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追放された聖女が残したジャガイモで、私は幸せになれました

作者: りすこ

「これをお食べ」


 しわしわの手が差し出したのは、見たことがない食べ物だった。


 茶色い皮がある実で、真ん中で四つに切り分けられている。実の上には、とろりと溶けだしたバターがのっていて、美味しそうな匂いがした。


 私は引ったくるように実を奪い、かぶりついた。


 麻痺していた指に実の熱が伝わり、舌に甘さが染みわたる。空っぽだったお腹に実が入ると、声がでた。


「おいしい……」

「そうかい」

「……こんな……おいしいの……食べたことない……」

「そうかい、そうかい。それはよかったよ」

「……おいしいの……おいしいよ……お母さん……」

「辛いことがあったんだね。まだたくさんあるから、食べなさい」


 目の前の人は、茶色い実をたくさんご馳走してくれた。その実を食べながら、私は母の姿を思い出していた。



 山羊がのんびり歩く小さな村で、私は母と暮らしていた。父は戦争にいったきりで、帰ってこない。父の顔は知らないけど、母が居てくれたから寂しくはなかった。


 ある夜、大声をだしながら幾人もの男の人が来て、村の家に火をつけた。星空の下、村がこうこうと赤に染まっていく。


 ――シャルロット、逃げるわよ。


 母は私の手を握り、男たちの怒号から逃げ出した。


 暗い道を母と一緒に歩く。

 怖いとも言えずに無言で足を動かしていたら、不意に誰かの話し声がした。母は止まり、私を抱きしめる。


 ――シャルロット、走りなさい。この道をまっすぐ走るのよ。


 私の目元にある泣きぼくろにキスをすると、母が背中を押した。


 母に言われるがまま走って、転んで、気を失って。

 どうやら私は、目の前の人に助けられたようだ。


 実を食べ終わり、ぼんやりとした頭のまま相手を見る。その人は、ひひひっと笑いながら、目深にかぶっていたフードをとった。


「あたしゃ、こわーい魔女だよ。顔はこーんなに醜いし、友達は山羊と黒猫だけさ」


 魔女と名乗った老婆の頭は、あちこち毛が抜けていて、右目の上に大きな傷がある。

 彼女の姿を見て、びくっと体が震えた。


「ひひひっ。怖がっていいんだよ。どうれ。食べ終わったのなら、近くの村まで送ってやろうかね」


 老婆が私の頭を撫でる。

 その手つきがあまりにも優しかったから、首を横にふった。


「おや、どうしたんだい? 村の連中は、気持ちのいい奴らだよ。安心しな」


 私は首を横にふって、老婆が着ていたローブを掴む。老婆の目元には、泣きぼくろがあった。お母さんとは違う場所だ。


「おばあちゃん……ここにいたい」


 そう言うと、老婆は口をぽかーんと開いた。しばらくした後、老婆は口を閉じて、私の頭を撫でる。


「いいよ。気がすむまで、ここにいな」


 こくりと頷くと、おばあちゃんはひひひっと笑った。



 おばあちゃんは物知りで、私に色々なことを教えてくれた。


 山羊や猫の飼い方。お料理の仕方。文字の読み書き。そして、ジャガイモという名前の芋があることも。

 おばあちゃんは料理をする前のジャガイモを見せて、私に説明してくれた。


「これがジャガイモ。ぼこぼこして醜い形だろう?」

「うーん。醜くはないよ?」

「ひひひっ。ジャガイモはねえ。芽や皮に毒があるから、栽培が禁止されているんだよ」

「え? 毒?」


 体を震わせると、おばあちゃんが笑う。


「安心しな。下処理をすれば、毒にやられることはない。だけど、ジャガイモを食べているのは内緒だよ」

「わかった」

「ひひひっ。シャルロットは賢いね」


 私の名前を呼んで、おばあちゃんは嬉しそうに笑う。


 ジャガイモは毒がある危険な食べ物だった。それを知っても私は食べるのが悪いこととは思えない。

 棒のようだった細い腕は、すっかり元通りになり、おばあちゃんの作るジャガイモ料理は、美味しかったからだ。


「んんんぅ! 私、じゃがバター、大好き!」

「そうかい。アタシも大好きだよ」


「このジャガイモパンも好き! もちもちしているの!」

