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日本皇国、日章旗を胸に  作者: 海空陸一体
形成期(明治~大正初期)
17/19

第一三話

二回連続投稿です。

では、どうぞ。

                       1914年 4月2日


                     王城寺原演習場近隣のホテル


 春の息吹を感じるなか実施された射撃実験とその観閲は無事に成功を収め、夕方過ぎに開かれた晩餐会も好評を得ていた。晩餐会ではコーム・ドガ氏が連れてきたフランス人シェフが腕を振るい、本場のフランス料理フルコースを提供した。晩餐会に出席した高官団はもちろんのこと、天皇御一家もその味に舌鼓を打った。それもあってコーム氏の接待は順調に進み、幾人かの陸軍高官たちと面識を持つことに成功していた。


 「この鴨のステーキは美味ですな」


 「いやいや、こちらの虹鱒(ニジマス)を使ったヴァプールも捨てがたい」


 和やかな雰囲気が会場に満ちる中、ある人物が居ないことに気づき会場を隅々まで見渡している高貴な御方。一通り見渡してみても姿が見えないのが分かり肩を落とす。


「どうかなされましたか?陛下」


「いえ。少しお話をしたいと思ったのですが」


 ちらりと視線を向ければ、直立不動の態勢で会場を警備するロシャーナ兵士たち。30分間隔で交代している彼らだが、誰一人例外なくライフルやショットガンで武装していた。しかも、入り口には警備犬としてニホンオオカミが座っていた。なおニホンオオカミについては、成彦が海外から輸入したウルフドックだと主張して、誰も絶滅したと考えられているニホンオオカミだとは思いもしなかった。


節子(さだこ)は楽しめていますか」


「えぇ。料理も美味しいですし、子供たちもあの通り」


 そう言われ勧められるままに見てみると、ゲルビルと言う名前のロシア人に迪宮裕仁親王、淳宮雍仁親王が武勇伝を聞かせてと強請っていた。強請れる当人としては、何故ここまで懐かれているのかさっぱり分からず困惑しながら、自らの主君が築き上げた功績を馬鹿正直に伝えることしか出来なかった。


「あのロシアの方はとても誠実で、子供たちに聞かれるままに答えておられますわ。おかげでお任せすることができました」


「そうですね。成彦さんの部下には珍しい性格の人だからね」


「あら、知っておられたのですか」


「うん。一度だけ紹介された時に、少しだけ会話したぐらいですけどね」


 グラスを口に当て傾ければ芳香とした香り漂わせるブランデーが喉に流れ込んでくる。料理と合うようにフランス人シェフが故郷から持ち込んだブランデーは、料理と共に大きな満足感を与えてくれる。その美味しさに感嘆の息を漏らし、手元のグラスを輝くシャンデリアの光に照らす。透明なガラスの表面には、翼を大きく広げ今にも飛び立ちそうな躍動感溢れる朱鷺(トキ)が描かれている。


「美しいものですね。このような硝子細工も」


「そうだね」


 このグラスも成彦さんが手配したものだ。近年、海外に多く輸出していたが模範品の増加により倒産寸前まで追い込まれた硝子細工会社は、珠洲ノ宮家がパトロンとなったことでスポンサーの志向に合う新たな商品を送り出していた。この会場で使用されている硝子細工の殆どはその硝子細工会社で作られている。誰もがフランス料理の美味しさに舌鼓すると同時に手に持っている硝子細工の品定めをしている。硝子細工だけではない。料理が盛り付けられている皿にも真剣な目を向けていた。恐らく卓越した職人たちにより命を吹きこまれた様々な動植物により、一つ一つの皿が自己を主張していた。それら渾身の作品の数々に唸り声を上げる者が少なからず居た。


「成彦さんも悪い人だ」


 この会場は彼の独壇場であった。大日本帝国成立以来、史上最大の権力を手中に収めた珠洲ノ宮家の権勢を誇示する場なのだ。昼の実施試験も今夜の晩餐会も、珠洲ノ宮成彦と言う若者がどれだけ強大な存在か認識させるため。誰もがそれを分かっている。しかし、それを口にすることは出来なかった。口にすればそれまで築き上げてきたキャリアが瞬く間に消え去ってしまうのを理解しているからだ。

 日ノ本繁栄の為ならば如何なる手段の辞さず。己の施策に反逆するものは生死を問わず。大逆を企てる者は根切りあるのみ。それらが、珠洲ノ宮成彦の狂気的思想を支える考え方であり根源でもあるのだ。必要であれば必ずそれを実行、用意させる。そして成彦にはそれを可能にするだけの力があった。

珠洲ノ宮家の私兵でありそれに逆らう者共を一族郎党皆殺しにする表の暴力たるロシャーナ連隊、闇の世界を駆け巡り敵に毒を盛る裏の抑止力である風魔の忍衆。そして、この二つの力を正当化させる絶大な権力。

 普通ならばあり得ない異様な状態。だが、天皇家はこれを黙認していた。何故なら珠洲ノ宮成彦、その人をよく知っているから。彼が私利私欲のためではなく、どんなに過激であれ日本の発展に貢献しているから。

