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日本皇国、日章旗を胸に  作者: 海空陸一体
第一次世界大戦~蠢く蛇の知恵
18/19

第一四話

まず最初に感想返しから。


 投稿者:夷子様 

Q:パテントは特許です。パトロン(後援者)の間違いではないですか?


A:間違いを指摘して頂きありがとうございます。修正しておきます。


 投稿者:旭日の帝国様 

Q:▼気になる点

第2話の前書きにこの話から10~30話は転生者による歴史改変の話ですと書いてありますが、このぺースで本当にそれだけで終わるんですか?

▼一言

よければ教えて欲しいのですが、大体、西暦何年頃になった日本皇国を異世界に転移させる予定なのですか?


A:当初の予定では、ノリと勢い任せにそう書きましたが、自分としても驚くほど真剣に今は書いておりので、第二話の前書きは撤回させて頂く所存で御座います。ご迷惑をお掛けします。 日本皇国の転移時期につては明言致しませんが、21世紀であることは間違いございません。


 投稿者:ラッディー様

Q:▼良い点

たまにあるように史実を無視した無理矢理感が無くて、徐々に少しずつ変えていく感じが面白い。別に内政の事とかも面白いから戦争ばかりじゃなくてもいいと思います。

▼一言

更新頑張ってください。


A:ありがとうございます。私としても成るべく史実に沿って物語を進めていく心構えですが、作品として個性を出す為にハチャメチャに成ってしまう可能性がありますゆえに、その際は容赦なくご指摘を下さい。 これからも皆さんに作品を早くお届けすべく頑張っていきます。




 誤字脱字や感想寄せて頂き、大変嬉しく思います。


 今回は、オリジナル言語が登場しますゆえ、皆様には作品を面白く深みを増すためスパイスだと、ご理解を頂きたいと思います。



 それでは皆様、どうぞゆっくりご覧下さい。





 1914年6月29日


 満天の青空に聳えるように空高く並び立つ数多くの摩天楼。無数の紳士淑女が笑顔で歩きまわり、道路を路面電車や馬車が交差し合うなか、大量生産の象徴であるフォードT型自動車がすり抜けていく。まだ、この時期の自動車を大都市圏で活用するのは殆ど中流階級の市民であり、その数はまだまだ少なかった。下層階級は徒歩か大衆電車に乗り込み仕事場へ通っていた。

 そんな彼らを尻目に一台の馬車が粛々と進んでいった。その馬車が通ろうとする道は自然と誰もが避けてゆき、道を遮るモノは存在しなかった。


 1910年代の自動車は商品化に成功したとはいえ、大き過ぎる危険性が残っていた。その為、世界中の上流階級は危険物そのものである自動車よりも、長きにわたる伝統で使い慣れた馬車を好んだ。

 そしてなにより。この街で日々の生活を営む市民から羨望と憎悪の眼差しを集めるのは、この馬車の持ち主の並外れた経歴由縁であろう。


 馬車はとニューヨーク市マンハッタンを南北に分断するマディソン通りに入り、ある一軒の屋敷の前でゆっくりと止まった。家の前で待っていた使用人たちが慣れた手つきで二頭の馬を止め、御者は驚くほど優雅に客室の扉を開けると客人が降りてくるのを待った。

 そして降りてきた客人を見た瞬間、辺り一帯がざわついた。使用人たちは一瞬だけ眉をひそめたが、直ぐに笑顔を浮かべながら屋敷へ案内した。しかし、馬車を遠巻きに見ていた群衆は違った。口を半開きにしながら啞然とする者や隣にいる友人と小声で囁き合う者、一心不乱に手帳に何かを書き込む者。新聞記者と思われる人物に至っては必死にカメラのシャッターを何回も切ると、そのまま駆け出して行ってしまった。


 屋敷の中に入っていく客人の肌の色に、群衆たちは驚愕していたのだ。何故なら、群衆も使用人も、そしてこの屋敷の主も全て白い肌、つまり白人であった。だが、客人はそうではなかったが、かと言って黒人ではなかった。この時代のニューヨークにおける黒人は極一部の例外を除いて、殆どがスラム街を中心に生活しており、大統領の名を冠したマディソン通りに居ることは有り得ないことなのだ。黒人でもなければ白人でもない客人に、そうして群衆たちは自らの憶測と想像を膨らませていく。


