第八話 塁君の話
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塁君の話
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「塁。期待しているぞ」
その言葉は僕にとても重たくのしかかった。期待なんて生易しいものではない。熱望。切望。悲願。僕を見る村の皆の眼には複雑な思いが宿っていた。
僕の村は終わろうとしていた。
護国と呼ばれる五つの国の内オグ国と呼ばれる、御山を抱えるありがたい国の僻地に僕らの村はあった。ありがたいというもののその神秘の力の恩恵を受けるのは中枢地域のみで、辺境はひどいものだった。
人を含む生き物には輪力という力が宿る。そして大地には神力が宿る。でもこの国は神力が歪んでしまって、その上に住む生き物の輪力もゆがんでいるのだという。
国を、町を、村を収めるためにはこの輪力を治められる人が必ず必要なのだが、僕の住む村では力のある人が減ってきてしまい、力のゆがみが激しくなっていた。
力が歪むと人々は気の流れが悪くなり、病になりやすくなり、赤子が育ちにくくなる。生き物は荒ぶり、植物は枯れる。
長老が亡くなったとき、村の中でとうとう僕だけがまともに輪力を操れる者になってしまった。これは先天的なものが大きいらしい。信仰があれば磨かれるというけれど、それもうまくいかなかった。
とにかく、僕は一人でこれから先、村を守っていかなければいけないけれど、大地の力、神力のゆがみがひどくなってしまったので僕の力だけではこの先どうしようもなくなることは目に見えていた。
だから御山に上ろうとしたんだ。
おチビちゃんは不思議な存在だった。
御山への道中。神力のゆがみがひどくなり、視界までもが黒くかすんで見えなくなってきていた。害虫もふえ、直接危害を加えようとする種も出てきた。そのたびに輪力を練り直し、害虫を調伏する。
そんな辛い道の中、暗がりに光が浮かんでいた。
そこに寝転がっていたのが、おチビちゃんだった。
きっと身に着けている物の中にお守りがあったのだろう。そうでなければあのような危険な道のど真ん中で寝ていられるはずもない。
おチビちゃんは輪力すら知らないほど、ものを知らない子だったけれど、見た目から七つかそこらだろうから仕方ないのかもしれない。でも自分の名も知らないなんて。それにはとても驚いた。
もっと不思議だったのは、おチビちゃんの行動。掃除が仕事なのだと言って、手作りの箒で道を掃除しながら進んできたのだという。
太い木の棒と、わらのように細い枝を組み合わせ、蔦を使って器用に作られたそれは、年の割には上手だけれどお世辞にも立派とは言えない箒だった。
それでもその箒を使い、道をはいて行くと不思議なことに輪力が落ち着いてきているように感じた。それどころか、大地の気の流れも落ち着いているように思える。よくよく見ると、彼が来た道は気の流れが穏やかだった。
話を聞くと、彼の住むお寺での仕事も掃除だったのだという。きっと輪力を研鑽するための修行の一環だったのだろう。
試しに僕が箒を借りてはいてみたけれど、何も変わらず。おそらく研鑽が足りないのだと思った。
携帯食料を分けてあげたら元気になり、道をはきながら進んでいった。ここまで五日かかったけれど、おチビちゃんといっしょだと七日かかってしまった。ギリギリ食料がたりて安心。
日程よりも早く帰ってきた僕に村人たちは驚いていたけれど、事情を話すと納得してくれた。村の存滅の危機ではあるけれど、幼い子供を見殺しにしてはそれこそ神力、輪力共に乱れ狂うだろう。
道中のおチビちゃんの話によると、どうやらアクラ様という師匠格の人とその稚児が顔見知りだという。ならばと、その名の登録のある小塾を探して、そこまで送り出してやることになった。
遠回りだが、善行も輪力の研鑽のひとつとなる。
二つ隣の町にある小塾にアクラ様の関係の者がいて、更に連れて言ってくれると請け負ってもらえた。塾長の信もある人だったので、おチビちゃんを任せていくこととした。
僕も自分の目的の御山登頂準備をやり直さなきゃいけないので、笑顔で手を振るおチビちゃんと別れて村へ帰った。無事アクラ様の元にたどり着けているか少し心配。
風の噂ではお絵かき帳にしていた紙が本物の御札であることがわかって大騒ぎになったり、浮きモノと呼ばれるこの世界にいちゃいけない生き物を箒で退治したりと、元気にやっている様子を聞くことができた。
僕は自分の目標を後回しにし、善行を行ったと思っているがそれもただの、言ってしまえば迷子を送り届けただけ。
その見返りがおちびちゃん手作りのいびつな団子だけであったが、それでもいいのだ。地道に前に進んでいこうと思う。
丁寧に清めた道こそ進む価値があるのだとあの子に教わったのだから。