真昼の孤影
ネックレスにして、いつも胸元に垂らしていた小さな鍵。
独り裸になった彼女は、それを外してランプの明かりに翳してみた。
真鍮製のいびつな金色の鍵は、ランプのオレンジ色の灯を受けて鈍く輝いた。
その煌きにしばし目を細めていた彼女は、鍵を不意にギュッと握り締めると、つかつかと部屋を横切った。
面前としたひとつのトランクケース。
大事にされてきたソレは、表面のニスにもまだ傷ひとつない木製のトランクケースだ。
小さな取っ手と、金具が二つ、そして鍵穴がひとつ。
「……」
一瞬、逡巡した後、小さな鍵を刺して廻す。
かちりと音がして、鍵が開いた。合わせて留め金を外せば、トランクの中身が顕になった。
一丁の拳銃が、そこには安置されていた。
旧式の回転式拳銃は、その基本構造こそ特別さはないものの、その外見は特異そのものだった。
まず眼を惹くのは、その長い銃身であり、恐らくは12インチ(約30センチ)はあるだろう。
次に注目するのは、その奇怪な銃把の形状で、三日月のように極端に湾曲している様は、不格好とすら言って良いほどだった。
木製でこげ茶色をした銃把の根本には記念硬貨が埋め込まれていて、真鍮などとは違う、本物の金色の輝きを放っている。
よく見れば引き金も、撃鉄も、同型の拳銃とは違う形のものに差し替えられているのが解った。
特注製の射撃用拳銃。
それが彼女がトランクに収めていた拳銃の正体だった。
「……」
彼女は記念硬貨の煌めきを少し眺めてから、件の拳銃を手にとった。
長い銃身に指を這わし、その冷たさを肌で味わう。
撃鉄を半分だけ起こしつつ、耳元に弾倉を寄せ、廻してみる。その澱みない駆動音を耳朶で味わう。
「……」
今度はランプを標的に、彼女は得物を構えてみせた。
片手を真っ直ぐにのばし、照準をつける。撃鉄は既に起こされていて、あとは引き金を弾けば良い。
「……」
狙った時の自然さを、彼女は目で味わう。
構えた時の手への馴染みを、彼女は体で味わう。
そしてそのまま、5分か、10分か、あるいはそれ以上、狙ったままの体勢を保ちつつ、静止する。
――カシン。
と音を立てて、撃鉄が下りた。弾は入っていない。空の弾倉を叩いた音だった。
この間、銃身は狙いをまるではずさず、ピタリと一直線に標的を狙い続けたままだった。
「……よし」
そう小さく呟いて彼女はトランクへと拳銃を戻そうとして――止まる。
彼女が見つめていたのは、銃把に埋め込まれた記念硬貨。
『第5回マーティン&リッキー射撃競技会 優勝』
という文言と一緒に、拳銃を象ったロゴが刻まれた記念硬貨を、彼女はじっと眺める。
じっと、じっと見つめ、穴が開くほど見つめた後、ようやく彼女はトランクへと拳銃を収めた。
「……」
彼女の双眸は、宿った色を変じていた。
冬の湖のような冷たく静かな青から、燃え盛るがごとき怒りの赤へと。
怒りの赤を以って、彼女は窓の外を射抜く程に睨みつけつつ、ベッドの上に広げられたシャツを手にとった。
「……行こうか」
装いを整えながら、彼女は小さく呟いていた。
◆
まだ日が昇って間もなく、街も動き出し始める前の、そんな空白の時間。
珍しく早起きしていた宿屋の支配人は、217号室に泊まっていた少女が階段を降りてくる姿にギョッとした。
――最初にカウンターに姿を現した時から、美しい、と思う少女であった。
長い三つ編みひとつにまとまった髪は太陽の光のような金色で、今朝も天窓から降ってくる本物の太陽の光を受けてキラキラと煌やいている。
切れ長のキキリとした双眸は、青く澄んでいて、宝石のようでもある。