珠洲ノ宮家による事実上の独裁体制は、天皇家が見て見ぬふりをしているからこそ確立している。それを壊すようなことをする気はさらさらなかった。


 そう考え成彦さんと直接話をしたいと思い立ち、近くにいた警備兵を呼び寄せた。


「成彦さんを呼んできてはもらえますか」


「・・・・・・申し訳ございません。ツァーリは所用で今しばらく遅れるとのことです」


「そうですか。出来るだけ早く来られるように伝言をお願いします」


 お礼を言い警備兵を下がらせてから考え込む。幼いころから悩まされてきた鈍い頭痛や体の重い疲れも、成彦さんがどこから持ってきた薬によって最近は感じることは殆ど無くなってきた。侍医長は得体の知れないものだからお止めになった方が良い、と言うが実際に効果があるのだから積極的に使い公務に励んだ。一度だけ薬の出所を成彦さんに聞いたが、伊勢神宮と縁が深い人物から貰い受けたとしか答えてくれなかった。宮内庁に命じて成彦さんと関係が深い人物を探し当てたが、その人物は神官であり医者ではなかった。それ以上の事は分からずじまいで終わり、結局のところ薬の出所は判明しなかった。分からないものは分からないままにしておこうと思い、以来そのままだが。

 ふと、窓の外へ目を向ける。今晩は満月であり黄金色に輝く月を見ようと、窓の傍に寄ろうとすると警備兵に止められた。


「陛下。窓には近づけないようにと、ツァーリから言われております」


「何故ですか?私は外の景色を見ようとしただけですよ」


「・・・・・・ツァーリから命ゆえ、どうかご容赦を」


「・・・何か不都合なことでもあるのですか」


「・・・・・・・・・」


 そう問われたロシア人は黙り込んでしまった。口を一文字に固く結び視線を真っ直ぐこちらに向けていた。周囲に視線を巡らすと壁際にいた他の警備兵たちもじりじりと近づいてきていた。固く閉じられた窓に何か秘密があるのか。少し考え込んだ私はあることを口にする。


「成彦さんは外で・・・何かと戦っているのですか?」


目に見えて変化が表れた。それまで毅然としていたロシア人の表情は驚愕に染まり、身体を強張らせる。視線も左右に揺れ明らかに落ち着きを失っていた。


「なるほど、そうですか」


 それだけで充分だった。警備兵たちが顔色を変えた同僚を心配して、駆け寄っていくのを尻目に会場の中央へ足を運んだ。そこでは子供たちからのおねだりがやっと終わり、一息入れるゲルビル中佐がおり、先ほどまでのやり取りを見ていたのか表情が厳しかった。


「何か御用でありましょうか・・・嘉仁天皇陛下」


「そう警戒しなくても大丈夫ですよ・・・ビクトリアル・コンスタン・ゲルビル中佐」


 腰を据えてこちらを見てくるゲルビル中佐に笑いかけるが、彼の表情は増々固くなった。そこで率直に用件を言うことにした。


「成彦さんのところに案内して下さい」


「・・・それは」


「無理とは言いませんよね。成彦さんが信頼できる側近中の側近である貴方が、ここにいる時点で不自然です。となると貴方は私が勝手に動かないよう御目付役を任されてここにいる、違いますか?」


 周囲の者たちが次第に離れ始め、私とゲルビル中佐だけの空間が忽然と現れた。少しの間、二人で無言の会話を交わしていたが折れたのはゲルビル中佐だった。彼は観念したのか溜め息をし、小声でこう漏らした。


「何故ツァーリの御親族はこうまで頭が回るのか」


 手に持っていたグラスを近くのテーブルへ置くと、彼は踵を返した。私も同じようにテーブルへグラスを置いて付いていく。


「陛下」


 波多野宮内大臣が声を掛けてきたが手振りで止める。一瞬だけ悔しさを滲ませたがそこは宮内大臣を務めるだけあって直ぐに引っ込め頭を下げた。周りの者たちも次々と頭を下げた。ゲルビル中佐と私が見送られるように会場から廊下に出ると、警備兵たちが透かさず壁を作る。時間としては10分も経っていないだろう。案内されたのは何の変哲もない一室。


「入りますよ、成彦さん」


 そう言ってからドアノブを回して扉を開ける。天皇大権を下に成り立っている大日本帝国、その絶対的権力を握っている若者。御年27歳でありながら帝国軍大佐の地位に着いた前代未聞の男。珠洲ノ宮成彦はその瞼を閉じ、ロッキングチェア(揺り椅子)に身体を預けていた。前後にゆっくりと揺れているのを見て疲れているのだろうと思い、労いの言葉を掛けようと近づき、その肩に手を置こうとした。だが、その手はゲルビル中佐が掴むことで置かれることはなかった。


「中佐?」


「・・・おい。藪蛇、ツァーリが主君にちょっかい出そうとするな」


彼がそう何かに言うと成彦さんの肩、いや肩の上が濁った。やがて姿を見せたのは一匹の蛇だった。蛇は抗議するように威嚇音を上げた。


「引っ込め藪蛇。それとも天の岩戸に籠っている女神様に引っ叩かれたいか」


 ゲルビル中佐が強くそう言う。するとその蛇は残念そうに私を見詰めながら消えていく。じっと見ながらゆっくりと消えていった蛇に、私は酷く冷たいものを感じた。それは成彦さんと話す際、偶に感じるあの冷たさと同じ。


「中佐、あれは」


「・・・申し訳ありませんが陛下。しばらくの間、大人しくなさってください。下手に動かれるとツァーリが酷く困りますゆえ」


 どこから引っ張り出してきた二つの椅子の片方に座りながら、興奮気味の私を宥めるように言うゲルビル中佐。私も気持ちを落ち着かせて勧められるままに、用意された椅子に腰掛ける。


「成彦さん」


 その名を呼び掛けても反応はない。ただただ、ゆっくりと胸が上下に動き呼吸しているだけであった。














 人里離れた山奥に動き回る影があった。生い茂る木々を避けながら影は山中を走っていた。満月の為に月の光が降り注いでくるが木々に遮られ、微かな明かりしかなく森は暗闇に包まれていた。影は途中で何回か立ち止まり頭上を見上げる。その青色の目を細めると懐から地図を取り出し、現在位置を確認する。満月があるため比較的、簡単に現在地を予測出来る。再び集合地点へ駆け抜け始める。草木は避けるように進み、倒木は飛び越えて、傾斜地は自慢の脚力で登っていく。

