【一話】山田花子
高校一年生の女の子、山田花子は、自分の名前が大嫌いだった。
自分の名前が変なのだと思うようになったのは、小学一年生の時。
「では皆の名前を覚える為に自己紹介をしてくださいね」
先生のその一言が、花子の人生を大きく変えることとなった。
一人が終われば次の生徒が自己紹介をする。
花子は生徒たちの自己紹介を聞きながら、何を言うべきか考えながら、緊張の面持ちで順番を待つ。
そして、ようやく自分の番が来た。
「私の名前は、山田花子です!」
花子は今できる限り、精一杯の笑顔で、自分の名前を言った。
ただそれだけだったのに。
学年一のイケメンで人気者の男子生徒が、ダッサイ名前!と大笑いしてバカにしたのだ。
花子は、会ってまだ間もなかったのだが、幼心にかっこいいな、と思っていただけにその時のショックは、相当なものだった。
そのあとは、ロクに自己紹介などできる訳もなく、その日の授業は終了した。
それからというもの、ことあるごとにその少年を筆頭に、六年間名前をからかわれ続けた。
だから花子は、誰よりも努力して、勉強もスポーツも、そして顔面偏差値も、あらゆる手を尽くして同じ学校の誰でも自分のことなど知らない人はいないくらいの、アイドル的な存在となった。
全てはそう、自分を笑った男子生徒を見返す為と、かっこいい苗字の男と結婚する為に。
そんなある日の放課後、今日もまた、花子のもとにイケメンと自称する男が自分に告白するために、屋上に呼び出された。
「好きなんだ、君のことが。一目見た時から。だから、俺と付き合ってくれないか?」
今日告白してきた男は身長は、178㎝となかなかの高身長の、金髪イケメンで、バレー部のエースであり、女子たちの間ではそれなりに人気も高かった。
普通ならこの時点で速攻OKする筈だろう。
おそらく目の前にいる男もそう思ったから、告白したに違いない。
しかし、そうは問屋が下さなかった。
男は先程からの花子の態度に、違和感しかなかった。
花子は、全く自分の顔を見ようとはしないのだ。
「ふーん、で?君の名は?」
まるで最近流行った映画のタイトルのような質問をされて、男は戸惑い気味に、答える。
「さっ、斎藤隼人だけど…」
それを聞くなり、花子は溜め息をついた。
「0点ね。出直してきて」
花子は、バッサリと突き放し、身を翻して去って行こうとしたが、斎藤は素早くその手を掴んだ。
「おい、待てよ!なんだよ、0点って!お前、知らねぇのかよ!俺が、バレー部で、人気があるの!!」
花子は、ふっと嘲笑うと、振り向いて、冷ややかな表情で、
「悪いけど私、顔なんて興味ないの。あるのは、変わった苗字だけ。本当に私と付き合いたいなら、かっこいい苗字に生まれ変わることだね」
そういうと、腕を振り解き、短い明るい髪をなびかせながら、その場を去って行った。
そう、斎藤は知らなかったのだ。
山田花子が超が付くほどの名字フェチだということを…。
◇◆◇
「はぁあぁ?!斎藤君、フッちゃったの?超イケメンなのに?!」
放課後、校区内にある有名チェーン店の有名喫茶店で、クリームたっぷりのコーヒーの苦味なんて、会ってないようなドリンクを飲みながら、小学生の時に唯一自分名前を馬鹿にしなかった親友、百目鬼小百合が大声で叫んだ。
彼女もまた、苗字フェチでこそないのだが、少なからず名前で苦労したことで意気投合した仲である。
「だって、斎藤なんて普通すぎるもん。私、何がなんでも変わった苗字の人じゃないと、結婚したくないし」
花子は、小百合同様に、クリームたっぷりのコーヒーを飲みながら、答える。
「ほんっっと、ブレないよね、花ちゃんは。まぁ、あたしも筋肉イケメンじゃないと付き合いたくはないから、その気持ちはわかるけどぉ〜」
「あんたの筋肉フェチもなかなかよね。今日は誰に告られたの?」
「んーとね、隣のクラスの…忘れちゃった」
「自分に告った人の名前くらい、覚えてあげなさいよ」
花子は思わず、ため息をつく。
親友こと、小百合の筋肉フェチもなかなかのもので、少々の筋肉程度では、なかなかなびかないのである。
小百合の筋肉フェチを知ったのは、小学六年生の時。
初めて小百合の家に遊びに行った時に、その原因が判明したのだ。
小百合の家は、由緒正しい道場で、屈強な男達を見ながら育った。
だからこそ、筋肉フェチになるまでにはそう時間も掛からなかったそうだ。
「そういえばさ、花ちゃんって、自分の名前が嫌いな割に、名前変えたりはしなかったんだね:
言われて花子の表情が曇った。
「私もさ、最初はそう思って、何度も講義したよ。でもね、名前の由来を聞いたら、なんか申し訳なくなって…」
花子は小学生の時、何度も自分の名前を変えるように講義したのだが、聞き入れてはもらえなかった。
そんなのは親のエゴだ、花子はずっと反発して、だったらと、勝手に名前を変えたこともあった。
だが、当然世間には受け入れてもらえることはなく。
そんなある日、結婚すれば下の名前は変えられないけど、苗字は変えられるということを知り、努力に努力を重ね、どんな男からも見惚れられる女になる為にあらゆる手を尽くしたのである。
「あたし達、本当に結婚できんのかな?」
冗談めかして言う小百合だったが、筋肉イケメンを探すよりも、自分好みの苗字の男を見つけることのが余程難易度が高いことを知ってる花子は、重々しくため息をついた。
◇◆◇
確かに、小百合の言葉は最もなのだ。
