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地学室で待っています

作者: 海凪 悠晴

 二〇一五年七月七日。僕、星科一彦ほしな・かずひこは三十歳の誕生日を迎えた。もう「若いから」という言い訳が通じない歳になったのかもしれない。

 IT関連でも零細の企業に勤務していて一応は正社員だが、下請けとしていただいた仕事をひたすらこなすだけの底辺プログラマの僕。親の援助のおかげで、世間一般でいう「いい大学」は出たのだけれど、卒業を迎えるときの就職活動は難航していた。最終的にはなんとか今の会社に引っかかったのである。今でも年収三百万もいかない、ワーキングプアというか、いわゆる「負け組」になってしまったのかもしれない。

 それでも、僕の勤務先には「誕生日休暇」という制度がある。一年一回、誕生日の日には個人的に特別休暇を取ることができるのだ。年末年始とかお盆とか祝日生まれの人にとってはちょっと余計な制度かもしれないが。僕の誕生日も「七夕」なんだけれど、これは国民の祝日ではない。とりあえず、毎年七月七日にはお休みをいただいている。


 さて、今日七月七日、火曜日。平日休みも久しぶりだ。せっかくだから、何か今日しかできないことをしておきたい。銀行にも役所にも行けるのだし。休日だと混んでいるところも空いているかもしれない。とはいうものの、これといった用事は思い浮かばない。ベタだけど家に居るかな。

 取り敢えず、散らかしっぱなしの部屋の片付けでもしようか。三十になる今でも独身で、実家の二階に「居候」している僕。勤務先は実家から車でものの二十分かそこら。実家を出て暮らす経済的余裕はいまいちないし、そうする必要性も感じない。「子供部屋おじさん」とでも言われるのだろうか。今は亡き祖父に小学校入学のとき買ってもらった高さの調節できる学習机がどしりと構えている我が部屋。この机の歴史も二十年を超えるわけだ。それに対面するように置かれているのが経済的に余裕のない僕にとっては唯一こだわれるアイテムともいえるパソコン、それが置かれたデスク。その脇の本棚には無造作に技術書などを中心とする書籍が積み上げられている。部屋の奥にはベッド代わりになっているマット敷きの上の寝床。そして、アニメ鑑賞専用機とも化している二十インチのモニタ付きのテレビセット。目立つとこそれぐらいの六畳間である。

 しかし、部屋の片付けというのも、いちど始めてしまうと次から次へと進みゆくものだ。普段は片付けや掃除をしようという気持ちが起こらないものではあるが。こういったことに関しても、火が着くまでにが時間が掛かるものだ。


 片付けを進めるうちに、山積みになった技術書に隠れていた中学のときの愛読書が出てくる。中学に進学するときにこれまた祖父からもらった図書券で買った、中高生を対象に書かれた天文学の本である。ハードカバーで重厚感があり、写真や図版も豊かなフルカラー刷りのこの一冊。定価は税別七千円と中高生向けの図書としてはお値段も張るものだ。自分用のパソコンもテレビも持っていなかった中学時代。この本は僕の中学三年間のバイブルともいえる。勉強の合間を見て毎日毎晩手垢がつきまくるくらいよく読んでいたものだ。



 そうして、ふと思い出す僕の中学時代。僕の出身中学校は、学年に三百人余り、全校生徒千人規模のマンモス校だが、それ以外にこれといった特徴のないごく普通の地元の公立中学校である。そこで僕は地学部に属していた。全校生徒数は多いが、地学部の生徒は十名も居ないくらい。中学校ではどうしても運動部に人気が集まるものだから。

 しかも、僕らの学年には僕ともうひとりしか部員が居なかった。もうひとりの部員は姫川七織ひめかわ・なおりという女子生徒だった。最後の年には僕が部長で、姫川さんが副部長だった。僕らは部活仲間としてお互いに佳き相棒同士という間柄だったのかもしれない。

 地学部といってもまだ中学生だった僕らができることは限られている。NHKラジオの「気象通報」を聴いて天気図を描く「真似事」をしてみたり、学校の近くの河原や最寄りの海岸で採取した石の性質を調べたり、地震の発生や被害の歴史を調べてまとめレポートしたりなどと、あくまで地味な活動が中心である。

 そんな中、顧問教諭の付添いのもと天文観測会というものも年に数回行われた。夕方の学校で待ち合わせ、小型バスで市内の山間にある市立天文台に向かい、午後九時ぐらいまで天文観測を行うというものだ。昔は毎年夏休みに全部員で一泊二日の天文観測キャンプにも出かけていたそうだが、あるときオイタをした先輩がいたとかで、それ以来中止になったとか。