 集合場所には多くの同僚たちが愛用の武器を手入れしていた。解体されていた三八式小銃は丁寧かつ迅速に組み立てられると、薬室には6.5mm弾五発が装填されボルトで閉められる。彼らの三八式小銃は四四式騎銃に準じた独自の改造が加えられており、銃剣装着部分に折り畳み式刺突銃剣が装備されていた。


「おう、来たか」


 ようやく到着した仲間に手を振ってくれる同僚に応えるように右手を上げてから、地面に座り込み愛銃を整備する。簡単なことしか出来なかったが、普段から念入りに手入れをしているお陰かどこも問題はなかった。


「随分と遅かったな」


「少し遠回りをしてしまった」


「そうか」


 ポーチから6.5mmの鉛玉を取り出し、薬室へ一発ずつ入れていく。ボルトが正常に動くことを確認し右に回し、薬室を閉じ照門を覗き込む。自分の銃が全て問題ないことを確認すると、その男は胸元に下げられていた十字架を掲げキスをする。


「・・・神よ」


 そう呟いた男の言葉に反応した同僚。彼はある特定の方向に向かって毎日、決められた数の祈りを捧げている仲間に対して胡散臭い目をした。


「なあ同胞よ。その神は何もせず見守ってくれる者か?それとも今、俺たちに手を指し伸ばしてくれる小さき者の、どちらだ?」


「・・・それは」


 男が答えようとした時、甲高い笛の音が森の中に響き渡った。笛の音を聞いた大日本帝国陸軍独立機動連隊ロシャーナ、軍人司祭モアランカ・ミザボア大尉が隊長を務める第七中隊の兵士たちは、一斉に動き出した。急造した小さな塹壕には保式機関砲を据え付け、塹壕とは呼べない僅かな地面の窪みに身を潜め三十二年式軽機関銃を構え、三八式小銃片手に木の後ろへ隠れる。

 彼らが銃口を向ける先は闇。生き物の気配が全くしないにも関わらず、ロシア人たちは引き金に指を掛けていた。風が草木を揺らし葉の擦れる音が聞こえる程、彼らは無駄口を叩かず待っていた。ツァーリが必ず始末せよ、と命じた標的が来るのを。


 時計の針が数分進んだ時、異変が起きた。前方から何かが草木を掻き分けて来る音が聞こえた。それも複数。

 あちこちでボルトを引く金属音がする。空気が張りつめていく中、僅かに降り注ぐ月の光によって姿を見せたのは風魔衆と、軍用に調練された何頭かのニホンオオカミ。風魔衆の一人が口元に笛を咥え吹いた。吹いた数は三回。そこでロシア人たちは彼らの少し後ろに見える不気味な影を見つけた。ゆっくりと浮かび上がってきた姿に彼らは目を見開いた。頭は剃髪しているのか丸坊主で、オレンジ色の服は襤褸雑巾同然。何よりその体は座禅を組んだまま宙に浮いていた。そして坊主は自分を見る視線に気づいたのか、ニコリと人好きそうな笑顔でありながら、おぞましさを感じさせるものを浮かべた。


『アゴーイ!!』


 その瞬間、6.5mmの銃口が火を吹いた。保式機関砲改と三十二年式機関銃は弾幕を形成し、三八式小銃は一撃必殺の弾丸を撃ち出し、闇で包まれていた筈の森は、曳光弾が発する赤い光に染まった。風魔衆とニホンオオカミたちは素早く横に避け、銃弾の嵐は標的に殺到した。

 その光景を尻目に、右腕に赤十字の紋章が刻印されている鉢巻きを巻いた看護兵が風魔衆を連れてくる。ロシア人に助けられながら急造陣地内に退避していく風魔衆。付いてきているニホンオオカミたちもその多くのが何らかの形で傷を負っていた。


「おい大丈夫か!?」


「アルコールが足りない!酒を持ってこい!!」


 ぐったりしたまま動かない風魔衆にモルヒネ投与しながら部下を催促する軍医。右耳が千切れて無くなってしまっているニホンオオカミに包帯を巻きながら、看護兵は傍にあった酒瓶を投げ渡した。軍医は中身を傷口にぶちまけながら糸で塞いでいくが抵抗するように暴れ出した風魔衆を、他の部下と協力しながら力尽くで押さえ込む。


「・・・ぁああ」


 口が僅かに動いているのに気がついた軍医は耳を寄せた。


「・・・た・・・を」


「ああぁ!聞こえんねぇぞ!!」


「た・・・まを・・・・・・たや」


「気をしっかり持ちやがれ!!聞こえねぇんだよ!」


 軍医の呼びかけに風魔衆は力を振り絞って声を張り上げた。


「弾を・・・たや・・・すな!奴にや・・・られる!」


 そこまで言うと気力体力ともに尽きたようで気絶してしまった。軍医は前線で戦う戦友たちにこの情報を伝える為、伝令を走らせた。外に出て伝令は味方の射線を遮らないように、頭を低くしながら前線指揮所へ走った。


「伝令!伝令であります!!」


 指揮所に飛び込んだ伝令兵は、連続して響き渡る銃声に負けない大声を出す。指揮官であるミザボア大尉が聞く態勢をしているのを確認した伝令兵は内容を伝えた。


「生き残りの風魔衆が、常に弾を絶やすな!と」


その言葉に指揮所にいた将校たちが首を傾けた。既に蜂の巣にも関わらず、念には念を入れて更に火力を叩き込んでいる状態なので、これ以上は過剰だと考え終了の号令を下そうとしていたのだ。


