Case.1 フラれた現場を見られた場合
「好きだ──ぉ、俺と付き合ってください!」
あれは必死の告白だった。
生まれたての子鹿のように足が震え、全身の穴という穴から汗が噴き出て、心臓が張り裂けるほどに苦しかった。
今朝から……なんなら呼び出ししようと連絡した時、いや、もっと前に告白しようと決心した時から緊張で心臓が止まるかと思った。
そして名を冠するとおり、必ず死んだ。
「あー、私彼氏いるんだけど。ごめんムリだわ」
──フラれた
往生際が悪いと思われてもいい。粘ってみたものの、最後に「しつこい」と言って、彼女は去って行った。
……まぁ、当然だよな。別に彼女は何も悪くない。
彼氏がいるから振る。当然のことだし、世間体を考えてもそうするべきだろう。
それでも悔しさと怒りが沸いた──自分に対してだ。
彼女のことが好きだった。高校一年生で同じクラスになった時からずっと。
席が隣で喋ることが多かった。授業で分からないこととか教えたり、教えてもらったり。HRの時間はちょっと他愛ない話をしたり。
そもそも彼女から最初話しかけられた時には、もう好意を抱くようになったんだっけな。
──単純だよな、俺は。
彼女は誰にでも優しくて明るくてノリがいい。俺はその中の、クラスメイトの一人にしか過ぎないはずだ。分かってたはずだ。
なのに、どうしてこんな負の感情が浮かぶのか。
それは俺が彼女のことを何も知らなかったからだ。
どうして彼氏がいることを知らなかった。毎日話していたのに、俺に何で教えてくれなかったんだ。
──いや、本当は俺が知ろうとしなかっただけなのか……。
それこそ単純だ。結局俺は彼女の表面的な所しか好きになっていないんだ。
彼女のことを何も見えていなかった。そんな馬鹿な自分に腹が立つ。
「……明日からどんな顔して学校行けばいいんだよ…………」
俺は項垂れていた。これが俗に言う絶望か。
「──顔を上げて!」
「……え?」
聞こえた言葉通りにすると、目の前には知らない少女が立っていた。
中学生──いや、同じ高校の制服着ているからここの高校生だよな。敷地内だし。
あと、なんか旗持ってる。
「キミは今、告白して、そしてフラれたよね」
「あぁ……あぁ⁉︎ み、見てたのかよ⁉︎」
「うん!」
「いつから⁉︎」
「最初から」
「最初から⁉︎」
「結構うるさかったからね」
こいつ俺のフラれ現場見てたのか……⁉︎ 最初から最後まで⁉︎
「も、もしかして言いふらす気か……⁉︎」
「ううん。そんなことしないよ」
「そ、そうか……」
「そんなことしなくても、どうせ明日には広まってるよ」
「ドゥベシ‼︎」
自分でもビックリするようなアクロバティックな動きを見せた。
ここはほとんど人が通らない校舎裏だとしても見られている可能性は十分にあるし、それに絶対彼女が彼氏に報告するもんな……。
「……はぁ」
溜息が気にせず溢れる。
一つつけば幸せが逃げていくと言われるが、既に何十もの幸せを喪失したようなものだ。今さら一つ消えたとこで気にはしない。
「ねぇねぇー。失恋したんだよね。ね? ね? したよね⁉︎」
「何でそんなに嬉しそうなの⁉︎」
人の不幸を見て笑うタイプかよ、ド畜生だなおい!
「明日、学校行くの怖い?」
「まぁ、何言われるか分かんないし。結構頑張って一年かけて関係を築いてきたんだけどな……」
高校ではボッチにならないよう、周りの空気に合わせてきた。
話題のトレンドは抑え、身なりは整え、派手にならぬ程度に茶髪にも染めた。喋り方も気をつけて、気持ち悪い自分語りはしないように聞き役に徹していた。
この一年の努力で、そこそこ友達はできていた……はず。
けれども、今日で全て崩れたかもしれない。
気持ち悪がられてしまうだろうか。重い、ねちっこいとか、キモい、勘違い野郎と揶揄されるだろうか。
まだ、イジッてくれる分にはいいが、ガチ引きや自然と無視されるにはたまったもんじゃない。
明日からでも同じように接してくれる友達は、俺には果たしているんだろうか……。
「今、絶望してる?」
「……まぁ、してるよ」
「そっかー。ふむふむ」
……何だこいつ。とりあえずクラスにはいないよな。一年の時も見かけた記憶はない。後輩? いやこう見えて先輩だったりするのか?
