラ。シィラ・カトラークさ。シィラはこの町じゃ、『精霊』って意味ね。予想はついてるだろうけど、ハンソン・カトラークの妻よ」
ハンソン・カトラーク。それがあのオヤジの本名なのだろう。
アスカは、そういえばそう自己紹介された気もする、と記憶を引っ張り出そうとし、面倒くさくなり、諦めた。
「っと。おしゃべりが過ぎっちゃったね。ほら、スープが冷めちまう。御上がりよ」
「あ、いただきます」
アスカの見立て通り、食事は素晴らしいものであった。……しかしそこに山菜はなかった。
そしてもう一つ、アスカは気が付く。
「その、他のお客様は……?」
するとシィラは苦虫を噛み潰したような顔になり、首を振った。
「悪いね。アスカさん以外はゼロさ。それどころか、表にも人が少なかったろ?」
それはアスカも不思議に思っていたが、夜も更けたから、と勝手に解釈していた。
「はぁ。あのドラゴンさえいなけりゃねぇ」
アスカは危うくスープを吹きそうになる。それを堪えながら、アスカは心の中で悪魔の如く微笑む。
――さぁ、お仕事かな。
「あの、シィラさん。ドラゴンって、どういう……」
「あらま、わたしったら。……本当は、お客さんには言うべきじゃないんだろうけど、こんな可愛い子に訊かれたらねぇ」
アスカはわざと照れる素振りを見せて、再度尋ねた。
「それで、ドラゴンは……」
「あぁそうそう。……ご飯は食べ終わったかい?……よし。聞いて気分のいい話じゃあないからねぇ」
※※※
そう。この町は山菜で栄えていてね。それはいいかい?
まぁアスカさんも知っているだろうけど、うちの町にも「ドラゴン専門狩人」ってのいたんだよ。……いた、だけどね。
つい数ヶ月前さ。見たことのないドラゴンが森に現れたんだ。狩人も太刀打ちできないくらい、強くてね。数人の狩人はみんな死んだよ。当然、一緒に山菜採りに行った人もね。
山菜は取れなくなった。いや、それどころか、森に入れなくなった。これは町にとって、死活問題さ。森のものはみんな、他の町から輸入しなくちゃいけなくなったんだから。
他の宿?全部潰れたよ。ドラゴンのせいで、町にも人が来なくなったんだ。だから泊まる人がいない。時たまいても、山菜は少ししか振る舞えない。稼ぎは減って、輸入もおぼつかなくなる……。
この宿もそろそろ終わりさ。アスカさん一人だって、奇跡のようなものだからね。……正直、ここの値段、馬鹿に高かっただろ?うちとしても苦肉の策でさぁ。
……そこまで聞いて、アスカは話を遮った。
「ドラゴン……名前は分かりますか?」
「ありゃ、やけにドラゴンを気にするねぇ。でもごめんね。そこまでは知らないよ」
「なら特徴は……」
「それなら……えーと、確か赤い体に、深い青の目……尾っぽは二つに分かれてるって話だよ」
アスカは即座に頭の中のデータベースと照らし合わせる。
……赤い体……目は青……尾が二つ……。
「……はぁ。シヤドか」
シヤドドラゴン。珍しさとしてはそこそこだが、強い狩人なら一撃のはずだ。
町の狩人が弱かった。それだけだろう。
「ま、そういうことなの。……あら、あの人はまだかしら」
シィラは首を傾げる。
「珍しく在庫の整理をするとか言って、裏の小屋に行ったはずなんだけど……」
シィラが小屋に向かった。
アスカは何か悪い予感がして……辺りを見回し始める。そして見つけた一通の手紙。
……From ハンソン、For シィラ。
これは――
「いない……どこにいったのよ……」
シィラが不安そうな顔で戻ってきた。アスカはすぐに、手紙を差し出す。
「シィラさん、これ……」
「あの人から……?山菜採りに……行って来る!?」
シィラは青ざめた顔で手紙を落とす。手紙の意味するところは一つ。
ハンソンは、森へ行ったのだ。
「ど、どうしましょう……あの馬鹿亭主……」
「シィラさん。森の中で、ハンソンさんが山菜を採りに行く場所、分かりますか?」
「え?えぇ、多分……まさかあんた!!」
「案内をお願いします」
アスカが笑顔で言うと、シィラはひどく恐い顔で叫んだ。
「あんた!!ドラゴンの怖さを知らないのかい!死ぬんだよ!あんたなんか一口なんだよ!馬鹿なこと言わないで!!」