しかしその青に宿る光は実に寒々として、表情、立ち居振る舞い、言葉遣いと、その全てが人を寄せ付けぬ冷やかさがあった。
そんな彼女が、もっと背筋を寒くなるような格好で、支配人の前に姿を現したのだ。
黒の長外套に、黒い庇の大きな帽子。黒いチョッキに、黒いズボン、黒い革ブーツ。シャツこそ白いが、首に巻いたリボンも黒だった。男装に加えての、黒ずくめ。彼女の冷たい雰囲気に合わせれば、もう夜が明けたのに死神が湧いて出たような印象すら支配人は受けた。
いや、死神という印象は間違ってはいないだろう。
なぜなら彼女は、その腰に『死神の道具』を吊っていた。
拳銃だった。ニッケルのメッキも鮮やかな、銃身の短い――恐らくは4インチのもの――回転式拳銃。
黒の中の銀は、朝日の中でひときわ輝いている。
肩に負うのは一丁のライフル。銃に詳しくない支配人にもそれが何かは解った。最近カタログにも載ったばかりの最新式の『ライトニング』ライフルだ。スライドアクション、高速10連発!……とカタログでは謳っていたのを覚えている。
さらに右手に携えているのは、銃身を切り詰めた二連発式のショットガンだ。支配人も似たようなモノを強盗対策にとカウンター下に忍ばせているが、彼女が持っているそれは、自分のソレよりずっと恐ろしげに見えた。
「……」
彼女は完全武装のまま、階段を下りて、一階玄関で欠伸しながら掃き掃除をしている小僧っ子に声をかけた。
「――ちょっといいかな」
おっかなびっくり近づいてきた小僧に、彼女は散弾銃を脇に置いて、ポケットより金貨(!?)を一枚と封筒をひとつ取り出し、言った。
「これを今から言うところに届けてほしい。ちゃんとできたらもう一枚……いや二枚だ」
一週間分の手間賃に当たる額を出されて即座に顔色を変えたのは小僧っ子のほうだった。
喜色満面、やる気満々で封筒を受け取ると、彼女から配送先を聞くやいなや、箒を投げ出し走りだした。
「……」
彼女は小僧っ子の背を見送ると、散弾銃を拾ってそのまま玄関より出て行こうとした。
「あのう――」
支配人は、そんな彼女の背に呼びかけた。
「失礼ながら、お代の方を……」
冷や汗を流しながら告げる支配人へと、彼女は暫時黙したあとに言った。
「『戻ったら』払うよ。心配はいらない」
それだけ言って、ふらりと出て行った。
支配人はハンカチで冷や汗を拭いつつ、改めて宿帳に目をやった。
そこには彼女の名前が記されていた。
『ウィアット・ビズリー』。
それが彼女の名前だった。
◆
酒場『ミネソタ・クレイ』は嫌な雰囲気に覆われていた。
いや、ここが嫌な雰囲気に覆われているのは今に始まった話ではない。
なんの因果か、ダッジストーンの街のならず者たちが集まる吹き溜まりになってしまったこの酒場は、日々怪我人が絶えず、ひどい日には死人がでるような、そんな最低の酒場だった。
しかし今日はそんな地の果てでも特にひどい一日になっていた。
客達は一見、いつもどおりギャアギャアと喧しく、ゲラゲラと酔っ払っているかのように見えるが、注意深く観察すれば彼らの誰一人本気では笑っていない、単なる空元気であるということが解る。
そして気が気でない彼ら彼女らの意識は、店の一番奥のテーブルへと向けられていることにも、気づくことができるだろう。
果たして、そこには四人の男が座り、カード賭博に興じていた。
そのテーブルだけが、札付きの悪共の巣窟にあってすら、明らかに空気が違っていた。
面子はダスターコートを纏った三人に、紳士みたいに黒い山高帽を被っているのが一人。