こんなフェチにしがみついたままでは、結婚どころか、一生誰とも付き合うこともなく、人生が終わってしまうかもしれない。
流石にそれだけは避けたい。
「ありがとうございました!」
花子は思わずため息をこぼしそうになったが、バイト中だった為グッと堪えて、客に満面な笑みを返す。
花子は、駅の近くのコンビニでバイトをしているのだが、その動機はもちろん、変わった苗字の男性に出会う為、である。
学校とは違って、色んな人間と出会えるバイトならば、変わった苗字の一人くらいはいるだろうと踏んだのである。
もちろんそんなことは、素直に言えるわけもなく、面接の時は、大学に行く為の学費を稼ぐ為である。
しかし、花子は一つ最大な点を見落としていたことに、後から気づいたのだ。
そうそれは、接客はお客さんの名前まではわからないと言うこと。
そのことに気づいたのは、雇われてすぐであったが、花子は仕事自体はそれほど嫌いではないし、何より人間関係もよかったので、半年経った今でも、辞めたいとは思わなかったのだ。
「あ、そうそう、これ、今日来たお客さんが山田に渡してくれって」
バックヤードで休憩をしていた男子学生の先輩が、レジをしていた花子に、一枚の紙切れを持ってきた。
先輩の名前は、秋山秋一と言い、それなりの長身で、顔の整った、高校三年生で、バイト歴二年の男子高校生である。
中身を確認すると、そこには差出人の名前と連絡先が書かれていた。
(久保明か…)
花子は、平日のピークを過ぎた時間帯で、お客さんがいないことを確認してから、バックヤードに向かう。
「どんな人でした?」
別に理想の苗字ではなかったから、付き合うつもりはないが、とりあえず聞いてみる。
「朝いつも買いに来てくれる、ちょっと低めで二十代くらいのサラリーマンの人だよ。どんだけ混んでても、絶対山田のところに並んでた人、覚えてる?」
花子は断片的ではあるが、だいたい検討がついて、ああ、あの人ね、と呟く。
名前同様に、不細工とまでは言わないが、イケメンと言う訳でもなければ、長身と言う訳でもない、細身の特徴のない男性だ。
「どうするの?付き合うの?」
ニヤニヤといやらしく笑う先輩を見て、花子はハッ、と鼻で笑った。
「先輩、私の性癖知ってますよね?」
「そりゃね。僕もそれでフラれたんだ、忘れる訳ねぇよ」
そう、何を隠そう先輩こと、秋山秋一も、会って半年くらいで告白したのに、苗字が原因でフラれたのである。
秋山も自分の容姿にはそれなりに自信があったので、絶対イケると鷹を括っていたので相当ショックだったが、理由を聞いたら一瞬で冷めてしまったのだ。
「これ、シュレッダーに掛けといて下さい」
「あーあ、可哀想に」
紙を受け取ると、秋山は無情にもその紙をシュレッダーにかけた。
「でもさ、もったいないなぁ。そんなに可愛いのに、苗字だけで切り捨てちゃうなんて。ほんとに顔とかどうでもいい訳?」
頭に腕を回しながら秋山が聞いてくる。
その質問ももう何回目だろうか。
確かに花子とて、全く顔なんてどうでもいいと言うのは本心ではないし、何なら秋山はどちらかというと好みでな方で、自分がこんな名前でなければ付き合っていたかもしれない。
だが、現実は悲しいかな、変わった苗字を探すのですら難しいのに、苗字も顔もどちらも揃ってる人間となると、それこそ日本各地を探さないと見つからないレベルである。
「そりゃ私にだって、好みくらいはあります。でも、それ以上に自分の名前が嫌いなんです。だからほっといて下さい!」
唇を尖らせて冷たい態度をとる花子に、秋山は意地の悪い顔をすると、スマートフォンをちらつかせる。
「いいのかな、そんなんこと言って」
花子は、液晶画面を怪訝な表情で見ると、そこには、自分好みの珍苗字が複数名載っていた。
「こっ、これって…!」
花子が思わず目の色を変えて手を伸ばしたが、秋山はひょいと後ろに下げた。
「僕が大学の人たちに聞いた、珍苗字リスト。皆山田の話をしたら会いたいって言ってた奴らだよ」
これは、なんの思し召しだろうか、花子は思わず涎が出てそうになるのを、グッと堪えて一度冷静になる。
「もちろん、ただじゃないですよね…?」
この先輩のことだ、絶対何か裏があるはずだ。
「君の友達にさ、百目鬼小百合ちゃんいるよね?その子も結構好みなんだよね。そのこ紹介してくれたら、紹介してあげるよ」
花子の予感は的中して、思わず顔が引きつる。
つまり、自分の欲を満たす為に、自分の友達を売るということだ。
流石に、それは良心が痛む。
いや、それよりもこの男は小百合のフェチを知っているのだろうか?
暫し思考を巡らせると、花子は秋山の体をじっと見つめた。
「先輩、筋肉には自信ありますか?」
言われて秋山は、ふふん、と自信たっぷりに鼻を鳴らすと、腕まくりをして、上腕二頭筋を見せつけた。
「一応、三ヶ月間毎週ジムに通って、鍛えてはいるけど?」
花子は意外そうな顔をした。
一見ひょろっちそうな体つきにしか見えないのに、まさか鍛えてるなんて思いもしなかったのだ。
とはいえ、比較対象が、小百合の道場の人間だから、それを引き合いに出すことが間違っているのかも知れない。
花子はそれならと、顎を撫でる。
「分りました。一応聞くだけ聞いてみますね」
「よろしく!あ、そろそろ休憩終わるから、交代ね」
花子は了解しましたと言って引き継ぐと、休憩時間中は、変わった苗字の人のことばかり妄想していたのだった。