「そうかい。シャルロットがたくさん食べてくれると、嬉しいねえ」


 おばあちゃんは優しかったけど、カードゲームをする時だけは意地悪だった。


「また、おばあちゃんの勝ち。もう、カードでおばあちゃんに勝てない!」

「ひひひっ。昔ねえ。貴族相手に、カードで勝ちまくったんだよ。あたしゃカードには強いんだよ!」

「うぅ。もう一回!」

「ひひひっ。次もあたしの勝ちさ!」


 夜になると、おばあちゃんに抱きついて一緒に眠った。


「おばあちゃん、大好き」


 おばあちゃんと一緒にいるのが楽しくて、母と別れた寂しさがなくなっていく。


 でも寒い日に、私たちはお別れをした。


 おばあちゃんは遺書を残して、空へ旅立ってしまった。


「なーご」


 おばあちゃんを土の下に眠らせ呆然としていると、黒猫のナーゴが足にすりよってきた。


「なーご。なーご」


 ナーゴを抱きしめ、おばあちゃんのお墓の前で小さく丸くなる。


「おばあちゃんの名前、最後に知ってよかったね」

「なーご」

「エルザって言うんだね。おばあちゃん……」

「……なーご」


 吐き出す息が、寒さで真っ白になる。

 それなのに、泣きすぎたせいだろう。


 私の喉も顔も、焼けるほど熱かった。



 *


 時が経って、一人で料理をすることに慣れた頃、ナーゴが家の外で騒ぎだした。


「なーご、なーご」

「どうしたの?」

「メェェェ」


 山羊のメェまで鳴き出して、こっちにおいでと歩きだす。私は首をかしげながら、山羊の後を追う。

 うっそうと生い茂る森を抜けると、一頭の馬が座っている。馬の近くには、誰かが倒れていた。


「えっ……人?」


 私は引き寄せられるように、その人に近づく。

 人を見るのは久しぶり。若い男の人だ。汚れているけど綺麗な金髪に、身なりのよさそうな服を着ている。

 私はびっくりして、思わず馬を見た。


「ブフンっ」


 栗毛色のきれいな馬は、主の方を見ていた。どことなく悲しそう。私は男の人を見て、おそるおそる声をかけた。


「あの……大丈夫ですか……?」


 返事はない。もしかして亡くなっているのでは。

 ハラハラしながら彼の体温を確かめると、まだあたたかい。

 ほっとして顔を覗き込むと、彼の眉が動きだし薄く目が開いた。

 青く、吸い込まれそうな瞳だ。

 思わず腰をひくと、彼は唸るような声を出す。


「腹が……減った……」


 ぐおぐおと腹から音を出して、彼は私の服を掴んでくる。


「ちょっと……」

「……何か……食べ物を……」

「あの!」


 まいった。


「私の家にきますか……? 大したものはないですが」


 彼が顔をあげた。青い瞳に輝きが戻っていき、その眼差しの強さに気圧される。

 彼はよろよろと立ち上がると、馬に這いつくばるように乗った。


「……頼む」

「はぁ……」


 彼を家に連れていき、作りおきしていたジャガイモパンを振る舞った。ジャガイモだって、言わずに。


「うまい! なんだ、このうまさは……! もちもちしているじゃないかッ!」


 貪るようにパンを食べ、彼が私を見る。

 私が肩をすくめると、彼は不意に椅子から立ち上がった。左胸に手をそえ、軽やかな礼をする。


「助けてもらい、感謝する。そなたは魔女殿だろうか?」


 魔女――の言葉に、体の芯が凍りつく。


「……なぜ、魔女と……?」

「ある村で、栽培が禁止されている作物を見つけた。その作物を教えたのは、ここら辺にいる魔女だと聞いて――」


 彼が言い終わる前に、かっ、と火がついたように腹が煮えた。私はジャガイモを切ったナイフを握りしめ、光る切っ先を彼に向ける。


「それで、逃げた魔女を追いかけてきた――というわけですか」


 おばあちゃんの境遇を思いだし、私は目の前の彼を憎々しげに見た。


 おばあちゃんは脱獄して、逃亡中だった。



 おばあちゃんは植物学者。


 捕虜になった時に食べたジャガイモに感動して、研究を始めたそうだ。

 解放され自国に戻ったおばあちゃんは、アカデミーに論文を書いてジャガイモの良さを訴えた。


 ――あたしは他国で冷遇されていたのに、前より健康になったんです! ジャガイモばかり食べていたからだ!


