最終話 勿忘草
夕暮れは、
相変わらず、同じ色をしていた。
特別な日でも、
記念日でもない。
ただ、
一日が終わろうとしているだけの時間。
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彼女と、並んで歩く。
距離は、
近すぎず、遠すぎず。
肩が触れることはないけれど、
人混みでは、
自然と歩幅が揃う。
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名前は、
もう知っている。
音として。
意味として。
そして、
花として。
でも、
呼ばない。
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呼んでしまえば、
何かを決めなければならなくなる。
過去だったのか。
恋だったのか。
失われた時間だったのか。
あるいは、
これから始まる何かだったのか。
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私は、
もう前に進んでいる。
彼女も、
きっと同じだ。
だから、
確かめ合わない。
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「この時間帯、
やっぱり静かですね」
彼女が言う。
あの日と、
同じ言葉。
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「……そうですね」
私は、
少し遅れて答える。
その“少し”が、
なぜか、
心地よかった。
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信号が変わる。
ここで、
別れる。
分かっている。
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彼女は、
一歩だけ、
歩調を緩めた。
私も、
同じように。
でも、
振り返らない。
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夕暮れの匂いが、
確かにあった。
それはもう、
痛みじゃない。
懐かしさとも、
少し違う。
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本物だったのは、
匂いだけじゃなかった。
でも、
それが何だったのかを、
今、言葉にする必要はない。
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名前は、
心の中に、
静かに置いておく。
花が、
咲き続ける限り。
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前に進むことと、
失ったものを認めることは、
矛盾しない。
私は、
それを知った。
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夕暮れは、
今日も、
ただそこにあった。
それで、
十分だった。
後書き