 そんな彼らのざわめきを尻目に、屋敷の扉は固く閉じられた。






「先代がお亡くなりになったことをお悔やみ申し上げます、と同時に日露戦争における戦時国債引き受けに感謝します」


『・・・・・・ふむ。まあ、まず座りたまえ』


「失礼します」


 まず、第一関門を(くぐ)り抜けることが出来た。一筋の冷や汗が背中を流れ落ちるのを感じながら、ケースを床に軍帽をテーブルへ置いてからイスに座る。目立ち過ぎず控え過ぎず装飾され、背凭れに体を預ければクッション部分が心地良い感触を与えてくれる。安堵の息を漏らすと、テーブルを挟んで正面に座る一人の紳士から紅茶を勧められた。


『今日はセイロンから良い茶が入った。ミスター・プリンスもどうかね』


「頂きます」


 どうやら客人として最低限認められているらしい。でなければ飲み物一つ出されないだろう。しばらくすると二人分のティーセットを乗せたワゴンが運ばれてきた。


「リチャードジノリですか?」


 あくまで憶測だが、目の前に置かれたティーセットを作ったと思われるメーカーの名前を口にする。それを聞いた男が目を細めると微笑した。


『まさかその名前を東洋人から聞くとは考えもしなかったよ。そこはマイセン磁器ではないのかね』


「普通の日本人なら確かにマイセン磁器と思うでしょう」


 閣下の父君が幾度も訪れた場所を考えなければ、と答える。すると部屋に入った時に向けてきた路傍の石を見つめるような視線から、それなりに興味を含んだものへ変わっていた。


「正直申しますと、トニャーナではないかと迷いました」


『トニャーナも知っているとは。ミスター・プリンスは、私と我が家についてそれなりに調べてきたと見えますな』


 口では驚いたと言っているが、顔には一切そのような表情を見せることはない。産まれた頃から生え抜きの禿鷹たちに囲まれ、昨年亡くなったウォール街の帝王として君臨してきた父親の背中から資本家とはいったいなんなのかを学び続けた、この男にはいかなる脅しも通用しないだろう。

 イタリア陶磁器界で名実共にナンバー1を占めるリチャードジノリのティーセット。二つの大陸を隔てる大洋を越えて運ばれてきていることを考えれば、時価価格は相当なものだろう。ティーカップに淹れられたセイロンティーも運送費を考慮すれば同じだ。


「はい。貴方と話すには充分ではありませんが、少しばかり」


 だがこの紳士にとって、はした金に等しいだろう。扱う商品の持っている価値が、天井知らず乱高下を繰り返しているのだ。世界中の株を網羅していると過言ではないこの男にとって、実体を持っているのであれば、どんな商品でもその気になれば手中に収めることなど造作もないに違いない。


『ミスター・プリンス、過小評価は良くないことだ。此処を訪れる者たちは親しい友人を除いて、ほとんどがこれをマイセン磁器だと答えた。それに対して君は正しい銘柄を言い当てた。その能力と努力は評価されるべきものだよ。』


 親が子を窘めるように私の言動を注意する紳士。セイロンティーで喉を潤し、残った残滓で唇の渇きを無くす。空になったティーカップにすかさず付き添いの使用人が、新しいティーを注いでいく。


『ときに。君がくれた、この手紙だが』


 そう言うと、唐突に一枚の紙がテーブルの上に放り出される。一週間前に郵送した直筆の手紙。それこそが、この屋敷に私が招かれる要因となっているものだ。


『正直に言うと眉唾物なのだが・・・、本当に起こるのかね?世界を二つに分断する戦争など』


「起こります。実際、昨日起きたオーストリア大公夫妻暗殺について述べていたと記憶しておりますが」


『そして来月の末には、帝政ドイツ軍が中立国である筈の王政ベルギーに侵攻し、ベルギー経由で共和制フランスになだれ込む。イギリス軍もベルギー中立侵犯を名目に、対独参戦か』