 収穫量の良さを示し、おばあちゃんはジャガイモの研究を続けた。でも、同僚がジャガイモの毒にあたってしまった。


 おばあちゃんはアカデミーを追放され、毒性の強い食べ物を広める魔女といわれた。


 裁判にかけられ、ボロボロにされ、拘束されていた所を支援者の貴族によって助けられた。

 収容所から逃げ出したおばあちゃんは、北へ向かい、誰もいないこの土地に住むようになったのだ。


 その境遇を知ったのは、おばあちゃんの遺書からだ。遺書の最後には、私への言葉も残されていた。


『近くの村にシャルロットを預けることもできたのに、とうとう手放せなかった。


 人生の最後に、大きな罪をおかしてしまったよ。


 でもね。あたしは幸せだった。


 シャルロットがいたからだろうね。

 こんなにも満たされた最期を送れるのは。


 可愛い愛弟子、シャルロット。

 したたかに生きておくれ。


 エルザより』


 おばあちゃんはあらゆる知恵を私に遺してくれた。


 でも、おばあちゃんのことを知れば知るほど、許せない思いが込み上げる。おばあちゃんに酷いことをした人が恨めしい。


 それなのに、私は一時の人恋しさに彼を家に招いた。自分が恥ずかしい。

 目の奥がツンとしたまま、彼を睨み付ける。


「私は()()シャルロットです! エルザの罪を言及するなら、私は戦います」


 脅しではないと刃物を向けたのに、彼の顔色は変わらなかった。


「私は魔女殿を捕まえに来たのではない。助けを乞いに来た」


 彼は腰に帯刀していた鞘を抜いて、床に置いた。床に膝をつき私を見上げる。


「今、我が国では、小麦の不作による困窮が広がっている。私は各地を回り、現状を見ているところだ」


 彼は目をふせ、青い瞳に影を落とした。


「……ひどい状況だ。小麦の値があがり、パンが食べられない」

「小麦が……不作?」

「あぁ。だが、この先の村では、困窮が見られなかった。村長から話を聞くと、ジャガイモ栽培が禁止されていることは知っていたが、小麦より収穫量が高く、前から食していたということだ」