ひどい藪睨みな上に唇もひん曲がった、顔の造作が殆ど歪んだ無精髭の奇相の持ち主が一人。
黒豹を思わせる、頬のややこけた剽悍な顔と、黒い肌の持ち主の、いかにも戦士然とした男が一人。
ボサボサの髭に髪に、上手く利かないのかだらりと下がった右腕に、そしてなにより目を惹くのは、その左肩に隼を一羽とまらせているのが一人。
以上三人は揃ってダスターコートを纏い、揃って似たような黒い庇の大きな帽子を被っている。
ただ一人服装の違うのは、山高帽を被り黒い三つ揃えの男である。
頬、瞳、顔の輪郭と、その全てが丸いパーツで構成された、それでいて殺気を感じさせる程に剣呑な面相の男であった。口の端に葉巻を咥え、ニヤニヤと笑っているように見えるが、盛り上がった頬の下の落ち窪んだ瞳は夜のように黒く濁り、笑みの影ひとつとてない。
誰もが、それぞれの腰に銃を吊っているのは言うまでもない。
それも、それぞれが特色ある各々の得物を吊っていた。
『ミネソタ・クレイ』に集う無法者たちすら恐れるこの男たちは、いずれもが莫大な額の賞金を首にぶら下げた、生粋の悪党四人組だった。
藪睨みのイーラム、賞金2000。
黒豹のストロード、賞金3000。
隼遣いのムロック、賞金2500。
そして最後に、早撃ちのパランス、賞金3500。
誰もが手にかけた人の数は両手の指だけでは足りない。
脅し、盗み、奪い、殺す。パランスをリーダーとしたギャング4人組だった。
朝からカード賭博に熱を上げる4人の間には嫌な熱気が充満していて、仮にも仲間同士であるのにも関わらず、今にも銃を抜いての殺し合いが始まりそうな、そんな殺伐さがあった。
『ミネソタ・クレイ』の無法者たちも、今にも撃ち合いが始まりそうな現状に、無法者なりに居心地の悪さを感じていたのだった。
緊張の糸がピンと張り詰めて、酒場であるにも関わらず、撃ち合いのどまんなかにいるような、そんな錯覚すら感じる。
そんな所にだ。
――ぎぃぃぃ。
と、音を立てて表のドアが軋んで開いた。
酔っ払った無法者たちの視線が一斉に、この来客のほうへと集中して、思わず当人はびくっと肩を震わせる。
小僧っ子がひとりいた。手に封筒を持って、おどおどと誰かを探しているのは、彼女が使いにやった例の小僧っ子だった。
「……えと、あの、その……パランス……さんって人に……」
小僧っ子の口から出た名前に、酒場の無法者たちの視線が激しく前後し、パランスと小僧を何度も見比べた。
ガキがほいほい近づいて良い相手ではないのは、見なくても解るというやつだ。
「うるせぇガキとっとと帰れ」と、気を利かした無法者が怒鳴り飛ばすより素早く、
「なんの用だ?小僧」
とパランスは立ち上がっていた。コツコツと床板を踏み鳴らしながら、小僧へとパランスは歩み寄っていく。
最後にはほぼ目の前にたって、ニヤニヤと笑いながら小僧を見下ろしていた。
「あ……あの……こ、これ……」
小僧は怯えながらも、帰ったあとに貰える報酬の額を思い、勇気を振り絞って、封筒を差し出した。
パランスは黙ったままひったくるように封筒を受け取ると、中を開いて読んだ。
どんな中身であったのだろうか。相変わらずニヤニヤと笑ったままのパランスの表情の、その眼の色だけが変じたのに小僧は気付いた。そこには仄かな殺意の炎が燃えていた。
「……なるほどね」
手紙を折りたたむと、パランスは小僧へと掌をふって帰れと促した。
小僧っ子はホッと安堵の溜息をついて、半ば走るように入り口へと向かおうとする。
「待て」
そこで唐突に、パランスが小僧っ子を呼び止めた。
小僧っ子が慌てて振り向いて――額に穴が開いた。