「ここはワタシの出番!」
急に大きな声を出した彼女は、唐突に自己紹介を始める。
「ワタシの名前は日向日向‼︎」
「え、あ、お、俺は七海周一……。え、なに?」
「ふっふっふっ、聞いて驚くなかれ。ワタシたちは! 失恋で傷心した人を救うため! 理不尽な絶望に打ち克つため! 秘密裏に結成された秘密結社──〝失恋更生委員会〟!」
「し、失恋更生委員会……⁉︎」
「ちなみにメンバーはワタシ一人のみ! メンバー絶賛募集中!」
な、なんじゃこいつ……。ワタシたちって言ったくせにお前もボッチでやってんのかよ。
って、確かに旗に〝失恋更生委員会〟って書いてある。秘密結社の割には顕示欲強めだろ。てか、なんだよ失恋更生委員会って。
「じゃあ早速だけど七海くん!」
「……は、はい?」
「海行こう!」
「はい?」
**
ここは海。
最寄り駅から四十分以上かけて、瀬戸内海に面する海水浴場に来ていた。
まだゴールデンウィーク前だから観光客も遊泳者もいない。地元住民が犬の散歩をしているくらいだ。
「おぉ、明石海峡大橋がこんなに近くにー! 大きいね! さすがギネス! ギネスはやっぱり規模が違うなー!」
「いや、あの……なんでここに」
「どうしてって、フラれたらやっぱり海でしょ‼︎」
「分かるような、分からないような……てか、これは俺の問題なんだから、別にあんたは関係ないだろ」
「やだ‼︎」
「子供かよ……。他人のプライベートにズカズカ踏み込んでくるなよ、分かってんのか」
「もちろん分かってるよ。それでも、ワタシは失恋した人の心を少しでも多く救いたい。それがワタシ、失恋更生委員会だから!」
すると、日向は波打ち際に向かって駆け出す。
「ほら見て! でっかい橋! 広い海! 高い空! こんな壮大なものを見ると七海くんが抱えている問題なんてちっぽけなもんに思えない⁉︎」
「思えるわけねぇだろ。そんなことで」
「ううん! ちっぽけだって! たかが人生に一回フラれただけじゃん! プラスに切り替えてこーよ! もっといい相手見つかるかもしれないじゃん! 新しい恋を見つけよー!」
「そんな簡単に割り切れねーよ‼︎ しつこいし失礼だしうるさいな! もうほっといてくれよ‼︎」
「──あ、やっと大きな声出た」
「……はぁ?」
「どう? スッキリした?」
息が切れるほど吐いた言葉。
泣きたくて、ムカついて、マイナスな感情しかなかったはずなのに、なぜだか気持ちが軽くなっていた。
「なかなかさー、今の世の中って大きな声出したり、その前に本当のことが言えなかったりして窮屈な世の中だよね。でもね、ここなら誰にも邪魔されずに、おーっきな声で思ってることをいっぱい喋れるよ!」
「……まぁ、確かに。ここには誰もいないしな」
「へへ、そうでしょ! まぁワタシがいるけどね。え、忘れてる?」
「……っ、どっか行ってろ」
「ううん! ここにいる! ここにいて、ちゃんと七海くんの言葉を聞くから。だから思う存分、叫んでみてよ」
「思ったことを……」
「うん! できるよ、七海くんなら。だって告白したんだもん。告白なんて誰でも出来ることじゃない。すごいよ、本当に誇らしいことだよ! だからそれを成し遂げた七海くんなら、次も、なんだってできるもんね。ワタシには分かるよ」
初めて会ったくせによくそこまで色々言えるな……。理路整然としてないし、勢いに任せた暴論でしかない。
でも、この時の俺は、いつものようにその場の空気に流されていたのかもしれない。
フラれて傷ついた心で、こんなに気持ちのいい場所にいたらさ。誰だって叫びたくなっちゃうだろ。
俺は海に向かって走り出し、靴に海水が入り込んでこようとも、ズボンがビショ濡れになろうとも気にせず突き進んだ。
太ももまで海水に浸かるころで、心の奥底から叫んだ。
