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第四話

―――悪魔レイリアの場合―――

「……リア……レイリア……。」

 己の名を呼ぶ声に、彼女は目を覚ました。目を開けようとするが、さんさんと降り注ぐ陽の光にそれを阻まれた。どうやら暇潰しに縁側で日光浴をしているうちに寝てしまったらしい。

「ん……雄二か……。何か用か?」

 レイリアは気だるく体を起こして大きな欠伸を一つ。

「うん、そんな所で寝ていたら風邪引くよ。それに今から洗濯物干すから、なんていうか邪魔だよ。」

 レイリアが雄二と呼んだその男は彼女に微笑みかけながらも、そこから退くようにと手で払う仕草を取った。

「う、うるさいなぁ……。」

 レイリアもそれに反発することなく立ち上がり、部屋の中へと戻っていった。

 それはある夏の昼間だった。

 悲劇を運ぶ悪魔レイリアはここに着任してからの5ヶ月間、門倉雄二に対する悲劇を独断で先延ばしにしていた。彼女自身この仕事には慣れていたため、自分のしている事の重大さを重々理解していた。それでも彼女は行動に移らない。いや、移せなかった。

「後一ヶ月もない……か……。」

 レイリアはリビングの椅子を窓際まで運び、洗濯物を干している雄二を見ながら呟いた。

「ん?どうしたの?何が一ヶ月もないんだい?」

 雄二が洗濯物を干す手を止めてレイリアに問いかけた。少し呟いただけなのにしっかり聞かれていたようだ。雄二の地獄耳は悪魔であるレイリアですら尊敬するくらいだった。

「いや……なんでもない……。洗濯物、干すの手伝うぞ。」

 レイリアはすっと立ち上がり、サンダルを履いて縁側から庭へと降りた。

「どうしたの?レイリアが手伝ってくれるなんて珍しいじゃない。」

 雄二は少しからかうような声でレイリアに微笑みかけた。

「う、うるさいなぁ……。そういうなら私はもう家にいる。一人で頑張れ。」

 そう言ってレイリアは再び部屋の中に入り、椅子に座って雄二が洗濯物を干す姿を眺めていた。

 その日の夜、外は真夏には珍しく涼しかった。扇風機や団扇でも快適に過ごせるような気温に加え、心地よいそよ風が吹く。

「いい風だねぇ。」

 縁側に座り涼んでいる雄二は隣に座っているレイリアに語りかけた。

「そうだな……。」

 レイリアは少し暗い口調で返した。口調は意識していたのかもしれない。雄二に気を使って欲しかったのかもしれない。

「……元気ない?」

 レイリアは少し後悔した。ただでさえ勘が鋭い雄二に対してわざわざ気付かせるような話し方をしてしまうなんて。彼に話してもどうにもならないということはわかっているのに。

「そんな事ないぞ。」

 一見気丈に振舞うレイリアだが、それが張りぼてである事は雄二にはわかっていた。だが彼女がそれを話そうとしない限り自分から深く掘り下げるつもりはない。次の彼の一言はそんな彼なりの、レイリアを元気付けるための手段だった。

「レイリア、外も涼しいし花火でもしない?気分転換に、さ。」

「花火…か…人間の小さな火遊びか。くだらんな。」

 レイリアはあまり乗り気ではなかった。もちろん雄二にもそれは伝わっていたが、だからといって雄二はそれで退くつもりはなかった。雄二は立ち上がって玄関に向かった。下駄箱の上に置いてある手持ち花火のお徳用パックを手にして縁側へと戻り、封を開けてその一つをレイリアに差し出した。

「はい持って。火つけるよ。」

 レイリアがしぶしぶ持った花火の先にライターで火が点される。その火はじりじりと先端を焼き、やがて花火の先端からごうと火を吹いた。

「ひゃあっ!」

 花火を地面に向けていたレイリアは咄嗟に花火を下に落としてしまった。

「あはは、レイリアびっくりしたの?」

 雄二はそれを笑い、レイリアを茶化した。レイリアは顔を真っ赤にしてそれを否定した。

「す、するわけないだろ!思ったより火が弱かったから魔力で火を強くしただけだ!」

「はいはい。そうですか~。」

「ぐっ……貴様ぁ……。」

 レイリアは常日頃からどうしても雄二との口の言い合いには勝てなかった。実際今もびっくりして花火を落としていたので、余り反論する気にもならなかった。そんな調子でひとしきり花火で盛り上がった二人は、片付けて部屋に戻る。もちろんレイリアは後片付けを面倒だと拒否し、片付けたのは雄二一人である。

 吹き込んだ花火の煙の匂いが少しだけ残る部屋の中で、二人は乾いた喉を麦茶で潤していた。

「なんだかんだ言ってレイリアも楽しそうだったね。吹上花火では笑顔も見せてくれたし。」

 嬉しそうに笑う雄二を見て、レイリアは心の底がむずがゆくなるような感覚に襲われた。

「な、笑顔など見せてはいない!あれが真顔だ!」

「そうなんだ。でもあの顔可愛かったし似合ってたよ。」

 もちろんいつも通りレイリアは否定する。だが雄二はそれに対し冷静に返してくる。レイリアは次第に顔が真っ赤になってしまい、それを隠すように立ち上がり雄二に背中を向けた。