「・・・まさか!?」


そう言うとミザボア大尉は指揮所の外へ飛び出した。参謀たちも慌てて出ていくが、相変わらず激しい弾丸の雨が標的に向かって降り注いでいる光景しか見えなかった。


「大尉、この様子では骨すら残っていないでしょう。射撃の中止を・・・」


「違う!貴方たちの目は節穴ですか!?」


一人の参謀が進言しようとするが、ミザボア大尉の怒りに触れた。萎縮する参謀たちを一瞥し、双眼鏡を覗き込む。6.5mmの嵐に晒されている一人の坊主。明らかにおかしかった。何故無数の弾丸に撃ち抜かれ身を抉られている筈なのに、そこに居続けることが出来る。その異様な光景にミザボア大尉の背中に大量の冷や汗が流れ出た。


「機関銃小隊は射撃を交互に継続、歩兵も分隊ごとに連続射撃!弾を切らすな!!」


 だが、その号令は余りにも遅すぎた。弾薬がある限り休むことなく発砲していた銃身を、冷却しなければならない瞬間が来たのである。彼らが使用していたのは空冷のホチキス式機関銃。もしロシア軍時代に使っていた水冷式のマキシム機関銃ならば、銃身過熱の心配など頭の隅に追いやり弾が無くなるまで撃ちまくっていただろう。


 銃身が赤く光り始めたのを見て耐え切れなくなった小隊が、暴発を防ぐため発砲を止めたのを皮切りに他の小隊も射撃を中止する。そして小銃を持った歩兵たちも手持ちの弾薬を気にして撃つのを止めてしまった。


「んあぁ?」


 保式機関砲の銃身の交換作業をしていたロシャーナ兵士が、すぐ目の前で物音がするのに気が付き顔を上げた。そこに居たのは蜂の巣にした筈の中国人の大陸坊主。間抜けな声を出し口をあんぐりと開いているロシア人に、大陸坊主は罵詈雑言を吐く。


『我の体を一時とは言えよくも穴だらけにしてくれたな。これだから南蛮人は嫌いなのだ!』


『だから貴様の魂、寄越せ』


 そう言って大陸坊主は呆然として動かないロシア人の胸に右手を突っ込んだ。そして胸から青色の玉を抜き出し、何かを抜き出されたそのロシア人は身体の節々を砂に変えながら崩れ落ちた。


『ううむ、これ程までに業(罪)を積んだ魂は珍しい。これは我が血肉となり、我が即身仏になる糧とするのが良かろう』


 手に持った青色の玉を口の中に入れ粗食している坊主と、肉が腐るどころか砂に変わっていき骨しか残っていない同僚の姿。両者を見比べたロシャーナ連隊第七中隊の面々は、理解不能に陥り完全に固まっていた。

 そして喉を鳴らして飲み込んだ何かに満足した坊主は、固まったままのロシア人たちを見渡し呟いた。


『ほほう。よく見れば、ここにいるもの全員なかなかの業を抱えているではないか』


 何を言っているのか分からない。だが、明らかに人を見る目ではないのは誰もが理解出来た。敢えて言うならばこれから食べる甘美な果実をどう食そうか吟味している。そんな表情をしていた。


「う、撃て!近づけてはなりません!!」


 ミザボア大尉の声に我に返ったロシア人たちは慌てて銃口を向ける。しかし大陸坊主の方が一歩早く動いていた。坊主の右手を振り向けば、その軌跡から砂の刃が現れ、ロシャーナ兵士たちの体を切り刻む。中には胴体から両断された兵士おり、振るわれた直線上にいた者たちはほぼ即死であった。


『カッカッカッカッカ。無駄じゃて、鉛玉程度で儂を殺せるものか』


 戦友であり家族同然の仲間たちの無惨な死を目前にしても、まだ残っている仲間の安全を最優先して、反撃してくるロシア人たちを嘲笑う。6.5mm弾は確かに当たっていた。だが、弾丸が肉体を抉り通り過ぎて出来た風穴は、内側から蠢きながら再生される。それを見た数人の従軍司祭が、胸元に下げていた十字架を手に持った状態で突っ込んだ。


『死ね、バケモノ!!!』


 十字架の下先端部は尖った形状をしており、それを坊主の体に突き立てた。


『・・・はぁ。銀で出来た異教徒の宗器など、儂に効くと思っているのか。だとすれば、とんだ筋違いじゃて。南蛮が!!』


 憤怒の表情で坊主が吠えると、その体の一部が針山のように変化し従軍司祭たちを串刺しにする。たちまち肉体が砂に変わっていく同僚の姿を見てもロシア人たちは、規律された統制の下、攻撃を続けていた。

 その姿に違和感を憶えつつ、大声で部下たちを督戦しているミザボア大尉を見つけた坊主。うるさい頭を潰せば連中も武器を捨て逃げ出すだろうと考えた坊主は、悠々とミザボア大尉に近づく。一方のロシャーナ連隊第七中隊側も、坊主が何をしようしているのか気づき、それを阻止せんと銃撃を加えるが、全ての銃弾がその存在意義を果たすことなく貫通してしまう。皮肉なことにロシア人たちの攻撃は彼らが焦れば焦るほど、正確になっていく。


