「木漏れ日ごときに何ができる」と追放されましたが、その妖精は森の女王ですわよ? 〜聖女の座を奪われた元社畜令嬢、光の精霊とスローライフを始めます〜
「セレスティア、貴様との婚約を破棄する。真の聖女は妹のミレーユだ」
王城の断罪の間。
磨き抜かれた大理石に、第二王子アルヴィスの声が冷たく響いた。
(はいはい、また理不尽ね。定時で帰りたい)
わたくし、セレスティア・ヴァレンフォードは、静かにスカートの裾を持ち上げて一礼した。
前世の記憶がある。
現代日本のブラック企業で、終電と始発の間を縫うように働き、最後は会議室の床で事切れた元社畜。
理不尽な扱いなら、飽きるほど味わってきた。
だからだろうか。
婚約破棄を突きつけられても、心はさざ波ひとつ立たなかった。
「殿下。理由をお伺いしても?」
「理由だと? わかりきったことを」
アルヴィスは、隣に立つ赤髪の少女――わたくしの異母妹ミレーユを見やった。
その肩には、華やかに燃え上がる炎の精霊が揺らめいている。
「ミレーユは誰の目にも見える炎の精霊を従えている。まさに聖女にふさわしい。だが貴様は――」
王子の口元が、嘲りに歪んだ。
「精霊も持たぬ紛い者。見えぬ妖精など、いるかどうかも怪しいものだ。木漏れ日ごときに、いったい何ができる?」
木漏れ日ごとき。
その言葉に、わたくしの掌の中で、小さな光がぴくりと震えた。
リオ。
幼い頃から、わたくしにだけ見えた木漏れ日色の妖精。
誰にも見えず、だからこそ「紛い者」と嘲られ続けた、たった一人の友。
(怒らないで、リオ。この人たちは、そういう生き物なのよ)
わたくしは顔を上げ、令嬢らしく微笑んだ。
「そうですか。では、遠慮なく辞めさせていただきますわ」
弁明も、懇願もしない。
喚けば喚くほど、こういう連中は喜ぶだけだ。
退職届は、いつだって静かに置くに限る。
アルヴィスが一瞬、拍子抜けした顔をした。
もっと縋りつくと思っていたのだろう。
「……追放先は、北の枯れ森だ。二度と王都の土を踏むな」
「かしこまりました」
わたくしは背を向けた。
ざわめく貴族たちの視線を浴びながら、一度も振り返らずに断罪の間を出る。
(呪われた枯れ森、ね。上等じゃない)
満員電車も、深夜残業も、パワハラ上司もない場所。
むしろご褒美では?
掌の中で、リオが不思議そうに光を瞬かせた。
このとき、王国の誰一人として知らなかった。
わたくしが連れ去る「木漏れ日ごとき」の妖精が、いったい何者なのかを。
◆
北の枯れ森は、噂どおりの荒れようだった。
立ち枯れた木々。ひび割れた大地。
馬車の御者は森の入り口でわたくしを降ろすと、逃げるように去っていった。
「さて、と」
わたくしは荷物を抱え、枯れた下草を踏みしめて森へ入る。
その瞬間だった。
掌の中のリオが、ふわりと宙に舞い上がった。
そして――光った。
木漏れ日色の光が、洪水のように森いっぱいに溢れ出す。
「え……」
枯れた枝に、みずみずしい若葉が芽吹く。
ひび割れた大地に、緑が走る。
涸れていた泉が、こんこんと澄んだ水を湛えていく。
目の前で、死んでいた森が生き返っていく。
そして光の中心に、一人の女性が立っていた。
木漏れ日色の髪を長くたなびかせ、荘厳な光を纏った、あまりにも美しい存在。
『やっと、あなたと二人きりになれたわね。セレスティア』
声が、頭の奥に直接響いた。
「リオ……なの? その声……頭の中に直接……」
『ええ。ごめんなさい、ずっと小さな姿でいて。わたくしはね――』
女性は、慈しむように微笑んだ。
『この大陸すべての生命を司る、原初精霊。人は"森の女王"と呼ぶわ』
頭が、真っ白になった。
『わたくしの姿は、本当に心を許した者にしか見えないの。千年もの間、誰にも心を許せなかった。……あなたが現れるまでは。あなたは千年ぶりの、わたくしの契約者よ』
かつて「見えない妖精」と嘲られた友。
それは、大陸最強の精霊だった。
(……つまり?)