「はい」


『そしてフランス軍は絶望的な戦況ながらも、ドイツ軍の補給切れに伴う侵攻軍全体の士気低下を突いて、これを撃退。以降、北部フランスで長大な戦線を構築した上で、一進一退を繰り返し、最終的にはヨーロッパ全体が疲弊する』


 手紙に書かれた内容が一言一句、目の前の男から口ずさまれると身体が震えてくる。未来の超大国として前兆が既に見えつつある1910年代のアメリカ合衆国、その頂点に君臨してきた帝王の息子に教えたのは、今後四年間半年に及ぶヨーロッパ大戦の概要だ。もちろん、伝えていない情報もある。終戦まで何年掛かるかは言及してはいないし、戦死者は何百万人上るか。連合軍と同盟軍、どちらが勝利を収めたのか。

 だが、手紙だけでは足りない。この男を説得するには、あと一押しが必要だ。床に置いておいたケースを膝上に持ってきて、その中からその一押しを取り出す。


「どうぞ。本職には劣りますが、本大戦で発生する経済効果について、私なりに纏めた経済レポートになります」


 私が差し出したのは数枚のレポート。男は怪訝な顔つきをしながら受け取ったが、文章を読み込んでいくうちに、そのスピードはどんどん速くなっていった。そして最後まで読み終えたと思ったらもう一度、最初から読み返し始めた。しまいには右手にレポート、左手に手紙を持ちながら猛烈な勢いで読み比べていた。

 その僅かな時間を使い水分を補給する。ほど良い温かさのセイロンティーは、緊張感で冷たくなった身体には丁度良かった。男が読み取った情報の整理を終えるのと、私がセイロンティーの御代わりを求めたのはほぼ同時だった。

 使用人がティーカップに御代わりを注ぐと、男は使用人たちに退出を命じた。命令された使用人たちは一様に驚愕したが、主人の強い口調に追い出される形で部屋から出ていった。


「レポートの内容は閣下と私以外、知る人はいません」


『・・・そうか』


 瞼を閉じた男は深く考え込んだ様子で右手の人差し指を何回もテーブルを弾くように叩く。トントンと叩く音で部屋の空気を重くなったように感じた。その口がようやく開かれた時には、既に一日待ったような心境だった。それがほんの数分しか経っていなかったとしても。


『貴方の提案に乗りましょう、ミスター・プリンス。差し当たって我がモルガン家からどんな支援は必要ですかな?』


 ここで男は自らの家名を持ち出してきた。それは会話を有利に進める為の軽いジャブであり、私を交渉相手として認めた証拠だった。その言葉こそが私が求めていた言葉であり、計画の始まりであった。


「資金を貸して欲しいのです」


 余りに率直過ぎる私の答えに、男は静かに笑い声を上げた。そして一度頷いてから立ち上がり、自らの足で書斎から一枚の紙を取り出して持ってきた。その紙に何かを書き込むと、テーブルの上を滑らせる。私の目の前にきた紙に視線をやれば、保証人のところに男の名前があった。


『私の下の空欄に、貴方の名前と借入金を記入しなさい。制限は課さない』


間を置かず強烈なストレートを放ってくるのは、この男が生まれながらの資本家であり商売人であることを示していた。普通なら最高限度額を事前に教えるところを敢えてその限度額を設けないのは、こちらを見定める為であろう。


「閣下。その前にお渡ししたい紙があります」


 そう断って懐から一枚の封筒を男の眼前に置く。怪訝そうにしながらも手に取り、封を破いて中身を取り出した。


『・・・・・・ふふふ』


 緊張感と静けさに包まれていた部屋に笑い声が漏れる。その声は、男の体が徐々に震えていくのに比例して大きくなり、最後には叫ぶように男は笑っていた。


『ふふふっフハハハハハ!ハハハハハハハハハハッ!!どうやら君は人の使い方をよく分かっているようだな!!』

 