『どれ、貴様の魂は如何ほどモノかの』


 遂にミザボア大尉の眼前にまで来た坊主は、舌なめずりしながらそう呟いた。すぐ近くにいる参謀たちが必死になって拳銃を発砲しているが、まったく意味を成してない。


『では、頂くとしよう』


 ゆっくり迫る坊主の右手を達観した目で見ていたミザボア大尉は、最早これまでと諦めきっていた。


「申し訳ございません。我が救世主にしてツァーリよ」


そう漏らしたミザボア大尉は、腰にぶら下げていた手榴弾を眼前に持ってきて、そのピンを引き抜こうとした。













だが、その手も強制的に止められた。他ならぬ彼の主君によって。


「『何故、自己完結の末に、我が権勢から逃れようとしている。この阿呆が』」


 凛としていながら濁が入り混じった声がしたと思ったら、鈍い音が響き渡る。


『グフッぁ!?』


 今まさに手を掛けようとしていた坊主の顔面に鉄拳が突き刺さり、重力の慣性そのままに吹っ飛んでいく。その光景に啞然としたミザボア大尉だが、自身を冷たく睥睨する視線に恐れおののき平伏した。


「『失態よな。我が依代の配下よ』」


 頭を僅かに上げて伺えば、この場にいる筈のない己が絶対君主の顔があった。目と鼻の先にある目。人の目ではない。縦に割れた明らかに人ではないその目。


「『どうした。この目が喰いたいのか』」


「・・・・・・いえ、とんでもございません」


 その身から発せられる覇に耐えながら答えると、コロコロと微笑しながら視線を森の奥へと向けた。坊主が飛んで行った線上にあった木々はへし折れ、殴り飛ばした側の人ならざる怪力を見に見えて実感させた。


「『許し難し』」


 尋常ならざる憤怒を感じさせる声に、その場にいるロシア人たちは震え上がる。


「『我の権勢が、依代の命により戦場で散りぬれど、それは致し方無し』」


 木々に阻まれながら成彦を照らす月の光りに紛れるように、深い闇が蠢く。足元の影が形を変え、色を反転させ大きくなる。


「『されど、侵されるのは認めず。我が力を取り戻すには、依代への畏怖が必要であるが為。それを体現する彼らをわざわざ手渡すわけがなかろう。人間(・・・)』」


 それは蛇であった。人間の胴体ほどの大きさを誇る真っ白な蛇が成彦に巻き付き、その肩に頭を置いていた。舌をチロチロとしながら、その場にいる全ての人間を睥睨している。


「私の配下を辱めた罪を償ってもらうぞ」


『我が権勢を犯した罪を償ってもらおう』


 二重に響くその声に、不気味なほど頭が揺さぶられる。喉の奥からこみ上げてくる吐き気を、必死にこらえながら言葉を捻り出す。


「恐れながら、我らのツァーリにして神よ」


 ぐるりと首を回し、蛇の目でミザボア大尉を見つめる成彦と●●●●。


「どうか怒りをお収め下され。怒りのままに御身が振る舞えば、生き残っている同胞たちが・・・」


 陳言により首が泣き別れする危険性があろうと、己がツァーリより預かった部下の身を案じたミザボア大尉の懇願。事実、周りのロシア人たちは、ツァーリと●●●●が発する威に恐れ上がり、その場で縮こまるしかなかった。


「案ずるな。それよりも早くここから離れるよう、配下に伝えろ」


『仏にも成れず人間から外れたモノが来たゆえに』


 ●●●●がそう言った瞬間、森の奥深くの暗闇から一陣の矢が飛んできた。だが、それは成彦の直前で何かの壁にぶつかったように飛散した。地面に撒き散らされたのは砂だ。砂はまるで意志を持つかの如く、森の奥へ吸い込まれていく。そして聞くに堪えない悪態を吐きながら、再びその姿を現した。


『よくもやってくれたな小鬼如きが!!』


 一切の躊躇なく殴られた顔面は醜く歪み、かろうじて残っている両目は真っ赤に染まり血走っていた。激情に促されるままに鼻を潰された事で裏返っている声で、成彦を罵倒する。


『たかが50年も生きていない小鬼が!儂の顔を傷つけるなど、どれほど罪深いか教えてやる!!』


 坊主が手を振りかざせば、何十本もの鋭く尖った砂の矢が現れ、成彦を串刺しにせんと一直線に飛んで行く。飛んでくる砂の矢群を伏せることで逃れるロシア人たち。笛のような飛翔音を奏でながら向かってくる矢群を一瞥した成彦は、●●●●はその場で軍靴を履いた足で地面を叩く。すると、地面から半透明のナニかが出現し矢群を防いだ。ナニかに当たった矢群は一つ残らず砕け散る。


『おおおぉぉぉぉぉのののォォォォォれれれぇぇぇぇぇ!生意気なぁぁぁぁぁ!!』


 自らの術を難なく防がれたのを見た坊主の怒りは、限界を超えて憎悪に変化していく。坊主はそれから何度も腕を振るい声を張り上げては、自らの修得したありとあらゆる術を放つ。砂の矢、砂の槍、砂の剣など武器の形をしたのはもちろん、目には見えない呪いの連鎖が、成彦へ襲い掛かろうとするが、その全てが防がれる。

 その光景を見た坊主が更なる術を行使しようとするが、それよりも早く●●●●が動いた。


「『なんだこれだけか』」


 あからさまに溜め息を漏らし、ガッカリした表情を見せると、何かが引き千切られた音が響く。


「『まずは右腕を貰うとしよう』」


 それまで腕を振るい続けた坊主は、唐突に違和感を憶え己の右腕を振り返り見た。そして肩から先が無くなり、断面には無惨に食い千切られた肉が見えていた。


『アアアアアあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?』


 これまで。いや、何百年ぶりに感じる壮絶な痛みに、これが実際に己の身に起きた事だと認識する。傷口からぼとぼと零れる落ちる力の源泉、他者の魂が流れ出ていくのを必死に抑えようとするが、傷口が治ることはない。