「それはハンソンさんに言ってください。上級の狩人ならともかく、一般人は抵抗すらできないでしょう」
「わ、分かってるなら!これ以上……死人が増える必要はないってことさ」
うつむき嗚咽するシィラを余所に、アスカは部屋からリュックサックを持ってくる。
「はやく連れてってください。ハンソンさん、死にますよ」
「もう……やめておくれよ……茶化してるのか何なのか知らないけど、あんたに付き合う気はないよ……」
このままでは埒が明かない。そう判断したアスカは、宿を飛び出す。シィラの呼ぶ声も聞かず。
「あ、あんた!!ちょっと!!」
「報酬については……後でな!言い値を払いたくなるくらい、成果を上げてくるぜ!!」
※※※
アスカは森の入り口に着く。
夜なだけあって、辺りは物音一つしなかった。
……いや、森の奥から。ドラゴンの声だ。
「結局あのババア、オヤジの場所教えてくれなかったしなぁ」
アスカは猟銃を取り出すと、必要最小限のものを持ち、他は入り口に捨てた。
「無事に帰ってくれば、また拾える。それだけだ」
アスカは目を閉じ、感覚を研ぎ澄ます。そして、真っ暗な森へと、足を踏み入れた。
※※※
「うぅ…怖いなあ」
ハンソンは、山菜を片手に、身震いをしていた。
一人分としてはもう十分採れた。……最後のお客なんだ。山菜を振る舞わないなんて、あり得ない。それに、あの美少女に出せるんだぞ?光栄じゃないか。
「あとはドラゴンに見つからなければ……はぁ」
自分を励ますためにと独り言を呟くが、返事はなく、余計虚しくなる。
その時、ドシン、と地面が揺れた。
「は、は、じ、地震かぁ……」
ハンソンの希望的観測は、残念ながら間違っていた。
もう一つの地響きと共に、ハンソンの前に現れたそれ。
赤い体に青い瞳。尾が二つに分かれたそれは。
「ギシャアアアァァァッッッ!!!」
間違いなく、シヤドドラゴンであった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃ!!」
腰の抜けたハンソンは、無様な格好でとにかく後退る。
格好なんて気にしている場合ではない。いや、これが人生の終わりなら、勇敢に戦って死ぬべきなのだろうか。
「む、ムリ……し、死にたくないぃぃぃ!!」
シヤドドラゴンはハンソンを値踏みしているようであった。そしてそれは、「エサ」と出たらしい。
シヤドの大きな口が開き、ハンソンに近づく。月の光が届かなくなり、ハンソンはいよいよ死を覚悟した――
……パン、と。それは乾いた銃声だった。ハンソンの耳にも、はっきりと届くもの。
シヤドの口はハンソンの目の前で止まり、シヤドはゆっくりと、横向きに倒れていった。
「た、助かった……?」
ハンソンは呆然とシヤドを見つめる。その赤きドラゴンは、ぴくりともしなかった。
「銃……か、狩人!?」
幾人もの狩人が挑んでも、敵わなかったこのドラゴンを。誰かが、たったの一発で仕留めたのだ。
「っとぉ。間に合ったみたいだね」
スタッ、と木から飛び降りてきた人影。
それはハンソンの知る人物だった。
「あ、アスカ……さん……?」
片手には猟銃。間違いない。
「アスカさんが……ドラゴンを……」
「ん?あ、うん。ちょっと心臓に一発ね」
ハンソンは口をパクパクとさせ、ただ一言。
「あ、ありがとう……ございました……」
アスカはハンソンのもとに歩み寄ると、笑顔でこう言った。
「は?調子乗ってんじゃねぇよ、このアホ。自分は強いとか、思い上がってんじゃねぇだろうな?」
「え……あ、あ……」
「それからお前を助けたのは、ほんの気まぐれだ。感謝されるようなもんじゃあない。ドラゴンを倒しただけでも、お前にボられた三倍はもらえただろうぜ?」
「あ、は……」
「あ、そうだ。このドラゴン持ち帰って、さばいてくれね?山菜料理と一緒にさぁ」
ハンソンは何も言い返せない。
この美しい狩人に。
この命の恩人に。
この自分を罵倒してくる少年に。
「ほら立てよ。帰るんだろ」
「あっ、あっ……こ、腰が……」
「はぁ?ったく、しゃーねーな」
アスカはピュー、と口笛を吹いた。
風が唸りを上げる。竜巻?