「えっ……」

「ジャガイモの育て方と食べ方は、魔女殿に聞いたらしい。私はその方法が知りたいんだ」


 青い瞳が私に問いかける。


「あなたが食べさせてくれたのは、ジャガイモか?」

「それは……」


 味を思い出したのか、彼の表情がゆるむ。


「実に美味しかった。夢中で食べてしまったな」


 私が無言でいると、彼はまた真剣な眼差しになった。


「陛下にかけ合い、ジャガイモを広める策を練りたい。

 頼む。私と一緒に陛下に会って、ジャガイモの良さを伝えてくれないだろうか」


 彼の瞳はとても真剣で、嘘をついているようには見えなかった。

 私たちの間に沈黙が落ちる。構えたナイフが震えだしてしまった。


「……帰って……ください……」

「頼むっ、シャルロット殿」


 尚も追いすがる彼に、声を荒らげた。


「今さら力をかして欲しいなんて、都合が良すぎます! それなら、なんでもっと! 早く!」


 奥歯を噛み締めると、涙がこぼれた。


「おばあちゃんが生きている時に、来てくれたら……!」


 おばあちゃんがアカデミーを追放されたのは、私が産まれる前のこと。目の前の人も産まれていないかもしれない。

 彼は悪くない。でも、腹立たしい。

 おばあちゃんにも聞かせてあげたかった。


「なーご」


 気配を消していたナーゴが、そろそろと近づいて私の足にすり寄る。

 私は手からナイフを滑り落とし、震える手でナーゴを抱きしめた。声は嗚咽となった。




 *



 窓から降りそそぐ光りが、白から橙色に変わった。


 私はようやく落ち着いて、おばあちゃんのことを彼に話す。彼は神妙な顔をして、聞いてくれた。


「あなたの師匠、エルザ殿はそんな目に……」


 彼は私から目をそらし、呟く。


「……父の時代の話だろう。あの当時は、罪なき人々を多く裁判にかけていた。悪政だな」

「え……? 父?」

「あぁ、私は()()()、第二王子だ」

「……王子……様?」

「一応、私の服の胸には王家の紋章が入っているのだが」


 そう言って、彼が自分の胸を指す。

 泥で汚れて謎の模様と化した紋章があった。


「これで信じてもらえただろうか」

「……あまり信じられません」

「そうか。……よわったな」


 彼は嘆息して、私を見る。


「父は二年前に、亡くなっているんだ」

「なくなっ……」

「知らなかったんだな……」

「はい……」

「そうか……しかし、罪は罪。父に代わって、エルザ殿に詫びさせてくれないか」


 彼はそう言うと、立ち上がった。

 おばあちゃんの墓に祈りを捧げたいと言うので、呆然としたまま彼を案内する。


 彼はおばあちゃんの墓標を前に膝をつき、静かに語りかけた。


「私も兄も幼く、あなたに対して何もできなかった。せめて、安らかに眠ってください」


 真摯な背中を見ていると、腹に燻っていた恨みが、すっと体から抜けていくようだ。


 ふと顔をあげると、きれいな夕焼け空。

 明日は、晴れそうだ。


「シャルロット殿」


 視線をさげると、彼が私を見ていた。

 青い瞳は、橙色の光りに包まれ、燃えている。


「立ち寄った村の長が、エルザ殿に会いたがってるんだ」

「えっ……?」

「彼らに会ってくれないか?」


 私は流されるまま頷き、翌日、彼の馬に乗って村へ行った。



 村をこの目で見て、驚いた。

 見渡す限りジャガイモ畑で、山羊がのんびり歩いていたからだ。


「ギル殿下ッ!」


 馬から降りると小太りな男性が走ってくる。


「あぁ、村長。エルザ殿の弟子、シャルロット殿を連れてきた」


 村長は私を見て、こぼれんばかりに目を開いた。


「そう、ですか……エルザ様は、元気で?」

「……おばあちゃんは亡くなりました」

「なんとっ」


 村長は瞠目し、小刻みに肩を震わせた。


「エルザっ……エルザ様は……作物が育ちにくい村に、ジャガイモの種芋を分けてくださったんです……村の、恩人です……」


 村長が瞳から涙をながす。


「それなのに、儂らはエルザ様と一緒に住むことを躊躇ってしまった……

 子供がエルザ様の顔を怖がってしまいましてな……エルザ様は遠くの森に行ってしまわれた……」


 こわーい魔女だよ、と茶化したおばあちゃんを思い出し、胸が痛くなる。


「貴女に言っても迷惑かもしれない。でも、言わせてください!」


 村長は頭を地面にこすり付けた。


「エルザ様、ありがとうございます!

 おかげで!

 村は!

 こんなにも!!

 豊かになりましたッ!!」


 村長の周りに人が集り、私に向かって頭を下げる。彼らの背後には、青い葉がついたジャガイモ畑があった。

 これはきっと、おばあちゃんが願い、見たかった風景だろう。


「……おばあちゃんはあなた方を、気持ちのよい人たちだと言っていました」

「なん……とっ」


 村長は滂沱の涙を流して、うずくまった。


 鼻をすんと鳴らしていると、ハンカチを差し出してくれる人がいた。


「シャルロット殿。ギル・ベルジュの名にかけて、エルザ殿の汚名を払拭する。約束する」


 彼は一緒に王宮に来て欲しいと懇願した。


 私はハンカチを受け取り、流れる涙をぬぐう。


「わかりました! おばあちゃんが魔女と呼ばれるのが嫌だったんです! 私にできることなら、全部やります!」


 彼はほっとしたように、目を細めた。


 ナーゴと山羊を村の人に預け、私たちはジャガイモを袋につめ、城を目指した。


 彼――ギル様には気安く話してほしいと言われてしまい、断れずにいたら、友達のような付き合いになってしまった。


 旅の間、彼とたくさん話をした。

 驚いたことに、ギル様は王妃様と愛人の間に産まれた子供だった。


「父が先に愛人との間に子をもうけてな。それが今の王。兄上だ。……腹いせ、だったんだろうな。母は恨み事を言いながら、儚くなった」

「……そうだったんですか」

「そんな顔をするな。痛みは過去にある。それに、兄上のことは、心から尊敬しているんだ」


 ギル様は父王のやり方が嫌でたまらず、兄と共に玉座から引きずり下ろしたそうだ。


「過去の悪習は一掃したい。その為に私も兄上も動いている」


 力強く、まっすぐな言葉だ。


「ギル様を信じます。あなたの言葉には、嘘が見えません」


 そう言うと、ギル様は嬉しそうにくしゃりと笑った。



 王都に近づくと、異様な空気が漂いはじめた。やせ衰え、虚ろな目をした人々が多い。


「これが王都……」

「酷い状況だろう? 急ごう」


 王宮にたどり着くと、門番は慌てて開城をしてくれた。汚い身のままでもギル様が通ると誰もが頭を下げて、道を開けてくれる。私達は着の身着のまま、王に謁見することができた。


