第三話 仙下人の話
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仙下人の話
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――生涯を賭して御山を登る。
オグ国の中心部に聳える、御鹿の神が御座すとされる御山。そこに登ることはこの国で信仰する者の多い墨教の信者が皆胸に抱いている願い。
御山にたどり着く以前に命を落とす者も多い。あまりの険しさに志半ばで下山する者も、多い。
そしてたとえ成し遂げたとしても、御鹿神様にお会いできるかはわからない。むしろほとんどの者は会えない。会えた人は一握りだ。
御鹿神様に会えたとしたら、それだけで一生の運を使い果たしたと言える。そしてそれに見合うだけの徳と神の力を得ることができるとされる。
さらに神のお食事を与えられることもある。無事下山できるようにとのお心遣いであると解釈されるが、それを目的に登る者も多い。
「最近では、その御食事を食べることを目的に登るものも増えていると聞く。嘆かわしい。大事なのは信心だ。お心遣いをいただくのはその結果なのだ」
「その通りですね。アクラ様」
アクラと呼ばれたのは墨教の中でも最高位である仙下人の位を持つしわの深い老人だ。その眼は長く白い眉毛に覆われて見えないが常人には見ることができない神秘を見ることができると言われている。
そのアクラの腕を支えるようにして支えるのは、アクラの弟子、スズ。
お山に限らず墨教の位持ちに随伴する者を稚児と呼んだ。つまりスズはアクラの稚児である。白い麻の服を着た、品のある顔立ちをした少年だ。
元々は上質だっただろう麻の服は師匠のアクラ同様、土で汚れている。
「外ではお師様と呼びなさい、スズ」
「はい、お師様」
スズはアクラの孫なので名前呼びを時折してしまい、そのたびに注意されていた。
ちなみにこの地では師匠のことをお師匠様もしくはお師様と呼ぶ。山の主は御鹿様と呼び、中でも信仰心の強い者は御鹿神様と呼ぶ。
「スズ。お前は今年十になったな。最近お山では仮面稚児と呼ばれる稚児の噂を聞く。頂にいるらしい。話によるとスズと同じくらいの年頃のようだ。お会いできると良いな」
注意はするものの、アクラにとってスズはかわいい孫であると同時に期待の弟子である。愛情のこもった顔でスズを見る。
大事なものを伴った、命がけの登山だ。師としても祖父としても、無事に登頂するのだと決意を新たにするアクラ。
スズの方も、優しいく厳しい祖父の言葉で嬉しさに身を打ち震わせると同時に、お山の険しさにも意識が向く。
こんなにも頼りになる師がそばにいるのにもかかわらず、この山は脅威であった。
ただの山としても、鋭角にそそり立つ斜面はまるで壁のようだし、もろい砂の固まったような岩だらけなので足場も悪い。
植物は生えているが、口にしていいものは生えていない。手もちの食材以外は食べられるものが何もない状況なのだ。それに加えて、御鹿様の支配するお山は神の力に満ちていた。
「スズ。お札は落としていないな?」
「はい。お師様」
そんなお山に登るのは、御鹿様に会うため。これは難しいのがわかっているのでほとんどが御鹿様の社への参拝が目的だ。
運が良ければ団子を下げ渡されるという。これはその場で食べる者もいるが、仙下人の場合基本団子は持ち帰り、故郷でお披露目する。
そして、もう一つ目的がある。それはお札の回収。お札をお山に置いておくと神力にさらされてそれ自体が神力を帯びると言われている。
そのため参拝者は束になったお札も持っていく。お山には前に登った参拝者が置いて行ったお札があるはずで、それを回収して自らは新たなお札を置く。
そうやって、短期間しか滞在できないお山で出来る限り長くお札をおいておく仕組みが、長年かけて出来上がっていた。
杖を突きながら登るアクラの歩調が遅くなってきた。山頂が近いのだ。
「スズ。いよいよ神力が強くなってきた。輪力を練り直しなさい」
墨教を信仰する地域では、神の力ではなく人の持つ自然の力を磨いて自然現象を超越した力を身に着けていた。その力は体を循環する気の力であり、輪力と呼ばれる。
そも、輪力を強めるために神力にあやかりに来たわけであるが、その力の差が大きすぎると体に障る。
そのため、輪力の弱い者は山のふもとにすら立ち入ることができないし、頂上まで登ることができるのはよほど修練を重ねた者か、天賦の才がある者だ。
例外なのは稚児であり、幼少の者が輪力のある者と共にいればある程度守られる。そのため、お山には年老いた位持ちと稚児の組み合わせで入山するのが常だった。
スズはアクラに言われたように素直に輪力を練り直し、また歩み始める。アクラのそばであればまだ呼吸が楽だが少しでも離れると途端に息苦しくなる。
輪力を練るのも楽ではない。体をめぐる気を辿り、集中してそれを丹田あたりにとどめる。慣れぬうちは脂汗を浮かべながらやったものだ。
これを極めたものは掌に熱を集めて紙を燃やすこともできるようになる。何もない器に水をためることもできると聞く。
スズは才があり、ほんのり掌が温める程度のことはできる。小塾の皆に褒められるが、スズは驕ってはいなかった。
ここにくるまでに人以上の努力をした。周りの子供が遊びまわる時間にも退屈な輪力の研鑽をつみようやくアクラに随伴できるまでになったのだ。自信の根拠となるものを持っていた。
「仮面のお稚児様はどのような方でしょう。御鹿様に仕える方なのです。きっと厳しい研鑽を積んだ方なのでしょう」
墨教における研鑽は輪力増強だけにとどまらない。日常生活の隅々に至るまで博愛と清貧の思想を体現しなければいけない。
御鹿様に仕えるお稚児様はさぞかし素晴らしい方なのだろうと、スズの瞼の裏には上品にたたずむ仮面の稚児が浮かんでいた。
山頂に辿りついたアクラとスズ。ここまで来られる者の数は、入山した者の中でもごく一部だ。
そしてその中でも二人はさらに限られた者となった。なにせ、仮面を外した稚児の姿を見たのだ。正確には、仮面を頭の後ろに回し、ちょこまかと寺の周りをせわしなく動き回っている坊主の姿を。
驚愕した二人は、驚かせてはいけない、不敬があってはいけないと、静かに稚児を見守っていた。何をしているかという純粋な興味もあった。
稚児は手にお札の束を持ち、障子の前で何やらしていた。それは。
「アクラじいちゃん……。お稚児様、お札で障子の穴塞いでる……」
登場人物紹介
アクラ……仙下人
スズ………アクラの随伴者。稚児。真面目。
用語紹介
墨教……御山周辺国の宗教
輪力……生き物の気力の巡り
神力……大地の気の巡り
仙下人…墨教における最高位。幻の仙人の下に連なるという意