……いや、それは巨大なドラゴンの羽音であった。
ハンソンは別のドラゴンの出現に、再び体を震わせる。
「あ、アスカ、さん……あれ」
「あ゛?あれだと?」
アスカはハンソンを思い切り睨む。ハンソンはドラゴンと同等かそれ以上に、アスカに恐怖を抱いた。
「あ、いや、そのドラゴン……」
「……ふん。来い、エク。この馬鹿一人……それからシヤド一匹。向こうの宿まで頼む」
エク、と呼ばれたその巨大なドラゴンは、森の木々を倒しながら着陸する。
そして背中にハンソンを乗せ、口にはシヤドドラゴンを咥えた。
「あの、アスカさんは……?」
「俺は歩いて出る。荷物も向こうにあるしな。あぁ、エクはちゃんと返せよ?俺はそのまま、ここを離れるわ」
「え、その、お金は……!」
ハンソンが言いたいのは報酬のことだ。そして、シヤドドラゴン。
そんなのでは足りないくらい、アスカには世話になったのだから。
「ん。金はまた、この町に立ち寄った時な。シヤドは……なんか食欲なくなった。やるよ。じゃあな」
ハンソンが待って、と言う前に、エクは空に飛び立った。あまりの轟音と揺れに、ハンソンはエクの首に掴まることしかできなかった。
「あっ、ありがとう、ございましたあぁぁぁ!!」
その声は果たして、アスカに届いたのかどうなのか。
それはアスカにしか分からないことだった。
※※※
「なぁ、エク」
町を去るアスカは、頭上を飛び回るエクを見上げる。
「なぁんで俺、柄にもないことしちまったんだろうなぁ」
エクは返事の代わりか、地上に降りてきて、背中を差し出した。
アスカは苦笑しながらもそれに乗る。
エクはゆっくりと、飛び上がった。
「あーあ。金はまた今度で、ご馳走は捨てちゃって。オマケにボられたのに、結局宿泊しないし。我ながら馬鹿だなぁ。オヤジのこと、笑えねぇや」
ふと気が付けばエクのおかげで、もう次の町が見える距離だ。
アスカはそこで降りると、いつものようにエクを空に飛ばす。
「森は……さっきの続きじゃん。じゃあめぼしいドラゴンはいないかぁ」
アスカは髪を綺麗に結い、服のほこりを払う。さぁ、これで準備はオーケー。
「おんや、可愛い嬢ちゃんだね。こんなとこで、どうかしたのかい?」
予想外のタイミングで現れた村人A。でも大丈夫だ。
「あ、はい……迷子になってて……困っていて……」
エクは空高くから。雲よりずっと上の方から、そんな主人を見守る。
これはそんな、狩人とドラゴンの物語。
入れたかった裏設定1・エクの種族名は「マンモスドラゴン」
2・アスカがつけたニックネームは「エクレア」。縮まって「エク」
3・ニックネームの由来は、エクの背中に稲妻模様の傷があるから。あとなんか美味そう
4・アスカのじいさんは英雄だったりする
……完全に蛇足だこれ。