「『不味い』」


 哀れなほど狼狽する坊主の右腕を喰らった●●●●は、もごもごしていた口を開くやいなや、出て来た言葉は不味いの一言だった。


「『不味い、不味すぎる。なんだ、この腐った果実のような味は』」


 罵倒にも等しい言葉を投げかけながら、油断なく坊主を見据える。●●●●はひどく落ち込んでいた。かつて出雲の国で、天照大御神が弟、須佐之男命によって力を奪われて以来、信濃の国で息を潜め、復活の機会を一日千秋の思いで待っていた。その時、狂気とも取れる無念さを抱え込んだ異界の魂を見つけた。そして運よく、あの憎たらしい天照大御神の子孫が、夫婦で信濃国を偶然訪れた。その妻の胎で育っている子に、魂が存在してないことにも気がついた。●●●●は歓喜した。僅かに残っていた力を加護に変え、異界の魂に与え、子の中へ送り込み、自らも依代へと紛れ込んだ。

 目論見は予想以上だった。依代が力を振るい、依代の配下たちが暴虐の限りを尽くせば尽くすほど、日ノ本の民が発する恐怖の念と畏怖の信仰が、依代へ集えば集うほど、嘗ての力が権能が戻ってくる。だが、戻ってきたと言ってもほんの僅かだ。それでも●●●●は狂喜の咆哮を上げた。誰の耳にも届かない。小さな小さな咆哮を。


 だからこそ、己が領域を侵した不届き者に懲罰を与えなければならない。生かしておくわけには行かない。


「『・・・ふーん。貴様の名は(そう)(えん)と呼ぶのか』」


『!何故、儂の名を。まさか!?』


「『ああ。貴様の不味い、右腕から読み取った記憶からな』」


 ●●●●が喰らった腕から得た知識、今まで坊主が積み重ねてきた魂喰いの歴史が流れ込んでくる。その中で興味深い記憶を見つけた。


「『なるほど、貴様は鑑真の兄弟子か』」


『その名を呼ぶなぁ!』


 坊主・・・聡園が修得または奪い取ってきた術で、その口を閉ざさんと攻撃するも、それらが届くことはない。成彦の周囲で蠢くナニかに防がれる。ナニかは、静かに頭数を増やし、坊主を取り囲むように移動しているが、聡園は気づく素振りを見せない。


「『・・・これは滑稽だ。化け物になり下がった貴様は、仏になろうとしていたのか。そんなの望むことも出来んのに』」


『黙れ!』


 更に記憶をより深く読み取った●●●●。そこにあった聡園が目指した夢の残影。多くの仲間たちと切磋琢磨し、仏の道を歩もうとしていた黄金時代。その陰で抱え込んだ弟弟子である鑑真への嫉妬心。栄転を遂げて行く鑑真に対して、聡園は脇役を強いられた。そこで彼は道を外れてしまった。邪法に手を染め、寺院を追い出されてしまったのだ。そこで見たのは、俗世とは一歩隔離されていた寺院の中しか知らなかった聡園にとって衝撃の光景。それまで清らかな世界しか知らず過ごしてきた聡園が初めて見た、腐りきった俗世の中で生きる人々。職を持ち明日の希望が求める人たちが振り返ることもしない、その日の僅かな食い物を求め些細な悪事に手を染める貧しい人々。

 それまで理想としていた世界と余りにもかけ離れた世の中を、聡園は理解してしまった。所詮、俗世などその程度だと納得してしまった。そこから簡単だった。誰にも気づかれないように隠れながら、邪教の書に記されていた教えに従い、魂喰いをおこない己が即身仏に至れる道を。その思いで聡園は幾度かの眠りの時期もあったが、およそ千年以上に渡って魂を収奪してきた。


「『無駄だと言うているだろう』」


 一刻も早く己の過去を暴く、その口を封じようと様々な術を放つ聡園。しかし、それらが届くことはなかった。


「『では、左腕を喰らうぞ』


ブチィ


『グギャァァァァァ!!』


 ●●●●がそう言った次の瞬間、聡園の左腕は一切の前兆もなく無くなり、狂いそうなほどの激痛が襲い掛かる。あまりの痛みに耐えきれず膝を折り、地面に這いつくばる。


「『次は・・・・・・右足だ』」


 ブチィ


『グギィィィィィ!!』

 右足を喰い千切られた拍子に、うつ伏せの姿勢から仰向けへと変わった聡園の視界に、己の右足を口の中に運ぶ下手人が映った。そこに居たのは、口に咥えている右足を一気に一飲みし、胃の中へ嚥下していく巨大な蛇。何百年と長い時間を掛けてきた大木にその巨体を巻き付け、月の光りに照らされて輝く双眸で聡園をじっと見つめている。


カプゥ


 まだ残っていた左足全体に感じる不快感に、まさかと思い見てみると。人を丸吞みしそうな程、巨体な蛇がもう一匹いた。


ブチィ


『やめよぉ』


ブチィ・・・ブチィブチィ


『やめてくれぇ』


ブチィブチィブチィブチィィぃィぃィィぃィぃィ


『やめろォォォォォぉぉぉぉぉ!!!!』


ブチィブチィ・・・・・・ブチィん


『・・・ああああああああ!』


 慈悲を請う声など聞き入られる筈もなく聡園の左足は、そのまま食い千切られ大蛇の餌となった。泣き喚く聡園に手を差し出す者は、この場には存在しない。むしろ、その悲鳴を心地良く感じるモノがいた。


「『どうした。先ほどの威勢が良い減らず口は、何処へやった。ん?』」


 それまで成彦の体に巻き付いていた●●●●が、依代から離れ聡園に近づいていく。それに合わせるように、巨体な蛇が次々とその姿を現す。現れたのは計七頭。いや、●●●●も含めば、計八頭の蛇。聡園を中心に塒を巻き、獲物が逃げないようにする。