銃声が鳴ったと思った時には、小僧っ子の躰は酒場の床へと崩れ落ちていた。
唐突な、一瞬の死に、小僧っ子の死に顔は自分が死んだことにすら気づいていないような、そんな呆けた面だった。
「……」
パランスは小僧っ子の躯に歩み寄ると、屈んでそのズボンのポケットを弄り、中身の金貨を取り出した。
静まり返った無法者の面々を見渡し、適当な一人に金貨を指弾で投げ渡す。
「この手紙に書いてあるところへ、ガキの死体を持って行きな」
選ばれた男はへへぇと諂いの喘ぎを漏らすと、大慌てて小僧っ子の死体を引きずっていった。
テーブルへと戻り、仲間たちへと何がしか指示をだしているパランスの背中を、無法者たちは慄然と見つめていた。
子どもが死んだことについてではない。それをやったパランスの抜き撃ちの速さにだ。
派手なニッケル仕立て、四インチバレルの回転式拳銃。その派手なピストルがいつ抜かれたのか。
その瞬間を見たものは、荒事なれしている筈の無法者たちの中にさえ、誰一人としていなかった。
◆
彼女、ウィアット・ビズリーは、街の目抜き通りの真ん中に椅子をひとつ置き、その上に腰掛けたまま待っていた。
背もたれに深く身を沈め、足を組んで前へと突き出している。腕を組んだまま、じっと前方を見据え、視線は微塵も揺るがない。
もうダッジストーンの街も動き出していい頃合いだが、通りに湧いて出た異様な姿に、表には人っ子一人見当たらない。みな一様に、家の中から遠巻きにウィアットの姿を伺っていた。
「……」
彼女がしばらくそのまま待っていると、通りの向こうから砂埃をあげつつ、誰かが近づいてくるのが解った。
ウィアットは立ち上がり、ホルスターの撃鉄止めを外した。銃把に指を這わせながら、近づく誰かを待ち受ける。
やって来たのは、彼女の望んだ待ち人ではなかった。
手押し車を引いた、酒臭いチンピラ然とした男であった。
見覚えのない男の出現に顔を僅かにしかめたウィアットの表情は、手押し車の上に載った『モノ』を見て、そのままで凍りついたように固まっていた。
額に穴の開いた、幼い少年の死体が横たわっていた。間違いなく、彼女の遣った小僧っ子だった。
「……」
冷たい表情を微塵も動かすことなく、ウィアットは屍体になってしまった小僧っ子の顔を見つめていた。
何分間も、そのまま見つめ続けた彼女は、黙ってその死に顔に手を翳し、開いたままのまぶたを閉じてやった。
じっと待っていた酔漢に目をやれば、男は問われずとも答えた。
「パランスの野郎ども、じきに来るってよ。あんたの挑戦、受けて立つってよ」
ウィアットはその言葉には直接答えず、金貨を二枚取り出し、酔漢に手渡した。
「これでその子を葬ってやって欲しい。確実にだ。そうすれば同じ額だけ、後金で出す」
酔漢は、慌てて手押し車を引いてその場から駆け去った。
彼女はその姿を見送ると、後ろ腰に手を回してコートの下に隠していたモノを引っ張りだした。
例の、12インチバレルの射撃用拳銃。弾丸が装填されていることを確かめると、コートの裾のなかに持ったまま隠した。
◆
無人の荒野を往くがごとく。
パランス、イーラム、ストロード、ムロックの四人組は、横並びになって通りを練り歩いていた。
『果たし状』では街の真ん中、広場に通ずる目抜き通りで待つと書いてあった。
それぞれが自身の得物を既に携え、悠々と通りを進んでいく。
無法者たちを制止するモノは誰も居ない。正規の保安官は裁判のために街には不在で、助手たちはこの凶悪な男たちに怯えて隠れるばかり。みな、巻き込まれまいと息を潜め、カーテの裏に身を隠していた。
