⑤ 首輪について
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「ナカト、足元気をつけなさいね」
とりあえず遺跡を下りて探してみることにした。左目の見えない僕を気遣ってくれているのか、アレクサンドラは僕の左手前を歩いてくれた。
「あなたたちっていつまで経ってもサーシャと呼んでくれないわね」
「あ、ええと……馴れ馴れしいかと思って。その内には、多分」
馴れ馴れしいと思っているのは本当だ。でもそれ以上に親しくはいけないような気がしている。ここの人たちは自分とは決定的に違う。自分が本来関わっていい人たちではないと漠然と思っていた。同時に彼らに認めて欲しいとも思っているのだが、それは難しい気がする。……結局自分はどうしたいのか。
「でも、アレクサンドラも格好良くて、いいなって思います」
「……名前に格好良さを求めたことはないわね……」
と彼女は難しい顔をして言った。
一角獣が逃げ出したとは聞いているものの、どこにいるのかは正確に判らなかった。動物たちが逃げてしまったのはとても随分昔のことだと聞くし、動物は好きにあちこち歩きまわるものだから。ただ遺跡から離れすぎてはいないらしい。というよりこの空間をあの大きな白蛇が見張っているようで、出ていかないよう目を光らせているそうだ。
(まああんな大きな蛇がいるんじゃ、怖くて逃げだせないよな……)
「ダニエルが言っていたけれど、あなたって動物が好きなの?」
「ええ、なんでか懐かれ易いんです」多分、普通の人よりはそうだと思う。思うだけだけど。
「その割にはしょっちゅう、怪我してない?」
「……最初に、信頼関係を作るのが難しいんです。……多分」
「多分?」彼女は首を傾げて言った。
歩きながらそんな話をする。と言っても彼女は自分に合わせて歩いているふりをしているだけなのかもしれなかったけれど。
「私の家は犬を飼っていたわ。灰色の大きな犬。……私は体が弱くて友達と遊べなかったから、その子とよく遊んでいたの。それ以外の時は大体ピアノ」
初めて会ったとき、アレクサンドラのことを妖精のような人だと思った。白い肌に綺麗な銀髪、灰緑の瞳。けれどよく見てみれば銀髪というよりも、もしかしたら元々は金髪で色が抜けてそうなったようにも思えた。頬は少しこけていて、長い指は枯れ枝のようで強く握れば折れてしまいそうだった。なにか病気を患っていたのかもしれない。
「僕は飼ってはいなかったんですが、猫がとても好きなんです。可愛くて優しくて、我儘だなって思う時もあるんですけど、でもそれも可愛くて……。犬も可愛いですよね。一緒に散歩って猫はしてくれないから。あ……でも首輪で繋がれているのは……」
なんか可哀想かもしれない、と言いかけてやめる。アレクサンドラは気分を悪くするかもしれない。なにかごまかそうとして、
「首輪で、紐で繋がれるのは可哀想だと思う?」言い当てられてしまった。
綺麗な瞳がこちらを見ている。焦る。この人たちに嫌われたくない。なにか上手い返しはないか。必死で考える。
「確かに可哀想だけれど、他の人の迷惑になってはいけないでしょう。仕方ないわ。でも猫だって自由にさせておいたら、柱をひっかくこともあるでしょう」
すみません、と謝る。
「謝らなくていいわ。別に怒ってないし。私たちはあなたのことを理解したいわ。でもそのためには話してくれないと判らないから」
はい、と生返事をした。
「あなたは優しいのね」
「そう……でしょうか」
「だって動物の気持ちになって考えられる人でないと、可哀想だなんて思わないわ。他人の立場になって考えようとするるのは良いことだわ。……まあでも犬は別に何とも思っていないかもしれないけど。そういうのって人間のエゴっていうのかしら? まあ可哀想だと思うのなら、その分幸せにしてあげるとか。うーん……難しいわね」
動物とも会話できたら……いや、逆に辛くなるかもしれない。
「……でも仮に……首輪を外しても、どこにも行かないかもしれないわね」
「え……」
「あなたに懐いていた猫は、紐で繋がれているから傍にいてくれるの? 違うでしょう。だったら犬だって同じじゃないかしら」
どうだろうか。
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気が付いたら遺跡の中腹あたりまで来てしまった。特に動物らしきものは見かけなかった。アレクサンドラは立ち止まり腕を組んで、そして言った。
「もしもナカトが一角獣だったとして、外に出られたら何をしたい?」
思い切り走ることは……蛇がいるからできない。眠りたいだろうか?
うーん……。
なぜか頭に湖のイメージが浮かんだ。
「……水を飲みたいかもしれないです。近くに湖とかってありますか?」
【続きます】