第四話 すれ違ったという事実
夕暮れは、
いつも同じ顔をしている。
昨日と、
今日と、
ほんの少し前と。
違いがあるとすれば、
それに気づくこちら側の問題だ。
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その日も、
私は仕事帰りに、
あの場所を通った。
駅前の、
人の流れが一瞬だけ緩むところ。
避けてはいない。
でも、特別な理由もない。
ただ、
そこを通るのが一番近かった。
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視線を感じた。
音も、
声も、
名前もない。
ただ、
確かに「見られた」と思った。
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顔を上げる。
少し離れた場所に、
一人の女性が立っていた。
こちらを見ている、
……気がした。
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目が合う。
ほんの一瞬。
驚きでも、
懐かしさでもない。
もっと曖昧で、
でも、はっきりした感覚。
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彼女は、
すぐに視線を逸らした。
立ち止まらない。
近づかない。
そのまま、
人の流れに身を預ける。
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私は、
追いかけなかった。
理由は、
はっきりしている。
名前を知らない。
声も知らない。
話しかけたところで、
何を言えばいいのか分からない。
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それでも、
胸の奥が、
小さく揺れた。
あの揺れ方は、
知っている。
でも、
いつから知っているのかは、
思い出せない。
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すれ違う。
肩が触れるほど近くで。
彼女の横を通り過ぎた瞬間、
夕暮れの匂いが、
確かにした。
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私は、
一歩だけ、
歩調を落とした。
彼女も、
同じように、
一瞬だけ、
速度を緩めた。
それだけ。
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振り返らない。
声をかけない。
何も、確かめない。
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人混みに紛れて、
彼女の姿は消えた。
追わなかったことを、
後悔はしていない。
前に進むと、
決めている。
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でも。
前に進むことと、
何もなかったことにするのは、
同じじゃない。
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帰り道。
空は、
もう夜に近づいていた。
夕暮れの匂いは、
いつの間にか、消えている。
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それでも、
胸の奥に、
確かに残るものがある。
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あの人は、
誰だったのか。
私は、
誰だったのか。
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答えは、
まだ、
必要ない。
ただ、
今日、同じ場所にいた。
その事実だけが、
静かに、残った。
第五話:何も無かったとは言いきれない