 だが、陛下はギル様を見るやいなや、怒号を飛ばした。


「ギルよ……城を飛び出して、可愛い女の子を連れて帰るとは何事だッ!」


 ギル様は淡々と答える。


「兄上宛に、書き置きを残したはずですが」

「あんな紙っぺら一枚で納得ができるかッ! 護衛も付けずに何をしておるのだ。……心配したぞ」


「私一人でも平気です。生きて帰ってこれました」

「……お前は思い立ったらすぐだな。ひとまず彼女と一緒に身綺麗にしてこい」

「話はそれからですか? わかりました。それよりも、兄上」

「なんだ?」


 ギル様は陛下に歩み寄り、ななめにずれた髪を両手でなおした。


「兄上。カツラがズレています」

「……小麦不足で、カツラを止める練り粉をしていないんだ。……察しろ」

「良質な小麦粉は王宮よりも民へ、ですか」

「そうだ」


「兄上。いえ、陛下の民を思う気持ち。カツラから充分、伝わりました」

「俺のヅラのことはいい! さっさと、疲れを落としてこい!」


 カツラを手でおさえた陛下に捲し立てられ、私達は退室させられた。ポカンとしたまま、ギル様に問いかける。


「陛下、カツラなんですね」

「ん? あぁ。兄上は父上と瓜二つの顔を毛嫌いしているんだ。自分の時代では、愚王のイメージを失くしたいらしい」

「……そうなんですか」


「それにハゲを気にしている」

「まあ」

「毛がないと威厳がおちるそうだ。ハゲてても兄上は兄上なのにな」


 ギル様が嘆息する。

 笑ってはいけないと思ったのに、口からふふっと声がでた。


「陛下は親しみやすい方ですね」


 そう言うと、ギル様はくしゃりと顔をほころばせて笑う。


「あぁ、自慢の兄上だ」



 私はギル様と別れ、客室に案内された。

 王宮の人々は村娘の私に対しても、優しく接してくれる。逆に緊張してしまい、私は夜になっても寝つけなかった。


「今日はひとりで寝るんだ……」


 幼い頃は母がそばにいて。

 母と別れたら、おばあちゃんがいて。

 おばあちゃんと別れたら、ナーゴがいて。

 ナーゴと別れて、王宮にくるまでは、ギル様と一緒に夜営のテントの中で寝ていた。


「……私、幸せだったのね……」


 ベッドはふかふかで寝心地がいいのに、寂しさが募る。


「ギル様に会いたいな……」


 そっと呟き、私は胎児のように丸くなった。



 翌日。


 使用人に呼ばれた私は、用意された服に袖を通した。一足先に陛下と会っているギル様の元へ行く。

 部屋に入ると、二人の他に片眼鏡をかけた中年の男性がいた。

 誰だろう?

 と思っていたら、ギル様が紹介してくれた。


「彼はゲラン卿。ジャガイモの毒性を熟知している貴族だ」

「初めまして、ゲランです。……あなたがシャルロット殿ですか……」


 ゲラン卿は私を見て、目を赤くしていた。なぜだろうとじっと見つめていると、ゲラン卿は懐かしそうに目を細くする。


「あなたはエルザと同じですね」

「え?」

「泣きぼくろがある……」

「エルザ……? まさか――」


 私は興奮で胸を高鳴らせ、早口で言う。


「おばあちゃんを牢から助け、いっつもカードで負けていた! 貴族の支援者ですか?!」

「ははっ……まあ、そうですね……カードでは惨敗でした」

「私もです……」

「……そうですか」


 ゲラン卿は息を吐き出した。

 彼の瞳には、ギル様のような輝きがない。深い悲しみに囚われた目をしている。

 ゲラン卿はまたひとつ息を吐き出すと、おばあちゃんのことを話してくれた。


 おばあちゃんはやっかまれ、アカデミーの研究員に、冤罪をかけられていた。


 毒が強いと論文に書かれてあったのに、ジャガイモの芽をわざと食べて腹痛になり、おばあちゃんを貶めたのだ。


「当時、アカデミーと先王は癒着していて、裁判は一方的なものでした。私は金を積んで、エルザを逃がした。でも、不甲斐ないことにカードで負けましてね……」

「カードで?」

「……負けたら酒を飲む勝負をして、完敗でした。泥酔して寝ている隙に、エルザは忽然と消えてしまった」


「おばあちゃんらしいですね」

「猫のような人です……死に場所はひとりで決めるような……」


 ゲラン卿はおばあちゃんを探したけど、ついに見つからなかったそうだ。


「あなたが看取ってくれたのは、僥倖でした。……エルザは、一人ではなかった」


 ゲラン卿はおばあちゃん探しを諦め、王都に潜伏し、密かに陛下とつながった。

 陛下が事情を説明してくれる。


「ゲラン卿に教えられたジャガイモの中毒性を利用して、先王に加担する者に腹痛を起こさせた」

「ジャガイモの毒で……そんなことを」

「たかが腹痛だがな。人の足を止めるには、充分だった」


 その間に、陛下は玉座から父親を引きずり下ろし、戴冠した。おばあちゃんに冤罪をかぶせた人は、すでに処罰され、亡くなっていた。それは内々に処理されていたことで、ギル様は知らなかったそうだ。