 笑いながら手に持っていた()()()をテーブルの上に叩き付けた。それは間違いなく男が私に書かせようとしたJ・P・モルガン・アンド・カンパニーへの推薦書と全く同じものだった。それもその筈、その二つの推薦書はJ・P・モルガン・アンド・カンパニーが正式に発行しているモノなのだ。

 男が持ち出してきたのはニューヨーク本社が発行したモノ。それに対して、私が持参したのはロンドン支社で発行されたモノ。当然、推薦人は違っていた。私が持参したモノに推薦人として名を記していたのは。


『まさか第三代サン・ドナート公を継いだエリム・パヴロヴィチ・デミドフ公爵本人直筆のサインとは!?恐れ入ったよ!ミスター・プリンス!!』


 世界有数の資産家でありながら、血縁関係によりイタリア大公トスカーナから直々にサン・ドナート公爵位を授けられ、代々のロシア皇帝家すら上回る財宝を持つ帝国貴族。それこそがデミドフ家であった。デミドフ家はロシア世界外交の屋台骨として西ヨーロッパ全体で活動しており、その人脈はヨーロッパ各地に広がっていた。

 

 そしてデミドフ家当主の直筆サイン入りの推薦書をこの場に出すことは、男のメンツに横から強烈な平手打ちを加えることに他ならない。それにも関わらず男は腹の底から笑っていた。冷静沈着かつ冷酷無比のモルガン家を背負う男が感情を一切の隠すことなく笑っている。

 商売を至上としてきた男にとって権力は、あくまで交渉を自らを優位に立たせる為のスパイスの一つだ。様々な有害無害の活動により交渉は成立する。そして男は悟った。己が招いた客人が資金を得ることはもちろんだが、最大の目的が己とのコネクションを結ぶために我が家にたった一人で足を踏み入れたのだと。その為だけにロシア随一の大貴族を動かした。その事実が東洋から訪れた客人が持つ、力を体現するモノなのだ。


 笑いが収まらないまま立ち上がった男は、父から受け継ぎた自慢のワインセラーから一本のボトルを抜き取り、食器棚からも色彩が極めて独特なワイングラスを二つ手に取った。


『私の父、ジョン・ピアポント・モルガンが最後に訪れた国、イタリアで作られたヴィーノ・ノビーレ・ディ・モンテプルチアーノとムラーノグラスだ。飲むかね?』


「ご相伴に預からせて頂きます」


 そう答えたが、男は始めから飲むことは決まっていたと言わんばかりに、テーブルの上に並べられたグラスにワインを注いでいく。


『こうして客人に私自らワインを入れるのは滅多にないことだ』


 まるで忠告するように私にグラスを手渡す男。それがどんな意味なのか語るに及ばないだろう。私がグラスを受け取ったのを確認すると、男は一気にワインを飲み干した。それに倣ってワインを飲み干すと、イタリア最高級のワインが芳醇な香りと濃厚な味を雪崩のように齎し、ムラーノ島で生産されていることからそのあだ名が付いたヴェネチアングラスの色が場を飾る。


『歓迎するよ、ミスター・ナルヒコ殿下。これからの我々の利益に』


「宜しく願います、ジャック・モルガン閣下。これからの我々の友好に」


 このとき初めて、私と男は互いの名前を呼び合い、固い握手を交わした。











 珠洲ノ宮家二代目当主であり畏怖の独裁者として大日本帝国を舞台に狂気を振り舞う珠洲ノ宮成彦。モルガン家当主でありウォール街の帝王としてアメリカ合衆国に君臨するジョン・ピアポント・ジャック・モルガン・ジュニア。


 両者は第一次世界大戦が勃発する一か月前に、二ューヨークにあるモルガン家邸宅で会談。内容は秘密のベールに包まれ21世紀の現在でも全面非公開であり、いったい何が話されたのか知ることがは出来ない。だが、モルガン家と珠洲ノ宮家が強固な経済協力関係を築いたのは事実である。

 モルガンJr(ジュニア).は成彦のアメリカにおける全ての活動において後見人を務め、特に資金調達に関しては全面的に支援しモルガンJr.個人で3500万ドルを融資した。これは現在の日本円に換算した場合、500億円に相当する大金であった。また、その融資も無担保超低金利かつ20年の返還契約であり、モルガンJrと言う人物が成彦をどれだけ信頼していたか物語っていた。