邪魔ひとつなく、男たちは目的地へとたどり着いた。
通りを真っ直ぐ進んだ先、どまんなかに立ち尽くす人影が見えた。
黒い人影だった。影が黒いのはもちろん、纏った外套、帽子、ズボン、ブーツと、悉くが黒なのだ。
そんな黒尽くめにあって目を惹きつけるのは、たくし上げられたコートの下で陽光に輝くニッケルの銀色だった。
パランスには解った。相手は、自分と同じ得物を持っている、と。
「俺たちを呼び出した賞金稼ぎとやらは……テメェかぁ!」
パランスが通りの先へと叫べば、黒い人影は叫び返した。
「そうだ!お前たちの命と、その首の賞金をもらいに来た!」
その声が女のモノだったことに、パランスたちは驚き、直後に嘲り笑いあった。
「驚いたなぁ!賞金稼ぎは女か!」
「女一人で俺たちに挑むとはよ!笑い話にもなりゃしねぇ!」
言いつつ、男たちは大声で嗤った。
「……」
笑い声を黙して聞いたまま、彼女は、ウィアットはパランスたちの方へと静かに歩き始めた。
それを見て、男たちの嘲笑い声は止まったが、顔はニヤけたままだった。
ただ一人、笑うこともなく鉄面皮を保ち続けていたストロードだけが、腰に吊るしていた愛銃『メアズ・レッグ』を静かに引き抜き、銃身下部のレバーを動かして、初弾を薬室へと送り込んだ。
銃身を切り詰め、取り回しを良くし、また引き金その他に改造を施し、ライフルでありながら恐るべき連射力と、接近戦の強さを追求した特注レバーアクションライフルだった。
一人戦いに備える男がいる中で、残りの三人は僅かに銃把に手を添えただけで、抜いてすらいなかった。
しかしパランスからすれば当然のことだった。歴戦の拳銃遣い(ガンスリンガー)である彼は熟知していた。今、例の女賞金稼ぎと自分たちとの間合いは、明らかに拳銃の射程の外だった。どんな拳銃にとってもそうだった。ましてや自分や女の吊るしている4インチバレルのような代物は、早撃ちに特化していて射程は決して長くはない。
焦る必要性はない。必要な間合いで、必要な速さで、必要な正確さで、ただ撃てばいい。
パランスは極めて冷静だった。口元は嗤ってはいても、油断は全くなかった。
女賞金稼ぎが、歩きながら今度は自分から問うた。
「あの子どもを殺したのは、パランス、お前か!」
パランスは笑みを深くしながら、答えた。
「ああそうだ。楽しませてもらったぜ」
パランスは答えつつ、銃把に深く指を這わせた。しかしまだ力は入れない。
どんな拳銃にとっても、まだ射程外だった。自分にとっても、他の三人にとっても。相手の女賞金稼ぎにしても。
射程外だった。射程外の筈だった。
「あ」
パランスが最後に視界に捉えたのは、バサッとはためく女賞金稼ぎのコートの裾だった。
次に頭に衝撃が来た。それで目の前が真っ暗になった。
最後に聞いたのは音だった。自分を撃った銃声だった。
◆
射程外の筈だった。確かに射程外の筈だった。
イーラムはものも言わず斃れるパランスに、慌てて自身の拳銃を抜こうとして、撃たれた。
銃弾は右肩の下、脇の隣あたりに突き刺さり、着弾の衝撃に身が震える。
それでも必死に体を動かし、転ぶように路地裏目指して這い駆ける。
ストロードのヤツが、動物じみた素早い動きでジグザグに駆けまわりつつ、メアズ・レッグを連射する姿が、視界の端に映っていた。それに応戦し、冷静に射撃を続ける、女賞金稼ぎの姿も。
その手の中には、馬鹿みたいに長い銃身の回転式拳銃があるのが見えた。
バカな!
そうイーラムは呻く。どんなに長い銃身を持っていようと、あの距離で、拳銃で、相手の脳天を狙える拳銃遣いなどいるものか!