「う、うるさいうるさい!私はもう風呂に入って寝るぞ!」

「遊び疲れたのかい?」

「あぁ……いや!遊んで等いないわ!貴様には付き合いきれん!」

「あはは。」

 全く調子が狂う。レイリアは吐き捨てて風呂場へと歩いていった。


 レイリアは風呂に入りながらも考えていた。

自分の使命について。

 悪魔になった時から彼女は悪魔としての才覚を開花させ、素質を十分に発揮していた。いわゆるエリートだった。見習いを卒業し、ちゃんとした仕事を任せられるようになってからもしっかりと迅速に仕事を熟して同僚や上司からの評価も高く、すぐに上流階級である処刑悪魔に昇格出来るだろうといわれていた。

 しかしレイリアは、初めて仕事を終えたくないと思ってしまった。

 悪魔と人間の間の実る事のない恋心、そして周りからの期待と圧し掛かる責任が、ついに彼女を壊した。

「あ……あれ……?何故だ?何故涙が……?くそ……悪魔になってから涙なんて流した事はなかったのに……。」

 きっと汗だ。今日の風呂は少々お湯が熱いようだ。そう思いたくて彼女考える事を放棄しては湯舟に潜った。

 けれど消えない目頭の熱い感覚。

 熱い湯に潜っても消えない。冷たいシャワーを浴びても消えない。無理矢理にでも涙を止めるために彼女は自分の腕を思い切り噛み流血、心の痛みを身体の痛みで掻き消して風呂を出た。


 その日の深夜。時計は既に三時を回っていた。

 二人は寝室でぐっすりと……いや、レイリアは眠れなかった。

 ただ一つのベッドしかない部屋。

 悪魔ではあるがレイリアは女の子であるし、レイリアが別々に寝ると言い張るためにレイリアは普段床に布団を敷いて寝ていた。雄二は自分が床で寝ると申し出たが、レイリアは無言でそれを棄却していた。

 暗い部屋に月明かりが差し込む。レイリアは目を閉じず、ただただ時計を見つめていた。誰の目で見てもわかるように、無常にも時は流れ、別れの時は刻一刻と近づいていた。

 時計を見つめるだけでも何度泣きそうになったことか、そして何度腕を噛む事でそれを抑えたことか、レイリアの左腕は歯型の傷だらけになっていた。傷だらけのその左腕はもう痛みも感じなかった。

「もう……抑えられない……。っく…ぐすっ…」

 また涙が流れ出た。左腕が駄目なら、と右腕を噛む。それでも駄目だった。それだけ心の傷は深かった。

 レイリアは諦めて涙を流し切る事にした。頭から布団を被り、涙の溢れる目を枕に押し付けた。

「うぅ…ぐすっ…ひくっ…」

 それでも涙は止まらなかった。そのうち泣き疲れて眠れる、そして朝が来たらまたゆっくり考えよう。そう思って十数分泣いた時だった。

「レイリア……?起きてるのかい?」

 雄二の声がして、レイリアは驚いて体をすくませた。彼女は布団を被ったままの姿で返した。

「……起こしてしまったか。ぐす…すまない。もう寝るから。」

 レイリアは枕に思い切り顔を押し付けて涙を拭った。気付かれたくない。歯を食いしばって漏れそうな嗚咽を噛み殺した。

「泣いてるのかい……?」

 泣いてない、泣いてないから早く寝てくれ。レイリアはそう思ったが彼女の口から否定の言葉は出なかった。いや、出せなかったのだ。雄二の気遣うような言葉遣いが心の奥底に刺さるようで、余計に涙が溢れてしまう。

 そのままレイリアが黙っていると彼女の軽い身体がふわりと持ち上げられ、ベッドの上にちょこんと座らせられた。

 レイリアは月明かりに照らされる泣き顔を雄二に見られないように下を向いて誤魔化そうとする。そんな彼女の身体は小刻みに震えていて、雄二にはいつもより少し小さく感じられた。

「レイリア……どうしたの?」

「何でも……な……ひっく…」

「レイリア。」

 囁くような雄二の声がレイリアの耳に入る。その声はレイリアの心の中の何かを、大きな音を立てて壊した。

「うくっ……。うう…す…好きだ……。私は…お前の事が大好きなんだよ……うあぁぁぁっ……!」

 レイリアは夜遅い事も忘れて大声で泣き叫ぶ。もうどうにでもなってしまえ。どうせ自分には何も出来やしないんだ。そんな考えだけが彼女の頭の中でぐるぐると回っていた。

 泣きじゃくるレイリアの体を包み込むように、雄二の腕が回された。

「ありがとう。レイリア。俺も大好きだよ。」

 回された腕の温かみなのか、それとも雄二の言葉が嬉しいのか、レイリアは心がドロドロに溶けていくような、心地よい感覚がした。

「ずっと……ずっと一緒にいたいんだよぉ……。げほっ…うっ…うわああっ…」

「俺もずっと一緒にいたいさ。だからさ、ずっと一緒にいよう?」

 レイリアは無言で頷く。だがそうはいかない事はしっかりとわかっていた。それでも今この時だけは彼の言葉を否定する事はしたくなかった。

 二人は暗闇の中で無意識のうちに唇を重ねていた。時間も忘れて互いの舌を貪った。

そして二人はその夜初めて、種族の壁を越え、一つになった。

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