 そして、強力な後見人と莫大な資金を得た珠洲ノ宮成彦は、アメリカ東海岸を第一次世界大戦勃発直前まで駆けずり回り、様々なモノを調達した。アメリカ鋼鉄業界最大大手・USスチールと年間20万tの鋼鉄購入契約を二年更新で結んだのを皮切りに、鉄鉱石を採掘する会社からは年間25万tの契約を五年更新で。アメリカ合衆国有数の銃器メーカー、レミントンUMCとは日本軍主力小銃である三八式歩兵銃の弾薬、三八式実包の年間3万発のライセンス契約を結ばれたが、この契約には()()()()が記された。また、三八式実包は日本本国から持ち込んだ数百発に及ぶ実物と設計図をレミントン側に譲渡していた。


 そしてなにより、成彦が結んだ契約の中で一番大きかったのは造船であった。東海岸にある合計四つの造船会社と契約を結び、排出量10,500t級貨物船が4隻、11500t石油タンカーが1隻、13,000tの貨客船が1隻、計6隻。総排水量66,500tの建造計画を発注した。

 これら三種類の船種は、珠洲ノ宮成彦が直接設計に関与した初めての船種である。ある一説には、これ以前から大日本帝国海軍の主要艦艇計画に関わっていると主張する研究者も居たが、記録は不確かであり証明することは出来ない。とにかく成彦が設計に関与したのは確認出来る事実である。

 しかし、珠洲ノ宮成彦が全面的に設計したわけではない。成彦はあくまで基本概念図を提供し、自分が必要と思ったら口を出したが、全般的な設計を担当したのはモルガン家が招聘したアメリカ海軍退役将官だった。アメリカ海軍設計局で勤務していたこの退役将官は、モルガン家から提示された多額の報酬金に引き寄せられた格好だが、成彦が求めた条件を満たした船舶群を見事に仕上げていた。


 この退役将官は軍人としての誇りを持ち合わせた人物であったが、余生を過ごすための資金を必要していた。そうした折に、モルガン家からの民間船舶の設計を依頼され、退役将官も小遣い稼ぎには丁度良く報酬も仕事以上のモノを貰える事が相俟って引き受けた。そして本当の依頼人はモルガン家ではなく珠洲ノ宮成彦だと知ったが、自分の孫ぐらいの若者がアメリカでの成功(アメリカンドリーム)を目指していると考え、それを応援しよう意気揚々と仕事に励んだのである。

 

 成彦が三種類の船種を設計する際に出した条件は大きく分けて以下の三つであった。

1・貨物船をタイプA、タンカーをタイプB、貨客船をタイプCと分類し、これら船舶は()()()()()()()()を用いるべし。

2・TT(The type)ABCの船体は()()()()()()()を用いた上で、一般的な船舶よりも内部構造を強靭にすべじ。

3・TTAは港湾インフラが未整備もしくは何らかの理由で飽和状態にあると想定し、それに()()()()()()を搭載するべし。


 退役将官はこれら条件を全てクリアした船舶を仕上げ、〈マザーカーゴ〉と呼称した。



〈マザーカーゴ・TTA〉級クレーン付きばら積み貨物船

総トン数10,500t  載貨重量16,000t  30tジブ・クレーン2基 デリック4基

全長150m  全幅20m  喫水12m

主機関 バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専燃水管缶(ボイラー)2基

    ウェスティングハウス社製パーソンズ式タービン2基2軸(12,000Hp(馬力))

速力16ノット~19ノット  航続距離10,500km


〈マザーカーゴ・TTB〉級プロダクト(精製済・重油軽油)・タンカー

総トン数11,500t  載貨重量17,000t

全長155m  全幅20m  喫水13m

主機関 バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専燃水管缶2基

    ウェスティングハウス社製パーソンズ式タービン2基2軸(12,000Hp)

