表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

第2話:恋は更新通知よりも早く

翌週の月曜。会議室のドアを開けた瞬間、心臓が“社内チャットの未読マーク”みたいに光った。

 ——いた。

 プロジェクターの前、涼しい顔でスライドをめくる原牧。あの春巻きが、今は資料の中でKPIを語っている。

「本日の目的は、現状分析と次フェーズの方向性を——」

 淡々とした声。週末に「青のり現場主義」で笑い合った人とは思えない。

 私は平静を装いながら席につき、メモを開いた。いや、開いたフリをした。

「水瀬さん、昨日送った資料、確認いただけました?」

「え、あ、はい。春巻き……じゃなくて、は、はい!」

 瞬間、室内の空気が凍りつく。

「……?」

「すみません、昨日食べた夕飯が春巻きでして」

 脳が捻出した最悪の言い訳。しかも昨日は焼きそばだ。

 原牧は口角をわずかに上げて、「なるほど」とだけ返した。あの微妙な笑い、覚えてる。アプリの絵文字と同じ温度だ。

 会議が終わると、同僚の美紅が肘でつついてきた。

「ねえ、水瀬さん。あのコンサル、イケてない? なんかさ、無駄に声がいい」

「無駄って言わないで」

「てか、あなたタイプでしょ?」

 図星。

「まさかね。仕事の人よ」

「そう言ってるうちは、恋が始まってる」

 彼女の発言はだいたい間違ってるが、たまに当たる。

 私は自分のスマホを見た。週末以降、“春巻”からの通知はない。業務時間内にメッセージが来たら、それはもう社会的にアウトだ。けれど、“来ない”ことでちょっとだけ寂しい。

 通知のない午後。私は報告書を開き、数字の羅列を見つめた。まるで恋の進捗率が0%のまま凍結しているみたいだった。

 夕方、休憩室で缶コーヒーを開けたとき、背後から声がした。

「現場主義の女神、発見」

 振り向くと、原牧が紙コップを持って立っていた。

「コーヒー、ブラック派ですか?」

「ええ。KPIより苦いのが好きなんで」

「名言ですね」

 沈黙。自販機のモーター音が、やけに大きく聞こえる。

「週末は、楽しかったです」

「私もです。青のり、まだ家に残ってます」

「じゃあ、次は使い切りましょう」

「どこで?」

「……提携カフェ、リサーチしておきます」

 社内恋愛ではない。でも、社外恋愛でもない。業務提携に恋が混入してる状態。最も危険で、最も面白いライン。

 彼はコップを傾け、少し笑った。

「ところで、次の会議資料、レビューしてもらえます?」

「もちろん」

「じゃあ、送ります。アプリじゃなく、メールで」

 わざとらしい区別。その“メールで”が、微妙に甘い。

 夜。帰宅してシャワーを浴び、リビングの灯りを落とした。スマホが光る。

〈件名:資料レビュー(仮)〉

 本文の最後に、一行だけ。

〈追伸:青のり、現場主義。〉

 笑って、ため息をつく。

 メールの送信元は“h.haramaki@consulting...”

 そのドットの数すら愛おしいと思ってしまう自分が、もう完全に恋の予算オーバーだった。

 翌日、アプリを開くと、“春巻”のアイコンはグレーになっていた。

 アカウント削除。

 そうだよね。仕事と恋が交差した瞬間、彼は正解を選んだ。大人って、だいたいそういうもの。

 でも、削除されたはずのアカウントに、“既読”の感覚が残る。

 私は思った。

 恋は更新通知よりも早い。気づいたときには、もう心のOSが上書きされてる。

 だから、今日もメールを開く。

 件名は——「打ち合わせ日程調整(春巻件)」。

 やっぱりこの人、ルールを守りながら遊ぶ天才だ。

 そして私も、守られながら破りたい天才かもしれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