 そんな僕らが中学三年だった十五年前、二〇〇〇年の七月のはじまり。僕の下足箱にこう書かれた手紙が入っていた。


 「星科君の気持ちを聴かせてほしい。七月七日の放課後、いつものように地学室で待っています。 姫川」


 何だ、これは。下足箱に異性からの手紙とか。ドッキリにしてもテンプレにハマりすぎているぞ。姫川さんを騙ったいたずらではないのだろうか。だが、確かにいかにも几帳面さを感じるこの字体は見慣れた姫川さんのものだ。だが、あの真面目一辺倒のはずの姫川さんが自らドッキリを仕掛けるとでもいうのか。

 ひょっとしてこれ、ほんとのラブレター? いや、彼女と同じく真面目一辺倒かもしれない部活の仲間である僕に恋文を送るだなんて……。

 僕らは高校入試を半年余り先に控えている身である。確かに男女交際に対して憧れはないわけではないけれど、まだ中学生の僕らには早すぎると思う。男女交際しているカップルは中学校にもちらほらいるけれど、どこかちょっと不良ぶった奴らばかりだ。その中学校ももうすぐ卒業。それとともにふたりは離れ離れになってしまうのだし。そもそも、部活の仲間として入学以来ずっと側にいた姫川さんを改めて恋人として見ること。それは僕にとってはちょっとむずかしいと思う。友達としてならできないこともないだろうけれど。とまぁ、すっかりこの手紙を恋文だと妄想してしまっていた僕。

 そんなもやもや、そわそわとした感情を抱いたまま数日が過ぎて、七月七日を迎えた。姫川さんには僕の気持ちとしてそれをどう伝えればよいものか。


 「約束」の日の七月七日は台風の接近に伴い、朝から雨が降っていた。昼になるに連れて雨も風も強くなり、「七夕」としては残念無念といえる天気の日であった。僕は授業中からずっと放課後の「約束」、そして姫川さんのことが気になっていた。僕と同じクラスではなくて、教室のある棟まで別であるだけに余計に。


 午後の授業も進み放課後が迫る。しかし、台風は更に近づき、雨風は更に強くなっている。

「台風の接近に伴いまして、本日の部活動は全面禁止とします。全校生徒は速やかに下校してください……」

 終礼前に全校放送でそう告知があった。終礼のときには「今日はこのまますぐに帰りなさい」と改めて担任教諭からも指示がある。

 これで今日はなんとか地学室に行かなくて済みそうだ、僕はそう思ってしまった。教室を出た僕は生徒玄関の方に向かう。今日は皆一斉に下校するから雑踏の中を、だ。

 地学室などのある理科棟と呼ばれる校舎は生徒玄関を過ぎて更に向こうにある。地学室に行かなくて済みそうだ、そう思っていたはずの僕。知らぬ間に理科棟の方へ向かおうとしていた。そこへ生徒の下校を監督していた教師から声がかかる。

「星科。今日の部活は禁止だと聞いているだろう。さっさとまっすぐに帰りなさい」

「あ、はい……。でも、今日は約束が……」

「約束、だと? 今日の天気は気象通報を聴かずとも、台風接近でこれからますます荒れていくのは目に見えているだろう。とにかく、今日は帰るんだ!」

 そこまで言われて教師の制止を押し切ってまで姫川さんとの「約束」を果たすため地学室に行こうだとか、そんな安っぽい映画か何かのような展開なぞはない。僕はおとなしく帰宅したのだった。ああ、部活が中止になってほんとによかった、などと改めて思いながら。こんな状況下だから姫川さんも地学室で待ってなんかはいないだろう。


 その日は金曜日だったので、土日を挟んで、月曜日にまた登校した。まさに台風一過。先週の雨風はすっかり上がって梅雨明け迫るといった青空である。

 その日も姫川さんはいつも通り部活に出ていた。そして僕も。セーラー服を身にまとった長身で細身の身体に長めの整った髪、そしてスマートな眼鏡を掛けた姫川さん。彼女から「約束」のことについて、つまり僕の気持ちを聴かれることはとくになかった。いつもどおりの佳き相棒同士として、姫川さんは僕の側にいた。

 それからの姫川さんと一緒の時間は束の間だった。もうすぐ夏休み。高校入試に向けての勉強もしなければならないので、夏休みを前に僕ら三年生は部活を「引退」することになっていた。部活に出られる日もあと数える程度といったところだったのだ。卒業後はお互い進学校と呼ばれる高校に進むことになったが、僕はZ高校、姫川さんはX高校と、県内でも三つ巴となっている進学校のうち別のふたつに進むことになり、改めて姫川さんに会うこともなくなった。



 織姫と彦星の距離は十五光年であるとのこと。光の速さでも十五年。その十五年を経てようやく姫川さんの気持ち、そして彼女に対して抱いていた僕自身の気持ちに気づいたような気がする。今、姫川さんはどこで何をしているのだろう。気になるけれど、今更敢えて詮索するなんてちょっと無粋かもしれない。

 僕は中学時代の愛読書の「七夕の話」のページに挟んであった姫川さんからの手紙をそっと取り出し、姫川さんの文字の下にこう書き添えて、戻しておいた。


 「姫川さんの気持ちも聴かせてください。また地学室で待っています。 星科」

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