しかし彼がどう言おうと、目の前にそのありえない存在が実在する。
ストロードは素早い動きで路地裏へと跳び込むも、その影を追う弾道は精確だった。
彼の黒豹のような人間離れした身体能力がなければ、とうに撃たれてパランスと仲良く躯になっていただろう。
(パランスのヤツが……一発で)
左手で真鍮フレームの回転式拳銃を引きぬきつつ、イーラムは呻いた。
パランスは4人の中でも一番の腕利きだった。自身も早撃ちを武器とするイーラムは余計にそのことを知悉していた。
そのパランスが真っ先に殺られるなどと、誰が想像できただろう。
右肩の痛みに脂汗を流しながら、こっそりと通りを覗いて見た。
パランスの死体を除けば、今度は本当に人っ子一人いなくなっていた。
ストロードも、ムロックも、上手く銃弾を避けて身を潜ませたらしい。
それにしても、女賞金稼ぎはどこへ消えたのか。
(……わざわざ間合いの外から撃ってきた、詰められたら逃げたってことは……女め畜生、思い知らせてやる)
イーラムは一旦左の拳銃をホルスターに戻すと、コートを脱いで傷の手当を始めた。
わざわざ間合いの外から撃ってきたってことは、つまりパランスと真っ向勝負するほどの近間での腕前はないだろう。ストロードに間合いを詰められたら即座に雲隠れしたのは、その何よりの証拠だ。
ならばパランスには負けるが、それに次ぐ腕前の自分でも、勝機はある。
自分は左利きだ。まだ銃は充分に使えるのだ。
◆
ウィアットは床屋の裏に隠れながら、12インチバレルの射撃用拳銃より空薬莢を抜き出し、必死に再装填していた。この手のタイプの拳銃は排莢桿を使って一発ずつ空薬莢を弾倉より押し出す必要がある。手間と時間が掛かるので、戦闘中の再装填は命がけだ。
イーラムの読み通り、彼女は早撃ちの勝負を避けていた。彼女にとっての本領は遠間での戦いにこそある。
かといって開けた場所で戦えば敵も狙撃を警戒する。故に不意を撃っての拳銃狙撃は、彼女の考えた必勝の手だった。
(最低二人はしとめるつもりだったのに……パランス一人とは……)
いかに一番の使い手のパランスを初手で斃せたとはいえ、他の連中も一流の悪党どもだ。
素早く再装填を済ませ、間合いをとっての勝負に持ち込まねば、危うい。
(とにかく素早く――!?)
ウィアットは自分を狙う視線を感じて、再装填を中断し銃を構えた。
込められたのは三発だけ。場合によっては腰の4インチバレルにも頼らねばならない。
「……?」
おかしい、と彼女は思った。
どこかで、誰かが自分を見ている。それは間違いない。
しかし、どれだけ辺りに視線を巡らしても、人影ひとつない。
「――そこか!」
ウィアットは叫ぶと銃口を向けた。向けた先で、視線の主と目があって、彼女はあっけにとられた。
隼だった。近くの家の屋根の上に、とまった隼が、コッチをじっと窺っている。
(――隼?)
街中になんで隼が?それに隼といえば連中のなかに――。
「!?」
とっさに、彼女はその場へと伏せた。
瞬間、背後の家屋の壁が、内側から撃ち破られる。
出来た穴の向こうから、散弾銃らしい銃身が覗いているのがチラリと見えた。
それを目掛けてウィアットは、12インチバレルの銃口を向け、引き金を弾いた。
◆
「チッ!」
顔のすぐ近くを銃弾が掠め、毒づきながらムロックは屋内へと後退した。
体勢を立て直し、再び開いた穴から銃口を突き出せば、既に女賞金稼ぎの姿は失せた後だった。
「……」
ムロックは屋根の上の隼を見て、口笛をひとつふく。
隼はピィと鳴いて応えて、飛び立った。無論獲物、女賞金稼ぎを探すためだ。
「……行け、俺の子よ」
父の声に応えて、子は空を舞い、標的を探す。
――ムロックは隼を自身の利かぬ右手の代わりに使うガンマンであった。
隼のステフと、ムロックの間にどのような由来があったのか、それについては当人達以外は知るよしもない。
それは、仲間であるところのイーラムも、ストロードも、死んだパランスも知らぬことだった。