『歓喜せよ。これから貴様は、我が血肉を取り戻す糧となる』


『恐怖は権勢の源となり』


『畏怖は信奉と表裏一体なり』


『長きにわたる眠り。今この瞬間も痛む我、我らの傷』


『雌伏の時、数え2千年以上。一度も忘れたことは無い』


『我ら八つの頭、全て切り落とされ』


『力を奪われ、残った残滓で落ち延びた』


『長かった。千年を超える年月を経て』


『ようやく、我らは再起への(しるべ)を手にする』


 八つの蛇が口々に謳い上げる。その声は空気を震わせ、そこにいる全ての者に(おぞ)ましさを感じさせる。一番恐れおののいているのは、今まさに喰われようとしている聡園であった。四肢を失いながらも悪足搔きを続け、必死になって逃げようとする。


『何処に行こうとしている』


 聡園の周囲に飛び散っている彼自身の血が、蛇の形を成して身体を縛り上げた。口も封じられて何も言うことが出来ないなか、視線を上に向けた聡園は余りの恐怖にうめき声と化した絶叫を上げた。

 そこには、口を大きく開け涎を垂らしながら自分を見詰める八つの蛇が、今にも襲い掛かろうと構えていたからだ。


『頂きます』


 次の瞬間、聡園の体は八つ裂きにされた。






 その場に居たロシア人たちは、余りの光景に後ずさり少しずつ離れようとしていた。生きたまま体を食い千切られていく聡園を見れば、そういった行動をとるのは仕方ないことだろう。助けを求めることだけではなく、泣き叫ぶことすら封じられ喰われていく。

 その様子を遠くから見つめていた成彦に、ミザボア大尉が近づいていった。


「・・・申し訳ございません。ツァーリ、ご命令に反し、少なくない部下を失ってしまいました」


 ミザボア大尉の報告を聞いている筈の成彦は、報告には気を止めずにジッと●●●●に視線を送っていた。それに気づいた●●●●は喰らっていた聡園の体に頭を突っ込み、蒼白い炎を幾つも抜き出し、成彦の方へ放り投げた。

 それを受け取った成彦が炎に呼び掛けると、それに応えるように炎たちは点滅を繰り返した。


「ご苦労。・・・いや、良く持ち堪えてくれた」


「・・・。・・・・・・。・・・」


「そう気を病むな。貴様らが耐えたお陰で、救われた者もいる」


「・・・。・・・・・・・・・。・・・・・・。」


「また諸君らと戦場を駆け抜ける時を楽しみにしている。もう休め」


 成彦の労いの言葉に背中を押されるように、蒼白い炎たちは空へと昇り消えていく。まるで霧が霞んでいくように、ゆっくりと消えていく炎を見たロシア人たちは理解してしまった。あれは殺された仲間たちの果ての姿だと。


「ミザボア大尉」


「ハッ」


「後始末を頼む。私は会場に戻らねばならない」


 その場に跪くミザボア大尉が頷くのを見た成彦の体に異変が起こる。まるで繊維から色が抜けていくように、その姿が徐々に無色透明化していく。そして完全に向こう側まで見通すことが出来るようになった瞬間、成彦の体が突然崩れ落ちた。それを見たロシア人たちが慌てて駆け寄ったが、そこにあったのは大きな水溜り。その量は、人一人分を形成するには十分な量である。


「ミザボア大尉、これは・・・」


「よく聞きなさい!この場で見た事、聞いた事は絶対に漏らしてはなりません!作業始め!!」


 疑問を感じた一人の兵士がそれを口に出そうとしたが、ミザボア大尉はそれを遮り部下達に後始末を命じた。命令には逆らえずロシャーナ兵士たちは軍人として叩き込まれた隠蔽工作に取り掛かった。その様子に安堵を抱きつつ、一抹の不安を抱くミザボア大尉。ちらりと視線を●●●●へ向けた。

 目の前の獲物に夢中になっているのか、向けられた視線には気づいた素振りを見せず、肉を食い漁っていた。腹の中から総ての臓腑が引きずり出され、それらを奪い合いように八匹の蛇が喰らい尽くしている。その状態になっても、まだ生きている大陸坊主のしぶとさに感心すればいいのか呆れればいいか。皮の欠片一枚も残さない勢いで喰われていく。


 もし、仮にその欲求の矛先が自分に向けられたら。


「何をしているのです!作業を早く終わらせなさい!さもなくば彼らの牙が我々に向けられますよ!!」


 ミザボア大尉に発破を掛けられた兵士たちは、大急ぎで破壊痕を埋めて失くしていく。慌ただしくなったロシア人たちを、かつて災厄神として恐れられた●●●●はせせら笑った。






 水で出来た分身体から、意識が本体へと戻る。冷え込んで外気と違い、厚い壁によって隔離された部屋の中は心地の良い暖かさを保っていた。少しずつ目を開ければ、木造の天井が見える。


「お目覚めになられましたか。ツァーリ」


「・・・あぁ、警備ご苦労と言いたいところだが」


 子飼いのロシア人たちの中で最も信頼出来る男の方へ顔を向けたが、その隣に居る筈のない人物がいるのを見て、途中で労いの言葉を止めてしまう成彦。視線で責められるゲルビルを庇うように、今代の帝が口を開く。


「彼は何も問題を起こしていませんよ。それどころか、私の我が儘を聞いて下さって頂いたくらいです」


「・・・それは何より」


 そう言われてしまっては、成彦は矛を納めるほかない。その姿にゲルビルは複雑な心境だった。ゲルビルにとっての絶対君主は、珠洲ノ宮成彦ただ一人。自らのツァーリが、例え新たな母国で千年を超えて君臨してきた一族の頂点に立っている男に従っている姿には、違和感どころか悔しささえ感じていた。


