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キュウショクチュウ_1


 「……あんな奴、死んじゃえば良いのに」


 灰根改-はいねあらた-は、泣きそうな声でそうポツリと呟いた。いい大人がザァザァと大雨の中、傘もささずにトボトボと歩いている。

 転職して三年、まさかこんなことになるとは、あの時は思っていなかった。今の会社に骨を埋めるつもりで仕事をしていた。だからこそ、改は今の自分の状況に、全く納得がいっていなかった。


 ――半年前、上司から振られた仕事を、とにかく必死でこなしていたころ。残業に残業を重ね、監査が入らないように勤務時間を操作していた。残業時間を減らし、取ってもいない有休を計上して、なんとか誤魔化していた。当然、その分給与は入らない。ただ『この会社で頑張りたい』という気持ちだけで、改は仕事をこなしていた。


 そんなある日、改は自身の上司へ配属異動の希望を出した。流石に、今の働き方では死んでしまう。そう思ったからだ。


『……という訳でして。異動をお願いしたいのですが……』

『は? なめてるの?』

『……え?』

『いや、だからさぁ。改君みたいな、色々条件つけてくる子って、すごーくやりづらいのよ。それをさ、僕は頑張ってお願いしてさ、営業にも掛け合ってお客さんのところに置いていただいているわけ。わかる?』

『で、でも……。残業も、休日出勤しないとこなせない量ですし、そもそもスケジュールが残業ありきというか。フルリモートでの仕事、という話だったのに、出社も必須になっていますし、事前に提出した経歴のスキルの不一致と……』

『いや、だからさ。そんなの仕方ないじゃん。休日出勤して仕事してよ。自分の能力足りてないんじゃない? 会社のせいにしないでもっと頑張れば?』

『……』

『リモートワーク、月に少しあるだけでもありがたいんじゃないの? なんかさぁ、ちょっと我儘じゃない? 条件が最初と変わるなんてよくあるでしょ。スキル不足は自分の責任だよね? それは勉強してよ。当たり前じゃん』

『でっ、でも! 『最大限に希望を聞く』というお話だったのに、全くそこが』

『はぁ、聞いてるよね? 希望。……あのさぁ、そんなこと言ってたら、仕事ないけど? 困るんじゃないの? こっちの都合が大事でしょ? お客さんに迷惑かけて良いの?』

『それは』

『とにかく! こっちが提示した内容で仕事して。立場わかってる? それができないなら、仕事なんかないよ。意味わかるよね?』

『……っ』


 とにかく、この上司との相性が悪かった。お客さんとの相性も。どんなに頑張っても、報われない。

 堪えていた気持ちが溢れ出し、ポロポロと止まらない涙を流しながら、改はメンタルクリニックに電話をかけ、一番早く予約の取れる病院で受診した。そして、休業という形で一時的に会社から離れることにした。生きていることすらできなくなる前に。

 初めての転職で入社した会社は、初めて休業を取る会社になった。突然事前連絡もなしに休むことは怖かったが、医師の言う『骨折と変わらない。目に見えないだけ。骨折して入院が必要な人に『今すぐ職場にきて仕事しろ』なんて言わないでしょ? 言ったら、それは言った側がおかしいよね?』と言う台詞に、ホッと胸を撫で下ろした。と同時に、他者からようやく人間扱いされたと感じていた。


 一人暮らしの三十歳。傷病手当のみでの生活は厳しかった。だが、実家には帰れない。親に心配をかけてしまう。

 根元から黒くなった半分茶色の髪の毛はボサボサで、髭も適当に剃っていた。近所のコンビニくらいしか行かないから、毛玉のついたスウェット上下に、ヨレヨレの肌着を着て引きこもっている。ボーナスで買った未だに穿けていないスニーカーだけ、過去を照らすように玄関で輝いて見えた。少し痩せた身体は筋肉が落ち、代わりに不自然なほどお腹に脂肪を蓄えていて、爪もくすんだ色で伸びている。


 限界だった。心も、身体も。不眠が続き、そろそろ耐えられそうにない。早く、魂を肉体から解放しなければ。

 そう思うほど、改は限界を迎えていた。


 ――今日は、改の入社記念日だった。


 この半年の休みの間、最低限の連絡しか交わしていなかった改に、そんな今日、件の上司から電話が入った。出たくはなかった。が、電話が鳴りやまない。何度も何度も、上司の携帯番号から着信がある。出ないようにしていたが、ふとした拍子に電話を受けてしまった。恐る恐る震える声で電話の向こうへと話かける。


「――もっ、も、もし、もし……」

『――あーあ、やっと出た。あのさぁ、なんで上司からの電話すぐに出ないの?』

「えっ、あっ、い、今は」

『ほんとにさぁ、社会人としての自覚ある?』

「い、医者から……その、さっ、最低限の、連絡で良い、と……」

『は? 上司からの電話は出るもんだろ? お前何言ってんの? 最低限だろうが』

「……」


 改は何も言えなかった。言えない、というよりは、言葉が出てこない、のほうが正しいかもしれない。パニックを起こしたように頭の中が真っ白になり、上司が何か喋っていることは理解できるが、何を喋っているのかは理解できないでいた。そんな改に向かって、上司は矢継ぎ早に自分の思ったことをぶつけていく。


 どうせ、病気なんか嘘なのだろう。

 早く復帰しろ、できるはずだ。

 仕事の条件は当然ながら厳しくなる。

 それでもお前は、こなさなければならない。

 ――それは、当たり前のことだ。

 お前が、逃げているのだから。

 悪いのはお前なのだから。


 第三者が聞いたとて、何が当たり前なのかわからないのに、自信満々に話す上司の声が改の顔に影を落とす。

 耐えきれなかった改は、返事をするのをやめてスマホをちゃぶ台の上に置いた。音量を一番下げた状態にして。ぼーっと座って電話が切れるのをひたすら待った。きっと、これがバレたらものすごく怒られるだろう。そう思ったが、あいにく聞き続ける勇気も余裕も何も持ち合わせていなかった。しばらくしてから画面を見ると、既に電話は切られており、いつもの待ち受け画面が映っていた。諦めたか、満足したかしたらしい。

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