速力14ノット~17ノット  航続距離9,000km


〈マザーカーゴ・TTC〉級貨客船

総トン数13,000t  載貨重量6,500t  船客定員750名 予備定員50名

全長180m  全幅20m  喫水11m

主機関 バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専燃水管缶2基

    ウェスティングハウス社製パーソンズ式タービン2基2軸(12,000Hp)

速力18ノット~21ノット  航続距離14,000km



 〈M・C(マザーカーゴ)〉級の各タイプは可能な限り船体構造や主機関を同一にすることで、建造資材の共有化を図りコスト削減に取り組んでいる。基本となる〈M・C・TTA〉級は元アメリカ海軍であった退役将官が、その経験を生かし船体構造の一部、とりわけキール(竜骨)周辺を商船ではなく軍艦構造を流用したことで、一般的な商船より優れた耐久性を獲得。艦首は1911年にアメリカ海軍将官であり、造船学者でもあったデヴィッド・ワトソン・テイラーが考案したバルバス・バウを採用、これにより造波抵抗を抑えることで凌波性を高めた上で、高速性や長い航続距離を得ている。主機関にバブコック・アンド・ウィルコックス社が製造していた旧式軍用ボイラーを転用、マイナーチェンジを施すことで機関出力は低下したが燃料効率と安全性を向上させ、ウェスティングハウス社製パーソンズ式タービンと組み合わせた。機関配置は船尾機関型によって従来型の船体中央型と比べて艦内容積の占有率を緩和し、二軸の推進部への動力伝導ロスの最小限化を目指した。艦上構造物の配置については〈M・C・TTC〉級を除き21世紀では一般的な凹甲板型で統一され、〈M・C・TTC〉級のみ全通船楼型である。

 〈M・C〉級の特徴として知られることになるのは艦首の延長方法である。タイプAの船体長が150mに対して、タイプBは155m、タイプCは180mと目的別に延長されている。実は、この延長こそが退役将官を一番悩ませた問題であった。船体長の違いは設計はもちろん、建造に大きな悪影響を及ぼしかねないとして、退役将官は成彦にタイプCのみを別設計にすることを薦めた。その答えとして成彦が提示したのが、タイプAの艦首構造にタイプB、タイプCに要求される船体長に合わせた新たな艦首構造つまり、タイプB用5m新艦首構造、タイプC用30m新艦首構造を接続するという荒技だった。この方法は1930年代のイタリア海軍が実施した旧式戦艦の大改装にて活用され、その効果は当事者のイタリア海軍で高く評価された。それを知っていた成彦が対策として出しただけなのだが、設計担当である退役将官は画期的な方法だと絶賛。後に退役将官とモルガン家が保証人となり、この延長方法はJapanese-style bow of the warship extensionとして特許出願され受理されることなる。ともあれJBWE(日本式艦首延長方法)により問題を解決した〈M・C〉級は無事に、設計上の安全検査を合格し正式に発注された。


 しかし〈M・C〉級は船体部品や主機関の共通化を意図した設計とはいえ、1910年代で一般的な商船とはまったくの別物に近い状態であった。その為、建造コストは他の一般商船と比較すると1.7倍の費用が要求され、建造期間も普通なら四か月~六か月だが最低半年~八か月が必要とされた。普通の海運会社や船主は絶対に手を出さない代物だった。

 ここで珠洲ノ宮成彦が結んだコネクションがその力を発揮する。造船会社に運び込まれる様々な建造資材、特に鋼鉄は専門卸売企業から調達されるのだが、USスチールとの契約で必要量が供給されることで仲介手数料を支払うこともなく、更に採掘会社から直接、原料を買い漁りUSスチールに売り飛ばすことで鋼鉄の価格も安く抑えていた。また〈M・C〉級に使用される電装品は全てゼネラル・エレクトリック社製で固めれらコストパフォーマンスを向上させている一方で、艦内に空調など各種居住設備を充実させることで乗組員の負担減少に意欲的に取り組んでいる。

 そして最も恐ろしいことに〈M・C〉級の建造に関わった総ての企業が、 J・P・モルガン・アンド・カンパニーすなわちモルガンJr.の()()()()()()()()にあった。

