第六話 名前より先に、意味があった
封筒を開けたのは、
翌日の朝だった。
昨夜のうちに開かなかったのは、
怖かったからじゃない。
もう一晩だけ、
“前に進んでいる自分”でいたかった。
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中に入っていたのは、
数枚のコピーと、
一枚の、少し色褪せた紙だった。
医療機関の名前。
日付。
私の名前。
母が亡くなったあと、
しばらく経った頃の記録。
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緊急連絡先の欄に、
母の名前はなかった。
代わりに、
見知らぬ名前が、
丁寧な字で書かれている。
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不思議と、
動揺はしなかった。
驚くよりも先に、
胸の奥で、
何かが静かに収まった。
ああ、
そうだったのかもしれない。
そんな感覚。
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書類をめくる。
医学用語は、
ほとんど理解できない。
ただ、
“経過観察”
という言葉だけが、
何度も目に入った。
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裏面に、
走り書きがあった。
急いで書かれた文字。
整っていないけれど、
不思議と、
嫌な感じはしない。
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そこに書かれていたのは、
ひとつの花の名前だった。
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理由は分からない。
人の名前なのか、
ただの覚え書きなのか。
それでも、
その文字を見た瞬間、
胸の奥が、はっきりと反応した。
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私は、
スマホで調べる。
花言葉。
画面に並ぶ言葉を読んで、
思わず、
スマホを伏せた。
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忘れないで。
静かな想い。
失われた時間。
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偶然だと思うには、
できすぎている。
でも、
運命と呼ぶには、
まだ、遠い。
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その日の帰り道。
夕暮れは、
相変わらず穏やかだった。
もう、
立ち止まらなくなったと思っていた。
それでも、
今日は、
一歩だけ、足が遅れる。
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あの場所。
いつもの、
すれ違う場所。
そこに、
彼女はいなかった。
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それでも、
風が吹く。
夕暮れの匂いが、
確かにした。
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私は、
初めて思った。
思い出したい、
ではなく。
——知りたい。
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彼女が、
誰だったのか。
そして、
あの空白の時間に、
私が、誰だったのか。
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名前は、
まだ、思い出せない。
でも、
意味だけは、
先に、胸に残ってしまった。
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それは、
静かに咲く花のような記憶だった。
第七話:同じ花を見ていた