「……っ、バカやろぉぉぉおお‼︎ なんで俺なんかに優しくするんだよ! 好きになっちゃうだろぅ‼︎ 彼氏がいるとか聞いてねぇよ! 言えよ! 一年間ずっと好きだったのに、弄ばれた気分だばぁぁかぁぁあ‼︎ 彼氏と別れたからって向こうから来てもぜってぇ付き合ってやんねーからな! ビッチ! バカ! アホ! んんん、バカやろぉぉ‼︎」
思いの丈を叫んだ。
やっぱりよく相手を見てなかったから、知らなかったから、けなす言葉すら出てこない。
今までの人生でこんなに喉を震わし叫んだことはない。
スッキリ──というか、なんというか、少し力が抜けた気がする。
「ドーン!」
「うべっ!」
ただ呆然と瀬戸の海を見ていた背後から日向が飛んで来た。そのまま俺たちは海にドボン。
海面に顔を出す、といっても浅瀬だから顔を上げるだけど、犬のように首を振って水飛沫を飛ばした。
日向も俺も全身ビショビショだ。
「あはは! やっぱり七海くん面白いねー!」
一張羅であるはずの制服が濡れたことも気にせず、彼女はただ笑っていた。
水も滴るいい女、か。大人らしい魅力というよりかは無邪気な美少女だろうか。
「それー!」
下着が透けているだとか、そんなことはお構いなし。俺に海水をぶっかけるビショ女に俺も返してやった。
春の海はまだ寒いな。
でも、そんなことは気にしなくなってしまった。
「あはは! いいねいいね! そのいきだよ‼︎ そのままあの夕日に向かって走れ〜‼︎」
「「おぉー‼︎」」
俺たちは夕日が沈むまで西に、西に走り続けていた。
**
日が沈んだ時には明石海峡大橋の真下にいた。
息切れる。そりゃ切れる。しんどっ……! あと寒っ‼︎
この時期にビショ濡れで走れば風は冷たい。満遍なく付着した砂は鉛のように重く、体力を全て持って行かれた。
「どう? 失恋から更生した?」
同じく一緒に走った日向は息切れ知らず。
ビショビショな上寒いはずなのに、そんなことはつゆ知らず、気にせず立っていた。
「失恋更生……はよく分かんないけど。まぁ、心が軽くなった気がするよ。明日から何とか頑張れそうだ」
「そっか! じゃあ良かった! 失恋更生成功だー!」
日向はバンザイして、無邪気に笑った。
──もし、こんなかわいい子が彼女だったら、毎日明るく過ごせたりすんのかな。
いやいや流石に会って一日だろ。失恋で頭がおかしくなってる。
でも、新しい恋を明日から始めたっていいのかもしれない。彼女も言っていた。
俺の恋は今日終わったんだから。
「……ねぇ、七海くん。大切な話があるんだ」
日向は少し恥ずかしそうに、言いにくそうに言葉が澱む。
「あのね、ワタシと──」
……え、まさかの向こうから⁉︎
もしかして、壮大なる告白の前置きだったのか⁉︎
確かにフラれたばかりの奴は落としやすいとは聞いたことがある。
けど、ちょっと手をかけすぎじゃねーか?
でも、まぁ落ちてみよう。俺だって初彼女欲しいし。
こんな可愛い子なら全然構わない!
「──失恋更生委員会に入って! 一緒に失恋を更生させていこう!」
「もちろん、俺からもよろしく……」
……まぁ、そんな気はしてた!
「って、え、なに? 失恋更生委員会に入る? 俺が?」
「よし! メンバーゲットー! ふー緊張したー。いやー、やっぱり失恋するだろうなと張ってて正解だったよ。凄い失恋臭凄いし」
「失恋臭ってなに⁉︎」
「じゃ、また明日ねー。あ、明日絶対クラスで浮くと思うけど頑張ろうね。結構キツイ目に遭うと思うけどー!」
「ちょ、最後に傷を抉るなぁ!」
日向は走って駅まで帰って行った。
「あ、それよろしくね!」と、最後の言葉で俺に残したのは失恋更生委員会の旗。
え、これ持って一人で電車乗るの? せめて一緒に帰ってくれてもよかったんじゃないの?
こうして俺は失恋更生委員会の旗持ちとなったのであった。
……そういや、ポケットのスマホ防水仕様じゃなかったな。