わたくしは、生き返っていく森を見渡した。
この大地の恵みそのものが、リオと共に、王国から――去った。
「リオ。ひとつ確認したいのだけれど。あなたがいなくなったら、王国の作物や水源って、どうなるのかしら」
リオは、少し困ったように首を傾げた。
『枯れるでしょうね。魔物も増えるわ。わたくしが大地に還していた光が、もう届かないもの』
(あらあら)
わたくしは、思わず口元を押さえた。
復讐なんて、しなくていい。
手を汚すまでもない。
わたくしはただ、正当に評価してくれる場所へ、移っただけ。
「では、始めましょうか。リオ」
木漏れ日色の光の中で、わたくしは久しぶりに、心から微笑んだ。
「ここを、わたくしの居場所にするわ」
◆
森が楽園に変わるまで、そう時間はかからなかった。
前世の知識は、案外役に立つ。
畑の輪作、井戸の衛生管理、共同体のシフト制。
ブラック企業で叩き込まれた組織運営の知識が、こんなところで花開くとは。
最初にやってきたのは、痩せこけた狼獣人の少女だった。
「あ、あの……ここに、いても……いいですか」
迫害を受け、行き場をなくして流れ着いたという。
ノーラと名乗った彼女に、わたくしは温かいスープを差し出した。
「もちろん。ただし、働いてもらいますわよ。お給料と休日はきちんとお出ししますわ」
「お、お給料……!? 休日も……!?」
ノーラの尻尾が、ぶんぶんと揺れた。
「当然ですわ。正当な労働には、正当な対価を。……前世で、それがどれほど尊いか、嫌というほど学びましたの」
そうして森には、次々と行き場のない者たちが集ってきた。
傷ついた獣人。追われた流民。小さな共同体が生まれていく。
そんなある日のこと。
森の入り口が、妙に騒がしい。
光の精霊たちが、きゃっきゃとはしゃいでいる。
見に行ったわたくしは、思わず足を止めた。
二メートル近い巨躯。黒鱗の角と尾。
傷跡の残る強面の――竜人。
その男が、光の精霊たちにまとわりつかれ、振り払うこともできず、途方に暮れて三角座りをしていた。
「…………」
「…………」
沈黙。
「……あの、どちら様ですの?」
男は、ばっと顔を上げた。耳まで真っ赤だった。
「……辺境将軍、ガヴィス・ドラクレインだ。この森の異変を、調査に来た」
『冷酷無比の竜殺し』と噂される男が、精霊にほっぺたをつつかれて目を泳がせている。
(……なにこれ、かわいい)
「調査、ですか。ではお茶でもいかがです? 話はそれから」
「……いや、俺は」
「炎の精霊が淹れた特製ハーブティーですわ。竜人の疲労回復に良いのだとか」
ガヴィスの尾が、ぴくりと反応した。
「……少しだけ、貰おう」
そうして彼は、お茶を一口飲み、精霊にじゃれつかれ――
「将軍さま、パンも焼きたてですよ! いっぱい食べてください!」
ノーラの差し出したパンを、ぎこちなく頬張り――
気づけば、日が暮れるまで森にいた。
「……別に、居心地がいいから居るだけだ」
翌日も、彼は来た。
その翌日も。
(毎日通ってきては、そう仰るのよね。素直じゃない方)
わたくしは知らないふりをして、お茶を淹れ続けた。
長年、恐れられるばかりで誰にも甘えられなかった男。
この森には、彼の欲しかったものが、全部あるのかもしれない。
そんな穏やかな日々を送っていた頃。
王都から、一頭の馬が息を切らして駆けてきた。
◆
王国は、静かに崩れ始めていた。
作物が枯れる。
泉が濁る。
森からあふれ出た魔物が、村々を襲う。
「なぜだ……なぜ作物が枯れる。泉が濁る。ミレーユ、お前の精霊はどうした! なぜ消えた!」
「し、知りませんわ! わたくしのせいじゃ……あの炎は、ただの……いえっ、なんでもございませんっ」
「ただの……? まさか、あれは精霊ですらなかったというのか。魔道具のまやかしだと……!」
そうだった。
ミレーユの「炎の精霊」は精霊ですらなく、ただの魔道具が生み出した幻影。
魔力が尽きれば、消える。それだけの、まやかしだった。
聖女の詐称は、あっという間に明るみに出た。
ミレーユは断罪され、アルヴィスは加護を失った国の惨状の責任を問われ、失墜した。
そして彼らは、遅まきながら思い出したのだ。
自分たちが「木漏れ日ごとき」と嘲って追い出した、あの令嬢のことを。
◆
王国からの使者が、森の共同体を訪れた。
「セレスティア様! どうか、どうか王国をお救いください! あなたの精霊の力を、もう一度――」
地に額をこすりつける使者を、わたくしは静かに見下ろした。