「……俺達の敵は斃す。そうだろう?」
彼の言う『俺達』とは、パランスを始めとした仲間たちのことではない。
ムロックは自分たちの頭であるパランスが撃たれたのを見ても、全く動揺はしていなかった。
それは彼らの関係がビジネスライクなものである、ということ以上に、ムロック自身の人間観の問題であった。
彼は誰も愛しはしないし、誰からも愛されることを望まない。
どうしてそうなったのか。それは解らない。
ただ彼にとってステフだけが血縁であり、ステフだけが仲間であった。
「そこか」
隼の導きに従い、ムロックはショットガンを構え、女賞金稼ぎを追う。
◆
ストロードは黒人奴隷の生まれだった。
彼は父親も、母親も知らない。
物心ついた頃には農場で下働きをし、少年になるころに、その農場が戦火に襲われ、一人荒野へ焼け出された。
家畜として生まれた彼は、その人生の大半を獣ののように生きてきた。
胸にポッカリと開いた大きな餓え。それが何に対しての餓えなのか、彼自身知らない。
ただその飢えを満たさなんと、ひたすらに悪魔の道を走り続けてきたのだ。
その足並みには乱れる所はない。たとえ仮にも仲間が撃たれようと関係がない。
彼はただ自身の『敵』を狩るべく、けだもの染みた素早さで、路地から路地へと駆け巡る。
ただひたすらに、女賞金稼ぎの背後をとるべく。
獣はいつだって、背中から襲ってくるものなのだから。
◆
ウィアットは壁越しの銃撃をかろうじて避けた後、ただひたすらに『あるところ』を目指して走り続けていた。
残った三人が、彼女の予想を超える強敵であった以上、事前に仕込んでおいたモノを使う必要が出てきたのだ。
独りで四人に挑む。その無謀を通すためには、当然、様々な仕掛けが必要だった。
今朝済ませた仕込みもそれのひとつだ。
「死ぬわけには……いかない」
彼女の望みを果たすためには、まずここで名前を上げておく必要がある。
そして名前を上げるためには、ケチな悪党を何人しとめたところで意味は無い。
大きな獲物を、ありえない形でしとめる。その必要が、彼女にはあった。
「……良し」
何とか彼女は仕込みをしておいた場所まで辿り着くことができた。
とある民家の軒先の下、そこに手を突っ込んで、隠しておいたライフルを取り出し――。
「タッ!」
振りまきざまに一発!
それは残像を貫いた。黒い実像は手にした得物をウィアットへと向けている。
銃声!ウィアットが身をひねったが為に、銃弾は帽子を撃ち飛ばすに留まる。
メアズ・レッグを構えたストロードは、恐るべき素早さでレバーを動かし、次弾を装填する。
レバーと繋がった用心金には、特別な金具が溶接されており、それはレバーを戻すと同時に引き金を押して弾く。
二つの銃声が、重なりあい、ひとつになった。
紫煙は、ストロードのメアズ・レッグからも、ウィアットのライトニングからもたなびいていた。
「……」
声もなく、斃れたのはストロードのほうだった。
彼の撃った銃弾は僅かに弾道がそれ、ウィアットの背後の壁に穴を開けていた。
彼女が手にしていたのは、最新式のスライドアクションライフル。
銃身下部についたポンプを動かすことで、次弾を装填し、撃鉄を自動で起こす。
その動きは、レバーアクションのそれよりも僅かに素早い。
ウィアットは冷や汗がどっと流れ、自分の背を濡らすのを感じた。
腕前ではない。単純に、ごく単純に、たまたま自分の得物のほうが、この場面では優っていた。
ただそれだけの勝利だった。
◆
イーラムは銃声を聞いて嫌な予感がした。
聞き覚えのある銃声より僅かに早く、聞き覚えのない銃声が走ったからだ。
「ストロードの野郎が、やられたか」
ただでさえひん曲がった唇をいよいよ歪めて、イーラムは毒を含んだ声で呟いた。
基本的には信条も信念もない、ただの無法者に過ぎないイーラムである。
四人居た仲間の内、すでに二人殺られている。しかもその両方が腕利きであるにも関わらずだ。
――ここでこっそり逃げるべきだ。