「エルザ殿の名誉を回復すると言いながら、恥ずかしい話だ」

「ギル様……そんな」

「ギルに教えなかったのは、俺の判断だ」


 陛下が口を開く。


「ギルは実直すぎて、秘密事項を簡単に話しそうだからな」


 納得した。


「だが、ギルの無鉄砲さで、シャルロット殿にも会えた。ギル、よくやった」

「兄上……」


 陛下は私に顔を向けると、話し出す。


「ジャガイモの毒は強くでると、幻覚を引き起こす。

 危険なものとし、栽培禁止令は撤廃しなかった。

 だが、ギルの話を聞いて、それは間違いだったと考えを改めた。俺にジャガイモを食べさせてくれないか」


 私は胸がいっぱいになり「光栄です」と頭をさげた。




 ギル様の案内で厨房へ向かう。

 連れていかれた厨房は、さすが王宮というべきか、広く、使ってみたかった調味料が並んでいた。

 塩、胡椒、チーズも牛のものだ。小麦粉も肉もある。


「高級食材ばかりですね……」

「東洋の調味料もある。料理長!」

「なんですかあああっ! 殿下あああっ!」


 ソーセージみたいな髭をつけた料理長が、泣きながら近づいてきた。


「なぜ泣いている?」

「うおおぉん! エルザ殿の無念を思うと泣けてくるのです! 儂は苦労話に弱いんです!!」


 料理長はおいおい泣きながら、鍵のついた貯蔵庫から黒い液体の入った小瓶を取り出してきた。


「ジャポンの醤油(ショーユ)です!! 陛下は醤油(ショーユ)を隠し味に使った料理が、大好物です!!」

「使わせてもらいます」

「頑張って!!」


 貴重な調味料と言われ、ドキドキしながら醤油(ショーユ)を一滴、舌で味わう。塩気と旨味が同時にきて、高揚した。


「ギル様。この調味料を使えば、私の大好きな料理が、もっと美味しくなります」

「食べてみたいものだな」


 青い目を爛々と輝かせるギル様に微笑み、私は料理を作り出した。



 マッシュポテトの上にひき肉と玉ねぎを炒めたものをのせて、たっぷりチーズをかけ、こんがり焼いたもの。材料がなくて、作れなかったものをここぞとばかりに作る。私の大好物も。