傍らでは、ガヴィスが腕を組み、ノーラが不安げに尻尾を揺らしている。
「顔を上げてくださいまし。まず、確認させていただきたいことがございますの」
「な、なんなりと!」
わたくしは、令嬢らしく微笑んだ。
「第二王子アルヴィス殿下は、わたくしにこう仰いましたわ。――『木漏れ日ごときに何ができる』と」
使者の顔が、みるみる青ざめていく。
「そ、それは……」
「木漏れ日ごとき、と仰いましたわね?」
わたくしは、宙に舞うリオを――今や森の女王たる原初精霊を、そっと見上げた。
「その木漏れ日が、この国の全ての恵みでしたのよ」
使者は、言葉を失った。
「あなた方が『紛い者』と嘲った妖精こそ、大陸の生命を司る原初精霊。そしてわたくしは、千年ぶりに認められた唯一の契約者。……理解できまして?」
「そ、それでは、なおのこと! どうか契約の力を王国に――」
「お断りいたしますわ」
「な……!?」
わたくしは、一枚の書類を差し出した。
「精霊契約の正式な譲渡拒否証明ですわ。原初精霊リオのご意志により、エルフィリア王国への加護供与は、永久に行われません。……はい、こちら控えでございます。丁重にお持ち帰りくださいませ」
書類一枚。
それが、わたくしの反撃のすべてだった。
剣も、魔法も、呪詛もいらない。
喚くことも、泣くことも、憎むことも。
わたくしはただ、正当に評価される場所へ、移っただけ。
「わたくし、前世でも今世でも、正当な評価をしない相手に尽くすつもりはございませんの。……では、お気をつけて」
呆然と去っていく使者の背を見送って、ガヴィスがぽつりと呟いた。
「……お前、敵に回したくない女だな」
「あら。味方でいてくださるなら、毎日お茶をお淹れしますわ」
「っ……! ……別に、茶が目当てじゃない」
『ふふ。将軍さん、また耳が真っ赤よ?』
リオが、くすくすと光を舞わせた。
◆
季節が巡り、森はますます豊かになった。
ノーラは共同体の右腕として立派に育ち、獣人の子供たちが畑を駆け回る。
ガヴィスは相変わらず「別に、居心地がいいから」と言いながら、毎日通ってくる。
いや、もはや通うどころではない。
すっかり森に住みついて、朝はわたくしの淹れるお茶を待ち、精霊にじゃれつかれて照れている。
「セレスティア」
夕暮れ、木漏れ日色の光が揺れるテラスで、ガヴィスが不器用に切り出した。
「……その、なんだ。俺はずっと、ここに、いたい」
「あら。もう住んでいらっしゃるじゃありませんの」
「そういう意味じゃない! ……お前の、隣にだ」
真っ赤になって俯く巨躯の将軍。
わたくしは、くすりと笑った。
前世では、居場所も、癒しも、正当な評価も、何ひとつ得られなかった。
すり減って、燃え尽きて、床で終わった。
でも、今は違う。
「わかっておりますわ、ガヴィス。……わたくしも、あなたにいてほしいと思っておりますの」
二人の間で、リオが嬉しそうに光を舞わせた。
「お姉さま、将軍さま、おめでとうございますっ! 尻尾が止まりません!」
ノーラの尻尾が、ぶんぶんと風を切っていた。
◆
そんな幸福な日々に、静かな影が差したのは、翌朝のことだった。
森の入り口に、一頭の白馬が佇んでいた。
銀髪を風になびかせ、凛とした美貌に、どこか思い詰めた影を宿す女性。
その立ち姿には、隠しきれない高貴さがあった。
「あなたが……木漏れ日色の楽園の、女王様?」
わたくしは、静かに歩み寄った。
「どちら様でしょう?」
「隣国レーヴェンハイトの王女、エルフリーデ・アシュレイ」
彼女は、深く頭を下げた。誇り高い王女が、迷いを断ち切るように。
「不躾を承知でお願いに参りました。我が国もまた、精霊の恵みが衰えつつあるのです。……あなたなら、わたくしたちの苦しみを、わかってくださるかもしれないと思って」
その瞳の奥に、わたくしは見覚えのある色を見た。
正当に評価されず、それでも背筋を伸ばして立ち続ける者の――静かな痛み。
(あら。この目、わたくしと同じね)
ガヴィスが、そっとわたくしの隣に立つ。
ノーラが、興味津々で尻尾を揺らしている。
リオが、木漏れ日色の光を、王女の頬にそっと差した。
「そうですか」
わたくしは、令嬢らしく微笑んだ。
「では、まずお茶でもいかがです? ……お話は、それからにいたしましょう」
木漏れ日色の光が、また一人、理不尽に消されかけた者を、優しく照らし始めた。
この森が国境を越えて、世界を変えていく。
その、ほんの始まりの朝だった。