そう心のどこかで誰かが囁く声を、右肩下銃創の痛みがかき消した。
「畜生くそアマ……ただじゃおかねぇ」
傷の痛みに加えて、無法者なりのプライドが、彼にこの場より逃げ去るのを止めている。
つまり「女相手に芋を引くのか?」という自分への問い。
答えはひとつ。
「女郎……ぶっ殺してやる!」
◆
ウィアットは一軒の納屋へと逃げ込んだ。
柱の影に隠れて、開いた天窓を見れば、空に旋回する隼の姿が見える。
「……見つかった。どうする?」
彼女は冷や汗を拭いながら、小さく喘ぐ。
どこへ隠れても、空を飛ぶモノには速さで敵わない。
そして先導に従って、散弾銃を構えた死神が追いかけてくるのだ。
「……ダメだ。素早すぎる」
ライトニング・ライフルを構えるも、隼は彼女の殺気でも読んだのか、すいと高く飛び上がると、射程の外に出てしまった。無理に狙い撃とうにも、飛ぶを鳥の動きを捉えるのは不可能だった。
「……」
ならばこっちに引き寄せる他はない。
ウィアットは、納屋の中に隠しておいた散弾銃を手にとった。
◆
ムロックは遂に女賞金稼ぎを追い詰めていた。
ヤツが逃げ込んだのは、一軒の納屋だ。
今度こそ逃がすこと無く、しとめてみせる。
「……」
ムロックが納屋の入り口の陰に身を潜め、中を見ようとした、その時だった。
「ステフ!?」
不意に、見張りに徹していたはずのステフが、納屋の中へと飛び込んでいく。
かと思った次の瞬間、銃声が、強烈な銃声が、納屋の中より鳴り響いた。
開いた窓より羽毛が、宙に舞うのが見えた。
「――!?!?」
声にならない絶叫を上げながら、ムロックは納屋の中へと駆け込み、そこで散弾の雨に降られた。
穴だらけにされたムロックは、最後に恨みの篭った目で上を見た。
そこにはコートを脱ぎ、シャツを片肌脱いで、腕より血を流した女賞金稼ぎの姿が見えた。
あえて自ら血を流し、己を弱らせ、隼を、わが兄弟を引き寄せたのだの気づいた時。
「――」
音にならない恨みを叫んで、ムロックは絶命した。
◆
ボロボロになりながらも、生き残った少女は、のろのろと納屋より歩み出た。
走り回り、自らを傷つけ、疲労困憊の姿には、勝者の余裕はない。
いや、そもそもまだ勝者ではない。まだひとり、斃すべき相手が残っている――。
「……手こずらせてくれたな」
考えた所で、最後の独りが現れた。右腕を吊って、左手を銃把に合わせた無法者。
四人の最後の生き残り、イーラムだった。
ヤツが早撃ちの遣い手だったことを思い出し、ウィアットは顔を歪めた。
この間合は、もう早撃ちのガンマンの間合いだった。
「その腰のハッタリ用のおもちゃ……実際使えるかどうか、試してやるよ」
イーラムはニヤニヤと嗤いながらも、その左手に殺気を充満させていた。
それは矢を番えた弓の弦を、ぎりぎりまで引き絞るのに似ていた。
「早撃ちは……主義じゃない」
「そりゃ気の毒だな」
ウィアッテが、うんざりした声でつぶやきつつも、右に吊った4インチバレルに手を延ばすのをイーラムは見た。
改めて、嘲笑う。相手に実力を出させずに斃す。これほど理想的な展開は、ない。
嗤いを殺気へと変えて、限界まで引き絞った緊張の弦を、今こそ解き放つ。
その機を、ただ待つ。
暫時、沈黙が流れた。
「――」
「――」
どこかで教会の鐘が鳴る。それが合図だった。
――銃声はひとつだった。
「てめぇ……」
イーラムは凶相を目一杯歪めて、そして斃れた。
左手の拳銃は、抜かれ、ウィアッテへと擬す、そのほんの一瞬手前で止められていた。
「主義じゃないが……使えないとは言ってない」
呟いてウィアットは、指先で4インチバレルとくるりとスピンさせ、ホルスターへと戻すのだった。
◆
この一軒は、後に『ダッジストーンの決斗』の名で、ウィアット・ビズリーの名とともに知られるようになる。
この一軒で一躍世に踊りでた、女賞金稼ぎの物語は、ここより始まる。
しかしこの物語の続きをかたるのは、また別の機会としよう。