 できた料理は、冷めないうちに毒味係の前に並べられた。彼らが問題ないと言うと、陛下の口へ。

 ドキドキしながら食べる所を見ていたら、陛下がカッと目を見開いた。


「旨いな」


 その一言に胸が高鳴って、顔が熱くなる。


「そうでしょう!! 兄上!! 味見しましたが、絶品でした!!」

「ギル、叫ぶな。興奮しすぎだ。シャルロット殿、料理に使われる材料は何だ?」

「ジャガイモとチーズが主です。塩や胡椒、肉や玉ねぎも入っていますが、なくても充分おいしくなる料理があります。こちらです」


 細く切ったジャガイモに、たっぷりチーズをのせて、こんがり焼いた料理だ。

 陛下はひとくち食べると、立ち上がった。


「なんだこれは……! カリカリして旨いじゃないかッ!」

「兄上。興奮して立つと、カツラが落ちます」


 陛下はずれたカツラのまま座り、しげしげと料理を見つめる。


「ふむ。シンプルだが、酒が飲みたくなる味だな」

「材料が2つなので、農民でも食べやすいと思います。農村では山羊が飼われていて、家庭ごとにチーズ作りが盛んですから」

「なるほど。旨いな。次の料理は、ジャガイモの皮もあるのだな……」

「青く未成熟な皮には毒がありますが、成熟して芽のないジャガイモは、皮まで美味しいです」


 次の料理は、茹でたジャガイモを四等分に切り、バターをのせたものだ。

 バターがジャガイモの熱でとろりと溶けだし、香りが立ちのぼっている。私は醤油(ショーユ)を垂らして、陛下にすすめた。


「じゃがバター醤油(ショーユ)です」


 陛下は一口、食べると目を見開いた。


「これはッ!」


 陛下が皿を見つめながら、勢いよく立ち上がる。


 その拍子に、陛下の頭からカツラが落ちた。



マリアァァァァジュッ(超うまい)!!」



 唐突に叫んだ陛下は、小刻みに肩を振るわせていた。


「なんだこの旨さは! まるで口の中が、天国だッ!」

「兄上、カツラが……」

「俺のヅラのことは、ほっとけ!シャルロット殿、感動的な味だ。マリアージュだ」

「あ、ありがとうございます!」


 興奮して答えると、陛下はハゲ頭のまま、大きく頷いた。


「ジャガイモの旨さは伝わった。さっそく予算を組み、ジャガイモを各地で育てられるように支援しよう」


 ギル様が私の手を握りしめる。


「シャルロット殿、ありがとう。君のおかげで、民に活気が戻る。虚ろな目をした人々は少なくなるだろう」

「いえ……ギル様が私を見つけてくれたから……だから……」


 私は口角をめいっぱい持ち上げた。


「あなたと、おばあちゃんのおかげです」


 感謝を伝えると、ギル様は快晴のような青い瞳を細くした。



 それから、国をあげてのジャガイモ布教が始まった。

 陛下自らが食したことが評判となり、禁止令がでていたにもかかわらず、ジャガイモへの嫌悪感は少ない。

 私とギル様は、ジャガイモの栽培を農村へ広める役目を陛下より任された。

 ふたりだけでは人手が足りないので、ジャガイモを育てていた村に戻って、協力を仰いだ。


「勿論、協力させて頂きます……エルザ様の恩を返したいです」


 村長は快諾してくれた。

 ナーゴと山羊は元気そうだった。

 でも、一緒に行こうと誘ったのにナーゴは喉を鳴らすだけで動こうとしない。


「ここにいるの?」

「なーご」


 私はナーゴの背中を撫でる。


「ナーゴ。大好きよ。いってきます」

「ごろごろ」


 ナーゴは喉を鳴らして、金色の目を細くしていた。




 おばあちゃんはジャガイモの研究の功績をたたえられ、「聖女」の称号が与えられることになった。


 おばあちゃんの論文や、当時の悪政を綴った自叙伝が出版されることになり、ゲラン卿が出資してくれた。

 全てが終わると、ゲラン卿は、おばあちゃんと住んでいた家を売ってほしいと言い出した。


(つい)の住み()にしたいのです」

「時々、おばあちゃんに会いに来てもいいですか」

「勿論」


 悲しそうな瞳を見ながら、私は思いきって、話をする。


「おばあちゃんは何でも教えてくれたのに、カードの勝ち方だけは教えてくれませんでした」


 虚ろだったゲラン卿の瞳がゆれた。


「きっと、あなたとの日々が大切だったからですね」


 そう言うと、ゲラン卿は何かに耐えるように目を瞑り、私に背をむけた。


「エルザは、……バカです。私も、バカだ」


 涙まじりの声を聞きながら、私は頭をさげる。


「おばあちゃんを宜しくお願いします」



 *



 私はギル様と一緒に、各地へ回ることになったが、良いのかなって気もした。


「ギル様とは王宮でお別れかと思いました」

「また、どうして?」

「どうしてって、ギル様は王子様ですし……」

「農村へ行く途中で、野盗に会うかもしれない。旅路は危険だ。私が行くのは当然だろう?」

「それは護衛とかに任せてもよかったのでは……?」


 小声で言うと、ギル様が眉をひそめる。


「……シャルロット殿は私と一緒に居たくないのか? 私は共に居たいのだが」

「……そう、なんですか?」

「人生の相棒をひとり選ぶなら、私はシャルロット殿がいい」


「え? 初耳です」

「初めて言った」


 ポカンとする私に、ギル様がふっと笑う。


「出会った時から、シャルロット殿のことは好ましく思っていた」

「さ、最初から?!」


「涙目で刃物を向ける姿に、ぞくぞくしたんだ」

「本当に申し訳ないことをしたと思っているので、あの時のことは、記憶から消してください」


「泣く姿にぐっときた」

「恥ずかしいので、記憶から消して!」

「懸命な姿に惹かれてやまなかった」


 ギル様はそういうと、私の左手の小指にキスをした。


「私を選んでくれるなら、ここに嵌める指輪を一緒に買いに行きたい。どうだろうか?」