 これら様々な要因が伴って〈M・C〉級は建造コストは当初の1.7倍から1.4倍まで圧縮され、建造期間については成彦自身が予めそれくらいだろうと予想していので問題とされなかった。

 〈M・C〉級は第一ロットから第四ロットまで一括して建造契約が締結された。一つのロットにつき建造されるのは六隻、総排水量66,500t。全てのロットを合わせると総建造数は24隻、総排水量は266,000tを誇る一大契約であった。


 そして、この契約に先んじる形で珠洲ノ宮成彦は中古の5,000t級貨客船一隻と3,000t級貨物船3隻を購入し、自らが会長を務める貿易会社をニューヨークに設立。Sea snake(海蛇)carriage(運搬)Company(会社)略してSSCCはJ・P・モルガン・アンド・カンパニー傘下である国際海運商事(International Mercantile Marine Co.以下IMM)と経営連携協定を結んだ。その証拠として会長である珠洲ノ宮成彦を除き、社長や専務と言った経営幹部のほぼ9割がIMMから転職(実質的な派遣)してきた者たちで固められ、肝心要の船を操艦する船長や乗組員たちもIMMが募集して集められたという有様であった。SSCCは設立当初こそ、その存続自体危ぶまれたが、第一次世界大戦がSSCCの運命を大きく変えた。連合軍が必要性とする膨大な物資運搬に伴う海運特需により、SSCCは大戦が勃発して半年後には、中古船舶を他社へレンタルすることで多額の収益を上げ、〈M・C〉級の第一ロット群が就役し始めると、連合軍への海運ビジネスに直接参入し莫大な利益を獲得。戦中は中立国アメリカと言う立場を利用し参戦後も強力なアメリカ海軍に守られ、大戦終結後にはSSCCはアメリカンドリームの象徴と見なされるまでの急成長を遂げた。この結果にIMMから派遣されていた役員や社員たちも、SSCCの方に愛着も持つようになり休職扱いとなっていたIMMを辞職し、正式にSSCC所属と成った。


 後にSSCCは本社をアメリカ・ニューヨークから満州王国・大連に移転。その際に、これも成彦が会長の総合経営指導会社The snake which controls the brain(頭脳を司る蛇)略してSCBの子会社として吸収されるが、SCBを親会社とするヒュドラ財閥の稼ぎ頭としてSSCCは珠洲ノ宮家に多大な貢献する事となる。


 ヒュドラ、ギリシャ神話に登場する9頭1胴で猛毒を持った蛇の怪物である。ヒュドラ財閥はその名を冠したに相応しい実態を伴っていくようになる。神話によれば不死であったとされる中央の頭の役割を果たすのがSCBであり、それ以外の頭を担うのがSSCCを筆頭とする傘下企業群であろう。ヒュドラ財閥は珠洲ノ宮成彦の権勢を支える土台である軍閥を補強し、その独裁体制を更に強固なモノとしていた。






 珠洲ノ宮成彦の軍閥独裁体制。元老山縣有朋を謀殺することで確立したその権勢であるが、裏を返せば確立したばかりでいつ崩壊してもおかしくない儚い代物であり、もし何らかの理由で機能不全に陥った場合、直ぐに崩れ去るモノであった。

 だが、モルガンJrとの間で成立したビジネスパートナー関係と第一次世界大戦が、日本が進むべき本来の道を変えてしまった。

 日本国内の様々な法律や人間関係に縛られることのない莫大な資金源を手に入れた珠洲ノ宮成彦は、その歩みを加速させることになる。三井・三菱・住友・安田の日本四大財閥に正面から対決するのだが、あくまで第一次世界大戦後の出来事である。



 はっきりと言えることは、珠洲ノ宮成彦とJ・P・J・モルガンJr.の二人が知り合い、両者のどちらかが生きている限り続く協力関係が結ばれたのは覆しようがない事実である。その影響が今後、どのような流れを世界に齎すのか。

 今は誰も想像することは出来ない。

 




















 感想、誤字脱字の報告をお待ちしております。



 もし、書いて欲しい外伝や個人的視点がありましたら、ご要望を送って下さい。その時に私に余裕がある場合に限りますが、お書き致します。

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