第七話 同じ花を見ていた
その花を、
私は探していたわけじゃなかった。
昼休み、
コンビニに行く途中で、
たまたま目に入っただけだ。
駅前の、小さな花屋。
季節の花が、
整いすぎない距離で並んでいる。
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足が止まったのは、
色のせいかもしれない。
派手じゃない。
でも、目を逸らしにくい。
そこにあることを、
無理に主張しない色。
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値札の横に、
小さなカードが立っていた。
花の名前と、
短い言葉。
忘れないで。
胸の奥が、
静かに揺れた。
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買う理由は、
特になかった。
飾る場所も、
すぐには思いつかない。
それでも、
気づけばレジに並んでいた。
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部屋に戻り、
花瓶を探す。
母が使っていた、
少し欠けたガラスの花瓶。
水を入れて、
花を挿す。
それだけのことなのに、
妙に、手つきが慎重になる。
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部屋に、
静けさが増えた気がした。
悪い意味じゃない。
むしろ、
落ち着く。
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その夜、
久しぶりに、
夢をはっきり覚えていた。
内容は、
相変わらず曖昧だ。
ただ、
誰かと並んで歩いていた感覚だけが、
残っている。
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――彼女
その花を、
私は昔から、
好きだった。
理由は、
はっきりしている。
静かだから。
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目立たない。
でも、
ないと困る。
そういう存在が、
私は好きだった。
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あの頃、
私たちは、
よく駅前を歩いた。
夕暮れの時間。
特別な話は、
していない。
今日あったこと。
どうでもいい愚痴。
少し先の予定。
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それでも、
花屋の前だけは、
必ず立ち止まった。
彼は、
いつも黙って、
花を見ていた。
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「好きなの?」
そう聞くと、
少し困った顔をして、
首を振った。
「嫌いじゃない」
それだけ。
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その答えが、
なぜか、
とても彼らしいと思った。
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今。
私は、
その時間を、
ほとんど思い出せない。
映像も、
声も、
途切れ途切れだ。
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それでも、
同じ花を見ると、
胸の奥が、
確かに反応する。
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忘れないで。
花言葉を読んだとき、
それが誰に向けられた言葉なのか、
分からなくなった。
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彼だったのか。
私だったのか。
それとも、
あの時間そのものだったのか。
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夕暮れの匂いがする。
私は、
ふと立ち止まる。
前を歩く人の背中が、
一瞬だけ、
重なった気がした。
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振り返る。
誰も、いない。
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でも。
確かに、
同じ場所にいた。
同じ花を、
同じように、
見ていた。
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名前がなくても、
それだけは、
分かってしまった。
第八話:言葉を交わしても、名乗らない