 真剣な顔で言われてしまい、顔があっつくなる。


「……青い石が付いた指輪でもいいですか?」

「構わないが……それは、つまり」


「ギル様の青い瞳から、ずっと目が離せませんでした」

「指輪を買いに行こう!」


 ギル様が私の手を掴む。歩きだした彼を見上げると、赤面していた。

 くすぐったい気持ちになりながら、ギル様にお願いをする。


「ジャガイモを広める傍ら、母を探したいです」


 私は生き残った。

 母も、きっと。


 一縷の望みにかけて過ごしていると、一年が経っていた。



 王都ではジャガイモが流通し始めた。安価で手にとりやすいジャガイモは一気に市民に広まる。

 虚ろな目をした人々に輝きが戻ってきたある日、ギル様が会わせたい人がいると言いだした。


「シャルロットの名前を聞いて、もしかしたらと思ったらしい」


 ギル様はとある農村まで、私を連れて行ってくれた。


 村に居たのは、足を引きずった女性。

 私と同じ場所に泣きぼくろがある人。


 ギル様が私の背中を、そっと押す。

 彼の優しさに涙があふれた。


「シャルロッ……」

「――お母さん!!」


 私は母に駆け寄った。

 崩れるように互いを抱きしめあい、温もりに涙する。



 ――ひひひっ。

 笑い声のような風が、私たちを包む。


 ――よかった。よかったねえ。


 涙の後に見えたのは、突き抜けるような青空で。


 おばあちゃんの笑顔のように、晴れやかだった。




 ――追放された聖女が残したジャガイモで、私は幸せになれました END



◆後日談◆ ゲランとナーゴの話。


シャルロットさんが旅立った後、エルザの墓に行くと、紫色の花が添えられていた。ジャガイモの花だ。


――実はぼこぼこしているけど、花はきれいだろ?


そう言って、笑ったエルザの姿を思い出す。眩しいほどの笑顔だった。


「……今になって思い出すなんて……シャルロットさんのおかげかな……」


吐き出すように墓にむかって言うと、ひひひっという笑い声のような風が吹いた。


「なーご」


背後から声をかけられ、振り返ると黒猫がいた。名前は確か、ナーゴ。


「なーご」


黒猫は一枚のカードをくわえていた。私に近づき、カードを地面に落とす。端が茶色くなって、数字が消えかかった古いものだ。柄に見覚えがあった。


「これ……は」

「なーご」


震える手でカードを拾い上げると、黒猫が尻尾をゆらしながら、くるりと背を向ける。瞠目したまま、導かれるように黒猫の後を追った。


「なーご」


家に入った黒猫は、戸棚の引き出しに爪を立てていた。開けろと言わんばかりに、私を見上げている。引き出しを開けると、中から残りのカードが出てきた。


――また、アタシの勝ちだねえ! さあ、飲んだ、飲んだ!


エルザと別れた日、このカードでボロクソに負けた。酒を飲まされ、泥酔しているうちに忽然と、エルザは消えたのだ。カードと共に。それを今になって、目にするとは。


「……あなたは、バカですか。こんなの見せられたら、泣くでしょう……」


ぽっかり空いた心が、涙で埋まっていく。寂しいのに、あたたかい。魔法にでもかかったようだ。


すんと鼻を鳴らし、カードを取り出した。年季の入ったテーブルの上にカードを五枚並べる。空席にも、五枚。

相手がいないからゲームはできない。裏返しのカードを指でなぞるだけだ。


「なーご」


ぴょんと、テーブルにナーゴが飛び乗った。


「君が相手をしてくれるのかい?」

「なーご」


ナーゴは黒い猫の手をつかって、器用にカードをめくっていった。それに目を細めながら、私もカードをめくる。

カードがこすれる音が部屋に響いた。


最初は猫がカードにじゃれているだけかと思ったが、様子がおかしい。

最後のカードをめくると、ナーゴは私を打ち負かしていた。


「なーご」


テーブルの上で黒猫が金色の目を細くしている。にんまりと笑った口元は、どこかエルザに似ていて――


「なーご」


黒猫はごろごろと喉を鳴らしながら、私の手に頭をこすりつけた。


「……猫になってしまったのかい?エルザ」

「なーご」


問いかけても、猫は笑うだけ。

そっと黒い背中をさすれば、あたたかさが手のひらから伝わる。たった一度だけ、抱きよせたエルザの細い体を思い出した。


「……君を……愛していたよ」

「なーご」

「……忘れるのは、無理だった……」

「なーご」

「今度こそ、そばにいてくれるかい?」

「ごろごろ」


黒猫は喉を鳴らしながら、しなやかに跳ねて、私の膝の上に乗った。耐えていたはずの涙が、頬から滑り落ちる。


それなのに、私の口の端は穏やかに持ち上がっていった。




――君が残してくれたジャガイモで、私は幸せを知ることができました END





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[良い点] シリアスとコメディのバランスが絶妙で良かったです! [一言] エルザの優しさも、ゲランの愛情も、現王の民を思う気持ちも全て作品に滲み出ているようでとても感動しました!! 素敵な物語をありが…
[良い点] 魔女を自称し、恐ろしい容貌を見せてはいても、それも含めてエルザのこれ以上ない優しさが伝わってきたので、亡くなったときは多大な衝撃を受けずにはいられませんでした。 そんな素敵なエルザがああい…
[良い点] バディものの一次選考突破おめでとうございます! レビューを書きたいくらい良い話でした!泣いた! じゃがバター食べたくなりました。 このまま次の選考も突破しますように。
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