「ゲルビル。腰に回したその手を離せ」


 ゲルビル本人さえ気づかない内に腰へ吊るしてあるサーベルに、手を少しずつ近づけているのに気がついた成彦が注意した。腹心である部下が不審な行為をとった事を詫びると、嘉仁天皇は特に気にしないことを伝えると本題を切り出した。


「成彦さん。貴方はこの国をどうしたいのですか?」


 その質問に、珠洲ノ宮成彦は即答することは出来なかった。この国をどうすれば良いのか?それは、21世紀の日本から19世紀末期の日本に転生してから常に考えてきたことだ。前世とは総てが異なり、20世紀の日本は発展途上国なのだ。


「最低でも、自国を守れる力を持つ国として」


「それは貴方の口から何度か聞かされたことです。私が知りたいのは、成彦さんの見ている日本なのです」


「見ている日本ですか?」


「はい。成彦さんが普段から口にしている日本ではなく、貴方の心のなかにある日本です」


 帝国臣民の畏敬を一身に受ける天皇という地位に座ることを、この世に産まれた時から定められた男。その言葉には、日ノ本の頂点に立つことを決められた男の全てが込められていた。生きていた頃から先帝と常に比較され、暗愚と侮られていた。今代の天皇に即位した後も、その権威を政争の道具として利用されてしまった。

 

「私は聞きたいのです。貴方の本心が。決して他者に漏らすことなく、貴方が隠し続けている心の奥底を」


 どうして珠洲ノ宮成彦と言う男が、ほぼ無条件で天皇家に敬意を向けるのか。誰もが疑問に思いながら決して口に出来ない。いつ爆発するか分からない危険物に、わざわざ手を出すような馬鹿正直な者はいない。

 だが、今代の天皇。第123代天皇に即位し大日本帝国の全権を総覧する権利を有する嘉仁天皇は問い質さなければならなかった。帝国成立以来、前代未聞の権勢を手中に収めた珠洲ノ宮成彦。その男の真意を。


 決して目を逸らすことなく、一心に見つめ続ける嘉仁天皇。じりじりと時間が過ぎていくなか、珠洲ノ宮第二代目当主、珠洲ノ宮成彦はロッキングチェアから身を起こした。


「嘉仁天皇。私がかつて見た日本は、それは素晴らしいものでありました。この国で生きていけることが嬉しい。戦争もなく家族と平穏なひと時を過ごせることが、どんなに幸せであるか」


 そう口にしながら、どこか苦々しく話す成彦。


「・・・それはまやかしだった。当時の私は、いえ日本国民はその事実を見て見ぬふりをしながら過ごし、取り返しのつかないことをしてしまったのです。・・・陛下」


 はい、と返事をした嘉仁天皇はそこで初めて気がついた。珠洲ノ宮成彦が、嘉仁天皇を通して誰かに語りかけていることを。それが、許しを請う姿勢そのものであることを。


「今、この場を借りて申し上げます。これから私が行うことは全て、たった一人の人でなしが独断ですることです。かかる責任は全て私が背負うべきもので、陛下は一切の負い目を持つことはございません」


「成彦さん」


 嘉仁天皇の呼び掛けに応じることなく立ち上がり、固く閉じてあった扉を自ら開ける成彦。彼が部屋を出る際に呟いた言葉は、珠洲ノ宮成彦が自らの戒めそのものであったのかも知れない。


「・・・・・・運命は定められている。運命は切り開くもの。多くの人々はそう考えているでしょう」


 その言葉こそが、嘉仁天皇が聞きたかった本心であり、狂気に走らせるものであったとしても。


「ならば私はその運命に反逆します。滅びの運命から。かつて、悲しい表情であの戦争を教えてくれた前世の祖母の思いと、私自身の決意を以って」


 かつて成彦が成彦ではなく●●●であった時、彼の祖母は孫である●●●に自分が経験した悲惨な戦時の記憶を可能な限り教えた。どうやって人が死んだのか。どのように人が死んでいったのか。どうして人が死んでしまったのか。

 幼いころから戦争について教えられた●●●。それは一種の刷り込みに近いものかも知れない。そして●●●がどうして戦争という行為がおこるのか知りたい、と考えるのも当然の結末であった。


「私は過去にいます。歴史の結果として、通過点として記録された過去に」


 そこから簡単であった。学生とは言え、●●●は一端(いっぱし)の歴史研究家の道を歩み始めた。その心の奥底に煮え滾りつつあった怒りを隠しながら。そして、あることが切っ掛けで命そのものを失うことになった。

 怒りは無念に変わり、生まれ変わったことで無念が狂気へと姿を変えた。●●●は珠洲ノ宮成彦となり、前世の思いは現世の狂った思想へと変わり果てた。


「反逆しましょう、運命に。ただ一度も公平無私であったことがない世界に。勝者にならなければ真実さえ語ることを許されない未来に。」


 未来への反逆。世界への反逆。そして運命への反逆。それこそが●●●であり珠洲ノ宮成彦である一人の狂人が選び、歩み続けている地獄への片道切符なのだ。


 その背中を嘉仁天皇は止めることは出来なかった。二人が歩む道は余りにも正反対であるため。帝国臣民の畏敬の念を受ける男と、畏怖の目を向けられる男。決して交わることない2人の考え。それは正に、過去と未来に明確過ぎる壁を作り出していた。


「・・・話はここまでです、陛下。会場へ戻りましょう」


 そう言うと一足先に廊下へと出ていった成彦に、静かに嘉仁天皇は言った。それが届かないことを知りながら。












                    「貴方は孤独なのですね」


読んで頂きありがとうございます。

感想は次回、何個か選んで回答致します。

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